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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 ラテンアメリカ 3

7 独立への戦い
 「独立」とは、少数の ”西洋人” による支配を、大多数の地元の人々が脱することをいうのだろう。
しかし、当時の独立運動の主体となったのは、南アメリカで生まれ育ち、スペインに起源を持つ人すなわち ”クリオーリョ” たちだった。

1810年を境にスペイン領アメリカの各地は騒然としてくる。
各地における自治からさらに踏み込んで完全独立へと進んでいく過程には、クリオーリョたちの独立志向の度合い・軍事能力・本国政府の動向・独立軍へのイギリスの支援などが影響を及ぼした。

1821年、メキシコ、コスタリカなど、1822年にはブラジルが独立し、約300年間続いたアメリカ大陸のスペインによる支配は、わずかにカリブ海のキューバを残してその巨大な姿を消した。
なお、キューバがスペイン領にとどまったのは、クリオーリョたちが、独立によって奴隷の反乱を鎮圧する政府軍がいなくなるのを望まなかったためといわれている。1902年に独立している。
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▽独立後の国家
 独立後、ラテンアメリカの国々は、帝国国家となったブラジルを例外として、すべて共和制国家となった。
各国は、当時のアメリカ合衆国の憲法や、スペインの憲法、フランス革命の人権宣言を参考として憲法を制定した。

これらの憲法は、共和制、国民主権、三権分立を定めていて、外見上はあくまでも近代の欧米の民主主義国家の体裁を整えてはいた。
しかし、その実態は、新しい国家の統治階級となったクリオーリョたち、特に上層クリオーリョや一部の混血たちが国家権力を握る、きわめてエリート支配的な国家であった。
つまるところ、独立後のラテンアメリカの国々では、どこの国でも、社会構造は植民地時代と基本的には変わらなかった。
支配者が本国生まれのスペイン人からクリオーリョへと横滑りしただけで、人口の多くを占めるインディオやメスティーソの立場には変化がなかったのである。

▽アメリカ合衆国の干渉
 このような独立国において混乱がなかなか収まらなかったことから、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国は、それぞれの思惑をもって干渉してきた。
その背景には、貿易の拡大や銀などの資源開発といった経済的利益への目論見があった。

こうした状況下、アメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国の干渉に反対する立場を明確にする。
それが「モンロー宣言」で、1823年に、アメリカ大統領モンローによって表明された。   
モンローは、ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸の、国家間での相互不干渉を提唱した。
アメリカ合衆国としても、1776年に独立宣言をしてから50年も経っておらず軍事力もまだ弱く、相互不干渉という外交政策で、ヨーロッパの強国に対処しようとしたのである。
モンロー宣言には、ラテンアメリカ諸国の独立を後押しするとともに、自らの影響力を確保する狙いもあった。



8 ラテンアメリカとアメリカ合衆国
 19世紀末から21世紀はじめにかけての、南北アメリカ大陸について考えてみよう。
19世紀末、ヨーロッパ列強の植民地争奪戦に、アメリカも加わろうとする動きが強まった。
1898年、スペイン領キューバの独立運動をアメリカが支援する形で、「米西戦争」が起こる。
当時のスペインは国力が衰えていたので、戦争は4ヶ月ほどでアメリカの勝利に終わった。
戦争の結果、キューバはスペインから独立はしたものの、アメリカの保護国となった。

アメリカは次いで、大西洋と太平洋を結ぶパナマ運河の建設を計画。
しかし、この当時この地域を領有していたコロンビアは、運河をアメリカが支配することを認めなかった。アメリカは1903年、パナマを独立させ、新政府から永久使用権を獲得。1914年に運河を完成させた。この経済的にも、軍事的にも価値の高いパナマ運河を、アメリカは1999年末パナマに返還した。

▽アメリカには、「パンアメリカニズム」という考え方がある
パンアメリカニズムとは、
「アメリカ合衆国を"中心"に、南北アメリカの平和を維持し、政治・経済などの面で南北アメリカ諸国の関係を強める」
という考え方で、19世紀末に作られた。
すなわち、「進んだ」アメリカが「遅れた」ラテンアメリカを救済すべき対象と見て、干渉しようということだった。

20世紀に入っても、アメリカ合衆国はパンアメリカニズムに基づいてアメリカ全体を支配しようとした。
1951年にはそのための道具として、機関・米州機構が発足した。
注)米州機構・・・ 
1951年に発足した国際機関。本部はアメリカ合衆国のワシントンD.C.。
南北アメリカの国々の平和と安全保障・紛争の平和解決や加盟諸国の相互躍進を謳う。
1970年代以降、最重要の問題を扱う場ではなくなった。
加盟国は、南北アメリカとカリブ海の全独立国35カ国で、日本を含む59カ国とヨーロッパ連合が常任オブザーバーの資格をもつ。

▽キューバ革命と米州機構
 ラテンアメリカは、政治・経済的にアメリカ合衆国に従属するようになっていく。
そんな折、1959年、アメリカの保護国だったキューバで、アメリカ寄りの政権が反政府ゲリラによって倒された。キューバ革命である。
革命を指導したのは、フィデル・カストロ。
革命直後、直ぐに社会主義を目指したのではない。
アメリカとの友好関係を保持しながら、国内の改革を行おうとした。
新政権は農地改革を進めた。しかし、これはキューバの砂糖産業を支配するアメリカ資本の利益に反するものだったことから、アメリカは武力で革命政府を倒そうとし、これに対してカストロはソ連との関係を深めていった。

1962年、南北アメリカ大陸の国々が加盟する国際機関・米州機構の会議が開かれ、アメリカ合衆国の主導で、キューバを除名することを決定した。

1965年、カリブ海のドミニカ共和国が内戦状態になった。
この時アメリカと米州機構は軍隊を派遣して反米勢力と戦った。
この軍事介入は、ラテンアメリカに、キューバに続く社会主義政権が成立することを阻むためのものだった。
キューバ革命は、アメリカ大陸の地域の問題というだけでなく、社会主義的な革命をソ連が支援したという意味で、カリブ海に飛び火した冷戦だったのであり、世界史的な背景をもっていたのである。

東西冷戦の緊張状態のなかで、アメリカは共産主義がアメリカ大陸に及ぶことを強く警戒していた。
そこで、アメリカの政策に反対する国をことごとくつぶそうとした。
その象徴がキューバだった。
ドミニカの内戦の後、ニカラグア内戦、チリのアンジェンデ政権打倒など、親米派を支援し、反米派を攻撃した。

社会体制を異にするキューバのような国が間近にあるということは、アメリカに緊張を強いてきたのである。
(続く)
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by m-morio | 2011-04-11 13:32 | 市民カレッジ | Comments(0)