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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : 「ミャンマー」

[受け売り 現代史] のこと
お断りしておきます。論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。


ああ~ もう1週間が経ってしまいした・・前回の講座から。
もう直ぐ新しい「国」が登場してきます。時間がありません。講座では、ミャンマーの歴史などを学びましたがそのすべてをこの場でご披露する余裕がありませんのでその中から興味があることを取り上げます。

今回は、孫の “たっくん” にお手伝いしてもらいます。
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注) 2006年、首都を「ヤンゴン」から「ネービードー」へ移しました。
ヤンゴンは 国の南の方に位置しています。




たっくん:  じいじ! ミャンマーのことをお勉強してきたんだよね。 僕にも教えてよ。

じいじ :  うん いいよ。でもね、じいじも分からないことがあるから一緒にお勉強しようね。

たっくん:  あのね、じいじはこの国のことを ビルマ って言っていたでしょ。 どうしてなの。

じいじ :  その前に、この国がどこにあるか地球儀で調べてみようね。
ここがたっくんが住んでいる日本でしょ。その西側に中国があるよね。中国の南側にイントシナ半島というのがあるだろう。その半島の西の端にあるんだよ。ほら、ここだよ。

人の数は、5,322万人(2004年)、面積はおよそ日本の1.8倍もあるんだ。
ここにはいろいろな人たち(民族というのだよ)が住んでいてビルマ族がおよそ70%なんだ。
国の中に「パゴダ」というお寺があるよ。たっくんが住んでいる京都みたいだね。

国の名前の「ビルマ」というのは、昔の名前なんだ。でもね、ビルマで軍隊が力ずくで国を取り仕切ることになって(1989年6月)、国の名前を「ビルマ連邦」から「ミャンマー連邦」に変えてしまったんだ。 うん、皆で話し合って決めたのではないんだよ。
そしてね、国の中心となる首都の「ラングーン」の名前も「ヤンゴン」と呼ぶようになったんだ。
日本で言うと「江戸」を「東京」に変えたようなものかな。

たっくん: ふ~ん でもね ミャンマーに変わったのに、ビルマって言う人もいるよね。

じいじ :  そうだね。日本でも、新聞やテレビでは「ミャンマー」と呼んでいるのに、じいじはビルマって言うよね。じいじの場合は、慣れてしまっているからかなぁ。
大きな理由は、さっき、軍隊が国を仕切るようになったといったよね、話し合いで決めないというやり方は「本当の国民の代表でないものに国の名前を勝手に変える権利はない」という人たちが沢山いて、これまで通り「ビルマ」と呼び続けているんだよ。

たっくん: そうか。じぁ、ミャンマーと言う人と、ビルマって言う人が戦っているの。

じいじ :  戦っている・・・か。 お互いに鉄砲のような武器を持って戦っているわけではないのだけれども、「ビルマ」と言っている人たちは、軍隊が仕切ることに反対している人たちといえるのだろうね。

たっくん: その反対している人たちの親分はだれなの。

じいじ :  “親分”とは面白いね。 リーダーとなっている人はいるよ。
その人の名は「アウン・サン・スー・チー」さんって言うんだ。 女のひとだよ。

たっくん: へぇ~ 女の人なの・・すごいなぁ。 どうしてその人がリーダーになったの。

じいじ :  じゃぁ 少しこの人のことをお話してみようね。ちょっと 長くなるよ。
まず、その名前なんだけど、書き方にいろいろな意見やら考え方があるんだ。
「アウン・サン・スー・チー」と書かれることが多いんだけど、この名前は、お父さんの「アウン・サン」とお母さんの「ドオ・キン・チー」、さらにお祖母ちゃんの「ドォ・スー」という名前から、一部をもらったものなんだ。だから全部が名前なんだよ。
たっくんには名字と名前があるだろう。でもね、ミャンマーの人たちには名字がないだ。だから「アウンサンスーチー」とするのが正しいような気がするよね。
ところが、アウン=勝利、サン=珍しい、スー=集まり、チー=輝かしいという意味があるので、中間に黒い点を入れて書くこともあるんだ。日本のマスコミはこの書き方をするようだから「アウン・サン・スー・チー」としようね。
注)名前が長いので、「スー・チー」と短縮してかきます。父親は「アウン・サン」と。

さて、少し難しくなるけど・・・・
お父さんのアウン・サンは、ビルマという国を独立に導いた人で学生時代から活動家だったのだね。このころのビルマはイギリスの支配下にあったので、いろいろ不合理なことが多かったからビルマの人たちが自由に生活できるようにするために戦ったんだよ。そして、ビルマからイギリスを追っ払ったんだ。そのあともなかなか国の中は静かにはならなかったんだよ。日本と戦ったこともあったんだ。
1947年7月、不合理な理由で、独立を目前にして暗殺されまったんだ。
その後のビルマは軍隊の政権が続いたんだ。

たっくん: ふ~ん かわいそうだね。 お父さんが死んだときスー・チーさんは幾つだったの。

じいじ :  2歳だったんだよ。たっくんよりも小さかったんだ。
お父さんが死んだあと、お母さんと一緒にインドに行くんだけど、その時スー・チーさんは15歳。インドで高校に通い、一時大学にも籍をおいて、ここで、インド建国の父ガンジーについて勉強したんだ。
このガンジーについては、たっくんがこれから学校にいっていろいろなことを勉強するうちに必ず登場する人だから名前を覚えておくといいよ。

