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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

カテゴリ:井蛙のつぶやき( 12 )

遅々として進まない。まだ10分の1である。
幕末から明治維新へと突入し、武士や庶民が激動の中、その生活がどのように変化し、いかに対応していったのかということに大いに興味がそそられる。
教科書(シリーズ:日本近現代史)も大事だが、より噛み砕いてその変遷を記してくれるのが小説である。
最近手にする本が、この明治初期を舞台にしたものが多くなりつつある。

そんな時期に、一冊の“新書”を手にした。(小説ではない)

“加賀百万石“という言い方がある。
加賀藩(藩主は前田氏)は外様大名だが、徳川将軍との姻戚関係が強く大名最大の102万石を領し御三家に順ずる待遇を受けたからである。

加賀藩は、大政奉還時は徳川慶喜を支持したが、幕府軍が鳥羽・伏見の戦いに敗北した後、方針を転換し新政府の北陸鎮撫軍に帰順した。
海防に関心が深く独自の海軍を有し、維新後は海軍に多くの人材を輩出したと言われる。

その加賀藩に「会計のプロ」がいた。
「猪山家」である。この猪山家では異常とも言えるほどその金銭の出入りを詳細に記録していた。
その記録が神田の古書店で著者によって発見された。
なぜ、これほどまでに詳細な記録が残っているのか、何の必要があっての記録か。興味は尽きない。

加賀藩士のことを調べるには、金沢市の私立玉川図書館に行くとよいといわれるが、収蔵されている資料の隙間を埋めるに十分な資料が見つかったのである。

猪山家は加賀藩の「御算用者(ごさんようもの)」であった。
御算用者とは、いってみれば「加賀百万石の算盤係」である。会計処理の専門家であり、経理のプロであった。
代々、猪山家は会計処理の実務をもって、明治維新まで五代にわたって前田家に仕えた。
このプロがつけた帳簿だから、私的な帳簿であっても、その完成度は高い。

この間、「加賀百万石の買い物係」となり江戸に詰めることになった。
猪山家のような下級武士にとって、役目について江戸詰めになるのは名誉なことでもあり出世の糸口にもなったが、一つ間違えば破産にもなりかねない危うさをはらんでいた。

武士社会は同僚、親戚付き合いを大事にした。 冠婚葬祭はもとより、決まりごと、習慣には何をおいても従わねばメンツが立たなかった時代である。
算盤係として藩主の側近に仕え、立場は上がるも、収入が必ずしもついてこない。
借金が嵩む。ヘタをすると夜逃げということにもなりかねないのである。

猪山家は、たびたび大役を仰せつかる。
「御住居向買手方御用ならびに御婚礼方御用主付」という仰々しい肩書きを頂く。
13代藩主前田斉泰が将軍家斉の娘溶姫(やすひめ)を妻に迎えることになり、猪山家が仰せつかった役目は、この世紀の婚礼の準備係であった。
婚儀にかかわる物品の購入を一手に引き受ける仕事であった。
文政10年(1827年)のことで、この時加賀藩邸に立てられた溶姫御殿の正門が、現在の東京大学の赤門である。
当時の加賀藩は財政が破綻しているのに、将軍家との縁組をせざるをえなくなり、結婚費用をどう工面しようか困窮の極みにあった。
しかし、将軍家との婚儀は、いかなる犠牲をはらってでも成功させなければならなかった。
ここに「御算用者」としての猪山家の苦労がしのばれる。
婚儀の後、姫君から解放されるだろうとの期待は脆くも崩れ、なんと姫君付の算盤役=「姫君様御勘定役」を仰せ付けられる。
姫君から「あがのうて参れ」(購う=あがなう。買って参れ。)といわれれば、櫛、簪、蒔絵の硯箱など賢覧豪華な品々を買い調えることになるのである。

著者によると、国というものは、その時代ごとに“金食い虫”的存在がある。
江戸時代では大奥であり、維新後の近代では海軍であったといわれる。
国の予算が湯水のように流れ出ていくのである。

猪山家は、その卓越した経理能力を買われて、江戸時代には大奥から来た溶姫の算盤役をまかせられ、近代になると、今度は海軍に配属されて、やはり算盤役を務めることになる。
以後、猪山家は新政府の大村益次郎の目に留まり兵部省にはいり、主計のトップとして海軍の経理を一手に引き受けた。

