ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

自由がない国

いつも触れることだが、中国では経済にからむいろいろなことが資本主義になりつつある。
だからといって政治にかかわることが西欧諸国のようにはならないのである。
もう「社会主義」という枠組みから足をはみ出しつつあるのだが、権力は共産党が握っていて、その権力を維持するために、言論の統制を行っている。

「中国に報道の自由がないということは、もう疑いの無い事実である。しかし、取り締まろうとしても取り締まれない”ネット”という空間が生まれている」
と最近書いたように思う。

この”ネット”も、中国内ではその技術面は西側諸国並みに進歩しているのだが、この「言論統制」のために当局は膨大な作業を強いられている。数万人にもおよぶ「ネット警察官」がいるという。常にネットを検索して、共産党にとって都合の悪いことが記載されているサイトは接続できないようにしている。
用語でも「法輪功」「天安門事件」「ダライ・ラマ」といったものは検索できないとか。
個人のブログも同じで、反政府的な記事を載せるとたちまちそのブログは消滅する。

2年ほど前に、ある週刊誌が停刊に追い込まれた。
「日本の教科書が歴史を歪曲したとして、中国政府は日本に抗議しているが、中国の歴史教科書も、決して歴史を正しく取り上げているとはいえない」
という趣旨のことを書いた大学教授の論文を載せたのが発端であった。
当局は、この事実についての報道も禁じる措置を講じたが、この事実はネットによって一気に知れ渡り諸外国にも流れてしまった。
まあ、こんな例は枚挙に暇が無いほど転がっているらしい。

さて、ギョーザ事件の真相究明が頓挫している最中に中国チベット自治区で大きな騒乱暴動が起きた。
例によって、中国当局は都合のいい情報や映像を流して自らの正当性を世界に示したがっている。当局は「被害者」であることをひたすら強調しているようだ。
(08.03.18道新の記事では「自治区の主席は、「暴徒」による損害を詳細に説明し、警察による発砲を認めずに「被害者」の立場を強調した。」)中国特有の手法だ。

我々の眼に触れる映像は、どの局も民衆が暴徒化して商店や銀行を襲う場面と落ち着いた町並みや学校の様子のみである。
悪いのは「チベットの民衆」である。「暴徒」であると印象付けているのだ。
これだけの規模の騒乱暴動で、しかも多数の死傷者が出ているというからかなりの攻防があったことと推測される。
(新華社通信は、警察官が61人負傷していると報じているが、当局の暴動鎮圧に伴う死傷者については依然として言及していない。)外国の報道陣は勿論観光客も排除されているがためにその“鎮圧“の様子の映像がでてこない。インターネットでの情報の流出もないという。
見方を変えると、見事な”情報統制”といえるのかもしれない。

中国当局は、今回の騒乱暴動は「ダライ・ラマ集団の扇動」によると喧伝している。
チベット民族の中にダライ・ラマの対話による解決が遅々として進まないことに嫌気する過激な若手グループがいるらしい。当局側は強固に対話を拒むから進まないのである。
当局はこれらを一くくりにして全てをダライ・ラマにその責任をかぶせようとしている。

全人代(国会に相当)が終了した。
胡錦濤政権が最優先しているのは「社会の安定」であるはずだ。しかし、現実には政府への批判や不満へは“強権的”な手法で対処することが目立つ。
f0020352_9581276.jpgたたでさえ欧米諸国から、中国の人権問題の改善を求める声は強く、今回のチベット騒乱暴動によって、国際社会の注目度は一層増したのであろう。

この事件がどのような収まり方をするのか注目される。
北京五輪はあと4ヶ月後に迫った。既に、参加を拒否した選手もいる。式典への協力を辞退した人もいる。理由はさまざまである。EUの中では開会式をボイコットしては・・・との意見が出始めたという。
五輪を開催するに相応しい「開かれた国」であるのか正に今その真価を問われようとしている。

注)当初、「騒乱」と表現したが、振り返ってみると少し意味合いが違ったように思うので「暴動」と訂正。
[PR]
by m-morio | 2008-03-20 09:59 | 中国のこと | Comments(0)