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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 :  「旧ユーゴ」

Ⅶ 2 旧ユーゴ諸国 ~緊張の構図はおさまったのか?~
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この地図の肌色の部分は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」です。既に、ユーゴスラビアという国家は崩壊していますので、適当な地図が見つかりません。崩壊時の共和国名が辛うじて載っているという意味からもこの地図を掲載します。「マケドニア」が見えませんが、セルビアの南側になります。例によって、外務省のHPから借用しました。

なお、国名については、その表記がいろいろです。例えばセルビアを「セルヴィア」、ボスニア・ヘルツェゴビナを「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」と書いてある書物もありますが、本稿では外務省の表記に沿って「セルビア」「ボスニア・ヘルツェゴビナ」と表記します。

◆第二次世界大戦直後に成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、1991年からバラバラになりました。
翌年には、セルビアとモンテネグロの二つの共和国だけで、新たに「ユーゴスラビア連邦」を形成しました。このため、バラバラになる前のユーゴスラビアのことを一般的には「旧ユーゴ」と表現しています。

◆ユーゴスラビアは、東ヨーロッパに一時的に存在した国です。正式な国名は何度か変更しています。首都はベオグラード(現在の セルビアの首都です)にありました。
1918年にセルビア王国を主体としたセルビア・クロアチア・スロベニア王国として成立。
1929年ユーゴスラビア王国に改名。
1991年からのユーゴスラビア紛争により解体。
解体直前は6つの共和国と2つの自治州(セルビア内の)でした。
1991年、スロベニアとクロアチアおよびマケドニアが独立
1992年3月には、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言
その後も残留した地域において国家そのものは継続されていましたが、2003年に国名をセルビア・モンテネグロに改称しました。
さらに、2006年にはモンテネグロが独立し、完全に崩壊しました。

余談ですが、先日サッカーのオシムジャパンの試合の相手国がモンテネグロでした。あれっ、「セルビア・モンテネグロ」じゃ?と思いながら観ていますとアナウンサーが、独立後の最初の試合です・・と伝えていたので始めて独立したことを知りました。
そして、監督のオシムの出身地がボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボとのことです。試合後、モンテネグロの監督らと親しげに話をしていましたね。

三つの宗教、多くの民族、6つの共和国、7つの国境を持つ国は複雑な紛争の連続で、それぞれの紛争を紐解いて見ますと数々のドラマが浮き出てきます。
短期間で得た浅い知識では、ここに詳しく書き連ねることも出来ませんが、ただ一つ未だ紛争が解決していないところがあります。

今月11日の朝日新聞の記事です。
ブッシュ米大統領は10日、現職の米大統領としては初めて、アルバニアを訪問した。首都ティラナでのベリシャ首相との会談では、アルバニア系住民が多数を占め、現在は国連の管理下にあるセルビア・コソボ自治州の早期独立を求める立場で一致。ブッシュ氏は、アルバニアの将来的な北大西洋条約機構(NATO)加盟を支持する考えも示した
記者会見したブッシュ氏は、コソボの地位について、事実上の独立容認を柱とするアハティサーリ国連事務総長特使の調停案を「強く支持する」と表明した。
 「事態は前に進めなければならず、行き着く形は何らかの独立でなければならない。遅かれ早かれ、『もう十分だ、コソボは独立した』ということになる」と、国連安保理で拒否権を持つロシアがあくまでも反対した場合、コソボが一方的な独立宣言に踏み切り、欧米が承認する道もありうると示唆した。
 アルバニアは親米色が強く、ブッシュ氏を歓迎するため、この日首都は星条旗とアルバニア国旗、歓迎の横断幕や看板で埋め尽くされた。議事堂の前の道路は「ジョージ・ブッシュ通り」に名前が変更、記念切手が発行された。


アルバニアは、旧ユーゴには属していませんがモンテネグロやセルビアのコソボ自治州とは隣接しています。
セルビアは、全体としてはセルビア系住民が多数派なのですが、このコソボの人口のほぼ9割がアルバニア系の住民です。その意味では独立を望むのも理解できるような気もしますが・・・ことは簡単ではないようです。でも、流れは”独立”にむかっているようです。新聞などの報道を注意していたいと思っていますが、独立後は、アルバニアと合併・・ということまで発展するのでしょうか!?
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by m-morio | 2007-06-14 16:36 | 市民カレッジ | Comments(0)