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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り現代史 クルド民族

◇まえがき
 隣国の中国においてチベット民族やウイグル民族の暴動などが報道されている。
他人事のような言い方だが、私はこの「民族」問題(もっとも、宗教・領土なども同様なのだが)なかなかすんなりと腑に落ちてこないというのが正直なところである。
四方を海に囲まれ、ほんの一時期を除いて他民族に支配された経験が実感として薄い日本人だからであろうか。
そんななかで、私の頭から離れないのが「クルド民族」である。
この民族について報道されることはこれまでは稀であり、参考書も少ない。

ところが先日、道新の紙上に小さな記事を見つけた。

「クルドとイラク 対立解消に意欲」・・・バルザニ議長
イラク北部のクルド自治区政府議長選でバルザニ議長が再選された。領土や石油収益の配分をめぐってアラブ人主導の中央政府との対立激化が懸念される中、同議長は、対立解消に意欲を表明した(後略)。。。。。


市民カレッジも夏休みのことでもあり、いい機会なので“クルドという民族”について少し掘り下げてみようという思い立った次第である。



◇クルド人
 クルド人は、その発祥を紀元前といわれ、第一次世界大戦までは、オスマン・トルコの中の“クルディスタン”(クルド人の土地の意味)と呼ばれる地域にまとまって住んでいたが、大戦後、英国と仏国がオスマン・トルコを分割した際、住民の意思に関係なく“クルディスタン”も分割されたため、クルド人は、トルコ、イラク、イラン3カ国を中心にシリア、アルメニアの5カ国にまたがる地域に居住することになった。
その人口はおよそ2500万人といわれている(3000万人との見方もある)。
           下図は「クルド人居住地域」=クルディスタン
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 人口の分布については、正確な統計がない。大まかには、トルコに1300万人、イランに600万人、イラクに400万人と言われ、この3カ国にその大半が暮らしている。
なぜ、正確な人口がつかめないのか。いろいろな理由はあるが、
・居住地が多くの国にわたっている
・遊牧民を含めて定着していない者が多い
・居住地が急峻な山岳地帯、過疎地帯にわたる
・算定するための組織、意欲に欠ける
などがあげられている。

 一方、それぞれの中央政府においても、トルコのようにクルド人の存在を公式には認めてこなかった国もあるし、各国とも算定能力に不足がある。
クルド人の宗教は、かつてはペルシャから伝わったゾロアスター教だが、アラブ人に征服されてからはイスラム化が進み、現在はスンニ派が75%、シーア派が15%と言われている。
このクルド人は、19世紀から自治や独立を求める闘争を続けてきた。
それぞれの居住地における中央政府との争いはなかなか決着しない。そんな中で、特に注目を集めているのがイラクの北部地区に住むクルド人である。

そこで、整理の都合上、人口が多いトルコと治安が比較的安定しているイラク北部のクルド人自治区を中心に話を進めていく。

◇トルコにおけるクルド人
 1980年代後半から世紀末まで、クルド民族解放を主張する非合法組織「クルド労働者党」(PKK)のテロによる武装活動がトルコ(共和国)を揺るがした。
党首オジャランを中心とした活動は、当初、隣国シリアやイランに出撃拠点を設けて、辺境の地で頻繁にトルコ軍を襲い、のちにトルコ国内にも拠点を設けた。
同時にその襲撃対象が、政府施設や観光施設にもおよび、外国人観光客をも誘拐するようになっていった。
さらには、西欧諸国にも活動の舞台を広げ、トルコ関係の施設を襲撃することによって、民族解放運動が国際的な耳目を集めることとなった。その点では一つの目的を達したといえるのであろう。

 これに対し、トルコ政府は、PKKの活動をテロ行為と断じ、あくまでも“治安問題”として対処した。そして、長年にわたってクルド地域に戒厳令を発し、トルコ正規軍が大規模な掃討作戦を展開した。
こうしたPKKの武装闘争は、敵味方に多くの死者をもたらし、政府軍の大規模な軍事抑圧を招き、トルコ南東部(クルド人居住地域)を混乱、荒廃させた。
一方で、半世紀以上にわたって抑圧されて来た民族の声を顕在化させ、国際的な認知を獲得したのも事実であった。

 1999年2月、党首オジャランが逮捕され、法廷は、国家反逆罪で死刑の判決を下した。控訴するも認められず、2000年1月に政府は死刑の執行の先送りを決定した。
指導者オジャランを失ったPKKは、2000年2月、武装闘争停止を宣言した。

 トルコ政府側は、この反政府運動をあくまでも国内治安問題として対処したかったのだが、国際的な波紋は避けられなかった。
西欧諸国は、これを“人権抑圧”ととらえ、折からEUへの加盟を悲願とするトルコへの批判材料とした。
トルコのEU加盟が、長年の熱望にもかかわらずなかなか実現しないのは、主に、経済的条件をクリアできないことや文化的背景の違い(これまでの加盟国は全部キリスト教国。トルコはイスラム教国。)だが、クルド抑圧もその一因とされている。

◇イラクにおけるクルド人
 クルド人はイラクにおいても少数民族である。
主に北部に暮らし、人口のおよそ20%を占めている。
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前述のようにクルド人は、周辺国にも広く分布していて、クルド民族国家樹立の悲願を持っている。

