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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

重たい映画

う~ん まいったなぁ 重たかった。。。 

痴漢容疑の青年に、
当番弁護士すら 「否認しても勝ち目はないし、時間がかかるから認めたほうがいいんじゃない」といった態度。
警察にいたっては 「罰金を払えばすぐに釈放されるが、否認すれば10日間の拘留だぞ。たとえ、裁判になっても勝てる保証はない。」と恫喝。

やっていないものは認めるわけにはいかない青年の戦いは過酷を極める。
まず、弁護士探し。検察や警察という国家と戦うことになる裁判の弁護=刑事事件の弁護はなり手が少ないという。
裁判官の言動すら結果ありきのようでサラリーマンの印象はぬぐえない。
数ヶ月の拘留後、200万円の保釈金で仮釈放され12回にわたる公判の末、3ヶ月(3年の執行猶予)の判決、裁判費用は被告の負担。。。
「それでも ボクは やってない」(周防 正行監督)
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映画の中の表現によると、日本の刑事裁判においては99.9%が「有罪」になるという。
「有罪」ありき・・の裁判という印象だ。有罪を前提とした裁判があるとしたらなんという恐ろしさ。。。
裁判官、検察の保身も見え隠れし、裁判の本質はどこかに霞んでしまっている。
実話では、二審で逆転判決で無罪となったようですが。。。

250%の乗車率の通勤電車で身動きもできないなか、15歳の女の子の曖昧な発言が”冤罪”を作り出していく恐ろしさをまざまざとみせられました。
痴漢という物証の乏しい事件で、反証をあげなければならない難しさは、無実の人間を簡単に罪人にしてしまう。
真実を主張するのがこんなに困難なことだったとは。。。
これが今日本という国で行われている裁判の一端なのだろうか。

個人的には、元職場で一時期裁判所通いをし傍聴席に座った経験があるので多少の雰囲気はわかるが、それはあくまでも「民事」事件の話。様相は全く違う。

2年後には「裁判員制度」なるものがスタートする。ごく一般の人々が裁判員となって「刑事事件」を裁くことになるという。
裁判は、犯罪を犯した人を裁く場とは限らない。無実の人を罪人にしてしまうこともある・・・ということを肝に銘じなければならない。
人が人を裁くということは並たいていのことではない。
裁判員制度では、70歳以上の人は辞退することができそうなので自分が裁判員となって人を裁くということの可能性は極めて低いが、この一見平和と言われる日本という国に住まいながらも、せめて冤罪にまきこまれないよう緊張の日々を送らねばならない、ということのようである。
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by m-morio | 2007-01-30 09:35 | 日々雑感 | Comments(0)