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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

「死」のこと ・・・ その4

◇まとめ
いろいろ書きましたが
誤解のないように 敢えて 追記しておきますが

歴史的に見ると
脳死が先に、医療の世界に登場してきました。まず、“脳死ありき”です。f0020352_95787.jpg
移植医療はそのあとを追って表舞台に出て来たにすぎません。
脳死という状態がある。
そしてそれが人にとっての死であるならば、臓器を移植に使わせてもらえないかというのが移植医療の出発点です。
この意味で両者に関連はありますが、それが脳死が死であることによって、そのうえに移植医療が成り立つという関係です。
その逆・・・つまり、移植医療を成り立たせるために脳死を存在させたり死と規定したりということではありません。

とにかく、これは 難しい問題 です。
倫理観、価値観・・・多くの要素が絡み合ってドナーが増えない。 日本では。。。。

さて、私的なことに触れておきます。

その前に

まずドナーになるにはいろいろ制限があります。
大まかには
心臓=50歳以下、肺=70歳以下、腎臓=70歳以下、すい臓=60歳以下、小腸=60歳以下
といった具合です。
個人差もあるので、これらの年齢を超えても医学的判断で提供可能な場合もあったり、逆に年齢制限をクリアしていても病歴などによって、提供できない場合もあるとのことです。
ただ、角膜(眼球)は提供側の高年齢による制限はないようです。
老衰であろうと、ガンで亡くなってもOKらしいです。

私は今月古希を迎えます。
その点では提供者としてはほぼ失格と言って良いのかもしれません。一部を除いて・・・。
(レシピアントになるつもりはありません・・・ので受ける側のことには触れません。)

ドナーになるか否かは別として
私は、現状では脳死を人の死だと言われても納得していません。
従って、提供者にもならないし、提供を受けようとも思っていません。

現時点は・・・ですよ。

理由ですか?
本人は、脳死であろうと心臓死であろうと、死と同時に何の意思表示もできなくなります。
例え、臓器を取り出されても痛くも痒くもない。
人様の役に立つのであれば(提供が可能であれば)、全ての臓器を使ってもらっても差し支えないという気持ちは持ち合わせています。

しかし、今のわが国の様子をつらつら思い起こして見ますと、提供することで事が穏便に済むとは思われないのです。
仮に、夫が死亡し、妻が臓器の提供を「可」と判断したとします。
葬儀に集まった親類縁者(見舞いにも来なかった人たちも)は、寄って集って妻を非難するという構図を想像するに難くない。(一般論ですよ・・・)

移植に関しては、関係者の匿名を尊重されているようです。
しかし、マスコミは信用できません。あの手この手で調べ上げ、執拗に追跡するようです。
今後の臓器移植の発展のために・・・とかなんとか理由をつけて。

こんなことに遺族は耐えられるのでしょうか。
だから、移植に関係した人たちは(ドナーであれレシピエントであれ)その事実を隠そうとします。

いろいろなご意見もあるでしょう。

遺された家族は、動揺と混乱、疲労のなかにいます。
しかも、人工呼吸器で、心臓が動き、体が温かい状態で、本人の身体にメスを入れて、臓器を取り出したい・・・という打診を医者から受ける家族のことを想像してみてください。
見方によっては、何と残酷な場面でしょうか。

提供「可」であろうと「否」であろうと、最終的には遺された家族が判断をしなければならないのです。
“究極の決断”を迫られることになります。
その心情を推し測るとき、「そんな辛い判断」を最後の最後に遺すことが良いものか・・・と考えます。

過去に提供に同意した遺族が、何年経っても
「提供することに同意したことが本当に良かったのだろうか?」
と思い悩んでいる・・という話を聞くと、なおさらです。

ですから「臓器の提供はしない」と遺しておけば、家族も周囲も”本人の意思”だから・・・と納得するのだろうと思っています。

それでも今、ドナーカードに署名していません。

冒頭に書いた諸々の疑問は一部しか解決していません。

改正後3ヶ月。施行されるまで後9ヶ月ほど。
そろそろ識者がいろいろな書物で解説して、残った疑問を解決してくれることでしょう。

その気になれば高齢者でも限定的に提供はできますが・・・

急ぐことはない!! ゆっくり 考えよう ・・・

いや! 待てよ!

古希目前のわが身を考えたら、あまりのんびりしていられないのかも。。。。。

(完)
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by m-morio | 2009-10-04 10:08 | 日々雑感