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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : マルタ

春の市民カレッジは今日が最終日でした。
今回はいろいろなことがありまして、講義の内容を整理できなかったり、1回は欠席してしまいました。
ということで地中海に浮かぶ小さな島国の最後を飾る「マルタ」をご紹介します。

地中海の島々にはいろいろな民族が入れ替わり立ち代り出入りすることによって、それぞれの島の歴史の彩りが豊かになっている反面、島の住民にとっては虐げられたり、略奪されたりと大いに迷惑な側面もあったであろう・・・と思われます。
この辺のことを浮き彫りにしてみたいというのが地中海の小さな島を採り上げた講師の狙いなのであろうと認識しています。

場所は、地図を見ていただければ分かりますように、長靴のようなイタリア半島がシチリア島を蹴っ飛ばしていると仮定しますと、その下に弾みで飛び散った石ころのような位置関係にあります。f0020352_20541943.jpg

まず「マルタ」は「マルタ共和国」の中の一つの島です
面積は250k㎡で淡路島の半分程度の広さで(共和国としてはおよそ316k㎡)、(共和国の)人口は40万人です。
首都はヴァレッタ、言語はマルタ語と英語が公用語となっています。2004年5月にEUに加盟し、ヨーロッパとの関係が深まりました。

いつも人口に触れるたびに考えてしまうのですが、このような小さな島国がなぜ一つの国家として認められるのでしょうか。
アンドラ公国(イタリア内)・77千人、サンマニノ共和国・30千人、リヒテンシュタイン公国・34千人、モナコ公国・32千人そして最も特殊な国はバチカン市国(イタリア内)・822人です。・・・人口は、外務省のHPから引用しました。
これ程の小国ではありませんがこれまでに受講しました東ティモール、ネパール、スリランカなどと同様に多難な歴史を経て独立を勝ち取ったのでしょう。それぞれの国の歴史を紐解くのも興味深いことですね。




さて、マルタもご多分に漏れず抗争がありました。地中海周辺におけるキリスト教とイスラム教の宗教勢力争いです。
これらの詳細に触れだしますと何が何やら訳が分からなくなってしまいますので、単純に聖ヨハネ騎士団(後に マルタ騎士団)とのかかわりを整理してみたいと思います。

                                
右の旗は 騎士団の旗です。真ん中の図柄は「マルタ十字」と呼ばれています。十字にもいろいろあることを初めて知りました。 なお、マルタ共和国の国旗は別にあります。

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聖ヨハネ騎士団(マルタ騎士団)は、
11世紀末、エルサレムで聖ヨハネ救護騎士教会(聖ヨハネ騎士団)として設立され、十字軍戦士として中東各地を転戦し、傷病者の看護および巡礼者の援護をしてきました。
1291年の聖地エルサレム失陥後、トルコに追われてキブロス、ロードス島とその本拠を移し、1530年にスペイン領だった岩だらけの不毛なマルタ島を提供され、マルタ騎士団と呼ばれるようになりました。
騎士団は首都ヴァレッタの街全体を高い城壁で囲み(幅は10mもあるといわれています)難攻不落の砦を建設します。
度重なるオスマン帝国の襲撃を退け、ヨーロッパ各地の援助もあって存続してきました。
しかし、1798年 戦闘の意欲も無くなっていた騎士団はナポレオン軍に対し、堅牢な要塞を持ちながらも戦わずして降伏し、マルタを追われ最終的にはローマに逃れることになります。

塩野七生 著 「ロードス島攻防記」の「聖ヨハネ騎士団の歴史」の一節に
「騎士団は、騎士道精神と修道院精神の融合をめざして創設されただけに、世俗の集まりではありえない。騎士たちは、俗界での身分を捨て、修道僧とおなじ規則を守る義務を課される。清貧、服従、貞潔がそれだった。妻帯は禁じられていた。彼らは、いわば僧兵であったのである。」

とあります。
「聖ヨハネ病院騎士団」と呼称されたこともあるように、宗教と軍事と病人治療に奉仕する宗教団体でした。
もっとも上述のように定住することなく追い立てられるように転地していたがために、経済的に行き詰まり海賊まがいのこともやった時期もあったようです。

安住の地と思っていたマルタ島もナポレオンに追われるまでの270年弱で追放の憂き目にあいローマに落ち着くことになりますが、その頃には騎士団の人数も縮小し、現在は、医療活動に従事する慈善団体として存続しています。
既に騎士団の名称は外し「ロードス及びマルタ、エルサレムの聖ヨハネ病院独立騎士修道会」の名称でローマ市内に本部を設置し、約1万人の会員をかかえ、医療事業など人道主義的慈善団体として活躍しています。
領土を失った後も、「国家」を主張し、17の国家と儀礼的に外交関係を保持しているようです。塩野七生氏によると、郵便切手も発行していてそこから日本にも郵便を送ることができるとか。。。
郵便車、救急車などには「マルタ十字」の旗が描かれているといいます。ローマを訪れたら注意してご覧ください。幸運ならばお目にかかれもかも。。。

騎士団の置き土産となった
"首都ヴァレッタ"は、碁盤の目状に整然と区画された美しい街です。「マルタストーン」というハチミツ色の石灰岩で作られた町並みは、地中海の陽射しを浴びて、宝石のように輝き、市内には、莫大な富を費やして築かれた宮殿や大聖堂、邸宅、劇場、病院が軒を並べています。
この"ヴァレッタ市街"は世界文化遺産として登録されていて、NHKの「世界遺産の旅」でも紹介されました。


次回は、6月に開催が予定されていまして、「境界線を挟んでの争い」という統一テーマで開講されます。案内には次のようにメモされています。
国と国との境には国境線が引かれなければなりません。しかし、多くの国々にはその国境線の内側にも、さらに民族や宗教の違いからくる境界線が存在します。そうした境界線が引き起こす対立や抗争の由来を探り、今後を考えて見ましょう。

カシミール、旧ユーゴ諸国、新疆ウイグル自治区、スーダンが採り上げられることになっています。

その他に番外編も9月に予定されていますので、興味がある方は参加してみませんか。
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by m-morio | 2007-02-22 21:25 | 市民カレッジ | Comments(0)