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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

カテゴリ:本( 49 )

時代小説を好んで読むようになったきっかけが何だったのかあまり記憶がありません。
すでに10年以上も前のことと思います。

この間、池波正太郎、藤沢周平、司馬遼太郎、柴田錬三郎を手始めに、今売り出し中の山本一力、宇江佐真理、佐伯泰英、上田秀人、葉室燐へと手を広げ、最近では田牧大和、伊東潤、犬飼六岐にまでその対象を広げつつあります。
多くの作家がほぼ「時代小説」作家としてその地位を確立しているのですが、時には意外な人が現れます。(現れるといっても、時代小説など書かないだろうと一方的に思い込んでいたに過ぎないのですが・・・・)
森村誠一、幸田真音などがその代表格。

二冊の本を手に入れました。

「桜田門外の変」(新潮文庫 上・下)(吉村昭著)

「あきんど」(文春文庫 上・下 幸田真音著)f0020352_15491773.jpg
です。
前者は、ご存知の江戸城門外での大老井伊直弼暗殺事件です。
幕末のわが国に大きな転機をもたらしたといわれるあの事件を井伊直弼側からではなく、
襲撃した水戸藩の目を通してこの時代の推移をたどるというものらしい。(未だ、積読状態なので。。)

一方の幸田真音の作品は、初めて手にしました。
日曜日のニュース番組に出演しているので顔は承知していました。
しかし、名前を「コウダ マイン」と読むとは・・・。「マオン」とばかり!(^^)!

作者は、証券会社勤務の経験から、経済小説を得意としている作家との認識があり、あまり読む機会がありませんでした。
ところがこの「あきんど」は経済小説といえるのかもしれませんが、その時代は江戸末期を舞台にした時代小説でした。

呉服古着商 絹屋 の主人・絹屋半兵衛のサクセス物語となるのか・・・・。
まだ「上」を読み終わったばかりで、この先の展開が読めません。

粗筋はともかくとして、この本と前者の「桜田門外ノ変」とは意外な共通点がありました。

偶然です。

話の舞台は近江の国彦根。
あの井伊直弼の国元。
幼名鉄之介、長じて鉄三郎を名乗り、後に、藩主直亮(なおあき)の世子直元の死に伴い、
兄直亮の養子という形で彦根藩の後継に決定する。

直弼は、側室の子として生まれた経緯から、養子の口もなく17歳から32歳までの間、
3百表の捨扶持の部屋住みを過ごした。
この頃に半兵衛との知遇を得ることとなる。


・・・・・・

現代史の次の開講は7月です。読書会も5月はお休み。

ということで、しばらくは時代小説を楽しむつもりです。
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by m-morio | 2012-05-11 15:52 | | Comments(0)
面白いというか変わったというか、世の中にはめずらしい職業があるものだ。
といっても、江戸時代の話ですが。

火事と喧嘩は江戸の華・・と下々では自嘲的に言われたが、当時は”火事”には神経質だったし、火付けは大罪だった。
火消しは一番乗りを競い、その威勢のよさを生きがいにした。
火事の後には一つの仕事を作り出す。「火事場始末御用」という後片付け仕事だ。
焼け爛れた資材を整理・整地し大工へと引き継ぐ。
まあ、こんなのはごく分かりやすい例。

面白い役職があるのは閉鎖社会の象徴である江戸城内。

将軍の周囲に注目してみると・・・・・・

「お花畑番」・・・・
将軍の嫡子の遊び相手を役務とする。将来の将軍位を継ぐ子供の相手をするほぼ同年代の者が選ばれる。
当然、将来の出世が約束される。

「小納戸役」・・・・
将軍の身の回りの世話をする。ありとあらゆる細かなことを担当するので、その係りも多岐にわたる。

その一つに「月代御髪(さかやき おぐし)」がある。
別名「お髷番(まげばん)」といわれる。
注)月代=さかやき・・・・頭髪を、前額側から頭頂部にかけて半月形に、抜き、または剃り落としたもの。

