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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : 北朝鮮

f0020352_1522018.jpg5月25日に北朝鮮が再び核実験を行った。
この実験を巡り各国はすばやく反応した。
国連の安保理は、全会一致で、国連安保理決議に違反しているとして北朝鮮を非難した。
そのうえで、5つの常任理事国に、日本、韓国を加えた7カ国が、新たな決議の採択を目指して調整を進めているが決議案に、どんな制裁措置を盛り込むかを巡って、調整に時間がかかっている。

そんな中、当のあの国はそんな世界を揶揄するかのように短距離ミサイルを発射して威嚇し、更に、中距離ミサイルの発射準備をしているとも報道されている。
その狙いは、米国を直接交渉に引っ張り出すことだとも言われる。
韓国や日本の反応には殊更敏感で、日本を大混乱に陥らせるのは簡単なのだと喧伝し、米国の同盟国を揺さぶっている。

時事問題に私見を述べるのは本意ではないので、今後の情勢を見守りたいが、何が何でも「核保有国」となって、国際社会にその力を誇示し、生き抜いていこうとしている“北朝鮮”は、なんとも薄気味が悪いのは事実である。

今回は、毎日マスコミを賑わしているこの“北朝鮮”について整理しておく。

そもそも“北朝鮮”という国は存在しない。
正式な国名は「朝鮮民主主義人民共和国」である。言わずもがな・・であるが。
マスコミは「朝鮮民主主義人民共和国 いわゆる 北朝鮮」という言い回しをしていたと思ったら(という記憶があるのだが・・)、いつの間にか、単に“北朝鮮”としか表現しなくなってしまった。
また、書店の書棚を覗いてみても表題に「朝鮮民主主義人民共和国」との文字は殆ど見当たらない。“北朝鮮”である。

そこで、世界地図のアジア周辺を開いてみよう。“北朝鮮”はどこにあるか。。。
朝鮮半島を探すのに何の苦労もいらない。
この半島は、ほぼ北緯38度線で南北を分かれ、南が「大韓民国」(韓国)であり、北が「朝鮮民主主義人民共和国」(北朝鮮)である。
もともと同一の民族であり、一つの国家を形成していたが歴史の流れに翻弄されて国家が二分された。
この経緯については後ほど触れることにする。

◇この北朝鮮という国名を表現するときに、マスコミは前記のように一度は「朝鮮民主主義人民共和国」という正式名称を付け加えるのが一般的だった。
これは、韓国が、大韓民国の略称であるのに対して、“北朝鮮”は単なる地域名(朝鮮半島の北側部分という)にすぎなく、二つの国の表現が平等でない、という認識に基づいているらしい。
正式名称は長い。都度、言ったり書いたりするのが大変ということで、正式名称で表現し、以後、“北朝鮮”という略称にするというのが慣習となったようであるのだが、今は・・・・。
物の本によると、北朝鮮は韓国のことを「南朝鮮」といい、韓国は北朝鮮のことを「北韓」と呼んでいるという。



◇朝鮮半島
朝鮮半島は、東西に走る北緯38度線を基準(厳密に言うと若干のずれがある。境界を設定した当時の勢力図に沿って決められてたので。)として、南北に分かれている。
南北を隔てる線は「軍事境界線」と呼ばれ、さらにその境界線の南北二キロずつの範囲が「非武装地帯」になっている。
この地帯に軍事施設や軍隊が駐留することは認められていない。
たたし、一箇所「板門店」だけは「共同警備区域」になっている。
この「非武装地帯」の直ぐ外側には、鉄条網が張り巡らされ、厳重な監視下にあるが、この地帯は、朝鮮戦争(1950年から3年間)が"休戦"になって60年近くもの間、人の立ち入りが禁止されているため、手付かずの自然が残っているという。

◇日本の支配
なぜ朝鮮半島の同じ民族が、南北で敵味方に分かれて争うことになったのだろうか。
半世紀ほど時計を巻き戻してみよう。
1945年(昭和20年)に太平洋戦争が終わった。
この時まで、朝鮮半島は日本が支配していた。36年の間。(韓国では、この期間を「日本帝支配三六年の恨み」と表現する。数多くの“強制”を押し付けられたからだろう。)

太平洋戦争で日本が敗北すると、朝鮮半島を支配しようと北からソ連軍が南下してきた。
これをみた米国は、このままでは朝鮮半島全体がソ連の支配下に入ってしまう・・と恐れ、軍隊を南から上陸させ北進した。
この時、米国は、この北緯38度線を境にして、南北を分割占領することをソ連に提案し、ソ連もこれを受け入れた。

◇南北分断
日本に勝った連合軍は、当初、朝鮮半島に独自の独立国が成立するまで四カ国(米英中ソ)で統治することを計画していた。
しかし、この計画実施にあたって米ソが激しく対立。
このため問題は国連に持ち込まれ、国連は、南北で総選挙を実施して、統一された政府を樹立することにした。
しかし、ソ連がこれに反対。結局、実施することができる所だけ総選挙を実施しようということになった。
まず、南半分で選挙が行われ、選ばれた国会議員は、「李承晩」を大統領に選び、李大統領は1948年8月15日大韓民国の成立を宣言した。

 一方、北半分では、ソ連がソ連式の国づくりを始めた。太平洋戦争中、ソ連軍の大尉だった「金日成(キム・イルソン)」を“北“に連れてきて、トップにすえ、臨時人民委員会が作られた。
形ばかりの選挙を経て朝鮮民主主義人民共和国が成立したのである。大韓民国成立の翌月、1948年9月9日のことであった。
このようにして朝鮮半島に住む民族は、自らの意思に反し、否応無しに南北に分断されてしまった。
結果、社会主義を嫌う人は南に向かい、社会主義にあこがれる人は北に向かうという民族の大移動が起こった。

