ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

<   2006年 06月 ( 18 )   > この月の画像一覧

f0020352_1356933.jpg

今朝の朝刊にこのような記事が掲載されました。
チベットの話題が新聞に載るのは久しぶりのような気がします。

鉄道敷設側は、「チベット自治区の経済発展に大きく貢献する」「生態系への影響はない」と断言している。 
                   影響が無い訳がないでしょう
・・と私が声を大にしても どうにかなる問題ではありませんが。
どこかの国でも似たようなことはありますから。

記事に
「中国政府には、自治区の経済振興や人的交流の活発化によって民俗融合を図り、根強い独立運動を押さえ込む狙いがある」
・・・と記しています。

記事にあるように確かに抵抗運動を押さえ込もうとする意図はミエミエです。
”独立運動”という表現がありますが、既に独立には拘っていないようなんですが・・・
先日「チベット」で触れましたように、私には「民族浄化」が更に前進してしまうのか・・・と感じられてなりません。


チベット民族 はどうなっていくのだろう・・・
[PR]
by m-morio | 2006-06-30 14:11 | 中国のこと | Comments(0)
今日は久々の好天。
明日から7月・・・今年ももう半分終わってしまいます。

・・・ということで スキン を変えてみました。

■ 宮丘公園は、散策路の両端にうっそうと野草が繁っていて歩きにくいんです。
   この写真は散策路ではありません。公園の中ですが・・・
   狭い散策路もこんな感じですね。
f0020352_13135676.jpg

残念なことに 色づくのを心待ちにしていた あの ノビネチドリ が無くなっているんですよ。
  盗掘?  一株しか見あたらなかったので もう この場所ではダメかもしれません。
悲しい限りです。

  その変わりというわけでもないのですが、今まで見落としていた フタリシズカ が目に付きました。
f0020352_1314985.jpg


■ このBlogに初めから貼り付けている バラの写真 は? と気になっていらっしゃる方がいる様子なので一言。
この写真は想い出の写真です。丁度10年前元職場を退職し、転職した頃 写真でもやってみようか と思い立ち あの ちざきばら園 で撮り、某写真コンテストに応募して佳作入選したものなんです。 嬉しかったですねぇ。 コンテストへの応募すら初めてでしたから・・・

主催者が新宿の某所に1週間展示してくれました。 
これを機会に、もっと精進していたら今頃は立派な?アマチュアになっていただろうに・・・
この直後に持病が発症し、箸にも棒にもかからない・・・という現状にあります。

と言う訳で なかなか外せない一枚でございます。
[PR]
by m-morio | 2006-06-30 13:24 | 日々雑感 | Comments(0)
たっくん と話をしていてときどき ドキッ とすることがあります。

先日も封書が届いたのでお礼の電話をして少しお話をしたときのこと・・・ 

”たっくん お手紙届いたよ ありがとう” 

と言ったら かえってきた言葉が 

この
          "とんでもこせざいません"
でした。

えっ これには驚かされましたねぇ。
普段、身近にこの年頃の子どもがいないので最近の子供達がどんな言葉づかいをしているのか殆ど承知していません。
4歳の子がこういう言葉を発することに驚きでしたね。
男の子なのでさほどぺらぺらお喋りするほうではありませんが、近頃ちょっと口数が少なくなったようにも思います。
この日は、 中学生の男の子との会話 の雰囲気でした。

もう一つ
この子が面白いのは

(お母さんによると)
この封書は、たっくん が 

絵を描き 
それを封筒に入れ 
糊付けし 
切手を貼って 

後は、お母さんが じいじ と ばあば の住所を書いて送って・・・といったものらしい。
(お母さんは 内容は 分からなかったんだそうだ・・・絵だったんですかぁ と言っていた)

因みに 
絵は 保育園での様子で、
切手は、私が京都へ行った際に渡した一寸綺麗なものを覚えていて張ってよこしたものでした。
[PR]
by m-morio | 2006-06-29 08:50 | たっくん | Comments(0)
久しぶりに映画を・・・・観ました。
そのストーリーに魅かれて・・ではありません。"チベット"の文字に魅かれました。
「ココシリ」です。
中国青海省のチベット高原のココシリにチベットカモシカが生息していますが、そのカモシカが乱獲によって100万頭から1万頭に激減し絶滅の危機に瀕しています。
密猟者を取り締まるパトロール隊の活動を実話に基づいて描いた作品です。

