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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 緊迫する中東・アフリカ情勢⑧

▼レバノン

 隣国シリアと因縁深い関係にあるレバノンにおいては、民衆による政権打倒の動きはない。 
しかし、このレバノンで、今、大きな問題が・・・・・。
連立内閣が崩壊し、内政が動揺している。
その引き金になったのが、サアド・ハリリ首相の父ラフィク・ハリリ元首相暗殺事件を審理する国連の特別法廷をめぐる対立である。

レバノンの歴史を少しだけ遡り、最近の国内情勢を概観しておく。

◇国の概要
面積・・岐阜県程度f0020352_1045295.jpg
人口・・410万人(2009年)
首都・・ベイルート
民族・・アラブ人95%
言語・・アラビア語
宗教・・キリスト教30%(マロン派、ギリシャ正教、ギリシャ・カトリック、ローマ・カトリック、アルメニア正教)、イスラム教70%(シーア派、スンニ派、ドルーズ派)等18宗派
注)中東ではキリスト教徒の比率が最も高い国
注)レバノンでは、異なる宗教・宗派の間の権力の均衡を図るため、
 大統領は、キリスト教マロン派、
 首相は、イスラム教スンニ派、
 国会議長は、イスラム教シーア派
からそれぞれ選ぶという不文律がある。

略史・・
 第一次世界大戦後、オスマントルコを破った英国と仏国は、中東地域を山分けした。
当時のシリア(現在のシリアとレバノン)は仏国の支配下に入った。その後、一部地域で独立の兆しがみえると、仏国は、独立運動ができないようにしようと、マロン派が住む地域とイスラム教徒が住む地域を一緒にして「レバノン」の国境線を引いた。その後、レバノンだけが、シリアとは別に独立。従って、シリアは、歴史的経緯から、「レバノンも自国の一部」との意識を持ってきた。
1943年・・仏より独立    注) シリアは1946年に仏より独立
1975年・・レバノン内戦始まる
1978年・・イスラエルのレバノン侵攻
1990年・・内戦終結
2000年・・イスラエル軍、南レバノンから撤退
2005年・・反シリアの立場だったラフィク・ハリリ首相が暗殺され、反シリアムードが高まる
2005年・・シリアの軍と情報機関がレバノンから撤退
 注)ハリリ元首相暗殺事件
 2005年2月、ベイルートで暗殺された。当初は元首相と反目していた隣国シリアの関与が疑われ、レバノンで大規模な反シリアデモが発生。親シリア派内閣が総辞職し、シリア軍はレバノンから撤退した。
暗殺事件を審理する国際特別法廷は、国連安保理決議に基づいて09年3月、オランダ・ハーグに設置された。
捜査と起訴はレバノン人以外の国際捜査団が、審理はレバノン法に基づいてレバノン人と外国人の裁判官の合議で行われる。

 シリアとの関係・・
シリアが、歴史的経緯からレバノンを特別の同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後も推定約1万4千人の軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきたこともあって、その間、レバノン自体も親シリアの形態によって統治されてきた。
 しかし、2005年2月にハリリ元首相が暗殺されると、脱シリア支配が国内で声高に叫ばれ、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、05年4月に、シリアが軍をレバノンから撤退。
国内ではイスラム教シーア派のヒズボラなど「親シリア派」 と 故ハリリ元首相の次男サアド・ハリリ氏を中心とするイスラム教スンニ派のグループなどの「反シリア派」が激しく対立してきた。
(以上 主に 外務省HPより)





2006年7月・・イスラエル軍が、レバノン南部に拠点を置く「ヒズボラ」を攻撃するも戦果なく撤退。その後、この地域に、レバノン政府軍と国連のPKO部隊が展開して平穏が戻った。
2007年5月・・レバノン北部トリポリ近郊のパレスチナ難民キャンプで、レバノン政府軍とイスラム原理主義過激派が軍事衝突。
レバノンは「宗教のモザイク国家」と呼ばれ、18もの宗派が混在し、微妙なバランスの上に国家が成り立っているため、外部から異質な存在(パレスチナ難民)が入ってくると、内線状態になりやすい。

