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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 スーダン・南部の独立

今、アフリカが騒々しい。
チュニジアに端を発した民衆による政権交代の波は各国に波及し、エジプトの大統領はその引き際が注目されている。
その事態はまだ流動的でもあるが、退陣は決定的である。
エジプト問題が起こる直前に、南北に分かれて対立していたスーダンで大きな地殻変動があった。
南部の独立を問う住民投票が行われ、間もなくその結果が決定し、アフリカ54番目の国家が成立するのは確実視されている。

そこで、この機会に「スーダン」について整理しておくことにする。

まず、アフリカの概要を。
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1 アフリカ
▽「独立」
 第二次世界大戦が終わるまで、アフリカはヨーロッパの国々の植民地であった。
宗主国にとって植民地は、資源と人材の補給基地でしかなかった。
ひたすら資源を収奪し、人間を奴隷として扱った。「暗黒の大陸」と言われた所以である。
第二次世界大戦後、民族意識が高まりアフリカの諸国は次々と独立を果たしていった。
「独立」と言えば聞こえが良い。しかし、その現実は厳しいものだった。

植民地時代、宗主国は、植民地の人々の教育に意を払うこともなかったがため、独立した国家を支える人材が不足していたのである。
結果として、政治は腐敗し、クーデターが頻発し、内戦が勃発した。

 アフリカの地図を見ると、国境線がほぼ直線になっていることに気づく。
本来、国境線は、自然の山や川に沿って形成されるものである。それが、定規をあてて線を引いたような国境線になっている。
宗主国は、現地の事情に関係なく、人為的に国境線を引いたのだ。
結果として、一つの民族が国境線によって分断され、別々の国民になったり、まったく縁のなかった民族が一つの国家として括られたのである。
この事実により、「一つの国家」という意識が芽生えず、国内で民族や部族が争うという事態が各地で発生した。

▽「資源」
 やがてアフリカに鉱脈など地下資源が豊富であることがわかると、「資源」をめぐる争いが頻発する。
例えば、ある国に豊富な石油資源が見つかると、欧米の石油メジャーが進出する。
有利な条件での石油取得に、政府の首脳を抱きこみ、国内に多額のお金が流入するが、その多くは、政府首脳のポケットに入り、一般国民は貧困のまま取り残されるという構図ができていく。
最近では、中国が石油を大量に買い付けている。資源が欲しい中国はアフリカ諸国に対する資金援助を急増させている。
日本も相応の援助を続けている。
しかし、日本の場合、独裁政権には援助しない、軍事関係の援助もしないという方針を持っているが、
中国という国はお構いなし、見栄も外聞もないというのが現状。
スーダン政府に武器を輸出し、独裁政権を支援し続けているのも中国である。

▽「社会問題」
 この「資源」の恩恵によって、アフリカ諸国の経済は成長している。
その一方で、厳しい現実が存在する。
アフリカ全体の平均寿命は50歳ほどである。これほど寿命が短い要因の一つにエイズウイルスが挙げられている。世界の感染者の6割超を占めているという。
エイズによって人口が減少している国もある。初等教育の就学率も約70%である。
また、「資源」の多寡によって、国と国には経済格差が進んでいる。
さらに、異常気象が多発したり、干ばつに襲われたり、乾燥地帯が豪雨に襲われたりという地球温暖化に伴う気候変動の激しさも厳しい現実である。





2 スーダン
▽スーダン共和国
 アフリカで最大の面積を有するスーダンで、南部の独立を問う住民投票が行われた(2011.1.9~15)。
その結果は2月にも判明するが、キリスト教系の南部では、実権を握るイスラム教系の北部への反発が強く、賛成多数となるのは確実視されている。
植民地時代の欧州列強による人為的な国境の線引きなどが南北の対立を生んできたが、7月にも新国家が誕生する見通しになった。
スーダンは周囲を9カ国と接していて、政情が安定することは、ナイル川、紅海へのアクセスにも影響を及ぼすもので、アフリカ全体にとっても重要なことである。