まぁそれはそれとしまして・・
期待した一つ
チベット高原の美しさをみられるだろうという期待は違わずその険峻な山並みは素晴らしかったですね。
欲を言うならば、チベットカモシカの生態もみたかったのですがチラッと出てきただけでした。
次に
チベットの現在の生活ぶりの一端でも垣間見ることができないか・・という気持ちで観ていましたが、この点では期待はずれでした。

チベット(Tibet)で少し触れましたようにチベットでは環境破壊も懸念されています。
この破壊には動植物の絶滅という側面もあります。
この映画はその一端を鋭く突いて世界に警鐘を発しています。
ただ、中国映画です。
密猟者はチベット人を設定していますが、実際は漢民族や諸外国からも・・・ということを暗示しているように思われます。
いまでは、この事実を契機に殆どの全世界でチベットカモシカの皮の売買は禁止されていると言います。
[PR]
by m-morio | 2006-06-28 20:31 | 市民カレッジ | Comments(0)
f0020352_1531416.jpg

チベットについて記すに当たって:
1 「チベット」は、英語表記==Tibetのカタカナ表示です。(チベット語のローマ字表記ではbod(プー)、中国語表記では 土伯特 です) 
2 チベットは今、中国の支配下にあり、・チベット自治区・青海省・他3つ省内の居住区に分割されています。(右図参照)
更に、ダライ・ラマ率いる「亡命政府」=中央チベット行政府とは区別され、「チベット本土」あるいは「中国領チベット」と表現されることもあります。また、狭義には、チベットを「チベット自治区」を指す場合もあります。
なお、亡命政府はインドの「ダラムサラ」(図の左側上部)にあります。
人口は、600万人で、うち209万人が「チベット自治区」に住んでいます。
3 チベット民族は、中華人民共和国(中国)、ブータン、インド、ネパールに分布しています。
従って、拙稿では、チベット、チベット人、チベット民族 という表現を使い分けします。

また、お断りしておかねばならないのは
本稿は、講義をベースに、自分なりに目を通した書籍を元に「整理」しておくという趣旨のもので、論文ではありません。
「聴講の記録」とでも受けとめてください。多少の感想めいたことも書くでしょうが・・・。 
なお、もし興味を持って読んでいただくうちに内容に事実に反することがございましたらご指摘頂ければ幸いです。
さらに、大国中国と対峙する少数民族を採り上げますので、ともすれば弱者に肩入れした記載があることをご理解ください。
(注)今後、チベット情勢に変化が生じた際には追記することも念頭においております。

「チベット」  
まず、皆さんはチベットというと何を連想されるでしょうか。
私は、「ダライ・ラマ」「ヒマラヤ山脈」「少数民族」」程度ですが・・・。
そのチベットでは何が起きているのでしょうか?

「歴史的経過」
チベットはかっては一つの独立した国家でした。しかし、「もともとは中国だった」という強引な理屈と軍事力による脅しによって中国の一部にさせられてしまいました。
1951年チベットは中国と「17条協定」というのを強制的に結ばされ、名実ともに中国の一部となったのです。
こうしてチベット文化はその大半を中国に組み込まれ、国内事情のために行政単位に分割されました。チベット文化圏で現在も独立しているのはわずかブータン一国となっています。
さて、この「17条協定」ですが、この協定の内容は全く守られませんでした。
当時、中国は共産主義による急速な「民主改革」を進めていましたが、協定では「チベットには改革を強制しない」と約束していました。
しかし、中国はチベットに銃口を向け、仏教国であったチベットの僧院を破壊、僧侶を還俗させ、経典を焼き、仏像を持ち去って溶かし、さらに僧院を中心にした社会の仕組みを壊し、チベット人の土地を勝手に分配し、遊牧民から放牧地を取り上げ定住させようとしました。大量の軍隊を送り込んで求められてもいない「改革」を無理やり進めたのです。

