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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

パレスチナ問題 ・・・ユダヤ人のヨーロッパ脱出

1914年、第一次世界大戦が勃発。
イギリス、フランス、ロシアの連合軍は、オスマン帝国が彼らと敵対するドイツ側の支援にまわったために、その支配下にあって独立の機会を狙っていた アラブ民族 に、反乱を働きかけ、アラブ諸国は”独立を条件”に反乱を起こすことを了承します。

一方、イギリスはフランスとの間で、密かに、大戦後に「オスマン帝国の分配」に係る約束ごとを決めています。(サイクス・ピコ協定 1916年5月) 

さらに、イギリスはユダヤ人とも別の約束を交わします。   
迫害を受けるユダヤ人に「パレスチナにユダヤ人国家を作ろう」という「シオニズム運動」が起こりました。
「ユダヤ人が迫害を受けるのは国を持たないからだ。だから、かって神が示してくれた約束の地、シオンの丘=エルサレムに帰ろう」というものです。

ただ、大国は自分達の植民地主義の担い手としての役割を果たすことにおいてはユダヤ人をバックアップしてくれるでしょうが、「独立」となると大国にとっては何のメリットもないので、反対されるのは目に見えていました。
それでもシオニズム運動は、植民地主義の役割も果たすと約束し、ユダヤ人国家設立を支持してくれるよう、諸国に頼んだのです。
結果、イギリスがユダヤ民族郷土(ナショナル・ホーム というあいまいな表現で・・パレスチナのどこの地域とも明示することなく)の建設の後ろ盾となることを約束します。「バルフォア宣言」(1917年)といいます。
イギリスはこの宣言と引き換えに第一次世界大戦におけるユダヤの協力を取り付けることになりますが、この宣言は後々のパレスチナ人の悲劇の発端となるのですが。。。

このようにイギリスは、アラブ民族、フランスそしてユダヤ人と約束ごとを取り交わすのですが、果たして全ての約束を履行できたのでしょうか。

19世紀末のポグロム(ユダヤ人に対する迫害、虐殺)以降、ユダヤ人のパレスチナへの帰還は少しずつはじまっていましたが、先の「バルフォア宣言」をイギリスによるユダヤ国家建設の承認と受取ったユダヤ人は、その後続々とパレスチナへ向かうことになります。

そしてその移住の方法は、先住のパレスチナ人から土地を買い取るというものでした。ユダヤ人としては、戦争で奪ったのではなく、合法的に買い取ったのだから、何ら問題はないはずだ、というわけです。

その頃(19世紀末頃)、パレスチナのユダヤ人の人口は、約50万人のパレスチナ人に対し25000人程度でした。それからバルフォア宣言のころまでに、ユダヤ人は85000人ほどまで増えましたが、パレスチナ人も増えたので比率こそは変わらないのですが、ユダヤ人の土地は着実に増加していきます。
それでも第二次世界大戦前には、ユダヤ人が所有していた土地はパレスチナ全体の5.7%に過ぎなかったのです。
ちなみに、ユダヤ人の脱出先はパレスチナだけではありません。第二次世界大戦が始まるまでに、約400万人のユダヤ人がアメリカにわたっています。
今ではその数も600万人を超えアメリカの人口の2.2%に達していて、彼らがアメリカ経済、映画産業や文化事業で巨大な影響力を持ち、アメリカをイスラエル寄りにしている要因とさえいわれています。

[用語]
シオニズム
ユダヤ人(ユダヤ教徒)を独自の民族とみなし、ユダヤ人の国家を作ることでユダヤ人の民族としての再生を図ろうとする思想。背景には、西欧社会の差別・迫害やロシアにおけるポグロム(虐殺)がある
サイクス・ピコ協定
アラブの反乱が始まる前にイギリスがフランスと取り交わした秘密協定。要点は、シリア・パレスチナとメソポタミアというアラブ地域のなかでも最も重要なところをイギリスとフランスが分割・統治しようというもの。
ポグロム
ロシア語で「破滅・破壊」を意味する。一般的には「ユダヤ人に対し行われる集団的迫害行為(殺戮、略奪、破壊、差別)をいう。                                      特に、19世紀後半に旧リトアニア公国の領域で、ポーランド貴族に頼って生活していたユダヤ人が、ウクライナ人ベラルーシ人農民、コサックなどの一揆の際に襲撃の巻き添えとなった。これは、シオニズムの契機の一つとされ、パレスチナ地方やアメリカへの人口移動をもたらした。
ホロコースト
狭義には、ドイツにおいてユダヤ人などに対し組織的に行われたとされる絶滅計画を指す。広義には、虐殺一般をホロコーストと称することもある。(もともと、ホロコーストという単語自体に虐殺などの意味はない)
バルフォア宣言
第一次世界大戦中、イギリスが外相バルフォアの名前でイギリス・シオニスト連盟会長ロスチャイルドに送った書簡の中で「パレスチナにユダヤ人の民族的郷土を建設する」ことに同意を示したもの。イギリスが、第一次世界大戦の戦局を有利に進めるため、ヨーロツパやアメリカのユダヤ人の支持を獲得し、また、ユダヤ系財閥の財政的支援を取り付けるために出された宣言で、明らかに「フサイン・マクマホン協定」とは矛盾する。
フサイン・マクマホン協定
第一次世界大戦中、メッカのシャリーフ(守護職)フサインとイギリスの高官マクマホンとの間で結ばれた協定。イギリス政府は、オーストリア、ドイツ側に立って参戦していたオスマン・トルコを切り崩すため、アラブ勢力がオスマン・トルコに対して反乱を起こすことの見返りに「アラブ人の独立を承認し、支持する用意がある」との約束を取り付けていた。アラブ人は、この協定にもとづき1916年6月トルコに対する反乱に立ち上がった。(「アラビアのロレンス」で有名なアラブの反乱)
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by m-morio | 2006-08-16 15:17 | 市民カレッジ | Comments(0)