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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : ネパール

今、市民カレッジで現代史と平行して 「ネパール・チベットを中心にしたヒマラヤ圏の自然と民族」を聴講している。
現代史の講座では、ともすれば民族・宗教・領土にまつわる戦争・騒乱・対立が取り上げられる。
殺伐とした印象を拭えない。少し文化的なことに触れたくなっての受講となった。

◇まず、いつものように「ネパール」の位置関係を見てみる。(ネパールについては、概略を既に記録したのでここを参照願いたい。)
内陸国で、一方はインドと接し、一方はヒマラヤ山脈を隔てて中国・チベット自治区とつながる。
緯度的には日本の奄美大島あたりに相当するが、首都カトマンズの標高は千数百メートルの高地である。
面積は、北海道の2倍弱、人口はおよそ2500万人。
まだまだ未発達の国である。
講師や受講生が何度か旅しているとのことでその様子を聞くと、まず驚くのは「50年以上前の日本にタイムリップスした・・」「戦前の日本を思わせる」という。
そして、平和で清潔な日本から行くと、まずその汚さに戸惑うようである。

[追記」
この講座は、「現代史」の講座とは少し趣きを異にする。
札幌市生涯学習センター”ちえりあ”が、「ご近所先生企画講座」と銘打って今回から始めた新しい企画である。 
「教えたい人」と「学びたい人」が集い、 共に学び合いながら「学びのコミュニティづくり」を目指している新しいタイプの講座。
「自分の趣味を活かしたい」「このコツを教えたい」という思いを持つ方々が、「ご近所先生」となって、講座の企画から運営までの全てを担う。
そして、受講生は講師から学び、講師も受講生から多くのことを学ぶ『学び合いの場』
講師となる方の知識、身につけたノウハウ、これまでの経験を「講座」に活かしてみよう・・という意欲的な人を募集している。

・・・と広報されている。




◇2月上旬の北海道新聞に「先生たちが見たネパール」という記事が(3回)連載された。
道内の小中学校教諭がJICA主催の研修で訪れ、国際理解教育を研究した10日間の旅に記者が同行し取材したものである。引用する。

「首都カトマンズに隣接する町ラリトプール。ここの北部に流れる川(バクマティ川)はガンジス川支流に通じる聖なる川だが、河畔の約1キロはごみで埋め尽くされていた。
木やレンガ、ビニールのくず、ペットボトル、犬の死骸・・・・・。 つんとする刺激臭が立ち込めている。」

・・・・といった具合だ。

捨てる人あれば拾う人もある。

「このごみの山に目をこらし、金属やプラスチック類を探している親子がいる。一帯にはバラックやテントが並び、ごみの山から売れる物を拾い、生計を立てている。」

「ごみ問題」は深刻のようだ。

ネパール政府はごみ問題の解決を目指し、首都では売れ残りの野菜を堆肥化したり、プラスチックごみを回収する運動などが始まっているという。

現地で青年海外協力隊員として活躍する女性がごみ減量化に取り組んでいる。
彼女によると、ごみ問題の根っこは、ヒンズー教のカーストにあるという。
ネパールでは、ごみ処理は「ポデ」と呼ばれる最下層カーストの仕事とされ、ポデ以外はごみに触れないしきたりのため、市民はごみを道路に捨てたままにする。
ラリトプールでは、そのごみをポデが河畔に運ぶ。

そして、不思議なことに

「換金できるものを拾うのはポデではなく、農村からきた別のカースト。現地の教師の給料を上回る月8千ネパールルビー(約9千円)前後の収入が得られるため流入者が増えている。」

という。

ごみ処理場建設の計画もあるが迷惑施設のため住民が反対をしている。

講師が言うには、
「そもそもごみは地に帰るもの」
という発想があることにその根っこがある。

諸外国からの文化の流入、観光客が持ち込むプラスチック製品の氾濫・・・なども起因してこんな現状になったのであろう。

彼の女性はいう
「ラリトプールの廃棄物の7割は生ごみ。生ごみを堆肥などに資源化すれば、市の余ったごみ処理予算を社会基盤整備に廻せる。」
と。。。。

◇カーストは、インドにおけるヒンズー教の制度にその起源がある。 ネパールもヒンズー教徒が81%を占めていているためカーストは厳然と残っているがインドと少し異なるのはそれに”民族”が絡んできてかなり複雑なのだとか。(ネパールには36の民族がいるといわれる)

◇ネパールの結婚式の様子を講師が撮ったビデオで観た。
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基本的にはカーストの同じ階層の者同士の結婚が多いようだが異階層間の結びつきも皆無ではない。
ネワール族(カトマンズに土着の民族)の例を見ると、その流れは次のようになる。

結婚は、基本的には「お見合い」である。
      ↓
花婿が花嫁を迎えに行く
      ↓
新郎新婦が太陽と月への誓い
      ↓
花嫁が親類、知人との別れ
      ↓
結婚の儀式
      ↓
花婿の実家へ
      ↓
お披露目

ビデオでは花嫁が親類、知人との別れの様子が紹介された。
その中で、強烈な印象を与えるのが“花嫁の涙”であった。
親類縁者が次々と花嫁の前に進み出てお祝いを述べるのであるが、その間「号泣」しっぱなしなのである。
花婿は側で所在無さそうにしている。
日本人の感覚では、結婚を嫌がって泣いているのだろうかとさえ映る。
花嫁はほぼ例外なくこのような状態になる・・・・と講師はいう。

「しばらく実家の親たちと会えなくなるから・・」なのだろうか・・・と受け止めがちだがそうではなく、

その理由として考えられるのは、

「ネワール族社会では、結婚後半年はいつでも実家に帰り泊まることができる。
ということは、花嫁が泣き続けるのは、物理的な別れのせいではない。
つまり精神的な別れを泣いている・・ということになる。
途上国では、社会的保障が未成熟だから、共同体に属し守ってもらうということが、とても重要である。
共同体とは、民族、カースト、親類、家族だが、互いに守り合わなければならない、という切実な必要性が、共同体のつながりの強さを生む。

そのため、属する先を変えることには大きな不安が伴うのである。そして、このような結婚は、自分を心的に脱皮せざるを得ない大きな通過儀礼ともなる。

泣き続ける花嫁の胸の内には、ネガティブな不安とポジティブな脱皮が渦巻いているのだと思う。

金銭によるサービスの提供によって助け合いが不要となり、人間関係の希薄化が進む日本人には、おそらく想像できない胸の内だ。」

と解説しくれた。
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by m-morio | 2009-03-12 15:56 | 市民カレッジ | Comments(0)