ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

Albert Einstein 3

1922年(大正11年)11月17日神戸到着した。1ヶ月以上も船に揺られて・・・。
[この船上で、ノーベル賞受賞の連絡を受けることになるのだが・・]。
12月29日門司港から出航するまでの6週間にわたる講演旅行が始まった。
いまからおよそ80余年前のことである。

この間、九州から東北までを移動し、各地で精力的に講演会をこなしながら、科学者、文化人はもとより、博士の来日に熱狂する学生や一般市民と親交を深め、日本食を食べ、女子大生に騒がれ、得意のバイオリンを披露し、自然や芸術・文化を大いに楽しみ、最後には「死ぬほど疲れた」と言って帰りの船上の人となった。

では、博士はどんな人だったのだろうか。
その風貌は「もじゃもじゃ半白の髪、黒い大きな髭、どっしりと肥えた中背の身体、人懐こい夢見るような瞳、何事も"ぜんぜん珍しくない"といった態度・・・で飄々としていた」
というのが一般的な見方のようである。

また「めったに見せない嫌な顔をすることがある。それは、夫人に好きな煙草を、身体に害だとして、たしなめられる時だ。ただの嫌な顔ではない。少し相手をバカにしたような、少し反抗するような少し空とぼけるような、しかしやはり嫌な顔をする。」
と語ったのは、あの岡本太郎の父である画家 岡本一平で、彼は博士と一緒に旅をしながらこの表情を出すため38回も書き直したとのこと。

反面、相当に皮肉っぽい面を持ち合わせていたようで、ドイツにおいては記者の質問に痛烈な皮肉で答えることもあったらしい。
そういえば、日記の中に(移動中の汽車の中に記者連中がどっと乗り込んできてのインタビューを)"お決まりのつまらない質問だ"」と記してあった。

一方、夫人は、肥え気味な中背の人、黒ずくめの装い、博士と違いいつも物珍しげにはしゃいでいた。見物に居合わせた女学生のなかに割り込んで写真を写したりして大喜びしていた。
ただ、「家族全部が水を変えずにはいる日本の風呂には同感できぬ」と話したという。
[PR]
by m-morio | 2006-01-03 18:36 | | Comments(0)