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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

訃報  

恩師 山中熊一先生が8月上旬にご逝去された。
葬儀はご本人のご意向で親族だけで執り行われ、そのお知らせは地方紙にのみ掲載されたとのこと。・・・最近届いた友人からの便りで知った。
先生には網走小学校5,6年生の担任時代から60年を超えるご厚誼をいただいた。本当に長いお付き合いをさせていただいたことになる。

◇先生は、教職時代を経て、ご退職後は民生委員など地域に密着した多忙な日々を送られていた。一方、私も仕事に追われかつ頻繁な転勤で北見にはなかなかご縁がなかったこともあり、お付き合いも年賀状と時折認める書状に限られ、卒業後お会いできたのは僅か2回という少なさであった。
今振り返ってみると、時間などその気になればいくらでも作ることが出来ただろうに・・・と思わずにはいられない。

◇実は、網走、北見地区在住の同級生は折に触れ会合を持っていたらしいのだが、私の父親が転勤族であった関係で網走には数年しか滞在していなかったこと、私もサラリーマン生活をしていたことなどから、やはり地元の人たちと同じように・・・というわけにはいかなかったのである。
と言うわけで2回ということになってしまった。

◇50年ぶりにお会いしたときの感激や、夜を徹してお話したことを今懐かしく思い起こす。私たちも相応に年をとったが、そのときの先生は細身のお体で、血色も良く元気そのもので、ああ、良い日々を送られているなぁ・・と感じたものである。
そのとき、何か記念になるものを・・・と先生のお手を煩わせて認めていただいたのがこの色紙である。大事な思い出の品となった。

◇最後にお会いしたのは米寿のお祝いをさせていただいたときである。
この時、先生は既に肺がんを患われており、入院加療中だったにもかかわらず医師の許しを得て私たちと祝宴を囲まれ、お酒も、タバコも口にされ・・・大丈夫、だいじょうぶ!!と言いながら・・・周りの者をひやひやさせていた。
気持ちの強い先生は、その後退院され、投薬などを拒否され、趣味の囲碁に没頭し、”90歳までは生き抜く”とおっしゃっていた通り享年90歳で帰らぬ人となられた。

◇生前、いろいろな活動をされる一方で時々新聞に随想を投稿されていた。
その写しを数通頂き手元に残っている。先生から手渡されたものである。

その中の一通
・・・79歳の時の 随想: 「老いを生きる~充実感を生きがいに~」
の冒頭に

 
私は今、老いの道を静かに歩んでいる。速度も姿勢もいつも変わらない歩みである。この道は起伏のない極めて平坦な道である。歩きにくい砂利道でなく、悪路の泥道に足をとられるような不安もない。(中略)何の苦痛や困難も感ぜずに同じテンポを繰り返しながら、来る日も来る日も変わらぬ道(生活)を歩んでいる。

・・と記されている。
晩年、いかに穏やかな日々を送られていたかを彷彿とさせる。

先生の教えに「精一杯生きよ」という言葉が。。。

たった一度の人生で、世界に一人しか存在しない自分、年齢や死のことをくよくよ考えたって仕様がない。
それよりも悔いの無い人生を送りなさい。残された余命がどうであろうと、人間としてよりよく生きよう。


自分の過ぎ去った人生を振り返ったとき、「悔い」は多々ある。
でも、先生がおっしゃるように "今" をいかに有意義に過ごすかが大事なのであろう。

「精一杯に生きる」とはどんな生き方なのだろうか。
今更、大それた目標を持つのもしんどい話である。

好きなことに夢中になり趣味に没頭することで、今日一日楽しかったとの思いで過ごすのもいいだろう。
ささやかなボランティアに心に安らぎと潤いを持つこともよい過ごし方なのかも知れない。
それらのことを通して、満足感や充実感を持つことが生きがいと明日に生きる希望につながる・・・と信じて。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
やはり年ですね。
ご逝去の報に接しこんなことを考えているここ数日です。
もう先生を囲んでの団欒は適わぬこととなりましたが、卒業時の6年2組の有志の皆さんとはまた機会を作って歓談したいものと願っていますが、なにぶんにも私たちも古希目前の年齢になっています。

少し急がねば時期を逸してしまいそうです。

山中熊一先生 の ご冥福をお祈りします。

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by m-morio | 2008-09-25 09:37 | 日々雑感 | Comments(0)