その仕事は、文字通り将軍の”お頭(つむり)”のお世話である。

典医(医師)でさえ、将軍の脈を取る際は、直接肌に接することを禁じられ、「糸脈」といって、絹の糸を将軍の手首に巻き、その端で測るという所作が行われていた時代に、恐れ多くも”御頭”に触るのである。

毎朝決まった行事が繰り返される。
「お漱ぎ(すすぎ)」を・・・と大振りの椀と塩、房楊枝が将軍の前に置かれる
「お袖を」と・・・小姓が後ろから将軍の袖を支え、洗顔が行われる
洗顔後、厠(かわや)をすませ、月代御髪係の出番になる。

作業は 「お頭(つむり)にご無礼をいたしまする」 との口上ではじまる。
髭剃りから髪結いまで、毎朝行われる。
それもせいぜい半刻(1時間)程で終わる。
朝だけしか仕事がない。後は何もすることがない。

当然、剃刀を扱う。

将軍の身体に唯一刃物を当てることができる役目だ。

将軍の命を狙おうとするならば、この役目ほど適任?は無いのかも・・・・。

人選には神経を使うが、出世のために・・・、
あるいは、将軍の命を狙う謀略に利用せんと画策する者も現れる。

この辺りを取り上げた小説が書店の店頭に並んでいる。
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by m-morio | 2010-10-06 13:13 | | Comments(0)
・・・といっても野球やサッカーのことではありません。

久しぶりに紀伊国屋書店まで足を運びました。
特に目的があったわけではありません。
広い店内をサーッと一巡りしてみましたが、新刊書では直ぐに買い求めようという気の引くものはありませんでした。

私は何種類かのシリーズで発行される小説を読んでいますので、そのうちのどれかの新刊がでていないか一巡りするのです。

この“シリーズ“というのは本当に曲者です。
一度手にしたらほとんどの場合抜けられなくなります。
まさに出版社の思う壺なのでしょうね。   池波正太郎のシリーズ物はその典型でした。

今、海堂尊、堂場瞬一、佐伯泰英、下田秀人らの作家のシリーズ物に拉致されてしまった感じです。
宇江佐真理、山本一力、佐々木譲なども好きですがほどほどにしませんと・・近現代史の支障をきたしますので。

海堂尊は、あの「チームバチスタの栄光」以来ファンになってしまいました。
作品はシリーズというには少し他の作家のものと様相が異なりますが、作品の登場人物などは全て関連性をもっていますので単独では経緯がつかめず興味半減となりかねません。

堂場瞬一は、警視庁物を文字通りシリーズでだしています。既に8巻(7巻だったかな?)で完結したものもありますが、最近は新たなシリーズの初刊が出てきました。
さぁ、どうしょう・・とややしばらく考えてしまいました。
好きな作家でもあるし、まったく無視もできない。
かといって、一度手にすると際限なくその範囲が拡大していきそう。。。。
出版社もまったく罪なことをしてくれる・・・と内心ブツブツです。
でも、結局は誘惑に負けて購入する羽目になってしまいました。

下田秀人は、文庫本書下ろし時代小説第一位にも挙げられた作家です。(なんで佐伯泰英しゃないんだよ~とご立腹の方が多いとも聞きますが・・)
この作家の作品にも手を出したら大変なことになるのは目に見えていました。
既に相当数の作品を世に出していますので・・・。f0020352_19411969.jpg
その禁を破って手にしたのが「奥右筆秘帳」シリーズです。案の定面白いです。
もう6巻目が最近出版されました。
次の巻を待ちきれずに既刊の別のシリーズにも手を出してしまいました。

作家によっては、既に33巻にも達している作品があります。
現在続いていて私が愛読しているこの作家のシリーズは、合計93巻にもなっています。
あ~あ!! 先行きどんなことになるのでしょう。
ひとつだけ文句をいいますと、33巻にもなりますと、多少冗長に流れていないかなぁ・・と感じています。
話の内容とその時代背景から推し量ってみましても今後さほど長くは続かないだろうと推測していますが、これがあと10巻も続くようではその作品の質を落としかねないと思いますよ。ほどほどのところでビシッと締めて欲しいんです。

