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受け売り 現代史 : カザフスタン


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カザフスタン(正式には「カザフスタン共和国」)もロシアと中国の狭間に位置しています。
大きな国です。日本のほぼ7倍の面積を持っています。人口は1540万人。
この国は、(ソ連崩壊を機に)1991年12月ソ連からの独立を宣言しました。
ほかの中央アジアの国々(キルギス、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタン)に比べ、ロシア人の人口比率が高く、主要民族であるカザフ人は人口の59%(ロシア人は26%)(2006年7月時点)ですが、この比率は1890年頃と比べると大きく変化しています。(当時は、各38%程度でしたが、ロシア人はカザフスタンが独立後徐々にロシアに引き上げていったのでしょう)

従来、この地の人々の生活は遊牧中心でしたが、19世紀以降のロシア帝国による植民地政策によって定住化が進められ、移住政策によりヨーロッパ系の人口比率も高まりました。
スターリン時代には、タタール人、ドイツ人、朝鮮人など数々の民族が、国家の敵の汚名を着せられ、この地に強制移住させられたという歴史もあります。

◆ではその「ソ連民族強制移住」とは?
この地図は、強制移住させられた諸民族とその移住先です。
注)塗りつぶされた地域の民族が強制移住させられました。右端が朝鮮人です。
     →は大まかな方向。 移住の民族は10指に余ります。
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 スターリン時代、特定の民族をまるごと他の地域へ強制移住させたことがありました。即ち、対独協力のかどにより、多くの少数民族を中央アジア、シベリアへ民族まるごと強制移住させ、それらの民族の自治共和国を抹殺しました。1937年には朝鮮人を対日協力の危機があるとして中央アジアに強制移住させています。その数17万人とも言われています。武装部隊に追い立てられ、貨車に積み込まれ、長い移送の途中や移住先の荒野で多くの死者を出したのをはじめ、きわめて大規模で苛酷な民族抑圧であったようです。
56年にフルシチョフが登場してスターリンを非難するまで続きました。57年からこれらの民族は名誉回復、帰還が認められ、抹殺されていた自治共和国も復活しました。

帰還、自治共和国復活が実現した諸民族にも、経済的・社会的窮状の改善要求のほかに、強制移住がもたらした深刻な問題があります。
たとえば、カザフ共和国で、ある地方出身の労働者が襲撃されました。中央アジアでのこの事件は直接的には現地の経済的・社会的問題ですが、この事件の背景には強制移住を被った民族とその移住先の中央アジアの諸民族との民族関係の軋轢、緊張があります。
このようにスターリンの強制移住は過去の悲劇ではなく、今日までも多方面に深い傷跡を残しているのです。

◆.経済面から今のカザフスタンを眺めてみますと
(1)石油、天然ガスなどのエネルギー資源、鉱物資源に恵まれた資源大国です。
石油埋蔵量は世界の3.3%、天然ガス埋蔵量は世界の1.7%。(2007年統計)。石油は2010年に200万バーレル/日、2015年は300万バーレル/日の生産が見込まれるなど、特に有望といわれています。
(2)旧ソ連崩壊後の苦しい経済状況の中、1996年に独立以来初めてプラス成長を記録しました。1998年には農業および重工業の低迷及びロシアの金融危機によりいったんはマイナス成長に転じたものの、1999年以降は再びプラス成長に転じ、世界的な石油価格の高騰を追い風に、2000年以降年平均10%という好調な経済成長を維持しています。
(3)カスピ海周辺では欧米石油メジャーや日系企業が参画し、大規模な油田開発、探鉱を行っています。原油の輸送ルートとしては、従来のロシア経由に加え、中国向けパイプラインの建設が進み、また、欧州向けの輸出も将来行われる見込みです。
(4)石油ガス開発への外資導入を軸に発展を続けていますが、産業構造が石油ガス分野に大きく偏っており、長期的安定成長のためにはバランスのとれた産業・経済発展が重要課題といわれています。
今後の、ロシア、欧米、中国、日本との関わりが注目されています。
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by m-morio | 2007-10-11 19:00 | 市民カレッジ | Comments(0)