穏やかな仏教徒であるチベット人の反中国の抵抗運動が、中国に近い東チベットで起きました。数では太刀打ちできないチベット人は山間にたてこもりゲリラ戦を展開するしかありませんでした。
1959年ラサで大規模な反乱を起こし中国軍に鎮圧されダライ・ラマ14世はインドへと亡命することになります。
その後、中国は中央チベットに「チベット自治区」をつくり着々とその支配を進めていきます。しかし、チベット人の抵抗は根強く、中国に従わないものは投獄されたり殺されたりしました。
60年代から70年代には、更に進んで「文化大革命」が推し進められ、チベット風の伝統は全て否定され僧院も破壊されていきました。こうした「民主革命「文化大革命」を通して、拷問、戦闘、飢えのため死亡したチベット人は120万人にのぼったといわれています。
80年代に入りますと、中国はこれまでの政策の失敗を反省しチベット文化の見直しや宗教の復活などを許すようになり一時期活気を取り戻しますが、チベット人が再び反中国やチベット独立を訴え始めると、中国は再び力で抑えにかかりました。抗議行動は次第に大規模になり、ラサに戒厳令が出されるなどしましたが戒厳令解除後も反中国的な行動への強攻策は今も変わっていないといわれています。

「環境破壊」
も進んでいるようです。
チベット高原が広いのを良いことに、核実験場を作ったり、核廃棄物・産業廃棄物の捨て場所にし、鉄道を敷いて鉱物資源を持ち去り、貴重な野生動物を乱獲しています。森林の乱伐も懸念されています。

「チベット民族」
では、こうした現状を受け入れざるを得なくなったのは全て中国が悪者なのでしょうか。
チベット高原の雄大な自然、ヒマラヤの美しくも険しい雪山の様子、仏教僧院、祈りを繰り返す信心深いチベットの人々、これらの印象はチベットを外から眺めるだけの私たちにとっては、彼らがいま「戦っている」のだということあるいは文化や民族そのものが絶滅の危機にさらされていることを忘れさせてしまいます。
チベット人たちは「祖国を失い」今日まで600万人のチベット人は自由を求めて「戦っている」のです。「非暴力」という手段で・・・。
この戦いは既に50年弱の長きにわたっているがために、チベット人の中には"疲れ"があるのも事実でしょう。

中国に侵略されて以来、国を失うことによって過去を振り返り、チベット人としての主体性を持った自由に基づいた仏教王国チベット像をやっと描くことができたのかも知れません。
過去のチベット人は、豊かな仏教文化を持ってはいましたが、一方で近代文明には背を向けてきたようです。
たとえば、外国語を学ぶと言うことはチベット文化の退廃を意味する・・・と受け止めていたのです。
ちょつと厳しい見方をするならば、
過去のチベット人たちのこの怠慢こそが現在の状況を生み出した最大の原因だ
・・といえるのかもしれません。

では、「自由」を求めるといいますが 具体的には何を求めているのでしょう。

一つは、「信教の自由」です。
自由が侵されている具体的な例は、チベット本土=中国領チベットでダライ・ラマの写真を飾ることやダライ・ラマの長寿祈願の法要などが僧院で禁じられています。また、僧院における僧侶の人数について、中国政府が勝手に制限していることが挙げられます。チベット人はこのような不条理でかつ一方的な押し付けをやめて欲しいといっいるのです。

次に「基本的人権」です。
現在、中国共産主義に反する意見を口にすることはそれがどのような表現であろうと、逮捕の対象となったり、インドなどからの亡命者が帰国した場合には、その家族までが逮捕され、拷問を受けるとさえいわれています。

これらに加えて「生活権」も侵害されています。
例えば、教育面では、長い中国支配の下でチベット語を教える教師が減り、従ってチベットを学ぶ機会が減ってしまっています。この悪循環で、中国語しか話せないチベット人が増えているといいます。多くの役所や職場を仕切っているのは中国人ですから、中国語ができないと就職もままならないのです。中国側は「チベット人の幹部は沢山いると」と言いますが、肩書きのみで実権のない場合が多いようです。
人口が少ないチベットに過密な中国から大量の人が故意に送り込まれるという動きが盛んです。
移住者は、チベット人から仕事を奪い、中国人が食べる小麦を作るために、遊牧民の土地を奪い、急激に人口が増えたために生態系が破壊されているのです。
このまま事態が進行しますと、ひとつの民族を物理的に抹殺してしまうという「民族浄化」が、ゆるやかに進んでいくことになるのではないでしょうか。

