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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

30年前の・・・

「・・・・・しかし、太郎が中年になる頃、日本は四人に一人が老人ですってね。都知事は今日の新聞で、福祉は、どんなに金がなくても広げるべきだと言っているけど、今に、そういう民衆へのごきげんとりは続かなくなる日がくるに決まっています。四人に一人の老人を、物心ともに太郎たちの世代がみるなどということは不可能ですからね。今はまだ、長生きしたものは、特権を要求できるけど、そのうちに高齢者は当たり前ということになるのだから。それで、悌四郎さん(㊟太郎の叔父)とお父さんは、危険思想に辿りついていたよ。自分達は親をみるけれど、子どもには、自分達を捨てるように言おう。そうでなければ、次代は老人によってつぶされることは明らかだから、と言うのです。その考えは結構だけど、私は黙っていましたよ。これは、大変な問題だからね。しかし、動物には、(子どもを育てるという習性はあるけど)親をみる習慣はないというのは本当ですね。まだ誰もあまり言っていないけど。太郎も、老いるのは間もなくだから、時間を惜しみなさい。もっとも、どう生きたって、たいした違いはないけどね。」

これは、曽野綾子著「太郎物語-大学編-の一節です。(-高校編-もあります)
大学教授の父と自宅で翻訳の仕事している母の一人息子・山本太郎が大学2年の春に母からもらった手紙の一部です。

何十年ぶりなのでしょうか・・・この本を読み直してみました。
この本が書かれたのは昭和51年(1976年)頃だと思われます。
30年前ですよね。

面白いと思うのは、この時期で既に作者は現在の老人社会を予測していたことです。
今まさに四人に一人は老人という時を迎えているではありませんか。そして、これらの老人の年金問題に対する対策は遅々として進まず曖昧なまま時間がすぎているのです。

子が親の面倒をみるのを放棄するという発想は、言葉としては極端に聞こえるでしょうが医療・年金・税金など広い意味での社会福祉対策がおざなりになっていてかつ少子化が進み人口が減少している現状から考えますと、あながち的外れでないかも知れませんね。

三浦朱門・曽野綾子夫妻には、この小説の主人公と同名の太郎君という息子がいる。
現実の太郎君も名古屋の大学で人類学を学んでいるとか(当時)。
家庭内における親子の生活ぶりや、時にはキザで、時には思いやりのある、そして時には不良ぽっい太郎の言動は親離れしていく太郎の様子を良く表しています。

満足に料理もしない(太郎の言い方)母親を口ではののしりながらも母親の思いをしっかりと受け止めながら合格した東京の大学を蹴飛ばして好きな道を選び、名古屋の私立へと進む太郎に「嫌になったら帰ってきても良いんだよ。やり直しなんかいくらでもできるんだから・・・」と母親は言う。
親元から離れ成長していく子どもを信じる母親の気持ちは強固な意思で裏打ちされているようです。



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by m-morio | 2006-06-12 20:45 | | Comments(0)