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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

カテゴリ:日々雑感( 246 )

あけましておめでとうございます

今年も穏やかな新年を迎えることができました

体調は年齢相応と申し上げておきます


突然ですが、年末に喪中の知らせのはがきが届きます。

昨年も10数通のハガキを頂戴しました

12月中旬に元同僚お二人の訃報が届きました。

‘17年の賀状の準備をしている真っ最中にです。

奇しくもお二方は11月中旬に他界されたとのことでこのタイミングになったのでしょう。

この知らせはショックでした。

これまでも職場を共にした方の訃報は何度も受けてはいましたが、足軽並みの下っ端時代の上司だったこともあって案外平静に受け止めることができたのですが、今回は状況が少し違います。

企業戦士として苦楽を共にしてきた仲間でした。

振り返ってみるとお一人の方の(前年の)賀状に「病気にやられた」と添え書きをされていたことを思い出しました。

離れた地域に居を構えているのでなかなか顔を合わせる機会がなく時が過ぎ、最後にお会いしたのは、数十年前、千葉でのゴルフが最後だったように思い出しています。

心よりご冥福をお祈りいたします。



▽さて本題です。

今年もたくさんの賀状を頂戴しました。

ざっと眺めると、一頃多かった“元気ですか”の一言だけの添え書きが少なくなったような気がします。少し踏み込んだコメントが多くなったということでしょう。

一方、相変わらず決まり文句のみが印刷されたのも散見されます。

沢山の賀状を出す多忙な方にとっては、やむを得ないのだろうと最近思うようになりました。

“元気ですか”の陰には「私は元気ですよ」との気持ちがこもっている、 また決まり文句の賀状にしても、(例え義理で書いているのだという背景があるのだとしても)忘れないで出してくれたことに謝意を表すべきなのかもしれない。

喜寿に達した今、このように思うことができる寛容さ?が身についてきたのかなあと感じる次第です。

因みに

‘17年の私の賀状は

日々是平穏

          朝起きて

            食べて

            散歩して

            昼寝して

こんな気儘な日々を過ごしております

冒頭の言葉です。「朝起きて」は不要かなあ・・とも思ったのですが、私の年になりますと、朝目覚めること、布団の中で手足の動きを実感することは、元気な一日が始まる「証」なのです。
さらに

最近の関心事や家内の陶芸のことなどを載せ、親しい方々には

一人一人にコメントを追記するのですが、これを自筆で書くのはスペース的に難しいのでこれもパソコン処理にしています。

自分で撮った写真と家内の陶芸作品の写真を載せるものですから・・・・

従って、手書きのコメントはごく限られた人に限定されています。

これが良いのかどうかはわかりません。自分のわがままです。

恐らく今後もこのやり方でいくのでしょう。

 長年賀状のやり取りをさせていただいていた先輩の中に少し気になる方々がいらっしゃる。

ここ1~2年賀状が届かないのです。

単に、長年の疎遠で年一回の賀状で繋がっていた関係ですから、自然に途絶えるのはやむを得ないと思っているのですが気になります。

今、その数5名ほど。今年も届かない(今日現在)。

病気などでその気力失せているのだろうか・・などと推測しながらも、では電話をするなりの方法で家族に問い合わせるという度胸もない。

兎に角、家族との接点がない。その気になればできないことではないのですが、御年やこれまでの付き合いの状況等を考えると、そこまでして・・・・と躊躇するのです。

ひょっとしたら亡くなっているということもあり得るのです。

そうした場合は、遺族からの知らせが無い限り知りえないので、1~2年は律儀に一方通行の賀状を発することになるのです

ここで得た教訓!