1964年イギリスのオックスフォード大学に入学(19歳)。
哲学、政治、経済を学び、1969年から3年間ニューヨークの国連に勤務。
スー・チーさんが結婚したのは1972年。26歳のとき。相手はオックスフォード時代に知り合ったイギリス人(マイケル・アリス)なんだ。子供は2人の男の子がいるんだよ。

そしてスー・チーさんの運命が変わったのが1988年なんだ。
スー・チーさんのお母さんが病気になったので介護のためにロンドンからビルマに帰ってきました。
このときビルマ国内では軍隊の政治に反対する「民主化運動」というのが盛り上がっていて、たまたまあのアウン・サンの娘のスー・チーさんがビルマに帰ってきていることが広まって、一気にこの運動はエスカレートしていくんだね。このとき、アウン・サンが暗殺されてからおよそ40年が経っているんだよ。
たっくん: みんしゅかうんどう って どういうことなの
じいじ : この頃のビルマでは、国民の皆に自由が無く、経済は停滞し、政治も乱れるということでみんなの不満は、もう我慢ができない状態だったんだね。
学制同士のささいなケンカの処理を巡って学成達が軍隊に抗議し、軍はこれを力でねじ伏せたから、みんなが更に怒ったんだ。
この騒ぎが続く中で、民主化を求める学生達は、スー・チーさんに力を貸してくださいとお願いするんだ。スー・チーさんはあのお父さんのアウン・サンが英雄のような存在だったからスー・チーサンにも同じことを期待したんだろうね。とうとうスー・チーさんは民主化運動の前面に押し出されることになったんだ。
1990年に総選挙(日本の国会議員を選ぶ選挙に似ているのだろうね)が行われて、スー・チーさんは、仲間と一緒に「国民民主連盟」(NLD)というのを作って、仲間達を立候補させたんだ。

たっくん:  うん。 スー・チーさんたちは勝ったんだよね。

じいじ : そう、485議席のうち392議席(81%)をとって勝ったんだ。
でもね、スー・チーさんは入っていなかったんだ。

たっくん: えっ  どうして・・

じいじ : スー・チーさんは立候補を認められなかったんだよ。
選挙期間中に、選挙を妨害する軍を非難したため、家の中から外に出てはならないという「自宅軟禁」されていたんだ。

たっくん: それって可愛そうだよ。
じいじ : そうだね。選挙の結果、やっと民主化に向かうと思われたのだからね。
軍はあの手この手で邪魔をして軍事独裁を続けているということだね。

いいこともあったんだよ。
1991年にスー・チーさんはノーベル平和賞というのを貰ったんだ。でも、授賞式には出られないで、イギリスに住む10代の二人の息子が代わって出席したんだ。

たっくん: どうして出られなかったの。

じいじ :  軍隊の連中がスー・チーさんがビルマの国から出ることを認めなかったんだよ。
その後にも、1999年に旦那さんのマイケル・アリスがイギリスで病気で亡くなったんだ。この時も、スー・チーさんはビルマを離れるともう二度とこの国に戻ることができなくなると考えて、お見舞いにさえ行くことができなかったんだ。

たっくん:  それで すー・チーさんは いまどうしているの。

じいじ :  うん、今も軟禁の状態は変わっていないんだ。
昨年、ビルマで僧侶のデモを軍が鎮圧しようとする様子を取材中の日本人が銃で射殺されるという悲しい事件があったのを覚えているだろう。
日本の政府の動きは鈍かったね。あのカメラは戻ってきたのだろうかね。最近はマスコミも、忘れ去ったかのように取り上げないもね。
相変わらず軍隊が仕切っているんだ(軍事政権といっているよ)が、この軍事政権に対して世界の国が批判をしているんだけれども、逆に後押しをしている国もあるのでなかなか団結して軍事政権をつぶすということにはならないんだ。

たっくん: ふ~ん スー・チーさんはいつ自由になれるの。

じいじ : これは難しい質問だね。 スー・チーさんも軍事政権に対話を求めていて、何回かは実現しているんだ。でも、その話し合いは平行線ということらしいよ。

2010年にまた総選挙があるんだ。
その前に、新しい憲法の案を近いうちに公表するといっているんだけど、新憲法案では軟禁されているスー・チーさんが立候補する資格がないような内容になっているらしいよ。
要するに、軍事政権による現体制を維持する仕組みを整えようとしているということだね。

たっくん:  難しいなぁ 

じいじ : そうだね。 たっくんの国は 平和な国だから こういうことはなかなかわかりずらいところがあるよね。

話は違うけど、日本はもう少し景気が良くならないと困るね。

たっくん: お母さんも、いろいろなものが高くなるって言ってるよ。

じいじ : そして、じいじの少ない年金でも安心して暮らせるようにしてほしいね。

たっくん: 僕ね たくさん勉強して そして お仕事して お給料をもらったら じいじに お小遣い あげるね。

じいじ : ありがとう  楽しみにしているね。
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by m-morio | 2008-02-27 18:48 | 市民カレッジ | Comments(0)