・・・ということは、
いずれチベット問題というものは”チベット人”という対象が無くなり(激減し)この問題は消滅してしまうという図式も考えられます。
もしかしたら、これが「最終的な解決方法」だと中国は考えているのかもしれません。

視点を変えて、
「中国はなぜこのチベットに拘るのでしょうか」
その理由として考えられるのは、中国はチベットを占領したことによって広大な領土を獲得しました。現在、チベット人居住区域は中国国土の四分の一近くを占めているのです。
世界で一番高い山エベレストをその国内に抱えることができるのです。
万一、チベットが独立するようなことになったらこれらを全て失うことになってしまうのです。
中国がチベットを手中から放さないのは、彼らの大国意識を支える領土と自然を失うことを恐れているからなのです。

「亡命政府」
インドへと亡命したダライ・ラマ14世は、積極的に外交活動を行い対話による解決を訴え続け、1989年に、非暴力的運動が評価されてノーベル平和賞を受賞しました。

ダライ・ラマ14世は亡命後40年以上にわたって、国際社会にチベット問題を訴え続けています。
そのダライ・ラマ14世は講演(1989.12.11 ノルウエーのオスロ大学での公開講演)で
次のように述べている事実からして、これまでに記したことは、あながち非現実的なことではないものと考えます。
なお、単なる私の記憶に無いと言うことなのかもしれませんが、「チベット」に関する情報が殆ど報道されていないような気がします。これは何を意味するのでしょうか。
一つには「非暴力」による活動がともすればテロやゲリラのように世界的なニュースになることは殆どありません。その結果国際社会からの注目度は低いのかも知れません。しかし、だからといってチベット問題がさほど緊急性がないということを意味しているのではないと思います。

講演の一部を・・
・・・・・皆様ご存知のように、チベットは過去40年間外国の支配下に置かれてきました。
今日でも、25万人以上の中国軍がチベットに駐屯しています。
・・・・・今日でも、チベット人は、基本的な人権を殆ど奪われています。例を挙げても、生存権、移動の権利、言論、信仰の権利などが侵害されています。600万チベット人の六分の一以上が、中国による侵略と占領の直接的な犠牲者となりました。文化大革命以前に既に、チベットの多くの僧院や寺院、それに歴史的な建物が破壊されておりました。残った建物も殆ど全てが、文革の間に壊されてしまいました。・・・・しかし、理解していただきたい重要な点は、1979年以降、いくつかの僧院を再建するなどの限られた自由の回復があり、他にも開放政策の兆候があったのですが、チベット人の基本的な人権は今日も組織的に侵害されているという事実であります。この二、三ヶ月の間にも、事態はさらに悪化しています。
(中間 略) 現時点で最も急を要する問題は、中国人入植者が大量にチベットに送り込まれていることです。・・・・・・チベット人は急速に減少し、自分自身の国において取るに足らない少数民族なろうとしています。チベット民族の生存そのものを脅かし、文化と精神的な伝統の維持を困難にしているこの政策は、まだ止められますし、ひっくり返すことが可能です。しかし、今すぐにそれをしなければなりません。手後れにならないうちに。

カレッジのレジメには ”民族と文化に将来があるのか?” という 副題 がつけられていました。
この副題の意味する一面はこれまでに述べてまいりました。
では別の側面とは・・・ダライ・ラマ14世の後継者問題です。
ダライ・ラマは、宗教上の法王であり政治上の国王でもあります。14世も間もなく71歳です。

後継者は指名で決められます。
ところが、ここに面倒な事実があります。f0020352_1922152.jpg
後継者にかかる問題とは・・
図に示しましたようにダライ・ラマ14世が亡命した際、チベット自治区に残ったのがラマ教(チベット仏教のことです)序列2位のパンチェン・ラマ10世で、最高指導者のダマイ・ラマ14世との間で 「それぞれの後継者は相互に承諾すること」と されていました。
ところが1989年にパンチェン・ラマ10世が死去しました。10世の後継者である11世に承認されたほうが「ダマイ・ラマ15世」の認定権が与えられるのですが中国はノルブ少年」を11世として認定したのに対して、ダマイ・ラマ14世はニマ少年」を11世として認定しましたがそのニマ少年がその後行方不明になってしまいました。(一説には、中国に監禁されているとの説もありますが・・・) 

