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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史: 分裂のパレスチナ

受け売り 現代史: 分裂のパレスチナ_f0020352_1829465.gifイスラエル軍とパレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」との戦闘の様子が毎日報道されています。

イスラエル軍は、「ハマス」が支配するパレスチナのガザ地区に対し、空爆を続ける一方、地上部隊を侵攻させ、戦闘が拡大しています。
これに対して、ガザを実効支配する「ハマス」は、ロケット弾による報復攻撃を本格化させていまる。
先月27日にイスラエル軍による大規模な空爆作戦が始まって以降、パレスチナ側の死者は既に700人を超えました。

「イスラエル」は、ハマスのロケット弾攻撃が止まるまで軍事作戦を続けると宣言し、
「ハマス」は、イスラエルによるガザ地区の封鎖措置が解除されるまで、攻撃はやめないとしています。 

事態が悪化していく中で、やっとエジプトが仲介に乗り出しました。その成果は未知数ですが今後も目を話せないのが中東における両者の対立です。

パレスチナの現状、イスラエルとハマスとの争いの背景、そして中東の和平への展望などについて新聞報道を紐解きながら整理してみます。
  
なお、この争いは、「国と国との戦争」ではありません。「国と武装組織」の「戦闘」だと受け止めていますのでこの文言を使います。ただし、「・・・の空爆」とか「・・・の侵攻」とも書きますが。

なお、「パレスチナ問題」については2006年8月にこのブログに連載しました。
詳細については当時の書き込みを参考にしてください。様子は少し変わっていますが。

1 分裂のパレスチナ
 イスラエル建国の源流は19世紀末に遡ります。欧州で迫害を受けたユダヤ人の間で、パレスチナの地に故郷を再建し帰還を目指すシオニズム運動が芽生え、入植地が拡大していきます。          注) イスラエルの人口の約76%がユダヤ人
第二次世界大戦下のユダヤ人大量虐殺の悲劇を乗り越え、1948年5月14日イスラエルは独立を宣言(従って、昨年5月に建国60周年を迎えました)しますが、直後にアラブ諸国との間で第1次中東戦争が発生し、以来争いは四度にわたることになりました。西欧から押し付けられたパレスチナでの住み分けに納得しなかったことが発端でした。戦争では負け知らずで、勝者のイスラエルは多くの占領地を得、「和平と土地の交換」の戦略を進めます。

1978年にエジプトとの和平条約に合意
1990年代からパレスチナとの二国家共存を目指す和平交渉が本格化し
1993年、パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)までこきつけました。
二国家共存に向けて歩みだしたのです。
ガザはヨルダン川西岸とともにパレスチナ自治区となったのです。

しかし、2000年に交渉は決裂。アラファト議長の死後、パレスチナでは、イスラエル壊滅を掲げるイスラム原理主義組織ハマスが台頭し、2006年のパレスチナ評議会選挙でアッバス自治政府議長率いる穏健派ファタハを破り単独政権を樹立しました。
ただハマスの強硬姿勢は各国の非難を浴び、資金の援助は中断、穏健派ファタハとの内紛も発生しています。ハマスは2007年6月には、ファタハと銃撃戦を繰り広げ、ガザ地区を武力制圧し、パレスチナ自治区はファタハが支配するヨルダン川西岸と分裂した状態にあります。

ガザは、イスラエルの経済封鎖によって孤立しています。      
約150万人の住民の多くはハマスを支持しているようですが、その武力行為を支持しているのではなく、暫定自治政府に汚職が蔓延していることや住民の暮らしを守れないことに対する批判の表れであるとも言われます。

一方のイスラエルのオルメルト首相も和平反対派の影響で政権の基盤は固くありません。
イスラエルがバレスチナとの共生を実現するには最大の後ろ盾である米国の後押しが必要です。しかし、ブッシュ政権が貫いてきた「イスラエル寄り」の姿勢はアラブ側の反発を呼び、和平実現の足かせになっているとさえいわれます。

2月10日は総選挙の投票日です。オルメルト首相やリブニ外相が率いる与党は苦戦を強いられるであろうとの観測もあります。
数度にわたる戦争を経験しているイスラエルでは、常に「国防」が最大の課題でした。敵に対して弱腰であるとみなされた指導者や政党は、選挙では絶対に勝てないのです。
この辺の事情もこの度のイスラエル軍がこの時期に侵攻を執拗に続ける要因の一つでもあるようです。

進展が見られないイスラエルとパレスチナの和平交渉。  
その大きな障害となっているのが、パレスチナの内部分裂です。  
パレスチナの分裂状態は、既におよそ1年半に及びます。
米国のブッシュ大統領は両者を仲介し和平交渉を再開させたのが一昨年の11月です。
しかし、その後大きな進展は見られず、「自分の任期中に和平交渉を決着させる」としていた公約の実現が不可能になったことを認めています。その要因として考えられるのは、イスラエルの内政の混乱もありますが、アッバス議長の力がガザに及ばない状態のままでは和平交渉をいくらやっても決着するはずはありません。
従って、和平支持派が主導権を握る形でパレスチナを再統一させることが不可欠なのです。
受け売り 現代史: 分裂のパレスチナ_f0020352_18295034.jpg

外務省HP 「対立」を越えて~イスラエル・パレスチナの信頼関係を構築する より転載 ↑
by m-morio | 2009-01-08 18:49 | 市民カレッジ

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