「私が賀状を書くことができない状況になったり、
万一のことがあったら

その旨をタイミングを見計らって友人諸氏に連絡をしてもらうように家族に伝言しておくことです。

久々に更新しましたら、随分様子が変わっています。
文字の大きさが意図したように反映されません。
操作方法がまだが分かりません。
読みにくくてごめんなさい。


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by m-morio | 2017-01-09 11:55 | 日々雑感
前回「ましゃロス」という言葉に触れました。

「ましゃロスの 妻を救った 五郎丸」・・サラリーマン川柳

新聞記事で、言葉の意図するところは理解したのですが、
まだすっきりしませんでした。

この機会に「カタカナ語辞典」を入手。
店頭には結構な種類が書棚にならんでいます。
私の選ぶポイント
・字が大きいこと
・価格が手ごろであること
・できればその言葉の用例があること
・・・程度のことでしたが
まあまあのものが見つかりました。

辞典をパラパラとめくっていて
ひょつとしたら この「ましゃロス」の原点?はこれではなかろうかという言葉に遭遇しました。
全く 偶然でした。

「ペット ロス」(pet loss)
長年飼い続けた愛玩動物の死が引き金となって飼い主に生じる悲しみや、ショックなどの心理状態
・・とありました。

皆さんは先刻ご承知のことなのかもしれませんが
時代の流れに乗り遅れている"じいじ"もやっと納得しました。

もっとも 「原点」がこの言葉かどうかはわかりませんが・・・。

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by m-morio | 2016-02-24 09:59 | 日々雑感
「ましゃロス」とか「ゆう活」などという活字を目にしたがその意味がピントこないんです。

生命保険会社が募集した川柳の入選作品に出てくる言葉です。

作品:
「ましゃロスの 妻を救った 五郎丸」

一読して理解できませんでした。
冒頭の言葉の意味が分からないのです。

記事の説明を見てはじめて そうなんだ! と・・・。
歌手・俳優の福山雅治さんが結婚したことを嘆く女性ファンのことを「ましゃロス」というのだそうですね。
流行語なのだとか。知らなかったなぁ)^o^(

毎日、しっかりと新聞に目を通し、時の流れに乗り遅れまいと意識しているつもりですが
やっぱり・・・遅れていました。

今の時代の若者は、なんでも言葉を短縮することが好きなようだ。
いや、時代には関係ないのかもしれない。
「モボ」「モガ」なんて言葉がもてはやされた時代があったのだから・・・。

この短縮言葉に戸惑っている一方、氾濫する「カタカナ語」にも閉口しています。

芸能人から政治家まで、やたらと口走る。
「ストイック」「カミングアウト」「イノベーション」などなど
そろそろ「カタカナ語辞典」を手元に置こうかと考えています。

川柳ですが

「『休みます』 新入社員の 紙対応」

「やってみた ゆう活憂鬱 趣味がない」

なんとなく理解できるような できないような!?


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by m-morio | 2016-02-18 18:17 | 日々雑感
暮れには、いつものように喪中のお知らせを頂く。
自分の年齢を考えるとやむを得ないのだが、故人の御年は90歳を超えている方が多くなった。中には100歳の天寿を全うされた方も・・。
勿論、知人の親御さんなど親類縁者の方で面識はないが、心からご冥福を祈る気持ちになる。

昨年で、一番ショックだったのは同い年の友人の死だった。
大動脈瘤破裂による急死。
同期会の常連で年に何回かは顔を合わせていた仲だったのでその知らせは衝撃。
ただ、訃報は後日開かれた同期会で知らされた。
幹事さんによると、葬儀は「家族葬」という形式によって執り行われたのだそうで、奥様と面識があった幹事さんすらも焼香させていただくのに難儀・・・だったとのこと。
そんな経緯もあって、葬儀を混乱させてはご遺族の本位ではなかろうとの判断で、同期の諸君には直ぐには知らせなかったとのこと。
些か年賀状とはかけ離れるが、この「家族葬」というのには私個人はもろ手を挙げて賛成はしていない。家族には、焼香してくれる方々を拒むことはない・・と言っている。

さて、今年の年賀状。
少なくなったとはいえまだ結構な通数。
付記されている言葉は
「体力が落ちた」「癌の手術を受けた」「長年の持病のその後」「傘寿を迎えました」「字を書くのが辛くなったので今年が最後です」など病気や老いを訴える言葉が多い。

嬉しいことに「(m-morioの)賀状を毎年楽しみにしています」との添え書きには感激。

孫からは、一人前の賀状が届くようになった。
少年の成長を目の前にして感慨もひとしお・・
背丈はあっという間にじいじを上回ってしまった。

一緒に仕事をした女性からは「定年目前ですが退職しました」とある。
同年齢の友は「大学設立に奮闘中」とか。
「転職してもうひと頑張り」というのもある。
時は流れる。
亡くなった人に哀悼の意を表するとともに、幸いにも生を長らえている私らはしっかりと生きていかねばならない。
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by m-morio | 2016-01-19 18:23 | 日々雑感
 術後1か月を経過したところで医師から視力調整の眼鏡を調達するための処方箋が渡された。
この「1か月」が早いのかどうか?
クリニックによっては「3か月」というところもあるようだ。
個人差もあるとは聞くのだが・・・