このブログを読んでいただいている皆さんは・・・

おいっ!「勝海舟」はどうした?とお叱りをうけそうです。

ご心配なく(~o~) そちらも頑張っておりまして分厚い(1冊600ページを超えます)文庫本6巻シリーズの最終巻「明治新政」に手がかかりました。
シリーズ日本近現代史「幕末・維新」も平行して読み進んでおります。
この辺のことにつきましては「井蛙のつぶやき」で近々お目にかかりましょう。
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by m-morio | 2010-08-02 19:48 | | Comments(0)
「(世界の)現代史」に眼を向け、さらに(遅ればせながら)「日本の近現代史」を紐解いていこうと、今その助走路にいる。
大学の教授が書く書物を参考書(岩波新書10冊)にしようとしているのだが、多少の取っ付き難さから、まず“小説”から入ろうと数冊の本に眼を通している。

さらには、もっと身近な我が「北海道」も知っておかねばならないのである。
物事の順序からすると逆行しているのかも知れない。
北海道を知るにはその参考書は山ほどある。
「北海道を知る100冊」「続北海道を知る100冊」などがある。
書店の棚には「北海道の本」がどっさりと展示されている。

私に残された人生が如何ほどなのかは神のみぞ知る・・・いや神や仏もご存知あるまい。
かといって、急ぐことは無い。
万一、志半ばにして・・・・ということになっても、それが私の人生であろう。

そんな日々のなかでも近現代史とは無関係に 時代小説 も 楽しんでいる。

突然だが、北海道出身の作家は多い。
直木賞作家は、佐々木譲はまだ記憶に新しいが。京極夏彦もいるし、女性では藤堂志津子がいる。

道産子作家としては、身近な(?)人がいる。私の大好きな宇江佐 真理(うえざ まり)である。
彼女は、生粋の道産子。函館に住み、主婦業のかたわら時代小説を書いている。
デビーューは45歳。1995年に「幻の声」(「髪結い伊左次捕物余話」でオール読物新人賞を受賞した。
その後、旺盛な生産力(?)で多くの作品を世に出し、しかもその一つ一つに駄作がない(・・と私は思う)。

宇江佐真理は、ますます藤沢周平に似てきた・・・・ともいわれる。
本人も
藤沢さんの作品が大好きです。藤沢さんが描く人間の生き方は、時代小説でありながら、現代の人たちにも通じるんです。この人がいらっしやらなかったら、私は時代小説を書いていなかったかも知れませんね。」
と語っている。

これまで6回、直木賞候補となっている当代一級の書き手であり、近い将来受賞の報が届くのではないかと密かに期待している。

作品のひとつに「雷桜」(らいおう)(造語である)というのがある。
髪結い伊左次シリーズや江戸下町の人情話とはまったく違う場所、人物、ストーリーの設定である。

雷桜は、銀杏の樹に雷が落ちて幹が折れ、そこに桜の種が芽をつけたもののことである。
鮮やかな人と人とのふれあい、人と自然のふれあいのすばらしさを提供してくれる。
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「雷桜」の映画化の話は4年ほど前からあったという。
しかし、作家は「はいはい、お任せしますから、よろしいように・・・」といい加減に応えていたら実現してしまったとのこと。
この手の話は、1年に1,2度は舞い込むけれども、ほとんどが計画倒れに終わってしまうらしい。
「いちいち本気にしていたらばかをみる」(作家)ということだったが、今回だけはそうではなかった。

撮影が進むなか、原作者に一度ぐらい見学して欲しいという制作側からの要望もあって撮影現場の沖縄へ・・・・。
注)小説では、その場所を明確にはしていない。読者の想像に委ねられている。
沖縄市の今帰仁村(なきじんそん)の山奥の現場に足を運んだ。
森の中に満開の桜が咲く様は、作り物とはいえ美しかったそうである。
その樹の”作品”は、中に鉄骨をいれ、周りをモルタルで肉付けし、桜は絹で丁寧に作られていた。
この苦労して作ったであろう桜も、ロケが終わると“産業廃棄物”扱いで処分されるのだとか。