 イラクのクルド人は、フセイン政権時代、過酷な弾圧を受けた。大量虐殺や、化学兵器による攻撃で、大勢の犠牲者が出た。
1991年の「湾岸戦争」の直後、一部のクルド人が武装蜂起し、フセイン政権に鎮圧された。
イラク軍による空爆から住民を守るため、アメリカとイギリスが設定した「飛行禁止区域」によって保護されたクルド人は、自治政府をつくり、独自の旗や通貨を持つようになった。

 2003年の「イラク戦争」で、フセイン政権が崩壊すると、クルド人は、イラクの新しい国づくりで、発言力を強めていった。
新生イラクのタラバニ大統領やゼバリ外相は、クルド人なのである。

 自治区の「独自の議会」と「政府」において、09年7月25日に自治議会選挙と自治政府の大統領にあたる「議長」を選ぶ選挙(住民の直接選挙)が同時に行われた。
結果、現職のバルザニ議長が再選されが、一方では自治政府の汚職や古い体質からの「変革」を掲げた新しい政治勢力が躍進した。

 自治議会選挙では、クルド民主党(KDP)とクルド愛国同盟(PUK)の2大政党でつくる統一会派「クルド同盟」が、議席をかなり減らしたものの、過半数は維持した。
クルド人自治区の政治をこれまでリードしてきた2大政党による利権や汚職という古い体質に対し、人々の不満や批判が広がっていることが明らかになった。クルド人も「チェンジ=変革」を求めているということであろう。
その一方で、クルド人としての民族性を強調し、クルド人の利益を守るべきだと主張する点については、各政治勢力の間では、大きな対立は見られない。

このため、「クルド人とアラブ人の民族対立」、「石油や天然ガス資源をめぐるクルド自治政府と中央政府との対立」が今後、解消されていく見通しは立っていない。

・石油資源等をめぐる対立
 世界3位の埋蔵量を誇るイラクの石油と天然ガスをめぐって、イラク国内では争奪戦
が繰り広げられている。これらのエネルギー資源は、地域的な偏りがあり、北部のクルド人自治区にも多く分布している。
国家収入の90%を占める資源を、地域ごと、あるいは民族・宗派ごとにどう配分するかが、新しい国づくりの中で、大きな問題となっている。

 こうした問題の解決の道筋が整わないまま、6月はじめ、クルド人自治区にある2つの油田(タウケ油田とタクタク油田)から石油の輸出が始まった。
いずれも、クルド自治政府が、独自に外国の石油会社と契約を結んで開発したものである。
治安が比較的安定しているため、外国企業の進出が進んでいるのだ。

 イラクの中央政府は、当初、クルド自治政府による独自の油田開発や石油輸出を認めず、激しい対立になった。
昨年夏以降、原油価格が急激に下がり、財政難に陥った中央政府が妥協した経緯にある。
クルド人自治区以外の地域では、治安の不安から、石油開発が思うように進まなかったことも、中央政府の財政難に拍車をかけた格好になった。
イラクの場合、石油輸出の収益のうち、83%を中央政府が、17%を自治政府が受取ることになっている。

しかし、自治区からの石油輸出を容認したことで、問題が起こっている。
イラク国内のアラブ人から、「石油資源は、イラク国民全体のものなのに、クルド人独自の輸出を認めたのは不公平だ」という反発だ。

イラクでは、
石油や天然ガスの資源を、どう開発し、その収入を地域ごとにどのように配分するかを定める「石油・ガス法」を制定することになっている。
しかし、法案が、一昨年国民会議に提出されたものの、審議が紛糾し、その成立の見通しはたっていない。

・「キルクーク」の帰属
さらに、北部の都市キルクークの帰属問題が大きな対立の火種になっている。
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キルクークには、クルド人とアラブ人の双方が暮らしているが、巨大な油田やガス田があり、その帰属を巡って激しく争っている。
今回のクルド人自治区の選挙でも、候補、党派を問わず、キルクークの領有権を強く主張した。
キルクークの帰属は、住民投票で決めることになっているのだが、住民投票は延期されたまま、実施の目処はたっていない。民族対立を一気に燃え上がらせる恐れがあるきわめてデリケートな問題である。

・「石油・ガス法」や「キルクークの帰属問題」の解決
 この二つの問題をうまく解決できない場合は、イラクの政治や治安が、いっそう不安定なものになると予想されている。
また、これらの問題でクルド自治政府と中央政府との関係がこじれると、クルド人の独立運動に火をつける可能性があるとも言われる。
これらの問題は、イラクの将来を大きく左右すると同時にこの地域の安定も左右する、きわめて大きくかつ微妙な問題である。
その理由は、クルド人は、トルコ、イラン、シリアなど周辺国にも多く暮らしていて、いずれの国でも、クルド人の独立運動が、微妙な政治問題になっているからである。
各国の中央政府も、イラクにおけるクルド人の独立に向けた動きに大きな関心を持って見つめている。

◇最近の動き
09.08.03付け道新(抜粋)
イラクのマリキ首相は2日、同国北部クルド人自治区を首相として始めて訪問、自治政府のバルザニ議長、自治区出身で中央政府大統領のタラバニ氏と会談した。統一国家安定の障害になっている北部の油田地帯キルクークの帰属などをめぐる中央、自治両政府の対立解消、関係改善を目指す。(中略)
バルザニ氏は、キルクーク問題で「妥協」しないと発言しており、会談で自治区の利益、権限拡大に向け、強気の姿勢で臨む可能性がある。


原油価格の低迷で中央政府の財政難が深刻化している中、自治政府が攻勢を強めているようである。
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by m-morio | 2009-08-25 19:31 | 市民カレッジ | Comments(0)