 私にとってはこの「1か月」は長かった。
2回の(両目の)手術とその後の経過観察でこの一月の通院回数9回。
装着したレンズが「遠方重視」のため、裸眼では新聞などの活字を読むのは難しい。
手元にある従来の眼鏡で急場をしのいだが、長年裸眼でも何とか読めたものが見えなくなったので不便この上ない。

年内に眼鏡が仕上がった。
遠近両用と近々両用だ。
この近々両用というのは、読書時とパソコン対策では微妙に差がでることへの対応。

やっとゆっくりと新聞を読めるという普通のことに満足している。
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by m-morio | 2016-01-08 16:03 | 日々雑感
あけましておめでとうございます。

慌ただしい大晦日も除夜の鐘を境にして、少し退屈な正月へと摩り替わっていく。
たった一晩で昨日を去年と呼び、今日を新年と言う。
不思議といえば不思議な気分である。
人はそうして一つ一つ区切りをつけながら生きていくものらしい。

・・・と勿体をつけた物言いは私らしくない。

今年の賀状には、前年に引き続き「多病息災」の文字入れた。

年を取れば、あちこち がた がきて当たり前だろう。
つまり、年寄りは、どこか具合が悪いのが正常といっていいのかもしれない。
身体のいろいろな部分が正常でなくなってくる。
「老い」は後戻りができない一方通行だ。
それに反して「病」は回復の希望が持てると信じられがちである。

しかし、老化がらみのことだから物事は期待どおりにはならない。
少しでも苦痛が和らぎ、病状が軽くなれば満足すべきなのに、
年寄りは、欲が深く、もっともっとと期待する。

「老い」と上手に付き合うということは、受け止め方の問題なのだろう。

どうも私は、「できなくなったこと」にこだわりすぎるらしい。

「もう・・・しかできない」
ではなく
「まだ・・・もできる」

と考えるべきなのだ。

こんな意味のことを目にした記憶がある。

「抜けた歯を惜しまず 残った歯を喜び、抜けた髪を憂えず未だ生えている髪を数える」

この精神が「老人」には大事なようだ。

今年 一年 この精神で 前向きに生きよう・・・と新年に想う。
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by m-morio | 2016-01-02 13:56 | 日々雑感
宇江佐 真理さんが亡くなった。
函館に居を構え、時代小説を書かれていた。
大好きな作家だった。
江戸の下町人情話を得意とし数多くのシリーズ物も手掛けておられた。
過去には6回も直木賞候補に挙がったほどの実力派だった。
毎年、今年こそは・・・との期待をしていたのだがそれも叶わなかった。

▼2年ほど前に乳がんが見つかり闘病生活を送りながら執筆活動を続けられた。
癌に冒されたことを知ったのは、2014年1月発刊の「心に吹く風」(髪結い伊三次捕り物余話)の 文庫のためのあとがき でご本人が初めて病気のことに触れられたときである。

2011年、少し体調がよろしくないと自覚しながらも病院へ行くことを躊躇っていた。
だが、尋常でないものを感じ検査へ。
結果は、癌らしいとの診断。

「癌と言われただけでもショックなのに、転移しているなんて。(中略)抗がん剤の治療などしない。髪の毛が抜けて、よろよろと生きるなんて、やなこったと思った。」

その後、いろいろな検査を受けて、最後のマンモグラフィで乳がんらしいと分かった。
全身に癌細胞が広がっていたので手術はできなかったという。

「私はうそが下手な女なので、自分の病気を隠すことができない。
(中略)仕事をセーブする。この先、どうなるのかは私もわからないが、たとい、余命5年と言われても、三か月と言われても、たぶん、私は動揺しないと思う。その日まで、いつも通り、食事を作り、洗濯、掃除をして、そして作品を書いていればいいのだから。」