既に撮影もクランクアップして今秋には私たちにお披露目されるらしい。

私自身、小説のテレビ化、映画化されたものをあまり見ない。(「篤姫」しかり、「竜馬」も)
意固地になっているわけではない。小説でのイメージと映像との落差に驚かされるからである。
(どちらが良いということではないが・・・・私が妄想で美化しすぎるのかも。
蛇足だが、「竜馬」に関する小説はまったく読んでいない。今のところ、興味をそそられないだけのことであって、今後近現代史の中で登場するだろう。
手にする機会があるのか・・・・・そのとき私の胸にどのようなインパクトを与えてくれるかによる。)

しかし、この「雷桜」はなんとなく心躍るのである。宇江佐 真理ファンだからであろう。

もう一人蜂谷涼(はちや りょう)。小樽在住の女流作家で、明治初期を背景にした作品を出している話題の人である。f0020352_203994.jpg
作品「てけれっつのぱ」が劇団・文化座によって東京で上演されたのが2008年10月。
11日間の上演は連日満員だったとか。その後全国公演が次々と決まったうえに、全国公演に先駆けトルコ国内での上演が決まった。その公演は5月に予定されていたので今頃は日本に戻っているのかも。道内の公演は来年2月に予定されている。

もちろん北海道に居を構え、作家活動をしている人は多いのだろう。
時代・歴史小説を主に眼を向けているので視野が狭い。

道産子の活躍を期待して止まない。
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by m-morio | 2010-06-03 20:14 | | Comments(0)
◇「時代小説」を好んで読んでいることを過去のブログでご披露しました。
どちらかというと江戸・下町の人情話が好きです。
そのお陰で何となく(?)江戸時代の庶民の日常生活を通して当時の世の移り変わりを漠然と理解している
・・・というとんでもない錯覚に陥り、妄想を抱いています。

小説というものは「作り話」です。
どこまでが事実なのかわからなくなることもしばしばです。

ノンフィクションの時代小説というものはあるのでしょうか。
吉村昭著「大黒屋光太夫」などはこの部類にはいるのかも!?

最近の心境・・・
いつまで“外国”の歴史にばかり執着しているんだ・・・
と自問しています。
そろそろ「日本の現代史」に取り組んでみようかなという気持ちが日々強くなっています。

そんな意識で書店をぐるぐる回っていて、立派な教材(参考書)が見つかりました。
エラ~い大学の先生達が執筆されていますので少々とっつきづらさがあります。

「シリーズ日本近現代史」(岩波新書)です。
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2006年に第1巻が発行され、先般、シリーズ10巻目「日本の近現代史をどう見るか」が出版されました。これが最終です。

このシリーズは、
幕末・維新、憲法、日清・日露戦争、大正デモクラシー、満州事変・日中戦争、太平洋戦争、占領、高度成長、ポスト戦後
と時の流れに沿って書かれているようです。

取りあえず、第10巻を手に入れました。

「はしがき」に
「近代の幕開けを告げた開国から150年余、
日本は何を求め、どのような歩みをすすめてきたのでしょうか。
21世紀の日本は、いかなる歴史的な文脈を抱え、これからどこへ行こうとしているのでしょうか。
そして私たちの一人一人は、日本社会の歴史にどう関わっていけばよいのでしょうか。
こうした問題を考えるためにスタートした「シリーズ日本近現代史」は・・・・」
とあります。

世界情勢の動きに注目しながらも、そろそろ日本の近現代の歴史にその意識を向ける時期がきたような気がしております。

10冊の新書を読むだけでも大変な時間と根気が必要なのでしょう。

取り組みますと、何らかの区切りをつけられるまでに1年では無理なような気がします。

いつから取り掛かるか・・は未だ決めていません。

只今70歳、物忘れも日々進行しているような気がしています。
残された時間は多くはありません。
呆けが進むのを少しでも遅らせるためにも早いほうが良いのかも知れません。