・・・という現状を考えますとチベット民族の存亡も含めて前途は多難であろうと思わざるを得ません。

最後に、最近のダライ・ラマ14世の声明の一部を・・・
2006年3月 チベット民族蜂起47周年におけるダライ・ラマ法王の声明)
これによりますと、ダライ・ラマ14世は「チベットの中国からの独立」を望んでいるわけではない・・・ということがわかります。

(前略)私には、一つだけ要求があります。それは、すべてのチベット人のために、すなわちチベット民族全体のために、チベット人自らが統治する真の意味での自治を認めて欲しいということです。(中間略)
過去の長い歴史は、単純に白か黒かで判断できるものではありません。そのため、過去の歴史から解決策を導き出すことは容易ではありません。そうであるならば、たびたび申し上げてきたように、私は、チベットの中国からの分離は望まず、かわりに中国憲法の枠組み内でチベットの未来を模索したいと考えます。この声明をお聞きになれば、たとえ疑念や不信感のせいで現実認識が曇っている人でも、真の自治を求める私の要求が、チベット分離の要求と同じではないとお分かりになるでしょう。私の要求がこのようなものであるという事実と、自由化、開放化、メディアにおける中国側の段階的な前進とが揃えば、中国・チベット問題を対話によって解決する条件が整うのではないかと、私は希望を込めて思っております。ですから私は、現在の対話を継続させるためいかなる努力も惜しまず、対話のための良い雰囲気をつくろうと努めています。(後略)

以上
概観しましたようにチベット人は真の「信教の自由」「基本的人権」「生活権」などを求めて「非暴力」という手段のみで抵抗しているのです。
チェチェンの武装勢力の「武力」での抵抗は時には派手に全世界に話題を提供し関心を集めますが、チベットへの世界の注目度は低いようです。チェチェンおよびチベットの問題は長期化しているからこそより深刻な問題であるようにも思います。
人命や人権が無差別に侵されている状況はどちらも変わらないのです。
チベットの「非暴力」という手段は評価されるべきものであって、それが緊急度が低いと考えてはいけないことのように思います。

次は「チェチェン」を・・・
                                                        
[PR]
by m-morio | 2006-06-26 15:20 | 中国のこと | Comments(2)
一ヶ月間の市民カレッジが終わlりました。
この市民カレッジは、札幌市教育委員会 札幌市生涯学習振興財団 が 主催しているもので、春・夏に42の講座を準備していて、私はそのうちから「現代史」を選択してみました。

講義では、パレスチナ、チェチェン、チベットそしてネパールの歴史と現状の概略を聴講し、関係書物を通読してきました。
まだ、聞きかじった程度のことであり大きなことを言える状況ではありませんが少しおさらいをしてみます。

パレスチナ・・・・・新たな展開はは開けるのだろうか? 
チェチェン・・・・・極小民族の自立は可能か? 
チベット・・・・・・・民族と文化に将来はあるのか? 
ネパール・・・・・小国として生き抜く道は? 

それぞれの民族が多くの問題を抱えています。

しかし、ご承知のようにパレスチナ問題は未だに目まぐるしく変動していて十分に理解をするには時間が必要です。

ということで、いずれ 項を改めまして 「チェチェン」と「チベット」 について触れてみたいと思います。
両国の実態をしっかりと理解するには、ただ単に 歴史を遡ったり、事件の様子を書き留めると言うことではなく、その民族の起源、宗教、生活環境、さらには気候風土 などをも認識した上で考察すべきものでしょう。
しかし、今短期間に多くの課題を与えられた立場としては、全てを消化することはなかなか難しいです。
今後の課題としておきます。

