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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

チベット (Tibet)

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チベットについて記すに当たって:
1 「チベット」は、英語表記==Tibetのカタカナ表示です。(チベット語のローマ字表記ではbod(プー)、中国語表記では 土伯特 です) 
2 チベットは今、中国の支配下にあり、・チベット自治区・青海省・他3つ省内の居住区に分割されています。(右図参照)
更に、ダライ・ラマ率いる「亡命政府」=中央チベット行政府とは区別され、「チベット本土」あるいは「中国領チベット」と表現されることもあります。また、狭義には、チベットを「チベット自治区」を指す場合もあります。
なお、亡命政府はインドの「ダラムサラ」(図の左側上部)にあります。
人口は、600万人で、うち209万人が「チベット自治区」に住んでいます。
3 チベット民族は、中華人民共和国(中国)、ブータン、インド、ネパールに分布しています。
従って、拙稿では、チベット、チベット人、チベット民族 という表現を使い分けします。

また、お断りしておかねばならないのは
本稿は、講義をベースに、自分なりに目を通した書籍を元に「整理」しておくという趣旨のもので、論文ではありません。
「聴講の記録」とでも受けとめてください。多少の感想めいたことも書くでしょうが・・・。 
なお、もし興味を持って読んでいただくうちに内容に事実に反することがございましたらご指摘頂ければ幸いです。
さらに、大国中国と対峙する少数民族を採り上げますので、ともすれば弱者に肩入れした記載があることをご理解ください。
(注)今後、チベット情勢に変化が生じた際には追記することも念頭においております。

「チベット」  
まず、皆さんはチベットというと何を連想されるでしょうか。
私は、「ダライ・ラマ」「ヒマラヤ山脈」「少数民族」」程度ですが・・・。
そのチベットでは何が起きているのでしょうか?

「歴史的経過」
チベットはかっては一つの独立した国家でした。しかし、「もともとは中国だった」という強引な理屈と軍事力による脅しによって中国の一部にさせられてしまいました。
1951年チベットは中国と「17条協定」というのを強制的に結ばされ、名実ともに中国の一部となったのです。
こうしてチベット文化はその大半を中国に組み込まれ、国内事情のために行政単位に分割されました。チベット文化圏で現在も独立しているのはわずかブータン一国となっています。
さて、この「17条協定」ですが、この協定の内容は全く守られませんでした。
当時、中国は共産主義による急速な「民主改革」を進めていましたが、協定では「チベットには改革を強制しない」と約束していました。
しかし、中国はチベットに銃口を向け、仏教国であったチベットの僧院を破壊、僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を持ち去って溶かし、さらに僧院を中心にした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に分配し、遊牧民から放牧地を取り上げ定住させようとしました。大量の軍隊を送り込んで求められてもいない「改革」を無理やり進めたのです。

穏やかな仏教徒であるチベット人の反中国の抵抗運動が、中国に近い東チベットで起きました。数では太刀打ちできないチベット人は山間にたてこもりゲリラ戦を展開するしかありませんでした。
1959年ラサで大規模な反乱を起こし中国軍に鎮圧されダライ・ラマ14世はインドへと亡命することになります。
その後、中国は中央チベットに「チベット自治区」をつくり着々とその支配を進めていきます。しかし、チベット人の抵抗は根強く、中国に従わないものは投獄されたり殺されたりしました。
60年代から70年代には、更に進んで「文化大革命」が推し進められ、チベット風の伝統は全て否定され僧院も破壊されていきました。こうした「民主革命「文化大革命」を通して、拷問、戦闘、飢えのため死亡したチベット人は120万人にのぼったといわれています。
80年代に入りますと、中国はこれまでの政策の失敗を反省しチベット文化の見直しや宗教の復活などを許すようになり一時期活気を取り戻しますが、チベット人が再び反中国やチベット独立を訴え始めると、中国は再び力で抑えにかかりました。抗議行動は次第に大規模になり、ラサに戒厳令が出されるなどしましたが戒厳令解除後も反中国的な行動への強攻策は今も変わっていないといわれています。

「環境破壊」
も進んでいるようです。
チベット高原が広いのを良いことに、核実験場を作ったり、核廃棄物・産業廃棄物の捨て場所にし、鉄道を敷いて鉱物資源を持ち去り、貴重な野生動物を乱獲しています。森林の乱伐も懸念されています。

「チベット民族」
では、こうした現状を受け入れざるを得なくなったのは全て中国が悪者なのでしょうか。
チベット高原の雄大な自然、ヒマラヤの美しくも険しい雪山の様子、仏教僧院、祈りを繰り返す信心深いチベットの人々、これらの印象はチベットを外から眺めるだけの私たちにとっては、彼らがいま「戦っている」のだということあるいは文化や民族そのものが絶滅の危機にさらされていることを忘れさせてしまいます。
チベット人たちは「祖国を失い」今日まで600万人のチベット人は自由を求めて「戦っている」のです。「非暴力」という手段で・・・。
この戦いは既に50年弱の長きにわたっているがために、チベット人の中には"疲れ"があるのも事実でしょう。

