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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 「アフリカ大陸 」 Ⅰ

9年続いている 「現代史」 の講座を受講した。

今回のテーマ:

「アフリカの時代」は来るか‥‥21世紀を迎えたアフリカ大陸

その講義をまとめみた。

いつものように"受け売り" 。

以下の資料などを参考にした。
・講義の配布資料
・日本経済新聞
・リシャルト・カプシチンスキ著 「黒檀 世界文学全集Ⅲ-02」 河出書房新社
・松本仁一著 「アフリカ・レポート」 岩波新書
・宮本正興 松田素二 編 「新書 アフリカ史」 講談社現代新書
その他

比較的馴染みの薄い地域なので、現在のアフリカ大陸の全図を。
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なんとも広大な大陸である。

この大陸で何が起き、何が問題なのか解きほぐしていきたい。

Ⅰ アフリカ史
1 16~19世紀のアフリカ大陸
大航海時代(注)に入り世界がつながりつつあった頃、ヨーロッパ諸国はアフリカ大陸へもその触手を伸ばし、豊な資源を求めるようになる。
しかも、資源と同時に「人間」までもが商品として大陸から連れ出されてしまった。
(注) 15世紀半ばから17世紀半ばまで続いたヨーロッパ人によるインド・アジア大陸、アメリカ大陸などへの植民地主義的な海外進出
16世紀以降、アフリカ大陸は、人・物・土地など全てにおいてヨーロッパ諸国に搾取されることになる。

▽奴隷貿易
アフリカ大陸は、15世紀頃まで、交易によって各地がそれぞれに栄えていた。
15世紀半ばになると多くのヨーロッパ諸国が足を踏み入れ、各地に砦や交易所が築かれた。
特に西岸部は、特産品にちなんで「黄金海岸」「胡椒海岸」「象牙海岸」などという名が付けられた。
中には、「奴隷海岸」という場所も存在した。
アフリカでも以前から、戦争の捕虜や犯罪者が、奴隷として売買されることがあったようだが、ヨーロッパ諸国がアフリカで行った奴隷の取引は、桁違いの規模だった。
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この奴隷貿易は、16世紀、ポルトガルとスペインを初めとしてオランダ、イギリス、フランスなどが西インド諸島や南北アメリカ大陸でヨーロッパ市場向けの広大な農園経営に乗り出し、大量の労働力が必要となった。地元の労働力には限界があった。
そこで浮上したのがアフリカから奴隷を移入するという考えであった。
ヨーロッパでも特に、イギリスは、自国で生産した武器や火薬をアフリカで売り、アフリカ人はそれを使って奴隷を確保した。
奴隷は南北アメリカ大陸や、カリブ海の島々などの植民地へ運ばれ、労働力となった。
このようにして成立した三角貿易が、イギリスに富をもたらし、産業革命を可能にしたといわれている。
しかし、奴隷貿易の裏側の実態は酷いものだった。奴隷運搬船には多くの奴隷が、身動きが出来ないほど積み込まれ、船内は悪臭に満ちていた。病気も蔓延し、病に罹った者や死んだ者は、次々と海へ捨てられた。綿畑や鉱山では、鞭打たれ、拷問が当然のように行われた。
奴隷貿易は「西洋の筋肉になった」と表現されることがあるが、筋肉を提供したアフリカは、骨と皮だけになった。
奴隷貿易は、アフリカを苦しめながら、ヨーロッパ諸国を近代化へ導いた。
18世紀のヨーロッパに広まった自由や平等を主張する啓蒙思想は、奴隷制という非人道的な制度を廃止へと向かわせた。



▽植民地化と領土の争奪
奴隷貿易はなくなったが、ヨーロッパ諸国はアフリカ大陸でその代わりになるものを入手しようと考える。
そこで活躍したのが、探検家・宣教師だった。
この探検や布教の成果を足がかりに、植民地化、つまりアフリカ大陸への本格的な侵略が始まる。
 アフリカの植民地化は、ヨーロッパ列強の帝国主義(注)が深く関っている。
(注) 帝国主義とは、自国で生産する製品の原料獲得と製品を売る市場の拡大を目的に、海外の領土の支配を図ること。
アフリカは、奴隷制の廃止後も、植民地化という搾取に苦しめられたのである。
資源を奪われ、作る農作物も強制され、アフリカ独自の社会は破壊された。
何よりも、実際の資源採集や鉄道建設を担ったのは、現地のアフリカ人だった。  
奴隷制は廃止されたが、植民地では再び奴隷のような過酷な労働を強いられたのである。

 19世紀後半には、植民地化をもくろむヨーロッパ列強同士の衝突が起こり、領土の争奪戦が始まった。
そして1884年、アフリカ領土の所有権をめぐる話し合いを行うため、ドイツで「ベルリン会議」が開催された。
ここではアフリカ人の存在は無視され、アフリカ大陸は「主のいない土地」として分割されるという原則が確認された。
植民地の各地では、同化政策(注) や白人優位政策が執られ、こうした支配が、アフリカの自由を、さらに100年にわたって奪い続けた。
(注) 同化政策とは、力を持つ民族が、弱い民族(もしくは集団)に対して自らの文化伝統を受け入れるよ
う強いる政策を言う。

余談だが、1963年に独立し翌年大統領に就任したケニアのジョモ・ケニヤッタ氏の言葉・・・
 「白人がアフリカにやってきたとき、われわれは土地を持ち、彼らは聖書を持っていた。
彼らはわれわれに目を閉じて祈ることを教えた。
われわれが目を開いたとき、彼らは土地を持ち、われわれは聖書しか持っていなかった」

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(つづく)
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by m-morio | 2014-03-07 13:35 | 市民カレッジ | Comments(0)