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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

パレスチナ問題 ・・・解決への道

2006.7.12に始まった イスラエルによるレバノン南部への侵攻 からほぼ一ヶ月が経ち、なんとか停戦への体制が整えられつつあります。
イスラエルのレバノン攻撃はこれが初めてではありません。PLOなどパレスチナ人の組織を追い払うため、1982年に侵攻しています。
イスラエルはレバノン南部を実質支配していましたが、2000年5月に撤退しました。(レバノンは、今でも一部の地区をイスラエルが占領していると主張していますが・・・)

今回、また攻撃した理由は、
ヒズボラというイスラム教シーア派民兵組織が、イスラエル軍に攻撃を仕掛けて兵士二名を拉致し、兵士解放の条件として、イスラエルに捕まっているパレスチナ人らの釈放を要求しました。
結局は双方合わせて1500人近い死者を出しましたが、お互いの捕虜を解放するに至ことなく国連による停戦処理が行われつつあります。
膨大な兵器・爆弾を使い、建物や生活のインフラを破壊し、多くの死傷者を出して双方はなにを得たのでしょうか。

これまでに何度も 「事態は混沌としています」「和平への道は遠い」とか書き連ねてきましたが、今回の侵攻一つを見ても更にその感を強くします。

(注)背景   ヒズボラ(アラビア語で「神の党」という意味の組織)は、80年代以降、イスラエルと戦闘を続け、レバノン南部などに約2000人の民兵を配置している。パレスチナの対イスラエル闘争を支援していて、アメリカは「テロ組織」と見なしている。政治部門として「政党」を持っていて、国会に議員を送り出している。一方、イスラエルはパレスチナ自治区のガザへの攻撃も進めている。ハマスというイスラム原理主義組織などが06年6月末、同様にイスラエル軍兵士を拉致したため、報復攻撃をしている。ハマスとヒズボラはともにシリアやイランから資金提供を受けており、両組織は関係していると見られる。背景は複雑。
イスラエルにゴラン高原を占領されたシリアは返還を求めているが、交渉の目処が立っていない。
イランはイスラエルを占領者として敵視し、国として存続する権利すら認めていない。

「ゲリラ」のイメージは、少数グループが神出鬼没の行動で相手を撹乱するというものでしたが、今回の戦闘を見る限りそのイメージは払拭され完全な「軍隊」の体をなしていて、それを裏で支えているのがシリアでありイランのようです。


和平への道が暗たんたる状況にあるなかで、更に追い討ちをかけるような問題があります。
それは「分離壁」です。

2004.3.22パレスチナのイスラム原理主義組織ハマス(注)の創始者アハメド・ヤシン師がイスラエル軍の空爆によって、ガザで殺害され、ハマスは、イスラエルへの報復を宣言。精神的な指導者を失ったことでハマスが全力で反撃に転じ、暴力の応酬が激化します。既に暗礁に乗り上げているアメリカ主導の和平案(ロードマップ)は危機に瀕することになりました。
(注)
イスラエルとの和平に反対するパレスチナのイスラム原理主義組織。1987年ガザ地区でアハメド・ヤシン師を指導者に創設された。イスラエルに対する自爆テロを続ける一方、パレスチナ住民を対象とした病院や福祉施設も運営、難民や貧困層に浸透している。熱心な支持者を持ち、資金も豊富。

その一方で、イスラエルは2003年からヨルダン川西岸地区で建設を始めた壁(分離壁)によってパレスチナを囲い込むという行動を起こしています。
背景には、イスラエルの安全保障(テロから国民を守る)、パレスチナ人の領域を侵食し入植地を拡大する、更にパレスチナ人を隔離するといった意図が見え隠れしています。
パレスチナにとっては、分離壁によって西岸までもが分断(飛び地状態)され、主権国家になった場合、国土がまとまらなくなります。ヤシン師暗殺以降、パレスチナの報復声明が相次ぎ、報復を恐れるイスラエルはガザ、西岸両地区を封鎖、双方の緊張が一段と高まっていきます。

分離壁の建設に伴って、イスラエルは、パレスチナの農地、住宅、道路などを破壊し、その一部を収奪しています。
そのほか、パレスチナは水資源喪失、医療アクセス障害、失業者の急増など多くのマイナスの影響を受けています。また、パレスチナにとって許しがたいのは、分離壁が第三次中東戦争以前の停戦ラインに沿って建設されず、西岸地区の中に深く食い込んでいることです。結果として、西岸地区のパレスチナ住民はこれまでより狭い地域に押し込まれることになってしまいます。
国際司法裁判所は、イスラエルがパレスチナ自治区に食い込むかたちで建設中の分離壁に対して、国際法違反とし、その行動を取りやめる義務がある、既に建設された壁についても直ちに破壊する義務がある・・・との勧告を出しはしましたが、シャロン首相はこの判決を無視します。

分離壁は、イスラエルにとっては「分離」ですが、パレスチナ側から見れば「隔離」ということになります。一方、双方とも内部に問題を抱えていました。

イスラエル側では、シャロン首相(パレスチナに強硬姿勢を貫くタカ派。パレスチナ自治政府が不法な武器を徴収してテロを放棄させるまでは、パレスチナ首脳部との和平交渉には応じないというのが方針)の足元が揺れていて政府が一枚岩ではないことを露呈していました。

