ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

受け売り 現代史  アラビア半島 その5

◆アラブ首長国連邦(UAE)f0020352_15474892.gif
面積・・83,600平方キロメートル
人口・・477万人(2008年)
7つの首長国・・アブダビ、ドバイ、シャルジャ、ラスアルハイム、マジャイラ、アシュマン、ウンムアルカイワイン
首都・・アブダビ
略史・・
7世紀にイスラム帝国、次いでオスマン・トルコ、ポルトガル、オランダの支配を受ける。
17世紀以降、英国のインド支配との関係で、この地域の戦略的重要性が認識された。
18世紀にアラビア半島南部から移住した部族が現在のUAEの基礎を作った。
1853年、英は現在の北部首長国周辺の「海賊勢力」と恒久休戦協定を結び、以後当地域は休戦海岸と呼ばれた。
1892年には、英の保護領となった。
1968年英がスエズ以東撤退を宣言したため、1971年12月、アブダビ及びドバイを中心とする6首長国(翌年2月ラアス・ル・ハイマ首長国が参加)が統合してアラブ首長国連邦を結成した。

政体・・・7首長国による連邦制だが、各首長国は独立性を保つ傾向が強い。
大統領・・アブダビ首長
経済・・・豊富な石油収入を背景に活発な対外投資(特にアブダビ)。
同時に石油一辺倒の経済からの脱却を図っており、製造業サービス部門の多様化に努めている。
2008年GDPは対前年比27.4%増。輸出は7.6%増、輸入は3.2%増。
ドバイは商業・運輸のハブとして発展(ジャバルアリー・フリーゾーンには約6千社進出。エミレーツ航空は世界の100都市以上に運航)。





話題1 休戦海岸
 オスマン帝国など、列強の登場で盛況を極めた交易の主役だったアラブ人は、歴史の潮流から徐々に押しやられ、ついには海賊として抵抗した時期があった。
ペルシャ湾の海賊アラブにとって、異教徒であるイギリス人の船を襲うことは、半ば”聖戦”だった。それに本来、この海はアラブのものであり、この航行の自由を奪った連中と戦うのは”正義”のためと考えられた。
こうしてペルシャ湾の海賊行為が激しくなった。
海賊の主力となったのは、カワシム族という民族で、伝統的なダウ船を操ってイギリス船を襲った。ついには大型商船を奪い、これに大砲を据えるなどして大海賊軍団をつくりあげた。
これにイギリスと対抗するフランスがアラブの海賊たちと気脈を通じイギリス海軍の切り崩しを画策する。
こうしてペルシャ湾のアラビア半島は”海賊海岸”と呼ばれるようになる。
しかし、これとて、しょせんは次代の流れへのアラブのむなしい抵抗だったようである。
フランスでナポレオンが失脚すると、イギリスは、インド洋艦隊をペルシャ湾へ送り海賊の拠点は占領され、アラブ側は海賊行為停止の協定に調印させられた。(1853年)

話題2 ドバイ首長国
 ドバイは国の北東部に位置する、連邦を構成する首長国のひとつ。
連邦内の石油資源の9割はアブダヒ首長国に集中。ドバイは1980年代から脱石油政策を進め、経済特区や国営エミレーツ航空の設立で物流、金融、情報の分野の「ハブ(拠点)機能」を構築した。70年代に20万人だった人口は、現在150万人を突破。
約8割は外国人で、大規模開発の現場で働くインドなどからの出稼ぎ労働者が大半を占めている。f0020352_15421340.jpg

 そのドバイの経済に変調が現れたのが08年秋。世界的金融危機のあおりで、繁栄の象徴であった巨大開発プロジェクトも減速を余儀なくされた。
けた外れのプロジェクトが実現したのは、オイルマネーを抱える湾岸諸国や外国の投資家が、右肩上がりの成長を見込んで投資を続けたがため。
この金融危機で外国からドバイに流入していた資金が逃げ出したのだ。

なぜそこまで巨大な開発をしたのか?
資源の少ない国だけに、貿易や金融、観光といった分野で世界の目をひきつけ、投資を呼び込もうとした。経済特区は外国企業の直接投資や外国人労働者の雇用を自由にし、世界中からビジネスチャンスを求めて企業や人が流入した。住民の8割以上が外国人。
その結果2005年には経済成長率が2桁になった。

危機のきっかけは?
政府系の不動産開発会社ナキールとその持ち株会社のドバイ・ワールドが、資金調達のために発行した債券を満期に償還できなくなり、ドバイ政府がこの2社の債務の返済猶予を債権者に求めたため。

結果としては、当面の危機は脱した。ドバイ政府は信用不安を重ねて否定、ドバイ・ワールドもナキールを含む事業の再編計画を発表し、債権者の銀行側と協議が始まったことで今回のショックはおさまったかたちだ。

ドバイは今後どうなるのか?
交通や中継貿易のハブとしての地位は短期的には変わらない。
ただ、ドバイのイメージが大きく失墜したことは否定できない。
新たなドバイ・ショックがいつまた起きるともかぎらない。
また連邦内でのドバイの相対的な地位が低下する可能性も否定でない。
[PR]
by m-morio | 2010-07-28 15:51 | 市民カレッジ | Comments(0)