中国に侵略されて以来、国を失うことによって過去を振り返り、チベット人としての主体性を持った自由に基づいた仏教王国チベット像をやっと描くことができたのかも知れません。
過去のチベット人は、豊かな仏教文化を持ってはいましたが、一方で近代文明には背を向けてきたようです。
たとえば、外国語を学ぶと言うことはチベット文化の退廃を意味する・・・と受け止めていたのです。
ちょつと厳しい見方をするならば、
過去のチベット人たちのこの怠慢こそが現在の状況を生み出した最大の原因だ
・・といえるのかもしれません。

では、「自由」を求めるといいますが 具体的には何を求めているのでしょう。

一つは、「信教の自由」です。
自由が侵されている具体的な例は、チベット本土=中国領チベットでダライ・ラマの写真を飾ることやダライ・ラマの長寿祈願の法要などが僧院で禁じられています。また、僧院における僧侶の人数について、中国政府が勝手に制限していることが挙げられます。チベット人はこのような不条理でかつ一方的な押し付けをやめて欲しいといっいるのです。

次に「基本的人権」です。
現在、中国共産主義に反する意見を口にすることはそれがどのような表現であろうと、逮捕の対象となったり、インドなどからの亡命者が帰国した場合には、その家族までが逮捕され、拷問を受けるとさえいわれています。

これらに加えて「生活権」も侵害されています。
例えば、教育面では、長い中国支配の下でチベット語を教える教師が減り、従ってチベットを学ぶ機会が減ってしまっています。この悪循環で、中国語しか話せないチベット人が増えているといいます。多くの役所や職場を仕切っているのは中国人ですから、中国語ができないと就職もままならないのです。中国側は「チベット人の幹部は沢山いると」と言いますが、肩書きのみで実権のない場合が多いようです。
人口が少ないチベットに過密な中国から大量の人が故意に送り込まれるという動きが盛んです。
移住者は、チベット人から仕事を奪い、中国人が食べる小麦を作るために、遊牧民の土地を奪い、急激に人口が増えたために生態系が破壊されているのです。
このまま事態が進行しますと、ひとつの民族を物理的に抹殺してしまうという「民族浄化」が、ゆるやかに進んでいくことになるのではないでしょうか。

・・・ということは、
いずれチベット問題というものは”チベット人”という対象が無くなり(激減し)この問題は消滅してしまうという図式も考えられます。
もしかしたら、これが「最終的な解決方法」だと中国は考えているのかもしれません。

視点を変えて、
「中国はなぜこのチベットに拘るのでしょうか」
その理由として考えられるのは、中国はチベットを占領したことによって広大な領土を獲得しました。現在、チベット人居住区域は中国国土の四分の一近くを占めているのです。
世界で一番高い山エベレストをその国内に抱えることができるのです。
万一、チベットが独立するようなことになったらこれらを全て失うことになってしまうのです。
中国がチベットを手中から放さないのは、彼らの大国意識を支える領土と自然を失うことを恐れているからなのです。

「亡命政府」
インドへと亡命したダライ・ラマ14世は、積極的に外交活動を行い対話による解決を訴え続け、1989年に、非暴力的運動が評価されてノーベル平和賞を受賞しました。

ダライ・ラマ14世は亡命後40年以上にわたって、国際社会にチベット問題を訴え続けています。
そのダライ・ラマ14世は講演(1989.12.11 ノルウエーのオスロ大学での公開講演)で
次のように述べている事実からして、これまでに記したことは、あながち非現実的なことではないものと考えます。
なお、単なる私の記憶に無いと言うことなのかもしれませんが、「チベット」に関する情報が殆ど報道されていないような気がします。これは何を意味するのでしょうか。
一つには「非暴力」による活動がともすればテロやゲリラのように世界的なニュースになることは殆どありません。その結果国際社会からの注目度は低いのかも知れません。しかし、だからといってチベット問題がさほど緊急性がないということを意味しているのではないと思います。

講演の一部を・・
・・・・・皆様ご存知のように、チベットは過去40年間外国の支配下に置かれてきました。
今日でも、25万人以上の中国軍がチベットに駐屯しています。
・・・・・今日でも、チベット人は、基本的な人権を殆ど奪われています。例を挙げても、生存権、移動の権利、言論、信仰の権利などが侵害されています。600万チベット人の六分の一以上が、中国による侵略と占領の直接的な犠牲者となりました。文化大革命以前に既に、チベットの多くの僧院や寺院、それに歴史的な建物が破壊されておりました。残った建物も殆ど全てが、文革の間に壊されてしまいました。・・・・しかし、理解していただきたい重要な点は、1979年以降、いくつかの僧院を再建するなどの限られた自由の回復があり、他にも開放政策の兆候があったのですが、チベット人の基本的な人権は今日も組織的に侵害されているという事実であります。この二、三ヶ月の間にも、事態はさらに悪化しています。
(中間 略) 現時点で最も急を要する問題は、中国人入植者が大量にチベットに送り込まれていることです。・・・・・・チベット人は急速に減少し、自分自身の国において取るに足らない少数民族なろうとしています。チベット民族の生存そのものを脅かし、文化と精神的な伝統の維持を困難にしているこの政策は、まだ止められますし、ひっくり返すことが可能です。しかし、今すぐにそれをしなければなりません。手後れにならないうちに。

