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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

二冊の本④・・・日本の立場 と 余談

◇日本の立場f0020352_162459.jpg
 「大変な事件が起こった」
前述のように、ロシア駐在公使の勧めをいれて、皇太子ニコライを日本に招いたのも、ロシア王室の対日感情をよくさせようという配慮からであった。
天皇も、それを十分に理解し、皇太子が日本訪問の第一歩をしるした長崎には有栖川宮親王や接待係を赴かせ、迎接艦も派遣した。天皇の皇太子招聘には並々ならぬ決意が窺われたのである。
そこに、突然、皇太子が襲われて負傷したという事件の発生が伝えられた。
皇太子は、皇帝になる身であり、ましてや警備にあたっていた日本の巡査が暴挙に及んだことは、ロシアにとって最大の侮辱と感じるに違いなかった。ロシア国民は激昂するだろう。ロシア王室の驚きと憤りは容易に想像できた。
 幕末の攘夷論が異常なたかまりをみせ、それによって外国人殺傷事件も起こった。明治維新成って、政府はあらゆる分野において欧米先進国にならうよう全力を傾けてきた。その成果が徐々にあがってきた折に、国賓として招いた皇太子を警備にあたっていた巡査が切りつけてキズを負わせたことは、ロシアのみならず欧米諸国に、日本が未だ攘夷論者が横行していた幕末から一歩も抜け出ていない危険な国という印象を与えるに違いなかった。

ロシア政府が、事件を知ってどのような反応をするか、想像しただけでも恐ろしいことであった。
その後、ロシア政府には、逐一電報で事の次第を報告するとともに、天皇からも丁重なる謝罪の文を送っている。更に、経緯の説明に謝罪使を派遣すべきとの結論にも達した。
天皇にとってこれほど憂慮すべき事件はかって経験したことがなかった。顔面蒼白だったという。
大臣達も、莫大な賠償を求められるとか、傷が悪化して死亡した場合には、賠償どころではすまず、日本に戦線布告してくることまで予想していた。
こうした空気の中、天皇は、皇太子のもとに自ら陳謝をかねて見舞いに行くと言い出した。

 皇太子は、事件直後は京都の常盤ホテルに滞在し治療を受けていたが、
「本国より、皇太子の安全を守るため、速やかに神戸港に宿泊している軍艦に移るようにとの指示があった」
と側近が政府側に伝えてきた。
その背後にはロシア皇后の意思が強く働いていたと言われる。皇太子は、本国からなんと言ってこようと、是非東京に行きたいとの強い意思を持っていたようだが、皇太子側近の強い反対にあいしぶしぶ軍艦に移ることを承諾した。

ところが、ここでロシア側からとんでもない要請を受けることになる。
即ち、「皇太子がホテルから神戸港の軍艦まで移動する途中、護衛が軍隊や警察官ということになるのだろう。それらの者が皇太子を襲わないという保証はない。ついては、安全の保証のため、軍艦まで天皇陛下が皇太子と一緒に同行して欲しい。」といってきたのである。
俗な言い方をするならば「天皇を盾にする」というのである。
その伝言を天皇は無言で聞いていたが「そのようにする」と即座に答えたのである。

◇余談
1 処罰と褒章
 犯人の処罰(このことについては別項で触れることにする)、責任者の処分に続いて皇太子の危難を救った人力車夫の功績に対して勲章を授与し、さらに終身年金として36円を下賜することが決まった。この当時の36円の価値は、一般家庭の1年間の生活費に相当する額でであったからその授与に車夫は体を震わせてそれを受けたと言う。
2 ロシア側からの褒章
 皇太子が帰国する前日になってロシア公使から思いがけない要請がきた。
「皇太子の身を守ってくれた人力車夫の二名を皇太子が乗艦する軍艦に寄越して欲しい。」
というものであった。
しかも、そのときの服装は事件の起こった日と同じ法被、股引饅頭笠姿としていしてきたのである。
緊張し、恐る恐る軍艦へと赴いた。なんと甲板上には皇太子が平服姿で出迎え、危ないところを救ってくれたことへの謝辞を述べられた。
ついで皇太子は、「小鷲勲章」を手ずから二人の胸につけ、さらに、両名に対して2,500円の恩賞金と、年金1,000円を下賜する旨を伝えたのである。そのあまりにも高額なことに日本側随員は言葉を失い、呆然として通訳もすぐには訳することが出来なかった。1,000円は、当時の国会議員の年俸に相当するもので、その額を年金として死ぬまで下賜するというのである。車夫足りは、通訳から聞かされ顔面蒼白となり小刻みに震えながら、10円紙幣で2,500円を“饅頭笠”を上向けにして受け取った。
そのとき、皇太子とその側近(侍従長)が言ったことが少々滑稽である。
皇太子「これからは車夫をやめ、あたえた金で日本のためになるような職業につくように・・・・・」
側近「莫大な金を得たために、それで身を持ち崩すようなことがあってはならない」
離艦の際は、水兵たちが胴上げをしてその労に報い、酒を提供した。
(つづく)
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by m-morio | 2008-12-05 16:11 | | Comments(0)