ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

受け売り 現代史 東ヨーロッパ ⑤

東ヨーロッパの旅は、どんどん進んで、先月最終回を終えました。
ポーランド⇒チェコ・スロバキア⇒ハンガリー⇒オーストリア
そして、これらの国々を取り囲む国ロシアとドイツの旅でした。

 1989年の冷戦終結に伴って、ソ連の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で、共産党国家が連続して倒されるという、いわゆる東欧革命が始まり、ワルシャワ条約機構(1955年、ワルシャワ条約に基づきソ連を盟主として東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟)は1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月末にはソ連が崩壊するという過程を辿ることになりました。

 今回巡った国々はそれぞれに西からはドイツに、東からはソ連に侵略されその国境線はしばしば変更されました。
ただ、オーストリアだけは、米英仏ソによって分割占領され、首都ウイーンも四カ国の管理下におかれながらも、領土を確保し、「中立国」への道を辿ることになります。

最終回は、例によって映画(DVD)で「第三の男」をちょとだけ見ながら、映画の舞台になったウイーンの歴史的背景などを勉強しました。
この映画は、昨年、午前10時の映画祭で観ましたが、この日の講義で知った歴史的背景を承知していたならば、また別の楽しみ方があったかなぁと感じた次第です。
それはともかくとしまして、ドイツとソ連に翻弄された国の代表として、ハンガリーに注目してみました。
ハンガリーといえば、やはり「ハンガリー動乱」。
長い歴史の中のほんの一瞬の出来事かも知れませんが、ソ連共産党の過酷な粛清の一端を覗いてみることにします。

 ハンガリーは2004年にEUの加盟した。EUへの加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。
しかしその後、インフレと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題として常態化した。
また巨額の財政赤字も重要な課題。

最近の様子は・・と言えば

ユーロ圏の南欧諸国を襲う債務危機の影響が、欧州で比較的成長率の高かった中・東欧の国々に広がっている。
通貨安に悩むハンガリーは国際通貨基金(IMF)に新たな協調策の協議を申し入れた。 
自己資本比率の引き上げに苦しむ西欧系銀行による貸し渋りが広がることも懸念されている。  
ハンガリー国家経済省は11月18日、IMFや欧州連合(EU)との協議開始を表明する声明を出した。
オルバン首相は地元ラジオで「経済の自立を損ねない新たな保険のようなもの」と説明したが、IMFなどの態度はまだ不明だ。 ハンガリーは2008年の中・東欧危機でIMFの融資を受けた。10年に支援は終了したものの、最近は南欧危機の広がりで混乱が再燃。  
通貨フォリントは6月末に比べて対ドルで一時、4分の1以上も下落した。
同国国債の格付けは「投資不適格」とされる水準まであと1段階。米格付け会社が格下げ方向での見直しを表明すると、フォリントは(11月)14日に対ユーロで最安値を更新した。IMFとの協議には格下げ阻止の狙いも指摘されるが、無条件での支援の実現には懐疑的な見方が多い。
・・・・11月20日付 日経

といった状況で、欧州危機はEU圏内でも小国のハンガリーを直撃している。



▼ハンガリー略史
1918年・・ハンガリー革命でオーストリアより独立
1941年・・枢軸国として第一次世界大戦参戦
1945年・・ソ連軍による解放
1946年・・王制廃止、共和国宣言
1949年・・人民共和国憲法成立
1956年・・ブタペストで反ソ暴動=ハンガリー動乱。
       10月、首都ブタペストでスターリン主義政策に反発した民衆が、ナジ・イムレの復権を求めて蜂
       起。一時、ナジ・イムレ復権するも、ソ連の軍事介入により鎮圧され、ナジ・イムレ首相は処刑さ
       れる。
1989年・・自由化と民主化進展
1999年・・NATO加盟
2004年・・EU加盟
2011年・・新憲法制定

少し前置きを・・・・

▼第一次・第二次世界大戦
第一次世界大戦は、オーストリアとセルビアの戦争として始まったが、ロシアがセルビア側について参戦すると、ドイツはオーストリア側についた。一方で、英仏は三国協商に基づいてロシア側についた。
結果として、
 [同盟国]
 オーストリア・ドイツ・オスマン帝国・ブルガリア・ハンガリー など

