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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

年賀状雑感 2012

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今年のお年玉付年賀はがきの当選番号が発表されました。
上位の賞品を当てたことなどありません。いつも「切手シート」です。
いや・・・数年前に一度切手シートすら当たらなかった年がありました。
今年は一枚のみ。  娘などは ゼロ だっ・・と口を尖らせている。
その年々の干支を図案化したデザインがこれなっですが、見本なので見苦しいですね。。

右・・・・・相模土鈴(さがみどれい)「頭竜(とうりゅう)」
左・・・・・土佐和紙雁皮張り子(とさわしがんぴはりこ)「龍(たつ)

[追記]現物を入手しましたので・・・↓f0020352_1518432.jpg

毎年、この機会に、頂いた年賀状を読み直すと、正月の時とはまた別の想いが沸くことがあります。
私が受取る賀状の数は、高々百数十枚。
この年になると、最後にお会いしたのがいつなのか殆ど記憶にない方が多くなります。
面談することなく近況を交換しています。
家族のことに触れられることは少ないので、殆どがご本人のことやせいぜい奥様のことなどです。

頂く賀状の多くはほぼ私と同年代の方です。
年齢で一番若い(と思われる)のは誰だろう?(身内を除く)・・・などと考えながら眺めて見ますと、一緒に仕事をした女性でわが娘よりも若い方もおりますが、例外的な存在で、ほぼ50歳以上で70歳前後の方が多いようです。最高齢は85歳か?   身内では90歳の叔母が最高齢です。

そんな中での話題です。

▼なかなか難解な賀状をくださる方がおられます
 全文が難解ということではないのですが、近況報告の中で引用されている言葉=引用句が難しい。
例えば、こんな具合
「老いに 至りて 娯を増す」と引用されています。
おそらく、年齢を重ねると共に趣味を増やす・・・という意味合いだろうと受け止めています。
さらに、 「精忙は養を成す 過閑は養に非ず」 とあります。
何となく理解はしていますが、ここに解説するには力不足です。

別の方は、辞書を引いても見つけられない文字が多くて(PCでも変換できない=読み方すら分からない)、ここに書くことが出来ませんが、
海外で登山をし、その荘厳な姿にただ伏し、精神の満足を得た・・
というような意味にくみ取れるのですが。。。。
今年会う機会があったら聞いてみようかなぁ(~_~)

▼秀逸だったのは、孫のたっくん一家からの賀状
 息子一家からの賀状は毎年楽しみにしています。
今年は、たっくんが料理に目覚めて、ほぼ毎朝家族の好みに合わせた”玉子焼き”を作ってくれることを題材にしたものでした。
この玉子焼き・・・なかなかよくできるんです。じいじが昨秋滞在した折にも、”今日のお好みは何? と 焼き方・味付けを聞いてきました。
玉子焼きにはあまり包丁は使いませんが、出来上がった"作品"は、たっくんの”My 包丁”でカットしてくれます。
学校へ行く時間が迫っているのに、一所懸命の結晶は ほっこり と美味しいです。

▼喪中のお知らせも沢山頂いた
私が出す賀状の約1割の数になります。
ひところは、祖父母の不幸が多かったのが、いつの間にか、親を通り越し、兄弟の他界の知らせも多くなりました。
その中でも、一番残念だったのは、元職場で大変お世話になった方が他界され、ご母堂さまからのお知らせにはこころが痛みました。私よりも遥かに若く64歳。
 また、私が転職した先の当時の常務取締役が亡くなられました。この方の場合、ここ2年ほど賀状が届かなかったので、年末に前職場に電話して初めて亡くなったことを知った次第。
職場でも最近知ったばかりだった由。福岡県久留米市に住まわれ、随分前に勇退されていたため情報が遅れたようです。
さらに、今年も賀状をいただきお元気な様子だった先輩が先日他界された。享年85歳。
ただただ皆さんのご冥福をお祈りしている。

▼賀状はいつまで・・・
 1年前に、私の知人の賀状に、70歳を機に賀状を打ち切りにするとの添え書きがあったことに触れました。70歳とはいわないまでも、相応の年齢になると、毎年のように喪中のお知らせを出状するのが辛くて賀状を出さないことにしたという話を聞いたことがある。
人それぞれの考えがあるから、その是非を云々するつもりはありません。

自分の場合は?
恐らく自分で書けるまで続けるだろうなぁ。 
直接の交流は日増しに疎くなりつつある今日、せめて賀状を通して近況・心境をお届けできれば・・・・
との思いです。

こんなことを書いていて、ふとある作家を思い出しました。

「小生、老化いちじるしく、このうえは身じろぎもせずじっと自然死を待つ決意を固めましたので、賀状は本年かぎりにさせて頂きます。
これまでの御芳情を感謝致します。
ではさようなら。
皆さまはお元気で。

世を捨てた 北杜夫」


いわずと知れた、どくとるマンボウさんです。

この時は、マンボウさんは、遅くても2年ぐらいで死ぬつもりだったらしい。
ご本人の思惑とは裏腹に、その後も躁鬱との戦いを続け、鬱に落ち込み、躁のときは博打に現を抜かし、腰痛に悩ませられながら海外を旅したマンボウさんも、終に昨年旅立たれた。

競馬好きで、ある時の天皇賞で優駿が骨折し、安楽死させられたとき、

娘さんに

「パパも何とか安楽死させてくれ」

と言ったら、

娘さんに「名馬じゃなくて駄馬だからダメ」と言われたのだとか。。。。

芥川賞作家も形無しである。
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by m-morio | 2012-01-23 14:59 | 日々雑感 | Comments(0)