この猪山家の家計簿には、収入の金額はもちろん、買い物の内容もこまかく載っている。さらには借金の金額や借りた先や利率までもである。
・・・・・この借入先がおもしろい。かなり多岐にわたる・・・・・

それも天保13年(1842年)から明治12年(1879年)までの37年間も書き続けられている。(1年2ヶ月分が欠けている)
なにしろ饅頭一つ買っても記録した帳面が36年間分も残っていたのである。
明治維新という激動の時代をはさんで、武士(明治に入って、士族)の生活がどのように変わっていったのかという一端を覗くことができる。

磯田道史著 「武士の家計簿」~加賀藩御算用者の幕末維新~ 新潮新書
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by m-morio | 2010-12-19 15:59 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
手元に届きました
司馬遼太郎の「坂の上の雲」
です。f0020352_14261461.jpg
先日、義兄に会ったときに、たまたま本作品の話になり、結局8巻を譲り受けることになり、今日届いたのです。

以前に、市民カレッジを受講した際、日本の近現代史を勉強するにあたって参考となる本(小説)を紹介して欲しいと依頼した際に講師の大学教授に勧められたのが、子母澤寛の「勝海舟」(文庫本で5巻。読了。)とこの「坂の上の雲」でした。

たまたま昨晩、NHKでドラマ化した作品の再放送があることを知り鑑賞しました。
12月から第2部を放送するにあたっての再放送のようです。

折に触れ、小説と映画あるいはテレビのドラマ化については違和感を拭い去れないと書いてきました。
それは止むを得ないこと。
小説と映画とは別物で、小説は映画化されることを前提には書かれていないのだから・・・・と。

この「坂の上の雲」にしても、テレビを観ようという気はあまりありませんでした。
義兄との話題と時期をあわせたようにテレビの放映があったため、流れに乗って昨晩初回の再放送を観ることになりました。

原作を読んでいませんから、小説との差についてはなんともいえません。

原作に目を通すのはもう少し先のことと思います。
江戸城明け渡し後、慶応4年9月に明治と元号が変わりました。
本作品の舞台は、明治10年代以降のようです。明治元年以降の10年についてもう少し知識を積み重ねたうえで取り掛かろうと考えています。

ですから、今回はテレビが先行し、原作を読むのが後追いになるような気がします。

それにしても文庫本とはいえ8巻は大作ですね。
ゆっくり、じっくり取り組もうと考えていますので、読了まて、数ヶ月かかることでしょう。
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by m-morio | 2010-11-21 14:36 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
街路樹のナナカマドが赤い実をつけています。
まだ、葉が青々としている木と黄色に色づいているものが疎らです。

秋が山から駆け足で街に降りてきています。
札幌市内の豊平峡方面は来週には紅葉が見頃ではないかと伝えられています。

さて、 ”井蛙爺のつぶやき” は寂として・・・・・・

近代史シリーズの第1巻「幕末・維新」には一応の区切りをつけました。
しかし、黒船来航がわが国に与えた激震は少なからず大きなもので、以後の幕臣の対応や苦悶の様子はなかなか興味深いものがありましたので、関係の小説にまで手を広げたがため、随分時間を掛けてしまいました。
手作りの年表もそれなりに格好が整ってきました。
完成までには未だ時間を要すると思いますが、今後折に触れて修正・手直しをしていきます。

直ぐにも次に進もうかとも思いましたが、
今月は現代史の秋の講座が間もなく始まりますので、しばらくの間"日本"から離れることにします。f0020352_15302020.jpg

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by m-morio | 2010-10-07 15:26 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
民主党の代表選挙が行われるという。
新聞紙上には
「理念なき権力闘争」「政策論争欠如」などの活字が躍る。
いったい今回の代表選は何のために争うのだろうか。
その辺が良くわからないから、「単なる権力闘争」にしか見えないのだろう。
もう、うんざりです。
民主党が衆議院選で大勝して政権交代を果たしたのが1年前の8月。
しかし、鳩山政権はあえなく挫折し首相は退陣した。そのとき政権の中枢にいたのが菅、小沢両氏であった。その二人がここで角を付き合わせるという。
しっくりこない。

