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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 緊迫する中東・アフリカ情勢⑥

 ▼バーレーン f0020352_15245951.jpg

イスラム過激派の国際テロ組織「アルカイダ」の指導者 ウサマ・ビンラディン が 殺害されたと報道された。
2001年9月11日の米同時テロの首謀者とされ、その後、アフガニスタンとパキスタンの国境に近い山岳地帯に潜伏しているのではないかと言われていたが、パキスタンだった。

中東・北アフリカで広がりをみせる民衆による反政府デモは、「テロで世の中は変えられない」との意識が広がった結果のように思う。
域内ではイスラム勢力の穏健化と政治参加の動きが目立ち始めている。
イスラム過激派が全体的には退潮傾向にあるとしても、ただちにテロの根絶に結びつくものではないだろう。

オバマ大統領は「これからも国内の警戒態勢を弱めない。自由と正義を守っていく。 」と語っているように、    イスラム過激派は、今後もテロを続ける可能性は大きいし、ビンラディンを欧米との「聖戦の犠牲者」と位置付け、各地の過激派が報復テロを企てる懸念も強い。

国際社会もこれまで同様に神経を尖らせることだろう。
歴史に残る関心事となることは確かである。

近い将来的「現代史」の講座でも取り上げられるであろうが、今しばらく事態の推移を注視し、折りをみて本稿でも整理してみたい。

アルカイダのことはさておき、中東・北アフリカにおける民衆によるデモの飛び火は簡単には衰えない。
域内の独裁政権は戦々恐々としている。

今回は、バーレーンを取り上げる。

バーレーンに関する情報は少ない。
内乱が起こった2月以降の新聞記事などから紛争の様子を拾い読みする。

◇国の概要
 110.7万人(2008年7月現在)、うちバーレーン人は、53.8万人(48.6%)
 民族  アラブ人
 言語  アラビア語
 宗教  イスラム教(スンニー派約3割、シーア派約7割

 ペルシャ湾に浮かぶ大小30余りの島から成る王国。
18世紀にアラビア半島のハリファ家が征服したが、19世紀後半に英国の保護領になった。
1930年代には石油の採掘を開始した。   71年8月に英国から独立。
王族がスンニ派である一方、国民の大多数はシーア派であることから、シーア派の動向は内政安定上の重要な要因。  
石油・ガス生産量が少ないこともあり、バーレーン人の雇用機会創出が重要な課題となっている。
また、米軍第5艦隊の司令部もあり、米国の中東戦略で重要な位置を占めている。
現在の混乱が世界有数の産油国であるクウェートやサウジアラビアなど周辺産油国に波及すれば、原油価格にも影響することが懸念されている。





◇内乱の経緯
 2011年2月4日、数百人の市民が、エジプトのムバラク政権崩壊に触発された反政府デモが行われた。
石油資源に恵まれたペルシャ湾岸諸国では今回初となる動きだった。         
デモの背景には、国権を握る王家ハリファ家のイスラム教スンニ派と、国民の多数派を占めるシーア派の対立がある。                           
シーア派は、就職差別などを受けており、今回のデモ参加者もシーア派住民が主体で、政府に対し、雇用創出や賃金の引き上げ、在任40年に及ぶハリファ首相の退陣、議院内閣制の導入などを求めていた

最初のデモ以後、ハマド国王は1世帯当たり1000バーレーン・ディナールの現金支給を決定した。支給の表向きの理由は、国民行動憲章の10周年を記念してというものだったが、市民の懐柔策であったのは明らか。
人権活動団体「バーレーン人権センター」は国王に書面で人権運動家など450人以上の受刑者の釈放を要求。ハマド国王は要求に部分的に譲歩し、若年の受刑者を社会復帰させる命令を下した。さらに国王は、国内のシーア派野党勢力の要求に応じ、メディア規制の緩和を約束した。

2月14日、市民2人が死亡、25人が負傷したことによって、当初はシーア派住民らによる政治的な自由を求めるデモだったが、死者が出たことによって「体制(王制)打倒」の声が広がり始めた
2月17日には、治安部隊が首都マナマの「真珠広場」を占拠するデモ隊を強制排除、死傷者が出た。
3月15日には、3ヶ月間の非常事態宣言が発令された。
鎮圧に対するシーア派の怒りは、サウジアラビアなどシーア派住民を抱える産油国に波及する可能性が懸念された。
同国内の雇用問題では、
「大学を出ても職がないのに、シリアやヨルダンなどアラブ諸国のスンニ派を労働者として招いている」
と政府批判の声が聞こえる。

