コペル君は・・・
中学二年生だ。
本当の名は本田潤一、コペル君というのはあだ名。年は十五だが、十五にしては小さい方で、実はコペル君も、かなりそれを気にしている。級でも二位、三位を争っている。むろん、ビリから。
ところが、成績の方からいうとその逆で、たいてい一番か二番で三番と落ちたことはめったにない。といって、コペル君は点取り虫ではない。遊ぶことが大好きで、野球では、クラスの選手になって大きなグローヴをはめて、二塁を守っている。
成績が良いのに、コペル君は級長になったことがない。それは、人望がないということよりも、少々いたずらが過ぎるからだ。父兄会のたびに先生からお母さんは注意されるのだが、お母さんからコペル君には「また、注意されましたよ」程度の小言で終わってしまう。
その理由は、コペル君のいたずらが、人を困らせたり、嫌がらせたりするようなものではなく、ただ人を笑わせて喜ぶ、いたって無邪気なものだからだ。もう一つ大きな理由は、コペル君にお父さんがいないことである。大きな銀行の重役だったお父さんは二年前になくなったのだ。
コペル君には、叔父さんがいる。お母さんの弟だ。大学を出てからまだ間もない法学士だ。コペル君はこの叔父さんとはたいへん仲よしだ。
もともとコペル君というあだ名は、この叔父さんが製造したものだ。
でも、なぜコペル君というのか誰も知らない。
「なぜ」と聞かれても、コペル君はただ笑うだけだ。でも、こうだすねられるとき、コペル君の顔つきは、なんだか嬉しそうに見える。
・・・といった内容の書き出しの本を通読しました。
これだけ書くと、あっ! あの本だっ! と気づかれる方が多いでしょうね。
恥ずかしながら、私はこの本の存在を知りませんでした。
構成は
コペル君の交友の様子と叔父さんとのやりとり、そして叔父さんがコペル君のために書き残している「ノートブック」です。
70年前の1937年(昭和12年)に刊行されたものですから、私でさえも生まれる前のことです。従って、今若い方が読まれると時代背景の違いに多少の戸惑いを感じられるかも知れませんね。
給食の脱脂粉乳の不味かったこと、梅干一個の弁当、時々当たるパインジュースの美味しかったこと・・・などなど。。。
擦り切れた服の袖は黒光りしていたっけ・・鼻水をぬぐった跡だ。毛糸の靴下や手袋は継ぎはぎだらけ。
・・・・・昭和25年頃の小学校高学年の頃をまざまざと思い起こさせてくれます。
タイトルをみて、随分押し付けがましいなぁ・・・と思いながらも購入しました。
著者は、哲学も勉強された方らしく理屈っぽいところもあります。
しかし、なかなか示唆に富んでいます。
きっかけは、書店の店頭に置かれていた小冊子です。
これは、紀伊国屋書店創業80年を記念して
「お客様にオススメしたい岩波文庫」を紀伊国屋書店全スタッフに募り、その応募の中から、得票上位30点+推薦コメントで選んだ、まだまだオススメしたい50点を選出、計80点の岩波文庫が掲載されていました。
本書は、その最高得票を獲得した本です。
読みながらず~っと 孫のたっくん と コペル君 を重ねていました。
たっくん は 迷惑だ というかもしれませんが・・・・・。
彼がある程度の理解をしながらこの本を読み、”人生の道しるべ”の参考とすることができるのはコペル君と同じ中学生(今の、高校生」)になったときなのだろうか。
今時のカリキュラムで「地動説」「天動説」や「ナポレオン」を勉強するのは何時ごろのことなのだろう!?