▽ スーダン内戦
スーダンは、1899年から英国とエジプトが共同で統治。
1956年にスーダン共和国として独立した。
1983年、アラブ系イスラム教徒主導の中央政府が、国内全域にイスラム法を導入。
黒人系キリスト教徒中心の南部で反発が強まり、スーダン人民解放軍(SPLA)がゲリラ闘争を開始した。
アフリカで最長、最大規模の内戦で、約200万人が死亡。
南北は2005年1月、包括和平合意に署名。
統一政府が誕生し、南部ではSPLA主体の自治政府が発足した。

▽スーダン南部
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 スーダン南部の人口は推定850万人で、スーダン全体(3900万人、2008年)の2割を占める。
面積約60万平方キロで、日本の約1.6倍。  10州からなり、中心都市はジュバ(人口50万人)。

▽ダルフールの闘争
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 1983年に内戦が始まったスーダンでは、2003年2月に、バシル大統領が率いるアラブ系の中央政府と、アフリカ系の反政府勢力との間で激しい戦闘が勃発した。
2006年前半までで黒人住民の死者は20万人とも30万人ともいわれ、隣国チャド、ケニアなど周辺7カ国へ逃れた難民は55万人、国内避難民は300万人ないし400万人とされている。                       国際社会には、「大量虐殺」に発展することを懸念する声が高まり、国連安保理は経済制裁警告などの決議を採択、平和維持部隊を派遣した。

▽スーダン大統領に逮捕状
 2009年3月4日、スーダンのバシル大統領に対し、大勢の住民の殺害を命じたなどとして、「国際刑事裁判所」(ICC)は逮捕状を発行した。同裁判所が逮捕状を出したのはこれが初めて。                       

国際刑事裁判所とは、
戦争犯罪など、国際社会で起きる重大な犯罪について、その責任がある「個人」を裁くため、2002年、オランダのハーグに設置された国際裁判所。
日本を含む108の国が加盟している。(国同士の紛争を扱う「国際司法裁判所」は別の機関。)バシル大統領は、軍や民兵組織に命令して、3万5000人以上の住民を虐殺したり、組織的に婦女暴行を行ったりしたと認定され、「戦争犯罪」と「人道に対する罪」で逮捕状が出た。 

では、バシル大統領は直ぐに逮捕されたのか。 否である。
逮捕される可能性は極めて低いとされている。国際刑事裁判所には、自力で容疑者の身柄を拘束する手段がない。加盟国には、容疑者を引き渡す義務はあるが、スーダンは加盟していない。
つまり、バシル大統領は、自ら出国しない限り、逮捕されない。出国しても、加盟国以外の国に逃亡した際は手を打てない。
現に、逮捕状が出た以降、隣国エリトリアやエジプトなどを訪問したが、いずれもICCに加盟しておらず、逮捕に協力しなかった。
*国際社会の動向:
一枚岩でない。
 英仏はスーダン政府に逮捕への協力を促し、現在ICCに加盟していない米国も「残虐行為の責任者は法の裁きを受けるべきだ」とICCを支持している。その一方、スーダンから石油などを輸入している中国やロシア、スーダンに国連平和維持活動(PKO)部隊を派遣しているアフリカ諸国は、現地情勢を安定させるため訴追を凍結すべきだと主張している。

*バシル大統領は、ICCに反発し、ダルフールで活動する「国境なき医師団」など十三の非政府組織(NGO)を追放した。難民らの生命が脅かされている。
そのような横暴を食い止めるためにも、国際社会がスーダン政府に圧力をかけて現状を打破しなければ、ICCの存在そのものが形骸化してしまう。

▽スーダン南部の現状・・・試練の独立・・・
 近年続いた長期の内戦で、スーダン南部の国土は荒廃した。和平協定が結ばれても、直ぐに平和が戻ってくるということではない。
独立後50年近くにわたって内戦が続いたため市民の多くは「平和」の時代を知らない。
平和を取り戻すというより、一から平和な生活を作らなければならない情況にある。
しかし、現地ではインフラ整備や国づくりの人材育成、国内避難民、元兵士をどう社会復帰させるのかなど、課題は山積している。
 ・ なぜ政府は住民投票を受け入れたのか  
 「汚名返上」と「国際的孤立からの脱出」のため。
スーダンは米国からテロ支援国家のレッテルを貼られ、経済制裁を受けているが、米国は住民投票の見返りにテロ支援国家(イラン、キューバ、シリア、スーダン・・・多くの国際テロ組織が隠れ家として利用)の指定や制裁の解除をもちかけていると言われている。