「(世界の)現代史」と「日本の近現代史」を並行して学ぶのはちょっとしんどいかなぁ。

直ぐにでも始めなければ、時間切れということにもなりかねません。(~o~)
「現代史」のようにブログ上で整理するか(できるか)も全く見当もつきません。

取りあえず、
最終の第10巻を手元に置いています。今のところ「積読」です。

この本は、シリーズの「総まとめ」の位置づけなのでしょうが、「導入書」として活用できそう・・・です。

身体のほうが、思うように動かなくなりました。

書物を手にしたり、PCの前に座る時間が長くなり、視力も落ちてきました。

写真を撮る時間が少なくなりましたので、その余裕を当てましょうか。

いつものように、

ボチボチと、

気の向くままに、

ゆっくり歩んでいくことにします。
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by m-morio | 2010-04-15 13:45 | | Comments(0)
というか “処分” と言い換えるべきかも・・・。

狭いマンションの一室の隅っこに鎮座している本箱が満杯です。
残しておかなければならないという本はありません。
どうでも良い本ばかりなのですが、なんとなく溜めてしまって、溢れんばかりに詰め込んだ結果、本箱は悲鳴を上げています。机の周りにも“積んどく”の残骸です。

なんとかしなければ・・と思いつつもとうとうこの日まで引き伸ばしてきました。
実は、市民カレッジの参考書も溜まってきたことやら、受講の都度1冊のファイルが出来ていきますのでその保管場所にも困っています。

暫く、体調がイマイチだったこともあるのですが、そちらの方はあの“劇薬”で小康を保っていて、多少“ハイ”な気分ですよ。
なんだか、スポーツ選手の薬物使用の気持ちが少し分かるような気がしています。
通院は、2ヵ月毎が、2週間毎に短縮されていまして、頻繁に病院通いをしているため、先々の予定が立てられないというのが現状です。特に、旅行など・・・はです。
一時的に増量した「薬」も減量過程に入りましたが、通院が2ヶ月間隔に戻るには暫く時間がかかりそうです。

脱線しました。

本のことでした。f0020352_14395092.jpg

◇・・・ということで今、少しずつ“処分”を始めました。
そうです、古本屋さんへ持っていくのです。
わが家の近くに3軒の古本屋さんがあったのですが、昨年1軒が閉店しましたので今は2件。
折角、“売る”のですから、少しでも高く!と考えるのが人情。
そこで、まず文庫本60冊を同数に分けて1軒目を訪問しました。
過去の経験からこの程度のものならこれくらいとの胸算用がありました。
係りの若いお嬢さん曰く「410円」ですが、よろしいでしょうか? 心の中では えっ! と驚きもしましたが、いまさらやめたとも言えず うなづく。

次に、もう1軒へ。同じように30冊を預けました。
1860円で、ほぼ妥当な金額ではありました。
この差はなんだろう?
以後、初めの店には出向きません。
経済学的にも「お金や商品は高きに流れるもの」なのです。
まぁ、みみっちい話ではありますが。 塵も積もれば。。。

◇今、あるシリーズで買い揃えたものを読み返しているのですが
整理の作業中に、もう一度読んでみようかという気にさせる本が出てきました。
中をパラパラとめくって見ますと、これが「字が小さい」(文庫本)ため少々躊躇します。色もあせていますので本屋さんが引き取ってくれるかどうかも怪しい代物です。
この年になると、活字の小さい古い文庫本は敬遠します。最近のものは、随分読みやすくなって嬉しい限りですが。

さて、どうしたものか?その一冊で手が止まってしまいました。
「高層の死角」森村誠一著 ・・・第15回江戸川乱歩賞受賞作品(昭和44年)
裏表紙に「空前の二重密室トリック」を使った・・・とあります。
もう、その筋書きも、トリックのことも全く記憶にありません。
新装版を購入しようかなぁ・・とも考えます。ちなみに、手元にある文庫本は定価340円。
新装版は恐らくこの倍はしましょうね。
値段はどうでもいいのですが・・。この一冊の処遇に悩んでいます。