この辺のことを習った後でなければなかなか理解ができないのかも。。。
私の老化した頭では理解しにくいところもありました。 でも若い人たちならその感性で著者の意図を的確につかんでくれるのかもしれない。
将来、この本を たっくん へ プレゼントしたいと考えましたが、その時期は未だ先のことになるだろう。 だって たっくん は来年ピカピカの1年生になるのだから。
そのためにも 元気 に過ごさねばならない。
本当の名は本田潤一、コペル君というのはあだ名。年は十五だが、十五にしては小さい方で、実はコペル君も、かなりそれを気にしている。級でも二位、三位を争っている。むろん、ビリから。
ところが、成績の方からいうとその逆で、たいてい一番か二番で三番と落ちたことはめったにない。といって、コペル君は点取り虫ではない。遊ぶことが大好きで、野球では、クラスの選手になって大きなグローヴをはめて、二塁を守っている。
成績が良いのに、コペル君は級長になったことがない。それは、人望がないということよりも、少々いたずらが過ぎるからだ。父兄会のたびに先生からお母さんは注意されるのだが、お母さんからコペル君には「また、注意されましたよ」程度の小言で終わってしまう。
その理由は、コペル君のいたずらが、人を困らせたり、嫌がらせたりするようなものではなく、ただ人を笑わせて喜ぶ、いたって無邪気なものだからだ。もう一つ大きな理由は、コペル君にお父さんがいないことである。大きな銀行の重役だったお父さんは二年前になくなったのだ。
コペル君には、叔父さんがいる。お母さんの弟だ。大学を出てからまだ間もない法学士だ。コペル君はこの叔父さんとはたいへん仲よしだ。
もともとコペル君というあだ名は、この叔父さんが製造したものだ。
でも、なぜコペル君というのか誰も知らない。
「なぜ」と聞かれても、コペル君はただ笑うだけだ。でも、こうだすねられるとき、コペル君の顔つきは、なんだか嬉しそうに見える。
・・・といった内容の書き出しの本を通読しました。
これだけ書くと、あっ! あの本だっ! と気づかれる方が多いでしょうね。
恥ずかしながら、私はこの本の存在を知りませんでした。
構成は
コペル君の交友の様子と叔父さんとのやりとり、そして叔父さんがコペル君のために書き残している「ノートブック」です。
70年前の1937年(昭和12年)に刊行されたものですから、私でさえも生まれる前のことです。従って、今若い方が読まれると時代背景の違いに多少の戸惑いを感じられるかも知れませんね。
給食の脱脂粉乳の不味かったこと、梅干一個の弁当、時々当たるパインジュースの美味しかったこと・・・などなど。。。
擦り切れた服の袖は黒光りしていたっけ・・鼻水をぬぐった跡だ。毛糸の靴下や手袋は継ぎはぎだらけ。
・・・・・昭和25年頃の小学校高学年の頃をまざまざと思い起こさせてくれます。
タイトルをみて、随分押し付けがましいなぁ・・・と思いながらも購入しました。
著者は、哲学も勉強された方らしく理屈っぽいところもあります。
しかし、なかなか示唆に富んでいます。
きっかけは、書店の店頭に置かれていた小冊子です。
「紀伊国屋書店 スタッフが選ぶ 岩波文庫80」
これは、紀伊国屋書店創業80年を記念して
「お客様にオススメしたい岩波文庫」を紀伊国屋書店全スタッフに募り、その応募の中から、得票上位30点+推薦コメントで選んだ、まだまだオススメしたい50点を選出、計80点の岩波文庫が掲載されていました。
本書は、その最高得票を獲得した本です。
「君たちはどう生きるか」 吉野源三郎 著
読みながらず~っと 孫のたっくん と コペル君 を重ねていました。
たっくん は 迷惑だ というかもしれませんが・・・・・。
彼がある程度の理解をしながらこの本を読み、”人生の道しるべ”の参考とすることができるのはコペル君と同じ中学生(今の、高校生」)になったときなのだろうか。
今時のカリキュラムで「地動説」「天動説」や「ナポレオン」を勉強するのは何時ごろのことなのだろう!?
この辺のことを習った後でなければなかなか理解ができないのかも。。。
私の老化した頭では理解しにくいところもありました。 でも若い人たちならその感性で著者の意図を的確につかんでくれるのかもしれない。
将来、この本を たっくん へ プレゼントしたいと考えましたが、その時期は未だ先のことになるだろう。 だって たっくん は来年ピカピカの1年生になるのだから。
そのためにも 元気 に過ごさねばならない。
by m-morio
| 2007-11-01 11:20
| 本