特に、小沢氏は鳩山政権時の幹事長だったはずである。
首相を補佐できず、自らの「カネ」問題もあって首相と共に辞任に追い込まれた。
一説には、「菅首相が小沢氏に要職に就かせるつもりがないため」とか、極端なのは「首相になると在任中は起訴されない(本人の同意が必要)ので、その逃げ道として立つのだ」と穿った見方さえある。

さらに不可解なのが鳩山氏の行動だ。
菅、小沢、鳩山の3氏によるかつての「トロイカ体制」に立ち戻って、「挙党態勢」を構築するよう訴えたという。
菅、小沢両氏の会談を「責任を持って仲介の労を取る」とまで述べた。 いまさら「トロイカ」なのか・・・ ? だ。
「政治とカネ」の問題で引責し小沢氏とダブル辞任したばかりなのに、どういう脈絡からこうした発言が出てくるのだろうか。
首相辞任直後には、政界から足を洗うかのような発言をした人物の言動とはとうてい思われない。
菅首相は”友愛”が足りないだと・・・。 お坊ちゃまは”軽い”ですね。

庶民(国民)の多くは、未だ「政治とカネ」の問題で渦中にある小沢氏に首相を委ねる気持ちはないようである。
しかし、代表選に国民は直接投票できない。”諸先生”方や党員の方の良識にゆだねざるを得ないのである。 「良識」が通じるのか?分かりませんが。
今回の代表選は、菅政権が発足してわずか3カ月で実施される。党としての決まりごとだからやむをえない。   しかし、あまりにも短命な首相を生みかねない仕組みはいかがなものか。国際的立場からも・・・。
それでなくても、高齢者の所在不明問題で”日本は変な国だ”との印象を植え付けているのだから。

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by m-morio | 2010-09-01 18:37 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
自前の”日本近現代史の年表”を作っています。
でも、この年表をわかり易く作るのは少々難しい。

年表ですから、基本は年代順に配列しています。
では、何を!?となるとその基準は、政治・経済・社会問題・諸外国との関係など広範囲にわたります。
全てを取り込むわけにはいきません。
            その一部は、こんな按配です・・・未完成 
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まだまだ手直しが必要です。

明治維新によって、天皇一代のあいだ一年号とする ”一世一元” の制に改められましたが、
徳川幕府の時代は目まぐるしく将軍が交代しています。いろいろな改革、事件がどの将軍時に起こったか(施政されたか)ということも一覧できれば良いのでは・・・とも思っているのですが。

こんなことに手を染めていますのでその歩みは亀のごとくです。

ペリー来航が開国の発端になり、国内事情もあって幾多の政争を経て開国へと進み、ついに徳川幕府が倒れ、明治維新へと移ります。

天下分け目の関が原の合戦から明治維新までの270年で武家政治も滅び、維新から太平洋戦争の80年弱で新政府も潰えました。
現在の民主主義政治も60年を超え70年に迫ろうとしています。

過去何度も政治の体制は大きく変化してきましたが、その荒波に翻弄されたのは何時の時代も”庶民”であったような気がします。

明治政府は、武士を士族とし、農工商民などを平民としました。
廃藩置県が布かれ、財政の安定のための土地制度と租税制度の改革は、一部に土地の私有をも認められましたが、庶民の不平等感は簡単には拭い去れず、各地で一揆が起こることになります。

庶民生活、殖産興業など政治による改革が庶民にどのような影響・負担を強いたのだろうか・・・という視点でも時代の推移を見ていきたいと日々思っています。

・・・・が、どうしても気になるのが江戸城明け渡しの時期に、新政府への艦船引渡しを拒否し、謀反を起こし箱館へと渡った「榎本武揚」のことです。
少しだけ時間を掛けて読書してみます。
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by m-morio | 2010-08-25 20:26 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
立志伝中の人物を題材にした「小説」は数多い。
その種の「小説」においては、ともすれば、主人公は美化して書かれている(ように思われる)。

小説「勝海舟」全6巻を読み終えた。f0020352_12505856.jpg
海舟は、若くして、武術に精をだし、蘭学を学び、日ごろは言いたい放題を口にし、ひんしゅくを買うことも多かった。
海軍論者で、国防は「海軍」が担うべき・・・というのが持論で、その論は将軍に直裁に発するほど。
この海軍奉行を務めた海舟が、めっぽう船に弱く、直ぐに船酔いしてしまうというから皮肉である。
そんな海舟の咸臨丸での渡米には、“船酔い”という苦労も一緒に背負って行った。

