受け売り 現代史 : タイ
[受け売り 現代史] のこと
お断りしておきます。論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。
タイは「立憲君主制」の国です。国王は直接政治に関与することなく、国民から選ばれた国会議員と国会で選ばれた首相によって政治が行われる仕組みです。
ところが、この国は政治が混乱すると、選挙での政権交代という手順を踏まずに、軍によるクーデターという手段がとられてきました。クーデターを起こした軍の幹部が軍事政権を樹立し、政権が安定すると民間人出身の首相に交代するということをします。
かといって、クーデターは民主主義の国にふさわしいことではありませんが、伝統的な“タイ式政権交代”でもあるのです。
タイ国の歴史を辿ってみますと、タイ族の国家が形成されたのは13世紀頃のことです。スコータイ王朝、アユタヤ王朝、ドンブリー王朝のあと現在の「チャクリー王朝(orラタナコーシン王朝)」は1782年始祖ラーマ1世が首都をバンコクへ移したときに始まります。以降現在のプミポン国王はラーマ9世です。
1932年、クーデターが起き、これまでの絶対君主制から立憲君主制へと移行しています。現国王は名君の誉れ高いことは世界的にも有名で、在位期間は60年を超えています。
ほとんどのタイ人の家庭には国王や王妃の写真が並んでいて国民の敬愛の様子が伺えるとのことです。国王は国民の「父」、王妃は「母」であるとの思いから、タイの父の日は国王誕生日、母の日は王妃の誕生日となっています。
過去15年間にはクーデターは発生しませんでしたが、第二次世界大戦後、1991年までに5回のクーデターが成功(?)しています。そして2006年9月に起きました。
この時、海外にいたタクシン首相は帰国することができず、タクシン政権は崩壊します。
新政権が起草した新憲法は、2007年8月の国民投票で承認されましたが、反対票も多かったので、新政権の先行きに不安を残しています。
このクーデターですが、この成功のカギを握るのが国王の意向なのだそうです。クーデターを起こした軍人は、まず国王に政権の認可を求め、国王が支持を与えて初めてクーデターは成功するという図式になっています。前述のように国王は国民から崇拝されています。国王の支持が無ければすべての物事が動かないのです。
プミポン国王は自ら政治権力を行使することを避け、国の統治の象徴としての地位にとどまるべきとの考えを持っています。
ですから国民から選ばれた人たちに政治を任せる姿勢をとってきたのですが、2006年に入ってからの政治の混乱振りにタクシン首相の政治に注文をつけました。これに対して首相は婉曲に国王を批判します。
これが、国王を敬愛する国民の怒りを買い、国民の怒りを代弁する形で、軍部のクーデターになったのです。
クーデターは民主的でないことは明らかです。当時の国連のアナン事務総長も「ほめられた政権交代でない」とコメントしています。
ただ、国民の圧倒的な支持を得ているという意味合いでは、民主主義に代わる手段とも言えるのかもしれません。
by m-morio
| 2008-03-18 12:58
| 市民カレッジ