さらに
2015年1月発刊の 「明日のことは知らず」(髪結い伊三次捕り物余話)の 文庫のためのあとがき で
「・・・・・私の病状が悪化して、よれよれのぼろぼろになっても、どうぞ同情はご無用に。私は小説家として生きてきたことを心底誇りに思っているのであるから。」
最後に
デビュー20周年の宇江佐より

とある。

まさかこんなに早く訃報を聞くことになるとは・・・。

 「見上げた空の色」 のタイトルで北海道新聞に数多くの随筆を載せされた。
手元にそのスクラップがある。2008、9年頃の作品が多い。
改めて繰り広げてみて目を引いたのが
2011年11月1日付夕刊に載った「水晶体再建術」。
私が今受けたばかりの「白内障の手術」の体験談を書いたもの。


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台所の食卓テーブルで執筆するという庶民派でした。
作品の大半を読ませていただいたと思います。
髪結い伊三次と深川芸者お文(ぶん)を主人公にしたシリーズには本当に楽しませてもらいました。

もうその続きはないのは誠に残念。

いや、まだ手にしていない単行本があります。
10月に売り出されたばかりの「竃河岸」(へっつい かし)です。
近所の書店に取り寄せてもらっています。

最後の楽しみです。

ただ ただ ご冥福をお祈りします。
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by m-morio | 2015-11-21 14:26 | 日々雑感
両目の手術が無事終了した。
左目の術後、ほぼ1週間が経過。
具合は悪くない。
ただ、これまでは、裸眼でも新聞は読めた。
しかし、術後は一変した。
遠方は比較的よく見えるが、手元はダメだ。
即ち、従来とは真逆になったのだ。
これは些か困った。
(これまで使っていた)手元用の眼鏡を掛けて何とか新聞等は読める。
当然だか未だ眼鏡の調整はしていないのだから遠方用などはむしろ掛けないほうがよく見える。
眼鏡の調整は1か月程度の経過観察後との指示。

▼医院内に置かれているパンフにはどちらにするか(遠方重視か近方重視か)選択できると明記されている。
だが、事前に何の説明も問いかけもないままどんどん準備が進められていった。
完全な患者無視だ。
看護師が適当に選択結果を記入したのか?・・・と勘ぐりたくもなる。

宣伝文句は 「懇切丁寧な説明」・・・と謳っているのだが看板倒れ。

このクリニック(開院から3年ほど)は、看護師が行った検査結果を基に医師が最終診察をする。
検査に時間がかかるが、医師の診察は1分程度。
印象としては、流れ作業で、いかにスムーズに患者を捌くかに気を使っているように伺われる。

私のように病院慣れ(病院ズレ)している患者にとっては、とてもじゃないが“良いクリニック”とは言えない。

白内障の手術実績は年間300件を超すことが自慢のようだが、「医師と患者の対話」が殆どなく、患者の事情や希望を聞く姿勢がないクリニックはやはり及第点は与えられない。

▼では、なぜこのクリニックを選んだのか。
 要は、メガネ店の担当者の勧めに乗ってみたのだ。
私が抱える持病は市内の総合病院を利用している。 勿論眼科もある。

にもかかわらずこのクリニックにしたのは、近くて、通院に便利、技術は確からしいとの評判・・・による。
総合病院は遠い。車で40分。当然予約制。

今回の2回の手術では、2週間の内7日間の通院を要した。
このうちの何回かは瞳孔を開く目薬を入れられる。
とても車を運転しての通院は叶わない。

まあ、確かに技術的には問題なく終わったようである。
いろいろ文句はあるが今回は “良し” としよう。
ただ、では次に目が不具合になったとき、このクリニックの門をたたくのか。

今のところ何とも言えない。

本音は、“気持ちよく受診したい”のだ。

急を要する状態ならば行くことになるのかも?
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by m-morio | 2015-11-21 13:40 | 日々雑感
いよいよ手術当日。
まず右目から。

この日の被手術者は6人らしい。
順番としては私が最後。

気持ちを落ち着けるためという錠剤を1錠服用。
数種類の薬を点眼し待機。

順番が近づくと予備室で、血圧測定、抗生物質の点滴など手術の準備をして再び待機。

そして 手術!

