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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 「アフリカ大陸」 Ⅱ

2 20世紀以降のアフリカ大陸

▽独立と内部紛争

自由と尊厳を奪われたアフリカに、20世紀半ば、独立の波が押し寄せる。
19世紀以降、アフリカ各地は植民地となった。白人が黒人から土地を奪って低賃金で働かせ、税金を徴収するような搾取が行われた。
19世紀後半には、こうした理不尽な政策に対して抵抗運動が起こっていた。
これらの運動のほとんどが鎮圧されたが、後の独立運動の原動力になっていった。
また、インドやアジア諸国が次々と独立したことも、アフリカの独立意識を後押しした。
 
このような機運を受け、アフリカ諸国は、1957年のガーナを皮切りに、次々と自由を手にしていく。
特に1960年には17カ国が独立を果たし、「アフリカの年」と言われた。

黒人が主権を獲得し、新しい時代がやってきたかに見えたが、アフリカは、この後もさらに苦難の道を歩むことになる。
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独立を果たしたアフリカ諸国だったが、その後数々の紛争が勃発。
中でもナイジェリアでは、「ビアフラ戦争」が起こった。
ナイジェリアは、「イボ」「ハウサ フラニ」「ヨルバ」という三大勢力と、大小250以上の民族で構成されていた。独立後、イボ人の住む地域で石油が発見され、工業化と経済発展が進む。そしてイボ人は、「ビアフラ共和国」 (注)としての分離独立を宣言する。しかし、これを認めないナイジェリア連邦政府との間に内戦が始まる。
さらに大国による軍事援助が行われ、フランスはビアフラを、イギリス・ソ連は連邦政府を支援する。
(注) ビアフラ共和国・・1967年にナイジェリアの南東部に置かれていた東部州が独立宣言したことに伴い樹立されたイボ族を主体とした政権・国家。1967年5月30日から1970年1月15日まで存続した。
大国の代理戦争となったことで、戦争は長期化。
連邦政府による包囲で食糧・物資の供給を絶たれたビアフラは、飢餓に苦しむ。犠牲者200万人のうち、150万人が餓死者と言われる。
当時、世界中でこの戦争が報道され、アフリカ=飢餓・紛争というイメージが世界に広がった原因の一つとなった。
この内戦は、アフリカ共通の根深い苦しみを代弁していた。
植民地時代に列強の都合で引かれた国境線が、部族・民族の間に利害対立を招き、同一の歴史や文化を共有する「国民」が形成されなかったのである。

▽アパルトヘイト
 南アフリカには、大きな別の問題があった。
アパルトヘイトは、1991年までアフリカで行われていた人種に基づく差別政策。
世界中から非難を浴び、国連をして「人道に対する犯罪」とまで言わしめた差別政策が、今からわずか23年前まで続いていた。
政治に参加する権利や職業を選ぶ自由は白人のみに認められ、住む場所も歩く場所も人種によって区別された。異なる人種同士の結婚も・・・。
1948年には、アパルトヘイトが法制化され、差別は強まっていく。
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こうした激しい差別に黒人たちが立ち上がる。
反アパルトヘイト運動の中心に立ったのが、ネルソン・マンデラだった。
マンデラは、1962年に逮捕、投獄。黒人たちの抵抗運動は、マンデラの釈放要求を軸に激しさを増し、度重なる暴動やストライキが行われた。
加えて、世界中から経済制裁を受けた南アフリカでは、アパルトヘイトの撤廃を迫られる。
1990年、マンデラは28年ぶりに釈放。彼は、黒人の支配でもなく白人の支配でもない、平等な国家建設を訴えた。
1991年、アパルトヘイトが全廃され、1994年には黒人を含めた全人種による選挙が初めて行われた。
この選挙で、ネルソン・マンデラを大統領とする、新生南アフリカが誕生した。

 そのマンデラ氏は2013年12月に亡くなった(95歳)が、現在の南アフリカは、政権の腐敗や格差の拡大で揺れている。

(つづく)
by m-morio | 2014-03-08 12:25 | 市民カレッジ

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