そんな日々を過ごしながら、少し本箱にゆとりが出始めました。
もっともっと処分してスペースを確保しなければ、身辺の整理ができません。

・・・にも拘わらず、
今日も1冊の本をゲットしてきてしまいました。
「マドンナ・ヴェルデ」海堂尊の最新本です。
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by m-morio | 2010-04-01 14:47 | | Comments(0)
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海堂 尊(たける)にはまっている。
誰?って・・・
「チーム・バチスタの栄光」で一躍脚光を浴びた医師と作家の顔をもつ人物である。

数年前に発刊された(2006年2月刊行)この本をひょんなことがきっかけで手にして、はまり込んでしまった。
「チーム・・・・」は、
バチスタ手術を行うスペシャル外科医チームの内部で患者の不審死が続き、それを内部の医師が探偵役で調査するミステリー小説である。

著者は医師ではあるが、現在は外科医ではなく(一時期外科医を経験してはいるが)、病理医を生業としている。

この小説は、須磨久善という一人の外科医に惹かれて書いた作品なので、
素人目には、書くにあたって、
「バチスタ手術」の資料を漁り、
現場を取材するなどして
その詳細を念頭に書き進めるものではないだろうか・・・
と考えたが、
著者が医者であるということもあるのであろうが、

その須磨久善に会うこともなく
またバチスタ手術に携わる先生たちにも面談せず
「バチスタ手術」に関する資料を紐解くことも殆どせず

物語を書き上げてしまった
・・というのである。

読了後知ったのだが、この須磨久善をNHKが2001年に「プロジエクトX」取り上げていた。
「奇跡の心臓手術に挑む」~天才外科医の挑戦~とのタイトルで。。。
そのDVDを見たくて図書館に足を運んだ。

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by m-morio | 2009-12-07 15:23 | | Comments(0)
(客を税務署員かとの懸念を持った亭主が)

「商社ねぇ。貿易戦争とか何とかで、この先大変でしょうね。自動車なんかだって、向こうが本気でわっと入ってきたら、イチコロだっていうじゃねえですか」

「規模がちがうからな。いま日本で一番売れてる車種だって、月産5千台まで行っていない。ところが向こうは万単位、多いのは10万単位だ」

「それじゃ、とても勝負になりませんねぇ」

「それを勝負しなくちゃいかんから、たいへんなんだよ」


「官僚たちの夏」(城山三郎著 昭和55年11月初版)f0020352_11204827.jpg
の商社員を装った通産省(当時の「通商産業省」。2001年1月の中央省庁再編で現在は「経済産業省」)の役人と居酒屋の亭主との会話。

最近、NHKでドラマ化され放映された・・・・が私は観ていない。
大河ドラマもそうなのだが、画像が綺麗すぎたり(特に時代物ではもっと泥臭い映像が好ましい)、役者に美男美女を使うのも気に入らない(笑)。
映像を観ていないから、配役さえもわからない。でも、原作には興味を覚えたので読んでみた。

主人公が極め付きの個性的人物で、取り巻き連も面白く設定されていた。(・・といっても、実話をフィクション風に扱われているから、実在する実物)

物語の背景は、
戦後の高度経済成長の過程における(当時の)通商産業省の役人が法案化しようと画策した「指定産業振興法」を巡る確執が描かれている。

 この物語は、「特定産業振興臨時措置法」をベースにしたもののようである。
この法案は、1963年(昭和38年)から1964年(昭和39年)にかけて内閣が国会に3回にわたって提出した法案で、いずれも審議未了で廃案になった。

 欧米の企業規模の拡大に対抗するためには何時までも保護貿易主義では太刀打ちできない。
国内の企業規模の大型化は必死の情勢に鑑み官民一体で取り組まねばならない
・・・との発想から出たものではあったが。。。。