◇朝鮮戦争
 南北に分裂した二つの国では、二年後の1950年6月25日に朝鮮戦争が始まった。
北朝鮮軍側が38度線から砲撃を開始、続いて地上部隊が38度線を越え、韓国軍を攻撃した。
日曜日の早朝のことであった。韓国側は虚を衝かれた。
その上、北朝鮮軍は、ソ連が残した最新鋭の戦車を先頭に南下し、韓国軍には戦車一台すらなかったという。

韓国軍はなす術も無く総崩れとなり、韓国の首都ソウルは、わずか三日後に北朝鮮軍が占領してしまった。
朝鮮戦争が始まると、米国(トルーマン大統領)は直ちに韓国への全面支援を打ち出し米軍が本格的に介入を始めた。
国連安保理は、北朝鮮に対し、戦争行為の即時停止と38度線への撤退を決議し採択された。
(拒否権を持つソ連が出席をボイコットしたので、決議の決定を拒否する国はなかった)
さらに「国連軍」の創設が決まり、米国を含め16カ国が軍隊を派遣した。
この「国連軍」の司令官にはあのマツカーサー元帥が任命された。
いまでも韓国側に駐留している外国軍隊は実質米国軍だが、建前は国連軍なのである。

 この戦争は、一進一退の激戦であった。一時は、韓国軍が半島の南東部まで追い詰められたり、逆に国連軍が巻き返し、北朝鮮を中国との国境近くまで押し返し北朝鮮の存亡の危機にまでなった。
しかし、ここで現れたのが中国の人民解放軍だった。国連軍と中国軍の全面衝突となったのである。
その人海戦術に、国連軍は総崩れとなり38度線まで推し戻され、膠着状態となり、1951年7月、ソ連の呼びかけで休戦会談が始まったが、会談は、激しく対立。
2年もかかって1953年7月27日休戦協定が調印された。
しかし、協定条件に不満だった韓国側は調印せず、南側は国連(実質は米国)、北側は、北朝鮮と中国が調印して休戦協定が成立した。
そして、北と南がにらみ合っていた場所38度線が「軍事休戦ライン」となった。
この協定により、朝鮮戦争は “休んで” いるが、その後も数々の小競り合いは続いている。
北朝鮮は、韓国内にゲリラを潜入させたり、海外で韓国大統領を暗殺しようとしたりするが、決定的な対立にまではエスカレートしてない。

◇南北首脳会談
 対立が過激化することなく推移している間に、韓国側の、金大中大統領は「太陽政策」、盧武鉉大統領(先日死去した)は「包容政策」を打ち出し、北朝鮮への援助を続けてきた。
北朝鮮も、表向きは、核開発の中止を約束するなど、韓国との融和の姿勢みせていた。
2007年10月には、南北首脳会談が開かれた。金正日総書記と盧武鉉大統領が会談した。
それぞれの思惑があっての会談だった。
特に、北朝鮮としては、次の大統領選挙(2007年12月)において、当時の野党ハンナラ党の李明博候補が大統領に当選したら、韓国からの支援が打ち切られる恐れがあった。このときの首脳会談は、盧武鉉大統領への援護射撃の目的もあったといわれた。

しかし、表面的には取り繕っていた北朝鮮は、核開発を中断していなかった。
2006年10月に核実験を強行した。

◇核開発問題
 北朝鮮が核実験を強行したことで、「6カ国協議」も一時中断していたが、米国が金融制裁に踏み切り圧力を掛けた結果、2007年2月、北朝鮮は、「各施設無能力化」を約束した。
しかし、北朝鮮が、既に保有している核兵器の廃棄まで約束したわけではなかった。
また、IAEA(国際原子力機関)が査察する施設は、北朝鮮の自己申告に基づくもので、核開発を完全に中止に追い込むことができるかどうかは、不透明であった。
それでも2008年6月、北朝鮮北西部寧辺の核施設にあった冷却塔を爆破した。
「核開発を放棄する」との意思表示のはずだった。しかし、実際には、その後も核開発を完全に放棄はせず、国際社会は対応にてこずったのである。

 北朝鮮の核開発放棄は、三段階に分かれる。
①寧辺の核施設を停止・封印する一方、6カ国協議の参加国は重油5万トンを支援する。
②全ての核開発を申告し、各施設を無能力化する。見返りに重油95万トンを支援する。米国は、北朝鮮に対する「テロ支援国家」の指定を解除する。
③北朝鮮は、核兵器を廃棄する。
 ところが、2008年6月に申告された「核開発計画」を、どのようにして検証するかで米朝は対立した。
北朝鮮は、きちんとした検証を認めようとしなかったのである。

 北朝鮮は、これまでも核開発をめぐり、しばしば前言を翻し、約束を破ってきた。
にも拘らず、ブッシュ政権は2008年10月「テロ支援国家」指定を解除した。
2009年1月の退任を前に「成果」を出したいブッシュ政権は、北朝鮮が核兵器を放棄しないまま、解除したのである。
そして、2008年9月になって金正日総書記の健康問題が浮上、北朝鮮の核放棄は、さらに遠のいたのである。

◇核実験
 そして今回の核実験である。
冒頭に触れたように、国連安保理は制裁措置にどんな追加項目を盛り込むか調整に手間取っている。
・今回の核実験の意味は
・北朝鮮の思惑は
・「金融制裁」を盛り込むのか
・制裁の実効性はどうか
・北朝鮮の最大の貿易相手、最大の援助国「中国」の動向は

まだまだ明らかになっていないことが多い。
今、目が話せないのは“北朝鮮”である。
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by m-morio | 2009-06-03 19:06 | 市民カレッジ | Comments(0)