「略歴」
文政6年(1823年)、江戸の旗本の家に生まれる。
名は義邦、安芳。通称麟太郎。
蘭学を学び、ペリー来航時は幕府に海防意見書を提出。
海軍伝習のため長崎に派遣された後、遣米使節随行艦の咸臨丸を指揮して渡米。
帰国後、海軍訓練所を設立し、軍艦奉行並となる。
幕府側代表として江戸城明け渡しを実現。
このときの官軍側の交渉相手が西郷隆盛である。
江戸城引渡し後、前将軍慶喜を追って駿府へと移住する。
しかし、海舟の苦労はそれでは終わらない。

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by m-morio | 2010-08-07 12:53 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
暑中お見舞いもうしあげます

京都や福岡と競うように 札幌も暑いです

図書館まで歩きましたが 暑くて アツくて 帰りはバスにしました

どうなっているのでしょうか この気温は 春先の予報では 冷夏 のはずだつたのに。。。

報道によりますと

道内の6月の平均気温が観測史上最高を記録し 過去に例のない「暑い初夏」だとか

そんな最中
彼理(ペルリ)、布恬廷(プチャーチン)、波理須(ハリス) とぃつた文字が飛び交う小説「勝海舟」を読んでいます。
・黒船渡来・咸臨丸渡米・・・最後は ・明治新政 まで全6巻にもなります。
著者は 下母沢 寛(しもざわ かん)です。

この本、紀伊国屋書店にいっても在庫はありません、ひょっとしたら絶版かも?!
手にしている文庫本の初版は40年以上前です。
お小遣いも乏しいので図書館から借用しています。

勝海舟に関する本は多々あります。
なぜ「勝海舟」なのか、そしてなぜ「下母沢 寛」なのか・・f0020352_15374765.jpg

実は、市民カレッジの講座一覧を眺めていて、面白そうな講座をみつけました。

対象者として 「時代小説が好きな人」 とあったのです。
講師は、市内の大学の教授で、専門は哲学だとか。
この哲学という取っ付きにくい文字が気になりましたが1ヶ月間受講しました。

取り上げられたのが四人の作家。
・・・・そうそう題名は
「今もっとも面白い時代小説~時代小説から学ぶ教養の磨き方~」
でした。

佐伯泰英、宇江佐 真理、宮部みゆき、久生十蘭(ひさお じゅうらん)の四人。
(宇江佐と久生は北海道出身の作家。久生は若くして没しているのでその作品はインターネットでも閲覧できます。「顎十郎捕物帖」が有名です。)

講義内容は省略しますが、そのとき講師に近現代史の参考になる「小説」を挙げていただいたところ、この「勝海舟」(下母沢 寛著 を指定)と司馬遼太郎の「坂の上の雲」です。  後者も大作で、文庫本で8巻です。

とりあえず「勝海舟」に取り掛かっていますが、一つの期待は、勝と北海道に所縁がある「榎本武揚」との交わりを知りたいということがあります。
榎本は、函館の五稜郭で戦に破れ死を覚悟したときに、その人物を惜しんで東京に連れ帰ったひとがいる。
その辺りのことを知りたい・・・・。

まあ、こんな経緯がありまして、また本題の「幕末・維新」から遠ざかっています。

勝麟太郎(後の 海舟。この名の出所は既に第1巻から推測できます。)は、いよいよ長崎から咸臨丸を動かして(総督として)とりあえず琉球へと出航する・・・ところです。f0020352_15383667.jpg
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by m-morio | 2010-07-03 15:48 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
「夜明け前」第一部・上・下を読破しました。
いや”読破”というのは、難解な書物をすべて読み通すことを意味する言葉です。よく理解して読み終えた・・・ときに使える言葉なのでしょう。
その意味では不適当な表現です。
眼を通し終えました・・というところです。 

ただ、第一部は1853年のペリー来航から1867年の大政奉還までが描かれています、
江戸と京都のほぼ中間に位置する中山道・木曽路に米英露の来航やあたふたする幕府の様子がつたわるには、立地条件からして時間差があり、精度も高くなく、馬籠(まごめ)本陣の当主は時の流れに翻弄されながらも宿の運営に尽力し、政(まつりごと)の推移に心を砕く。 そして、終に大政奉還に至る。
ここまでが第一部です。