注)パレスチナ難民の影響
中東戦争の結果、レバノンにもパレスチナ難民が入り、各地に難民キャンプが作られた。
1970年に、イスラエルに対する武力闘争を展開していたPLO(パレスチナ開放機構)の主力部隊が逃げ込み、南部に拠点を置いて、イスラエルへの越境攻撃を始めた。

レバノンにパレスチナ人が激増したことで、国内の宗派バランスが崩れ、キリスト教徒とイスラム教徒との内戦が始まった。
1978年、イスラエルは、この内戦に乗じて、PLOの掃討を目指して、レバノン南部に侵攻。PLOはチュニジアに逃げた。
イスラエル軍の攻撃で、多数の住民が巻き添えになって死亡。
1982年、イスラム教シーア派の住民が「ヒズボラ」を結成した。これを、同じシーア派のイランが支援。その組織が肥大化。このヒズボラがイスラエルに対して越境攻撃を仕掛けたため、2006年、イスラエルが再びレバノンに侵攻。しかし、結局は撤退に追い込まれ、ヒズボラは勢力を拡大した。

2008年10月・・レバノンとシリアは外交関係樹立を宣言する共同声明に調印し、関係正常化を実現。
2009年6月・・国会総選挙で、反シリア派が引き続き議席の過半数を確保する勝利を収めると、同年11月にはサアド・ハリリ氏が首相に就任し、親シリア派も含めた「挙国一致内閣」を樹立した。

◇レバノン連立政権が崩壊・・・11.01.13朝日新聞
 国際特別法廷がヒズボラのメンバーを訴追する可能性が高まっていたところ、シリアやイランが支援するヒズボラは暗殺事件への関与を否定し、国際特別法廷ボイコットを要求したが、米国やサウジアラビアが後ろ盾となっているハリリ首相が拒否していたところ、12日、イスラム教シーア派組織ヒズボラ系閣僚11人が一斉に辞任し、スンニ派のサアド・ハリリ首相率いる連立政権が崩壊した。
13日、スレイマン大統領は、ハリリ氏を改めて暫定首相に任命。f0020352_1102556.jpg
新たな政権協議が行われるが、反シリアと親シリア間で緊張が高まっている。

◇国際特別法廷、暗殺容疑者を訴追・・・11.01.18産経新聞
 国際特別法廷は17日、容疑者の訴追手続きを取った。容疑者名は明らかにされていないが、複数とみられる容疑者にはレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーが含まれているとの観測があり、事件への関与を否定するヒズボラは強く反発。
元首相の息子であるハリリ首相に法廷への協力拒否を迫り、ヒズボラ系閣僚の辞任でハリリ連立政権が12日に崩壊する原因になった。
ヒズボラは、あらゆる手段で逮捕を阻止すると明言。ヒズボラ側とイスラム教スンニ派のハリリ氏支持勢力の衝突再燃を懸念する声もあり、緊張が高まっている。

◇再連立は可能か
 ハリリ暫定首相がヒズボラとの再連立を図る場合、最大の焦点となるのが政権崩壊につながった「特別法廷への対応」である。
上述のように、ヒズボラは強硬姿勢であり、ヒズボラ党首のナスララ師は、幹部が起訴されても引渡しを拒否する考えを示していて、ヒズボラを支援するイランとシリアも特別法廷への批判を繰り返している。
ハリリ氏が特別法廷への対応をめぐって何らかの譲歩をするのか・・・・・、
対立が解消されなければ、両者間で武力による衝突が起きらないとも限らない情勢である。
注)ヒズボラは、政党として活動の一方で、「イスラエルへの抵抗」を名目に軍事部門を維持していて、レバノン国軍を上回る武力を持つ。
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by m-morio | 2011-05-13 11:02 | 市民カレッジ | Comments(0)