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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

「いにしえの日本を探る」

という講座で
「徳川家康~伝記から浮かび上がる実像~」 というお話を聞いてきました。
この講座は、新聞社の○ん○んクラブと国学院大学の共催で行われているもので今日が5回目なのだそうです。

特別"徳川家康"という人物に興味があったわけではありませんが、時代・歴史小説をときどき読んでいますと、余りにも頻繁に登場する人物でもありますので聴いておいても損にはならないだろう・・・などという不謹慎な気持ちで参加してみました。
(評判の良い講座とのことで受講は抽選になっていて、なかなか当らないんだそうです。会員12万人の中から希望者が北海道全域から応募するとか。。。にもかかわらず、初めての応募でいきなり当選なんて・・・・少々申し訳ない気もします)

会場は、ある大学の札幌サテライト講義室なる場所だったせいでしょうか、40数年ぶりに大学生に戻った感覚に浸りながらちょっとアカデミックな雰囲気を楽しんできました。

さすがに大学の教授先生はお話が上手で立て板に水の例えのように、明瞭な言葉でお話していただいているのですが、何と言っても基礎知識に乏しい私には時代背景や家康を取り巻く人間関係が良く理解できず、ここに講義内容をお伝えできないのが残念です。

ただ、レジメや講義の端々に出てくる家康の人物像が分かってきました。
あの「たぬきおやじ」と俗に言われた家康ですが、これはごく一面をとらえた表現に過ぎないようです。

箇条書きにしてみますと・・・・・

身体強健で、武士に相応しい肉体の持ち主であった。
成功の源は馬術、弓術、水泳などで鍛えられた肉体の健康にあったようです。関が原の合戦のときは既に59歳ではあったが、夜間行軍に続き、朝方からの戦闘を率先指揮したのです。
軍人としての資質を十分に備え、かつ鍛錬していた。
大名に必要な教養の修養に務めた。この点では織田信長が軍人としての資質に恵まれていたのに似ている。一方、豊臣秀吉には、軍人としての資質が希薄であったようだ。
野戦の英雄であった。
実戦の経験十分で、指揮者の条件も備え、部下からも信頼を勝ち得ていた。
政治、軍事、民生のまつりごとが健全であった。
謀略によることも無とは言わないが、親族を思いやり、部下への信賞必罰もしっかりしていた。
機を見るに敏であった。
織田信長横死直後の行動や豊臣秀吉没後において五大老の一人として朝鮮遠征軍の撤収を指揮し、一面では諸大名への加増恩恵に配慮し、時には政略結婚を実行し・・などなど、事態が急変する際には俊敏であったということのようです。
この政略結婚などは小説に度々登場しその仕儀が悪辣であるかのように取り上げられることが多いようですが。。。

といった按配で、人物は"大きな人"ということだったようですね。
今更言うのも変ですが。。。
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by m-morio | 2007-02-24 20:19 | 市民カレッジ | Comments(0)