藤村は、この種の歴史物にはなれていない・・と自分で書いています。第一部の巻末に・・・・・

作品の内容が過去の時代を探る性質のものであり、これを作品にするために多くの年月を要した。
後になって省きたいと思うところもでてきたし、自分で気づかなかった誤りに気づくということもあった。 
そんなわけで一巻の書物にするにあたりかつ版を重ねるにつれて、さらに幾多の改めるべきことを見出した。
自分は、過去の事物を探る方法も拙く、考証の正確を期すことも難しかった。 
可能な限り改めるべきところを改めた。(昭和11年5月)


何度も触れますが、昭和4年から書きはじめています。旧字・旧仮名づかいで書かれていて原文は私たちにとって読みにくいものだろうと思われます。
しかし、本書は出版元によって表記の現代化がはかられ、旧仮名づかいを現仮名つかいに改めたり、送り仮名も付されていますので案外読みやすくなっています。

話は「明治」に入っていきます。第二部が残っていますが、そちらは一休みすることにして、参考書のシリーズ①に進みます。f0020352_9251187.jpg
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by m-morio | 2010-06-07 18:52 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
「木曽路はすべて山の中である」
という書き出しで始まる大作を読んでいます。
日本の近現代史に取り組む前に、まず小説からということで 「くろふね」 「落日の宴」 に次いでこの本を手に。
島崎藤村著 「夜明け前」 (岩波文庫)
昭和初期に書かれたこの歴史小説は、今日でも比類ない最高傑作・・・といわれるとか・・・。f0020352_14572435.jpg

もちろん、作者や題名は承知していましたが、読んだことはありません。
歴史小説であることすら知りませんでした。
ましてや、歴史小説の最高傑作だとは・・・・。

1929年(昭和4年)から1935年(昭和10年)まで、中央公論に掲載された。
(古希を迎えた私も 未だ産声をあげていません(~o~))

主人公 青山半蔵(木曽路11宿の「馬籠宿」の本陣・庄屋・問屋の若き当主)の眼を通してペリー来航から明治維新の激動期を活写する大作。
岩波文庫で第一部(上・下)、第二部(上・下)の4冊です。
文庫本の初版が1969年(昭和44年)、以後増刷を重ね、最近では2009年に第7刷発行となっています。
人気は衰えないようです。

読み終えるには1ヶ月もかかりそうで、いつになったら本題に着手できるのでしょうか。
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by m-morio | 2010-05-17 15:07 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
前回、書き忘れたことがありましたので・・・

◆川路は、軽輩の身から次々と出世したことはすでに述べました。

その略歴は下記のとおりです。

江戸幕府勘定組頭格寺社奉行吟味物調役→勘定吟味役→佐渡奉行→小普請奉行→普請奉行→奈良奉行→大坂東町奉行→勘定奉行→西丸留守居→外国奉行

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◆川路は、プチャーチンから記念に「写真」撮りましょう・・といわれたことがあります。
しかし、このとき川路は頑なに固辞します。
その言い分は「私は醜男」だから・・というものだったとか。
プチャーチンはたいそう残念がったらしいが、もしそのとき撮っていたならば、
プチャーチンと並んだ肖像写真がのこったかも・・
と思うと残念な気がします。

◆川路聖謨が勘定奉行に昇進したときの日記に
「官僚の心構え」
として次のように書かれている。

1 議論で反論するときは穏やかな言葉を使う
2 相手の意見に道理がなくても、それが職務を損なわないなら心にとどめないこと
3 会議の際は、確固とした自分の意見を持ち、その上で多くの者の意見を聞く
4 衆議に従った場合は、自分の意見を忘れ固執しないこと
5 多忙に紛れて人に対する対応を粗略にしないこと


川路は、なかなかの堅物で、
質素倹約を旨とし、家中のものにもそれに倣わせ、
旅に出ると”仕事中”ということで、酒を断ち、家来にも従わせたとか。

そんな川路の姿を彷彿させる5ヶ条です。

どこかの国のある党のどなたかさんにお見せしたいような気もしますが。。。
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by m-morio | 2010-05-06 20:31 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)