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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

代表選・・・・

・・・に思うこと

菅さん、小沢さんの一騎打ちとなった代表選も終わった。f0020352_1159153.jpg
改造内閣の顔ぶれも副大臣を含めほぼ固まったようだ。

党内の事情のせいで2週間あまりの政治空白ができてしまった。
この間、円高のことや、尖閣諸島のことなど内・外に大きな問題が起き、簡単には解決する様子も無い。

選挙期間中、民主党政権は、代表者が決まらないから本腰を入れた政策を執れないのでは・・・と外野席は囁いていた。
その空白の影響が既に表面化して来た。

オバマ米大統領が11月の広島訪問を見送った背景には、民主党代表選という日本側の政治空白により、首相官邸とホワイトハウスが外交ルートを通じて事前協議を行えなかった事情もある・・・と伝えられている。
日本の民主党政権発足後、日米関係がぎくしゃくする中、大統領が政治上の危険を冒してまで広島を訪問する必要はないとの判断も働いたとみられる。

この「代表選」についてシックリしないことが多かった。
この問題は、菅さんが有言実行という中には多分入っていないだろうからいずれマスコミも取り上げなくなると予測されるので。。。

まず、その杜撰さと投票システムのことである。

1 なぜこの時期に選挙をしなければならないのか
 民主党の定めで、党の代表の任期は2年となっているらしい。
2年前の党首は2008年の小沢さんだ。その後、鳩山さん、菅さんと交代したが、任期は小沢さんの時から数え、途中党首が交代しても残りの任期まで・・・ということになるという。
従って、菅さんが首相になって3ヶ月そこそこで任期満了となり対抗馬が出たので選挙となってしまった。
“定め”なのだからやむなしということなのだろうが、国民にとってはしっくりこない。
前述のように、選挙の期間中政治は停滞する。

2 党員・サポーター
 テレビでは、14日の議員の投票日には既に党員・サポーターの投票が開票場に届いている様子が映し出されていた。
これをみて誰もが思うのは、(自宅に)郵送された投票用紙に、候補者名を書き込んで返送するという仕組みでは、「本人が投票した」という確認はできない・・・・と素朴な疑問が沸く。
代表選で投票用紙が配布された党員・サポーターは全国で34万人余だとか。
ところが一部の報道によると、この数に水増しがあるらしい・・・。
党関係者ですら「本当の人数はどれくらいなのか分からない」といっているとか。

さらに、党員・サポーターの中に申し込んだ記憶もない人に投票用紙が送られるというケースが相次いだとも。。。
もっと驚くのは、自民党党員に送付されたケースもあるらしい。
なんとも曖昧な かつ いい加減な仕組みと言われてもやむを得ないのではないだろうか。

民主党の党員は年6千円、サポーターは年2千円を納めればその資格を得られる。
内部の関係者は、議員に党員集めのノルマが課せられているので「議員が名義を借りて、費用を自腹で負担している」ケースもあると話す。

また、規約では、18歳以上の個人(在外邦人および在日外国人を含む)と規定している。
とすれば・・・首相を含む公務員選定を「国民固有の権利」と定めた憲法15条に抵触するとの指摘も出てくるのは当然だ・・・・とも報道される。

前幹事長の枝野さんは、外国人の投票について「将来に向かっては、議論が必要なことではないか」と歯切れの悪い発言をしたのは8月9日の記者会見でのこと。
小沢さんなどは「党の問題でしょう。僕が決める話じゃない」と述べたらしい。
党首になるかも知れない人物の発言とは思われない。
党の幹部も仕組みの不備を承知していて手をつけていないということのようである。

選挙も終わった。
優先的に対処しなければならない案件が山積している。
しかし、悪用されかねない制度の欠陥は早急に整備すべきことではないだろうか。

2年後に
菅さんが首相の立場を維持しているのか・・・
民主党が政権を保持しているのか・・・
はたまた、代表が交代していて(制度の見直しすら行わずに)今回の二の舞を演ずるのか・・・

国際社会での日本の存在感がこれほど低下しているように見えるのは、長期間にわたる経済の停滞だけでなく、「首相外交」の空白によるところも大きいのではなかろうか。
巷では「弱腰外交」と揶揄されてもいる。

今の中国との問題や北方領土などの外交が取りざたされるたびに思い出す言葉がある。

あの「黒船来航」のとき、
ペリーは、
日本に開国を要求に行くのだから、
鎖国ですからダメと言われて、ハイそうですかと簡単に引き下がるつもりはなかった。
この交渉を成功させるため、ペリーは事前に日本について猛勉強した。

そして得た結論が

「日本人は礼儀正しいが、権威に弱いから脅すにかぎる」
というものだった
・・・と伝えられている。
そして、江戸から遠い長崎ではなく、江戸湾の入り口にあたる浦賀に現れ、大砲で脅したのである。

ほぼ時期を同じくして来航した ロシアのプチャーチンの穏やかな対応とよく比較される。

間違っても「脅し」に屈することのないよう願いたいものである。
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by m-morio | 2010-09-22 12:00 | 日々雑感 | Comments(0)