ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

受け売り 現代史 : 上海

△上海の開港と発展
中国最大の商工業都市である上海が世界史の表舞台にその名前が現れるのは、1842年アヘン戦争に敗北した清朝が、南京条約において上海など五港(広州、福州、アモイ、寧波、上海)の開港を認めたときからであろう。
イギリスは、それまで広州に限られていた中国貿易の窓口の拡大を求めていたのである。

上海は中国の交易の中心地となり、イギリス、フランス、アメリカが次々に「租界」を設け、列強の支配を受けることになった
「外灘」(バンド)
に代表されるように、今でも上海の街並みにはこの租界時代の面影が色濃く残されている。
租界の形成は列強の経済的進出をもたらし、上海は中国随一の商工業都市へと成長した。
f0020352_145161.jpg




まず、言葉の解説をしておこう。

「租界」:
香港のような租借地とは異なる。租借地は、外国政府がその土地全体を祖賃し、これを分割して自国民あるいは他国民に賃貸するのに対して、上海の「租界」は、外国人が居住のために直接中国人の土地所有者から土地を買い受けるという点で大きく異なる。
行政自治権や治外法権をもつ清国内の外国人居留地をいっていい。アヘン戦争後の条約によって中国各地の港に設けられた。上海には共同租界とフランス租界があった。当初、イギリス、アメリカ、フランスがそれぞれ租界を設定していたが、後に二つになった。20世紀の近代中国における列強の植民地支配の拠点であった。


「外灘(バンド)」:
黄浦江と蘇州河の合流点近くの一帯に「外灘(バンド)」(本来は、人工の土手や堤防を意味する)と呼ばれる地区がある。租界時代の上海の中心地であった。ここには当時の建築物が多く残っていて上海随一の観光スポットとなっている。かつて各国の貿易商、銀行などが上海の拠点となる建物を競って建てたのだが、ここに拠点を構えることは、そのステータス・シンボルとしての意味合いもあったようだ。
f0020352_13435712.jpg


△「国際都市」上海
上海は、中国の人々から「豊かだ」「品物の品質やデザインが良い」などと好印象で受け止められているという。この他省と違う上海の個性を作り上げたのが「租界」という歴史的な背景があったと思われる。
f0020352_14215649.jpgこの「租界」は第二次大戦の終了まで存続したのだが、租界の存在が上海にもたらした効果は二つあるといわれる。
その第1点は、列強の進出に伴う経済発展である。
当初は貿易が中心であったが、やがて港運、造船、紡績と広がり、電気、水道などの公共事業も外国資本によって整備されていき、上海を国際商工業都市へと変貌させていった。
2点目は、外国人優位の都市形成である。
資本の投下が大きいだけそれに伴う発言力も大きくなっていく。
こんな話がある。
イギリスが黄浦公園(領事館の前にある)を造成し、開園した際に入り口に警官を立てて、中国人の入園を拒んだという。中国側の抗議に対してイギリス側は「流行病に感染する危険がある」とそれを拒否し、入り口に「中国人と犬 入るべからず」との看板を掲げた。

このように、列強各国による租界の形成は、国際都市への基盤作りとはなったものの、外国人との共生の狭間で上海の人々は極めて苦々しい思いがあったことだろう。

アヘン戦争の敗北による不平等な条約によって外国に支配された屈辱の地 上海 。 
反発をしながらも憧れ、憧れながらも反発する。 自立をしたいが依存し、依存しながら自立を目指すという葛藤の中から生まれたのが、上海の個性なのかも知れない。

前述のように、租界には 
1 外国の文化を存分に享受することができるという有利な部分と 
2 中国国内にも係らず外国人に優位性を譲らなければならないという屈辱的な部分
との二面性があった。
とはいえ、外国文化に極めて近い歴史が作られてきたということが上海を国際性豊かな都市に育てたのであろう。

△上海の今と明日
上海は万博の開催を2年後に控えている。
開催を1ヵ月後に控える北京がそうであるように上海でも「市民のマナー改革に必死だ」という。高度成長の恩恵を受けることなく、日々の暮らしに追われている市民の多くは、マナーにまで気配りしている余裕はない・・・・・というのが本音のようだ。

---做可愛的上海人(愛される上海人になろう)---
上海市が2年前に始めた「100万家庭礼儀学習」キャンペーンのキャツチフレースだとか。
「愛される」ために必要な条件として上海市が掲げているのがマナーの向上。対象となるのは約1300万人の上海市民と、建設現場や工場などで働きながら上海で暮らす約400万人の地方からの出稼ぎ労働者(民工)である。
「市民ガイドブック」も発行されている。
具体的な例として「上半身裸やパジャマ姿で外を歩かない」「鼻毛は短く切る」など。町内会には勉強会を開くことが義務付けられているという。外国人の目を意識してのことである。

中国人のマナーの悪さが目立つと、儒教を生んだ「礼儀の国」という評価が失墜しかねない。
国際的イメージの低下は、海外からの直接投資の誘致などにも悪影響を及ぼすのだ。

「豊かになれる者は先に豊かになれ」という鄧小平の「先富論」は、江沢民に引き継がれ発展重視の戦略を進んだ。
この「先富」の最先端を行く上海。GDPは毎年二桁成長を続けている。
上海の都市部の一人当たりの年収は平均25万2千円を超えるが、郊外の農村部では9万8千円以下の年収で暮らす。出稼ぎ労働者はさらに厳しい条件を強いられている。(06.10.25 朝日新聞)
超高級マンションに住み、自家用車を乗り回す富裕層が誕生する一方で、経済成長の恩恵から見放されている市民も少なくない。
「格差社会」は、上海でも深刻な問題となっている。

△あとがき
今回は、コルカタ(カルカッタ)→シンガポール→香港→上海の四つの都市を巡ってきた。
その全てに共通することは「いずれの都市にも“イギリス”が多大な影響をもたらした」という事実である。いや、単なる影響というよりもイギリスが開港した都市と言っていいのだろう。

コルカタは、
インドの東部にあってその位置づけは、今となっては他の都市に譲った感があるもののインドの歴史に一ページを記したことは間違いない。
シンガポールは、
「都市国家」として独立色を強めその特色を発揮している。
香港は、
返還後未だ11年である。返還前後は欧米への人口流出が顕著であったが、最近は大陸部への移住が年間数万人規模で起こっているという。
中国経済の目覚しい発展と物価の安さが好感されているのだろうか。この傾向がまだまだ続くものかもうしばらく様子を見なければならない。
そして、上海。
長江デルタに位置する大都市上海市。中国の近現代史において重要な役割を果たし、改革開放後は、一貫して中国の経済発展を牽引してきた。
金融、貿易など経済産業の中心として、また、ファッションや流行などあらゆる情報の発信地として中国国内で大きな影響力を持つだけでなく、今後は国際社会での位置づけもますます高まることが期待されている。
中国の経済の中心都市として今後どのように発展していくのであろうか。
2010年に予定される「上海万博」は世界から注目されている。
その成否は「躍進中国」を、いや「世界に開かれた大都市 上海」をアピールする絶好の機会なのである。
しかし、このように華やかな発展を遂げてきた陰で、多くの社会問題も抱えていることを忘れてはいけない。


[受け売り 現代史] のこと
論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。

[PR]
by m-morio | 2008-07-05 14:07 | 市民カレッジ | Comments(0)