一冊の本を読んだだけでも 「少数民族」の悲哀 がにじみ出てきますよ・・・・・。

その前に、今日の最終講義を少し覗いてみてください・・

「ネパール」です。 f0020352_1923070.jpg
地図をご参照ください。黒く塗りつぶした部分が「ネパール」で、ピンク色がインド、ネパールの上部が中国(直接は、チベット)です。
これでご理解いただけますように、ネパールはインドと中国に挟まれた内陸国です。
地理的要因から、ネパールと中国の関係は、ネパールとインドとの関係ほど近くはありません。
なぜならば、北側の中国との間には ヒマラヤ山脈 と チベット高原 があり、その交通を妨げています。
しかし、南側は比較的容易にいくつかの峠を越えていくとガンジス平野へと通じています。
世界にどの程度の内陸国と呼ばれる国があるのか承知していませんが、ネパールのように外への道を殆どひとつの国に依存している国は少ないのではないでしょうか。

更に、ネパールにとって苦しいのは、インドとネパールとでは、比較にならないほど大きな経済力と政治力に差があると言うことです。
インドはこれらの力を背景にネパールに強い影響力を持っています。

[ネパールは、面積は北海道の2倍弱、人口は2500万人で11億といわれるインドとは比較にもなりません。国民所得もインドはネパールの85倍ともいわれています」

このように ネパールは、インドに向って開けた国です。
輸出入でインド以外の国と取引するにしても、貨物の通過はインドを経由せざるを得ないのです。
インドとの係りは大きいです。
当然、インドとは良好な関係を保っていかなければなりません。インドに逆らった行動には必ずしっぺ返しがあります。「経済制裁」といった・・・・
過去に何度も事件を起こし制裁を受け、完全な屈服を余儀なくされています。

「ネパール」は、正式には ネパール王国(Kingdom of Nepal)です。立憲君主制で、元首はギャネンドラ国王ですが、あまり評判がよろしくないようです。
(数年前、ビレンドラ国王など王族10名が殺害された事件は記憶にあたらしいところです。)

今年2月、国王は、国土の三分の二を実効支配する反政府武装組織「ネパール共産党毛沢東主義派」(毛派)の打倒を掲げましたが、反撃が激化し治安は悪化。
国王、毛派、主要政党の三つ巴による緊迫した状態が続きました。
4月には、毛派は一方的に停戦を宣言します。新憲法を制定し、主要7政党による新政権と交渉に臨む環境を整えようとしたようです。
06.06.17の北海道新聞によりますと、毛派は、ネパール政府と8項目を包括合意し新たな国づくりに向けた決意を示した・・と載せています。

少し視点を変えてみますと
ネパールには、約2万人のチベット人が居住しています。
ネパール政府は、中国の対チベット政策を支持しており、昨年1月には首都カトマンズにあったダライ・ラマ14世の事務所を閉鎖しています。
今年3月に、亡命チベット僧や若者らが反中デモを繰り広げています。
余談ですが、この中国のチベット(中国領チベット)に対するやり方は極めてヒドイ!ものと・・・・私の眼には映るのですが。.。。。
いずれこのBlogに載せたいと考えていますチベット(中国領チベット)は今大変苦境に陥っています・・・と私は受けとめています。。。。
法王であり国王であるとされるダライ・ラマ14世はインドへ亡命し「亡命政府」を作ってチベット民族の平和に腐心しているのですが、果たしてその努力は報われるのでしょうか・・・。

なお、神戸新聞(06.05.21)に、「民主化で貧困の解消図れ」と題する社説を載せています。興味があるかたはご覧ください。
[PR]
by m-morio | 2006-06-22 16:29 | 市民カレッジ | Comments(0)
たっくんから写真が送られてきた。メールで・・・

長めだった髪を おかあさんが バリカンを使って刈ったのだそうだ。
梅雨が明ければ 猛暑が予想される京都だ。
今からさっぱりして 暑さ対策 かな?なんて思っている。

確か 私たちが京都へ遊びに行ったときに "ボーズにしたいんだぁ" なんて言っていた。
保育園のお友達で何人かが坊主にしていて "かっこいい" んだそうだ。
それが実現したようだ。