要は濁った水晶体を取り除き、代わりに人工のレンズに置き換える手術だ。
10分程度で終了。

以後は翌日、翌々日、1週間後、2週間後、1か月後2か月後、3か月後の術後観察が続く。
この間一定期間は抗生剤と3種類の目薬を点眼することになる。

▼短時間で終わる手術なのであまり緊張することもないだろう。
気持ちを落ち着ける薬など要らないと思っていた。
しかし、いざ施術となると少し違った。
部屋には数人の看護師が待ち構えていた。
入室するとさっ・・と周りに集まってきて、それぞれの役割を果たしていく。
椅子に腰かけ仰向けにされ心電図などの機器がつながれ、準備完了。
強烈な光(手術用顕微鏡の照明)が右目に飛び込んでくる。
⇒この眩しさが問題!
眼に加える切り口は2~3㎜と小さく、出血は少量。

とにかく真っ直ぐ正面を見たまま目を動かすなという。
何故かしら首が少し横を向くらしい。
何度か注意を受けるが本人にその意識がないのでいかんともし難い。
・・医師の物言いがきつい!(―_―)!!
そんな注意を受けているうちに施術は終わった。
後は、入れたレンズがきちんとおさまるまで経過観察だ。

▼術後
 眼帯を付けて帰宅。
痛み止をもらうが使う必要なし。
当日・翌日は、入浴・洗顔・洗髪禁止。
また、当日と翌日は車の運転はできない。
瞳孔が開いているからだ。
翌日には眼帯は外され、飲み薬(抗生剤)と感染予防と術後の炎症を抑えるための目薬が3種類渡される。
1日4回の点眼だ。
翌日の視力検査では0.9まで上がっていた。
良く術後は眩しいぐらい明るく見えるといわれるが、確かに明るいが “眩しい” というほどではない。

▼人間の体は誠に精巧にできている。
この水晶体はカメラのレンズに相当するものだが、所謂 オートフォーカス機能の付いたズームレンズだ。  遠くを見れば遠方にピントが合うし、近くを見れば即時に焦点が合う。
ところが今回この水晶体のレンズ部分を取出し人工のレンズと交換するのだ。
それは「単焦点レンズ」に置き換えると考えれば良い。
いかに技術が進歩していても、オートフォーカスの人工レンズは開発されていないだろう。

物の本には、手術に先立って「遠方重視」もしくは「近方重視」のどちらにするかを選択できる、とあるが当院からは全く説明がないまま手術が行われた。
想像するところ「中間のレンズ」を入れたのだろう。

さあ、来週は左目だ。
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by m-morio | 2015-11-14 14:14 | 日々雑感
読書週間は終わったのだろうか)^o^(
  ここ数年体調が芳しからずの状態が続いた所為もあって暇に任せて本をよく読んでいる。
新刊、古本、図書館からの借用とさまざまだが少しずつ図書館通いが多くなっている。
便利になって、ネットで市内の図書館の在庫状況を照会できる仕組みが充実しているので居ながらにして希望を伝え、準備ができるとメールで知らせてくれる。

読む本は
時代小説、警察小説、推理小説、随筆、現代史の参考書と雑多だ。
検索対象の図書館の数は38か所ほどある。このほかに注文した書籍を受取、返却するだけの場所もあるのでその窓口がいくつかは確認していない。

私が日ごろ窓口として利用させてもらっているのは地区センターの一室・図書室である。
蔵書は少ないが、静かに読書し新聞を閲覧する場所としては誠に好都合な施設である。
なんといっても、散歩の途中で立ち寄ることができるのがいい。

先日、嬉しい驚きに遭遇した。
いつものようにネットで注文した本が届いたとの連絡をもらったので出かけた。
貸出券を名刺入れから出すのに手間取っていると、すっと対象の本がカウンターに出された。
何と、係の女性が名前を覚えてくれていたのである。
感激でした。 "いつもご利用頂いておりますので"・・・との言葉を添えて。

接客業とは言えない司書さんだが、
人に接する仕事の提要は、まず顔と名前を憶え、できることならその人の趣味嗜好まで承知することだ・・・と、大昔に教わったことを思い出した。

その日一日気持ちよく過ごすことができたことは言うまでもない。
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by m-morio | 2015-11-07 18:18 | 日々雑感