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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

「死」のこと ・・・ その2

◇人の死
ふつう、死といえば、心臓が止まることと理解しています。f0020352_8513850.jpg
私の体験(父の死)からすると、臨終間近になると、医者が、聴診器で心臓の鼓動を聞き、生死の境目を確認する。合せて心電図をとって(見て)、心臓の鼓動が止まった、音が聞こえなくなったということから死の訪れを確認していました。
これが一般的な「死」の現場ではないでしょうか。

医学的には・・・
例えば、心筋梗塞で心臓が止まってしまう。
すると、血液が循環しなくなり、脳に甚大な影響を及ぼす。
脳という組織は大量の酸素を必要とする臓器で、血液が循環しなくなると、たちまち酸素不足に陥ってしまう。
脳は機能を停止し、その状態が3~5分も続くと脳細胞そのものが死んでしまい、永久に生き返ることは不可能になる。
脳が死ねば呼吸が止まる(呼吸は脳の呼吸中枢に支配されている)。
そして瞳孔も開いてくる。
従って、医者は心臓の様子だけを見て死の宣告を行うのではなく、脳がもはや回復不能に陥ったことを確かめて臨終を告げているようです。

一般的に、心臓死という状態には「三徴候説」と呼ばれるものがあるそうです。
すなわち
1呼吸の停止
2心臓の拍動の停止
3瞳孔の拡大
です。

患者の心臓死が認められると、医者はその時点で治療を中止しますが、それは社会が心臓死を死と認めているからなのでしょうね。
わが国では、心臓死が認められても24時間は火葬できないことになっていますね。
あくまでも念のためです。その後も、毛髪や爪はのびると言いますし、朽ちるには程遠い状態です。
究極の意味ではまだ身体全体が死んでいないということなのでしょう。
心臓死はいわば社会の都合で決められた死といえるのかも知れません。

ところが、この心臓死をもって死とする法律はないのだそうです。
驚きました。始めて知りました。
心臓死をもって死とすることが長い経験によって習慣的事実となって、社会に広く認められるようになったのでしょう。

人が死んだかどうかは医者の判定にまかされていて、いつ死んだか(死亡時間)、なぜ死んだか(死因)は、医者の判定によることになっています。

結局、「慣習法」なんですね。
だから、慣習が変わればその判定も変わる可能性がある。そして、成文法と違って、慣習法を変える手続きがあるわけではないのです。

このことは、「医師法」「戸籍法」などの成分法で裏付けられている・・・とのことなので、各法律を紐解いてみましたら
「戸籍法」では、人が死亡したら、死亡診断書を添えて市町村役場に死亡届を提出しなければならない。
そして、「医師法」には、この死亡診断書は、診断した医師のみが発行できることとされていました。

(つづく)
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by m-morio | 2009-10-02 08:54 | 日々雑感