 [連合国]
 セルビア・ロシア・イギリス・フランス・イタリア・日本・アメリカ など

戦争は長期化した。

もともとはオーストリアが始めた戦争だったが、軍の近代化が進んでおらず、結局、軍事力で勝るドイツが同盟国側の主役だった。
しかし、ドイツも長引く戦争で物資は不足し、戦況も悪化し、降伏へと進み、オーストリアもすでに戦意を喪失していたところに、ドイツの後ろ盾を失ったこともあって、ハンガリーやチェコが次々に独立を宣言していくと、ほどなく降伏となった。

第一次大戦の戦後処理は、民主主義を基本理念の一つに掲げながらも、徹底は不十分だった。そのため、歴史的な経緯から複雑な民族構成となっているバルカン諸国などでは、国内の少数民族を迫害して民族構成の単一化を図る「民族浄化」が行われるようになった。
民族浄化の最たるものは、ドイツで進められたユダヤ人抹殺計画(ホロコースト)だが、同様な行為は各国で行われた。

この時代は、まだ個人の人権を尊重する意識は薄く、国家の決定に有無を言わせず従わせる全体主義の風潮が、支配的だった。
社会主義国家のソ連も、スターリンの恐怖政治で個人の自由は完全に抑圧されていたし、ドイツもその例外ではなかった。
ドイツでは、1933年、ヒトラー政権成立。
ヒトラー率いるナチスが政権の基盤を磐石なものとし、再軍備や周辺諸国の併合に乗り出していった。この過程で、チェコは解体されて消滅し、オーストリアもドイツに併合されていく。
1938年・・ドイツのオーストリア併合
1938~39年・・ドイツのチェコ侵攻
1939年・・ドイツのポーランド侵攻
1939年8月には、ポーランド分割の密約を含めてソ連と不可侵条約を結び、着々と戦争の準備(この時の相手国は仏)を進めた。

この時期、英仏は、ヒトラーとスターリンの潰しあいを期待して対独では宥和政策をとってきた。しかし、独ソの不可侵条約によってその目論見も破綻した。

第二次世界大戦勃発
 チェコを見殺しにした英仏も、ドイツがポーランドに侵攻するに至ってその宥和政策の誤りを認識した。
1939年9月、英仏はドイツに宣戦布告し、第二次大戦が始まった。(~1945年)
開戦当初は、周到な戦争準備をしていたドイツは連戦連勝で西欧の大きな部分を制圧し、日独伊三国同盟を結び(1940年)、支配下に置いた中・東欧諸国を組み入れて枢軸国の陣営が形成された。
 [枢軸国]
 ドイツ・日本・イタリア・ハンガリー・ルーマニア・スロバキア・クロアチア など
 [連合国]
 イギリス・アメリカ・ソ連・フランス・中華民国・オーストラリア・オランダ など

注)自主的に枢軸国に参戦した国々にはソ連の脅威にさらされていた周辺国が多い。
ソ連は当初、ドイツと密約を交わしてポーランド、バルト三国、フィンランドに侵攻するなど、ドイツ寄りだったが、1941年にドイツが不可侵条約を突然破棄して攻め込み独ソ戦争が始まり、連合国側は、戦略を重視して、それまで敵視していたソ連の参加を認めた。

大戦は、ヨーロッパ戦線、北アフリカ戦線、アジア戦線と多方面に拡大した。
枢軸国の優勢は、アメリカの本格的な参戦や圧倒的な生産力もあって、劣勢に転じていく。
三国同盟の一角であるイタリアは、ムッソリーニ政権が崩壊し、1943年9月に戦線から脱落した。

ドイツにとっては、対ソ連の「東部戦線」に加え、対米英の「西部戦線」でも戦わねばならず、劣勢に拍車がかかった。
ドイツの最後の反撃も不発に終わるとヒトラーは自殺し、無条件降伏となった。
1945年5月のことである。
言うまでもないが、日本の降伏は、1945年8月であった。

以上が、長い前置き。
[PR]
by m-morio | 2011-12-12 13:08 | 市民カレッジ | Comments(0)