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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : アメリカ Part2

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◇ 植民地化の競争とイギリス領13植民地

北アメリカ大陸には、先住民アメリカン・インディアンが住んでいた。
その数約100万人とも、200万人とも言われる。 部族数は500といわれるが国家を形成していたわけではない。 要は、バラバラで、生活様式も部族ごとにさまざまで、狩猟生活あれば、農耕生活の部族もいた。

ここにヨーロッパからやって来たのが、スペイン、フランス、オランダ、イギリスであった。

 スペインは、北米大陸の中西部を領有する。しかし、形式的なものに過ぎなかった。

 フランスは、ミシシッピ川沿いを領有する。ルイジアナ。
フランス人は、先住民との毛皮取引中心の植民地経営を行ったので、先住民の土地を奪うことなく、両者の関係は比較的良好であった。

 イギリスの場合は、東海岸沿いに植民地を建設した。
イギリス人たちは、家族ぐるみで移住してきて、先住民から土地を奪って、農業を始める。ここが、スペインやフランスと違った。
 まず1607年に入植し、「バージニア」と命名された植民地を開いたのを手はじめに、イギリスは大西洋に沿って多くの植民地を開いた。
いろいろなグループが移住してきて植民地を建設し、イギリス政府から場所を指定した許可状が交付された。
たとえば、1620年に、本国での宗教的迫害を逃れてオランダに移住していたピューリタンなど約100名(うちピューリタンは41名)がメイフラワー号に乗り、現在のマサチューセッツ州に上陸して、プリマス植民地を開いた。
注)「ピューリタン」・・イギリス国教会に不満を持つ人達で、イギリス国教会を純粋な(ピュアーな)ものにすることを求めたのでピューリタンと呼ばれた。
だが、基本的には植民地同士の横のつながりはなかった。
1626年頃にはオランダの植民地、ニューアムステルダムの建設が始まっていたが1664年にイギリスが占領し、ニューヨークと改名した。
以後各地に植民地が建設され、
1732年にジョージア植民地ができ、その数13の植民地が成立した。
この13植民地が発展して、現在のアメリカ合衆国になるのである。

本国イギリスは13植民地をどのように支配していたのか。
実は、本国政府はこれらの植民地にはあまり関心がなかった。
植民地の人達の生活に、規制や干渉を加えなかった。税金も取らないのである。その代わり、政府としてのサービスもしないという状態だった。
必然的に、植民地の住民は、政府を頼らず、全部自分たちでやらなければならなかった。そのため、早い段階から植民地で議会が成立した。

政治的にも、自主自立、自助努力が植民地の人達の当然の生活態度だった。即ち、自由な気風が尊ばれるようになっていく。イギリスの一部でありながら、イギリスとは違った文化風土が生まれていったでのある。

産業も徐々に発達していく。
北部の植民地では、商工業が発達する。農業は、自営農民が主流となる。
南部の植民地では、プランテーションが発達する。タバコ、綿花などの大規模栽培が行われた。これらの農作物は、多くの人手を必要とした。そのために、労働力不足を補うために、南部では奴隷制度が発達した。
奴隷はアフリカからつれてこられた黒人たちだった。おなじイギリスの植民地でも北部はプランテーションがないので、奴隷制度もなかったのである。
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この後、独立戦争、南北戦争へと続く。
更に、第一次大戦、第二次大戦、、朝鮮戦争、ヴェトナム戦争、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争・・・
と進む予定だが、第一次、第二次大戦については簡単に触れて通過したいと考えているのだが。。。
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by m-morio | 2009-06-15 18:48 | 市民カレッジ | Comments(0)