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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

二冊の本②・・・ニコライ来日

◇皇太子ニコライ来日の経緯f0020352_16124696.jpg
 ロシア国皇太子ニコライ親王、同ジョージ親王、ギリシャ国ジョージ親王の一行が日本に来ることになったのは、ロシアが建設に着手しようとしていたシベリア鉄道のウラジオストックとハバロフスク間の起工式に、父である皇帝アレクサンドル三世の名代として臨席するためであった。その途中、東洋諸国を巡歴して見聞を広め、日本にも立ち寄り、そこからウラジオストックに赴く予定になっていた。

 日本に立ち寄るに当たっては、当時の駐ロシア日本特命全権公使(西 徳二郎)の推挙によるものであった。即ち、皇太子一行が世界周航の旅に出ることが内定したとき、日本に招聘すれば、皇室とロシア王室の親睦が深まる。今後、日露両国の国際関係に好都合であるとの判断から推挙したものである。

皇太子はジョージ親王とロシア→オーストリア→ギリシャに赴く。ギリシャ王室はロシア王室と縁戚関係にあることから皇太子の誘いに応じてギリシャのジョージ親王も同行することになった。その後、セイロン島→インド→シャム→仏領インドシナのサイゴンを経て香港に到着した。(この間、ロシアのジョージ親王は、病気でインドから帰国している。)
皇太子は、香港から「長崎」に明治24年5月1日頃入港する予定であったが、実際には、4月26日に入港し、皇太子一行の上陸は5月4日と決められた。
一行の日本での日程は、
長崎→鹿児島→神戸→京都→大阪→奈良→横浜→東京。
東京に到着の際は、天皇陛下が新橋駅まで出迎える事になっていた。 
その後、江の島→鎌倉→箱根→熱海→日光→仙台(松島遊覧)→盛岡→青森を経て、ロシア艦「アゾヴァ号」でウラジオストックに・・・という皇帝が予定されていた。

◇日本のロシア観
 当時の日本におけるロシア観は決して好ましいものではなかった。
幕末に、ロシア艦が樺太、エトロフ島、利尻島を襲って番人を拉致し、放火し、略奪するという暴挙は、日本人にロシアに対する恐怖として根強く残っていた。
ロシアは、朝鮮半島に勢力をのばすことを企て、それは日本の存立を危うくする。ロシアは恐るべき侵略を意図していて、シベリア鉄道の建設も、それを推進するためのものだ、と新聞は強調していた。
皇太子一行の目的は、物見遊山ではなく、軍事偵察なんだと言うわけである。

ロシアの極東地域への進出は年を追うごとに露骨になっていて、その矛先は朝鮮半島に向けられていた。シベリア鉄道の敷設計画は、その製作の達成を目的としたもので、朝鮮半島がロシアの支配下におかれれば、日本列島は、短刀をつきつけられたようにロシアの武力脅威にさらされる。
ロシアは世界屈指の軍事力をもつ強大国で、いったん武力を発動すれば、たちまち日本は制圧される。軍事力も工業力も比較にならぬほど劣る日本としては、ロシアとの衝突を避けることに努める以外に生きる道はなく、そのためロシアを刺激しないよう細心の注意を払っていた。
                                                  (つづく)
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by m-morio | 2008-12-03 14:47 | | Comments(0)