パレスチナ側も、イスラエルとの緊張が高まれば高まるほど、短期的に、アラファト議長の求心力が高まることになる(同議長は事実上暴力を容認している)。結局のところ、パレスチナ側から分離壁抗争に対抗するような案が出てくる機運も下地もないのです。しかもヤシン師暗殺の報復として、武装組織ハマスはシャロン首相をテロの標的と宣言するなど事態は一層深刻さを増していきます。
他方、仲介者足りうるアメリカは、ユダヤの支援を受けているという立場上ブッシュ大統領は、イスラエルに圧力はかけられないでしょう。
アメリカというブレーキを失ったイスラエルとパレスチナは、暴力の応酬へとエスカレートしていくことが予想され、分離壁建設中止はもとより、和平交渉を始めるのも程遠いというのが現状です。

その後、シャロンが病に倒れ、オルメルト首相が就任。
一方、PLOではアラファト議長が2004.11パリ郊外の病院で死去。
2005.1穏健派のアッパス議長が就任しています。

最近のパレスチナ情勢:  
2005.09.12 イスラエル軍がガザ撤退完了(パレスチナ側に何の打ち合わせもなく一方的な撤退)
2006.01.25  パレスチナ評議会選挙でイスラム原理主義組織ハマスが圧勝
2006.03.28 イスラエル総選挙で中道右派新党カディマが第1党となる
2006.03.29 ハマス幹部のハニヤ首相が率いるパレスチナ自治政府新内閣発
2006.05.04 イスラエルでカディマのオルメルト首相率いる連立内閣が発足
2006.06.09 イスラエル軍がガザ北部を攻撃、海水浴中の子どもら計10人が死亡
2006.06.10 パレスチナ自治政府のアッパス議長がイスラエルとの2国家共存に向けた住民投票を実施すると発表
2006.06.25 パレスチナ人武装集団がイスラエル軍兵士を拉致
2006.06.27 ハマスとアッパス自治政府議長の支持基盤ファタハが、イスラエルとの2国家共存を目指す文書に合意
2006.06.28 イスラエル軍がガザ南部に大規模侵攻

このようにパレスチナ情勢が相変わらず危機に直面しています。イスラム過激派のハマス政権に対する欧米の援助停止やイスラエルの封鎖で、自治区の人道的危機が進む中、パレスチナ武装組織がイスラエル兵を拉致しました。
暴力再燃によって、シャロン前首相が05年夏に実施したガザ地区からの一方的な撤退が治安維持につながらなかったということです。

パレスチナ側の言葉として「イスラエルはガザから撤退した後、自治区を封鎖し、空爆を繰り返した。我々はユダヤ人入植地跡に農園を整備したが、作物は輸出できない。いま我々は飢餓に瀕している」と。。。撤退後のガザの苦境を訴えています。

そして和平の障害として指摘されているのがイスラエルの「単独行動主義」だとも言われています。      
パレスチナ側と交渉しなかったガザ撤退がその例の一つですが、イスラエルがヨルダン川西岸で一方的に建設する「分離壁」も同じ論理です。
シャロン路線を継承するオルメルト首相は、西岸の一部から撤退するとしながらも都市周辺の主要な入植地を自国に組み込み、壁で一方的に国境を画定しようとしています。
この分離壁も、国際的な批判を浴びながらもすでに4割強が完成しているといわれています。

パレスチナ問題 ・・・解決への道_f0020352_10392624.jpg
→「分離壁」です。高さ8m(あのベルリンの壁の倍の高さ)、予定では730キロ建設するといいます。高圧電流も流れているとか。。。この壁の右も左もパレスチナ人の居住地です。右側に大学があり、左側から通う学生は低くなっている場所を乗り越えるか、通常は1時間ほど迂回して通わねばならない。左側には病院があり、右側から来るにはやはり1時間ほどかかるのだそうだ。

イスラエルのある新聞記者は
「壁が全ての象徴だ。長年パレスチナ問題を担当してきたが、いまほど希望がないと感じたことはない。」
「イスラエルとパレスチナの間で、話し合いや対話に変わるものとして壁が物理的に、心理的に隔てている。これまでも両者の間で紛争や闘いは続いてきたが、同時に何らかの政治的な対話があった。いまは対話もなく、壁だけがある。」
と語っています。



パレスチナ問題について相当の時間とスペースを割きました。
レバノン情勢もどうやら収束に向いつつあるようですが、この「イスラエル」という国はとにかくここ半世紀以上にわたって「戦闘」を繰り返してきています。
今回のレバノン侵攻が国連の介入で形式的に終止符を打ったとしても、火種が消えたわけではありません・・・目先のこととしては、拉致された兵士、捕虜となっているパレスチナ人のことです。

また、ガザ地区の問題があります。
06.08.20付けの北海道新聞によりますと

6月末に侵攻したイスラエル軍の攻撃が今も続き、ガザ住民の生活も危機的な状況だ。国連が停戦決議を採択したレバノン情勢とは対照的に国際社会の反応は鈍く、「ガザを忘れないで」という住民の悲痛な叫びはなかなか届かない。
「食料も水も電気もこない」「レバノンでの戦闘が終わって、住民達は”イスラエル兵士が再びここに戻って、攻撃するんじゃないか”とおびえている。」
今、わずかに動いているのは、拉致されたイスラム兵の解放に向け、エジプトが武装勢力との交渉に乗り出しているが、進展はみられていない。


目が離せない・・・というのが現状です。

歴史的な経過に沿って眺めてきましたパレスチナ問題については一応今回で筆をおくことにします。
市民カレッジを受講したのを機会に、パレスチナばかりでなく、チェチェン、ネパール、チベットなどについての勉強をするチャンスを得たことは幸せでした。

10月から秋季の講義が始まる予定になっています。また、新たな出会いを楽しみにしています。
by m-morio | 2006-08-27 10:48 | 市民カレッジ

by m-morio