カレッジのレジメには ”民族と文化に将来があるのか?” という 副題 がつけられていました。
この副題の意味する一面はこれまでに述べてまいりました。
では別の側面とは・・・ダライ・ラマ14世の後継者問題です。
ダライ・ラマは、宗教上の法王であり政治上の国王でもあります。14世も間もなく71歳です。

後継者は指名で決められます。
ところが、ここに面倒な事実があります。f0020352_1922152.jpg
後継者にかかる問題とは・・
図に示しましたようにダライ・ラマ14世が亡命した際、チベット自治区に残ったのがラマ教(チベット仏教のことです)序列2位のパンチェン・ラマ10世で、最高指導者のダマイ・ラマ14世との間で 「それぞれの後継者は相互に承諾すること」と されていました。
ところが1989年にパンチェン・ラマ10世が死去しました。10世の後継者である11世に承認されたほうが「ダマイ・ラマ15世」の認定権が与えられるのですが中国はノルブ少年」を11世として認定したのに対して、ダマイ・ラマ14世はニマ少年」を11世として認定しましたがそのニマ少年がその後行方不明になってしまいました。(一説には、中国に監禁されているとの説もありますが・・・) 

・・・という現状を考えますとチベット民族の存亡も含めて前途は多難であろうと思わざるを得ません。

最後に、最近のダライ・ラマ14世の声明の一部を・・・
2006年3月 チベット民族蜂起47周年におけるダライ・ラマ法王の声明)
これによりますと、ダライ・ラマ14世は「チベットの中国からの独立」を望んでいるわけではない・・・ということがわかります。

(前略)私には、一つだけ要求があります。それは、すべてのチベット人のために、すなわちチベット民族全体のために、チベット人自らが統治する真の意味での自治を認めて欲しいということです。(中間略)
過去の長い歴史は、単純に白か黒かで判断できるものではありません。そのため、過去の歴史から解決策を導き出すことは容易ではありません。そうであるならば、たびたび申し上げてきたように、私は、チベットの中国からの分離は望まず、かわりに中国憲法の枠組み内でチベットの未来を模索したいと考えます。この声明をお聞きになれば、たとえ疑念や不信感のせいで現実認識が曇っている人でも、真の自治を求める私の要求が、チベット分離の要求と同じではないとお分かりになるでしょう。私の要求がこのようなものであるという事実と、自由化、開放化、メディアにおける中国側の段階的な前進とが揃えば、中国・チベット問題を対話によって解決する条件が整うのではないかと、私は希望を込めて思っております。ですから私は、現在の対話を継続させるためいかなる努力も惜しまず、対話のための良い雰囲気をつくろうと努めています。(後略)

以上
概観しましたようにチベット人は真の「信教の自由」「基本的人権」「生活権」などを求めて「非暴力」という手段のみで抵抗しているのです。
チェチェンの武装勢力の「武力」での抵抗は時には派手に全世界に話題を提供し関心を集めますが、チベットへの世界の注目度は低いようです。チェチェンおよびチベットの問題は長期化しているからこそより深刻な問題であるようにも思います。
人命や人権が無差別に侵されている状況はどちらも変わらないのです。
チベットの「非暴力」という手段は評価されるべきものであって、それが緊急度が低いと考えてはいけないことのように思います。

次は「チェチェン」を・・・
                                                        
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by m-morio | 2006-06-26 15:20 | 中国のこと | Comments(2)
Commented by 自遊人 at 2006-06-27 08:50 x
m.morioさんご無沙汰しております。勉強されてますね。一つの問題にこれだけ突っ込んで学ぶ、調べる、読む、素晴らしいことですね。
そして・・・・ご自分なりにまとめておく。私も勉強になりました。
このチベット問題こんな背景があるんですね。面白いです。
Commented by m-morio at 2006-06-27 09:14
自遊人さん おはようございます。早速ご覧頂きありがとうございます。
家内のリハビリに付き合っていて、殆ど写真を撮る時間がありませんのでこんなことに手を出しています。
「書き残しておく」という発想は、このBlobがあればこそ・・・です。
ただ自分ために紙ベースで残しておくのでしたら整理することはしなかったかも知れません。Blog効果でしょうね。
いざ整理に取り掛かってみると、記憶も曖昧だしメモも中途半端で・・という訳で本やインターネットを利用することになりましたが・・。
でも、インターネットで注意しないとならないのは「誰が」書き込んでいるか分からないのがありますのでね。
次は「チェチェン」に取り掛かってみます。少し時間がかかるでしょうか・・・。

なお、予想通り秋のコースで「現代史Ⅴ」が予定されているようですので、また聴講してみようと考えています。