・「北部からの帰還者続々」
 南部が独立すると、北部に暮らす南部出身者への弾圧は一層厳しくなるとの懸念もあって帰還者が続く。
内戦時(83~2005年)、激戦地となった南部から、被害が少なかった北部へ約160万人が避難。
その家族を含め約80万人が、独立をにらみ南部に帰還するとみられている。

・「石油狙う中国と欧米」
 スーダンの石油埋蔵量は、アフリカ有数。その8割が南部に集中し、まだ多くが手つかずだ。
石油開発は、北部中央政府が一手に担う。南部自治政府は、石油収入の半分を北部から機械的に受取るだけ。
その額が適正なのかも分からない。
黒人系キリスト教徒中心の南部と親密で、独立に好意的な欧米は、その資源を虎視眈々と狙う。
それに対抗して、イスラム教徒中心の北部政権と蜜月関係にある中国も、猛烈に南部政府に接近。
日量50万バレルのスーダン産原油の6割を輸入する中国は、その権益を維持・拡大しようと懸命。

・一方、南部政府の経済無策ぶりを批判する声も多い。 
 「南部の失業率は90%超。その改善無くして、復興はあり得ない。潤っているのは、復興特需に群がる外国企業と、それに癒着する政府役人だけだ」・・・・と。

・ナイル川が流れ、雨量も豊富な南部は、土地が肥沃だった。
かつて住民の7割以上が農業に携わり、スーダンの食料庫といわれた。
しかし、内戦時に地雷が埋められ、現在も使えない農地が多い。
石油開発への期待は大きいが、「食と職」に不可欠の農業復興への道のりは遠い。

・「人材不足」
 南部には、正規の資格を有する看護士は20人しかいない。
南部自治政府の閣僚は軍人出身を中心に32人という。
内戦で正規の看護士の養成が滞ったのである。閣僚の大半は内戦を戦ったスーダン人民解放軍の元幹部。
100を越える南部民族で最大のディンカ族が主要ポストを握る。他民族の反発は強く、民族の対立は絶えない。

・「対立の火種は消えない」 
 バシル大統領の対応が予測できない。
スーダンの国家収入の半分以上を占める石油の8割が南部にあり、北の政府がすんなりと石油の権益を手放すか、南北の境界線や油田地域(アビエイ地区)の帰属問題(南北でどう配分する)なども決着していない。
対外債務負担の方向性も明らかでない。返済能力はないともいわれる。

・「独立への課題」  
 長い内線と中央政府の偏った政策の影響で、国の機関や大学、病院などは北部に集中し、小学校に通える人も、6人に1人しかいない。
南部はインフラが未整備でナイル川に架る橋も1つだけ、道路も少なく学校も不足、400万人が食料支援を必要としている。
ス-ダンの混乱は難民流出やテロを招き世界の不安定要因となってきただけに、復興と新たな国づくりへの国際社会の支援が今後も欠かせない。
南部の中にも、異なる民族や部族同士の対立抗争があり、衝突や流血事件も相次いでいる。
語りつくせない苦難を経験した南部の人々にとって、スーダンからの分離独立は、長年の悲願だったが、
その道は険しい。
もし、失敗すれば、再び戦争を招き、世界の安全を脅かす恐れもある。国際社会全体で取り組むべきときだ。

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このスーダンで医療活動などを行っている医師がいる。
時々、帰国した際にTVに登場しているのでご存知の方も多いだろう。
「スーダンで活動する医師川原のブログ」
どのような事業をやっているのか、その活動の様子、現地の人々の暮らしなどが良く分かります。
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by m-morio | 2011-02-05 16:50 | 市民カレッジ | Comments(0)