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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

TV  と 小説

時代小説を読んでいて常々思うことがあります。

「ここに書かれている事柄は“史実”に基づいているのだろうか」
「どこまでが事実なのだろうか」

・・・ということです。
その辺の区別を(ある程度)付けておかないと妙な(誤った)知識を身に付けることになるからです・・といっても、最近はだいたいすぐ忘れてしまいますが。
勿論、小説ですから全てが事実ではない。登場人物も創作されたものであることが多い。作り話なのです。架空のお話なのですね。

 ある作家は、現代社会における凶悪事件を題材にし、これを江戸時代に置き換えて小説として作り上げることがあるという話を聴いたことがあります。

“架空”という意味合いで想いだすのが、作家藤沢周平です。
藤沢作品の舞台として度々登場する「海坂藩(うなさかはん)」は架空の藩名です。
江戸から北へ百二十里、三方を山に囲まれ、北は海に臨む地にある酒井家庄内藩、現在の山形県鶴岡市を基にしていると言われています。
この藩に住む市井の住民のつましい生活ぶり、喜怒哀楽、下級藩士の忠誠の様などをこの藩を舞台に描いています。従って、登場人物もそれなりに架空の人物ということにはなるのでしょう。このことを知っていて読むかどうかで心への響きが違ってくるような気がします。

篤姫の本 (「天璋院篤姫」宮尾 登美子著) 読了しました。
TV  と 小説_f0020352_1974322.jpgたまたまNHK・TVの“その時歴史が動いた”の再放送を目にしました。   天璋院の肖像画 →
“大奥 華にも意地あり“~江戸城無血開城・天璋院篤姫~
 です。
この番組は、あのNHKの“殿”「松平」アナが道案内していますが、久々にチャンネルを合わせました。

小説とTVの内容に若干の差があり戸惑ってしまいました。

このアンコール放映は篤姫の一面(特に、後半生)を43分間に圧縮して掘り下げています。
ぼんやりとTVを聞いていて、何が引っかかったかといいますと(随分些細なこと・・とおっしゃる向きもありましょうが)例示してみます。

・「大奥千人」というナレーションに あれっ と反応してしまいました。
小説では「三千人」と書かれています。説はいろいろあるらしいです。NHKの場合は、江戸中期に残された「女中分限帳」(大奥女性の名簿)の分析などから類推して千人としたとの解説があります。(残念ながら、小説にはそこまでの説明はありませんが三千人との説もあるのでしょう)
・・・・・大奥の頂点を極めた篤姫がこれらの女性を統括してきたその心労は筆舌につくせないものがあったようですね。

・和宮の夫(徳川)家茂(いえもち)の死後、和宮の帰郷に関して、TVでは、実兄である孝明天皇が京都に帰ってくるように動いたように語られていましたが、小説では逆で「和宮がしきりに兄に“戻らせてほしい”と懇願したとのニュアンスです。
この辺りが、天璋院と“和宮”との軋轢が決定的になる要因ともなっています。
小説では、この両者の関係は最後まで水と油の関係であったとの記載に終始しています。(TVの一場面では、和宮の一仕草を天璋院が慈愛のまなざしで観るというシーンを映しだしていましたが、確かに瞬間的には天璋院の心を和ます場面もあったようではありますが・・。)

・TVを観てから、少し時間が経ちましたので細かな言い回しは忘れてしまいましたが、
夫(徳川)家定は「年にしては子供のようで・・・」(史書「安静記事」から意訳したとのこと)と・・・。
将軍はその時すでに30歳を超えていたはず。
小説では「病弱で、癇癪もちで政務を司るにはあまりにも不適な体力、性格であった」としています。

あれやこれらと考えているうちに「感想文」を書く気が失せてしまいました。

史実を解きほぐすのがNHKのこの番組であり、作られた小説・物語の類は、諸説がある中でどの説に拠るか(NHKの場合は、例えば「西郷隆盛の書簡」から・・・という注釈などがある)によってニュアンスが変わってくるということでしょう。
以前の「功名が辻」でもそのことはいえました。

作家も、時代考証を重ねて筆を執るのでしょうから「根拠」や「出所」などを添えてもらうと“ふむふむ 諸説があるんだなっ” と納得して読み進むことができるのですが。
逆に、これだけ著者が調べたんだよ・・・と言わんばかりにその根拠をくどくどと挿入してあるとうんざりすることも多々ありますが。

「小説」などから得た知識を、いたずらに周囲に振り回すと失笑を買う場合があるということでしょうね。
by m-morio | 2008-01-22 19:21 |

by m-morio