 貿易の自由化という外資参入の危機感から、通産省企業局が立案し、同局課長らと共に推し進めた「国内産業向けの合理化構想」の法案であった。

1962年(昭和37年)、フランスを手本にして提唱した。
(小説では、キァリア組にもかかわらず志願して特許庁の課長に身を置き、フランス語の夜学に通う牧順三が、やはり希望してフランスへと渡り、勉強の成果をもとに法案の準備に奔走する設定になっている)

フランスの手本は
「企業の大規模化のためには、民間だけに任せたのではダメで、政府が権力を持たずに民間と平等の立場で参加する、との官民協調の推進策」であった。

 経団連会長は「形を変えた官僚統制」として反対などもあって具体化しなかった。
この法案は、通産省、金融界、産業界の三者の協調による経済体制を目指したものであったが、野党、業界、全銀協などが反対の立場をとった。

また、この法案を巡って通産省内での対立もあった。
これらの省内での確執や業界の説得の様子はこの「官僚たちの夏」で巧みに描かれている。


日本は、その後国内の事情にかかわらず否応なしに国際競争の波に巻き込まれ貿易自由化へと急速に突き進んでいった。
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by m-morio | 2009-11-01 11:26 | | Comments(0)
ある作家の少し長めの随筆を読みました。

面白い話が載っていましたのでご披露します。
この随筆は400字詰め原稿用紙20枚程度あります。かいつまんで転載しす。

お節介ですが、わざわざこの一文のために文庫本といえども買い求めるのも煩わしいでしょうから。。。。。

この著者はほぼ毎日ランニングをし、時折、フルマラソンにも出場するといいます。
著者が、マラソンなどに”出場する立場から”日本とアメリカのマラソン(5,10キロレースを含む)を比較しています。
時代は少し古く、1991年から約2年半にわたってニュージャージー州プリンストンに住んだころの話なのでこの辺をご理解のうえ読んでいただきたい。
多少、表現が原文と異なる箇所がありますが、著者の趣旨には副ったつもりです。

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by m-morio | 2009-06-10 09:21 | | Comments(0)
何ぞや!? と 問いかけているのか・・・
はたまた、夫婦・親子・竹馬の情を語ろうとしているか・・・
読み手に委ねられているのであろうか。。。

妻しづ、長男嘉一郎、長女みつを郷里に残して 主人公吉村貫一郎は、尊王譲位に邁進すると称して南部藩を脱藩し新撰組隊士となった。
しかし、その内実は生活苦からの脱出であった。二駄二人扶持ではあったが、剣術の腕前は免許持ちの腕前で、上司の子供達を指導する立場にあり、読み書きも達者で助教を勤めていたがこちらの方は無給であった。
妻や子供たちにはひもじい思いをさせたくないとの一心からの脱藩であった。
守銭奴と呼ばれながらも、願いは、少しでも多くのお金を、故郷に残してきた妻と子どもたちのもとへ送り届けることであった。

「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれた新撰組にあってただひとり「義」をつらぬいた主人公吉村貫一郎の姿を、明治維新から半世紀を経た時期に、一人の新聞記者が、主人公を知る人たちを訪ね、聞き書きをするという構成で書き表していく。

嘉一郎の無念の死、みつはかつての幼馴染大野次郎右衛門の子息(医師)に妻として迎えられた、そして村を離れるときには未だ産声を上げていなかった貫一郎(しづが父親と同じ名をつけた)東京帝国大学の教授となり、「稲」の研究に没頭し故郷に錦を飾る。

主人公貫一郎を知る人たちの回想の間に、貫一郎の独白が南部方言ではさまれ、愛してやまない故郷盛岡の情景が語られる。方言や町の雰囲気などが生き生きと描かれている。

壬生寺 は 今の京都中京区にある。

年末に読んだ

『壬生義士伝(みぶ ぎしでん)』は、直木賞受賞作家 浅田次郎 の作品。
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by m-morio | 2009-01-04 15:53 | | Comments(0)