◇影響
 18世紀にアラビア半島から移住したハリファ家が支配権を確立したが、住民は以前からのシーア派。
31年の石油発見により、両派の格差はさらに拡大した。
周辺海域はイラクやクウェート、サウジアラビアなど世界有数の産油国からの原油タンカーが通過する。
デモ激化の結果、バーレーンがシーア派のイランと同じ反米国となれば、バーレーンに海軍司令部を置く米国は中東戦略の見直しを迫られかねない。
原油価格や世界経済への影響は必至だ。

 湾岸でスンニ派が権力を握るバーレーン、サウジアラビア、クウェートは昨年から、国内のシーア派住民に対する締め付けを強化し、シーア派が15%のサウジアラビアでは昨年4月、同派の指導者が逮捕され、30%のクウェートでは同9月下旬、同派聖職者が市民権を剥奪された。
背景には、同じシーア派の大国イランが中東で影響力を拡大していることへの警戒感があると見られている。

バーレーンは、昨年8月ころからシーア派住民約300人を一時拘束したが、逆に住民の怒りに火を注ぎ、今回のデモの伏線となった。
今回のデモ弾圧がサウジアラビアやクウェートのシーア派住民を刺激する可能性があり、周辺国はバーレーン情勢を注視している。

注)スンニ派とシーア派 
イスラム教創始者であるムハンマドの慣行(スンナ)を護持し全イスラム教徒の約9割を占めるスンニ派に対して、シーア派は、ムハンマドの死後、いとこで娘婿でもあるアリとその子孫に権威が引き継がれると主張、異なる教義を持つ。バーレーンでは国民の80%がイスラム教徒で、うち70%がシーア派と多数を占めている。しかし、王家のハリファ家などスンニ派の王族らが権力を持つ。イラン、イラクでもシーア派が多数派。リビアでは97%がスンニ派。

 既述のように、バーレーンは少数派のスンニ派王族が権力を握り、多数派のシーア派が不満を抱える構図で、タブーの「王制打倒」を訴えれば、政権は妥協しない。

事態は宗派の対立も絡み、混迷を深めている。

◇現況
 中東のペルシャ湾岸5カ国でつくる「湾岸協力会議」(GCC)が、イスラム教スンニ派が実権を握るバーレーンにサウジアラビア軍主体の部隊を派遣し、人口の多数を占めるシーア派住民主導の民主化要求デモを押さえ込んでいる。  デモ隊の強制排除で多数の死傷者が出ている。
対岸のシーア派大国イランは部隊撤退を要求、スンニ派の大国サウジアラビアとの代理戦争の様相を呈しはじめ、緊張が高まっている。

注)湾岸協力会議 
経済・軍事協力などを目的に1981年設立。アラブ首長国連邦、オマーン、カタール、クウェート、サウジアラビア、バーレーンの6カ国が加盟。
イスラム教イバディ派が多数のオマーンを除く5カ国は、スンニ派が実権を握る。
バーレーンだけはシーア派が人口の70%と多数派だが、国内少数派のスンニ派の王家に権力が集中している。イラン、イラクは非加盟。本部はサウジアラビアの首都リヤド。

◇湾岸産油国は王制を死守したい
 サウジアラビアやアラブ首長国連邦(UAE)など他の湾岸産油国は、デモの長期化で矛先が君主に及び、周辺の王制国家をも脅かしかねない事態になることを懸念している。

サウジアラビアでも、政党結成要求や東部のシーア派住民による小規模デモがくすぶり続ける。
こうした情勢を受け、自国内で雇用創出や住宅建設に乗り出すなど懐柔策を実施している。
政権崩壊の連鎖の波及を水際で止めようとの意図である。

バーレーンにシーア派によるイラン寄りの政権ができれば、サウジアラビアが政情不安に陥るのは必至で、先の部隊派遣は「自国防衛」の意味合いが強い。
ただ、民主化でデモは、GCC加盟国のオマーン、クウェートにも波及し、いずれも政権による政治活動や言論の弾圧、物価高、若年層の失業など共通の問題を抱えており、GCCが力でデモ拡大を阻止できるかは不透明だ。

シーア派が人口の60%を占めるイラクや、レバノンのシーア派組織ヒズボラもイランに同調し、バーレーンからの部隊撤退を求めており、中東地域で宗派間の対立が先鋭化する恐れがある。

・・・・・・

4.29英国のウイリアム王子の結婚式が行われた。
挙式には欧州・中東の王族や英国と国交のある各国大使も招かれた。
しかし、市民デモへの強硬弾圧に批判が強まるシリアの大使への招待は取り消され、バーレーンの皇太子は出席を辞退した。

こんなところにも事態は飛び火している。


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by m-morio | 2011-05-03 15:22 | 市民カレッジ | Comments(0)