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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 「難民問題」

今回の統一テーマは「地中海を渡る人々の群れ・・・・・ヨーロッパに向かう難民たち」です。

世界の注目を集めている「難民」の問題です。
この「難民」問題は今日突然に発生したものではありません。
歴史を振り返ると、繰り返し起こっていることであり、その延長線上にあるのです。
「難民」というテーマを通して歴史の一端にふれてみようと思います。


▼難民の移動ルート
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この地図は、2015.08.26付北海道新聞に掲載されたもので、ドイツや英国を目指す「難民」・「移民」の移動ルートを示しています。

 報道されているように、欧州への難民・移民は増加の一途。
地中海を渡りギリシャに入った難民らの主な目的地は、景気の良いドイツや英国。
いったんEUの協定加盟国に入れば自由に移動できる「シェンゲン協定」の玄関口としてハンガリーを目指しています。
ただ、経由しなければならない、マケドニアやセルビアは未加盟国。
そのため難民はハンガリーに集中しています。
対応に苦慮したハンガリーは約175㎞の国境に高さ4mのフェンスを設置しました。

 ドイツのメルケル首相は、かつてのナチスの蛮行の反省から少しでも多くの難民を受け入れようとしますが、さしものドイツも、オーストリアとの国境で、パスポートチェックを始めました。
受け入れ態勢が整うまでの一時的な措置といわれていますが、受け入れを決断した首相の判断に、ドイツ国内で反発の声があるのも事実のようです。
過去の反省を現代に生かすことはなかなか難しいですね。

 さてこの地図を眺めていて、
どうもどこかで見た地図に似ているなあ・・・との思いがあって、過去の講座の資料を捲ってみました。
ありました。下の地図です。
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 これは、池上彰著「そうだったのか 現代史」(集英社 2000年)から転載させていただいた「東ドイツ国民の亡命ルート」です。
20世紀後半、東欧でいち早く民主化を進めたハンガリーは、自国民の逃亡を防ぐために国境に鉄条網を張り巡らせていました。しかし、民主化が進むにつれ、この鉄条網を恥と考え、1989年に鉄条網を撤去しました。
 その結果東ドイツ国民は、自由に行き来できたチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離)に入り、さらにハンガリーへ入国。
ハンガリーに入ってしまえばオーストリアとの国境を遮るものはありません。
多くの東ドイツ国民が、ハンガリー経由で西ドイツに逃げ出しました。
これが「ベルリンの壁」の崩壊(1989年11月)へとつながったのです。
すなわち、ハンガリーの国境開放の決断がドイツの歴史を変えたのです。

このような歴史を持つハンガリーが、多くの難民が自国に入ってくるのを阻止しようとセルビアとの国境に鉄条網を設置したのです。
かつて自国民に国境を開放したハンガリーが、今度は難民の受け入れを阻止しているのです。

歴史を勉強していると、このような「歴史の皮肉」に遭遇することがあります。

追記
言葉の定義
・「難民」
紛争や迫害によって、生命の危機に遭遇し、やむなく他国へ逃避する人々のことで、その主要因は政治的理由によります。
「難民条約」というのがありまして、そこにこの言葉の定義が示されていますが、かなり長いので、わかりやすく簡記するとこんな表現になります。
 なお、「亡命」という言葉がありますが、これは「難民」と同義語ですが、一般的には個人または少数者での場合に使われているようです。
・「移民」…よりよい生活や仕事、教育を求めて他国へ移住する人々で、帰国しても迫害の恐れはない。
その他に
・「国内避難民」と呼ばれる人々がいます。国内に留まって避難状態で危機を回避している人々です。この概念は、国連難民高等弁務官を10年間務めた緒方貞子氏が提示したものと言われています。
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by m-morio | 2015-11-14 15:50 | 市民カレッジ | Comments(0)