気に入ったかい! と聞くと うん ・・ と嬉しそうだった。

f0020352_170294.jpg坪庭に植えた作物?が少しずつ成長しているらしい。
この写真はピーマンを収穫している様子・・・

たっくん 曰く 
"あのね トマトがなかなか赤くならへんのや"  と

でも インゲンは たっくんの背丈をはるかに越えてしまって 収穫が楽しみなんだそうだ。
[PR]
by m-morio | 2006-06-21 17:05 | たっくん | Comments(0)
図書館へ出かけたのですが・・・・・

駐車場の入口で
おじさんに紙切れを渡されました。
11:00と手書きされています。 うん!なに?
おじさん 曰く:
ここは1時間の時間制限です・・・・とのこと。
えっ。。。。今日は3時間位の予定で来た私にとっては "まいったなぁ" です。
すると、おじさんが また おっしゃる   
1時間したら一端出てまた入ってくればいいっしょ! だって。。。。。

まぁ 仕方が無いですもんね・・・車で来た私がバカだったのでしょう
本を探して借りてくるだけならばこの程度の時間でも十分かも知れないが、今日は少々目的が違うんだよ。
ちょつと調べたいことがあったのでこの大図書館までやってきたのに。
な~んて 腹の中でぶつぶつ・・・

中に入って 窓口 で いろいろご相談し 目的の書籍を数冊探し出してもらって着席。
でも どうにも落ち着かないんです。時間が気になって・・・
時間オーバーになると呼び出しがかかるんですよ・・と受付のお嬢さんは気の毒そうな顔をしておしえてくれました。

結局、3時間半の間に、2回も出し入れの移動を・・・・・・。
この間に違反?の呼び出しは1回・・・10台くらいが呼び上げられていました。
ということは、あまりビシビシとやっていないということのようですね。
要は、「公共の交通機関」で いらっしゃ~い ということなんです。

となると、私の場合、車で20分のところを バス→地下鉄→市電を乗り継いだら1時間じぁ ?です。

それにしても "多くの方にご利用いただくために"・・との大義名分でしょうが、抜け道を作ってその大儀を反故にしているこのやり方って何なのだろう・・・サービスなの?
いっそのこと "有料" にしては ・・ とも思いまが お役所としては 「公共の施設の駐車場が 有料 とは?」 などとお叱りをうけるのが嫌なんでしょうね。

ついでに
館内はなかなか居心地が良かったです。
2階の窓越しに、うっそうと繁った緑が眼前にせまり、疲れた目を癒してくれます。
どこかの市立図書館とは違って「居眠りするな」という張り紙も勿論ありません!
・・・・気持ちよさそうな方が一人二人おられました

市立中央図書館でのことでした。
f0020352_15454464.jpg
f0020352_1548231.jpg
[PR]
by m-morio | 2006-06-20 16:26 | 携帯日記 | Comments(0)
一週間振りです。

忙しい? いいえ ちーっとも忙しくないです。

ネタ切れ? うーん そういうことかも・・

週3~4日 家内のリハビリのお供、買出しetc くらいでしょうか

あと、カレッジの方に少し時間を割いているかな・・
これって 講義を聴きっぱなしにしておいても誰も文句を言うわけではないから それでも良いんでしょうが・・・
少々整理をしてみようか・・と
窓から公園の緑をを眺めながらBlogに書くとしたらどうまとめたら良いの?と・・ぼーっと!

これにとっかかって見ると 
”これは事実なのだろうか” 
”その裏づけは” 
”誰が、どんな立場の人が言ってるの” 
とか右往左往している日々なんです。 

少数民族と大国(ロシアや中国)との問題もあって、どちらの立場で情報を発しているか・・・を見極めないと事実を見誤るかも・・
しかも少数民族に起こっていることはなかなか報道されないんですね。
整理できましたら公開してみたいと考えていますが・・できるだけ簡略に!

来週、1回でこのシリーズⅣは一端終わります。恐らくテーマを変えてⅤがあると思いますが・・。
(来週からは、全く別のコースを覗くことにしています)


上手く整理できるかどうか・・”簡略に”というのが難しい!
(このBlogのsightが消滅しないとも限りませんが)私の記録として残しておきたいと思いながら些細なことに腐心している日々です。

今日は、教室(写真)の実習日なのですが
また、怠け癖がでて 
サッカーのせいで眠い(5時起きしたのですが)・・とか
雨が・・・とか 
リハビリのお供が・・とか
理由を付けてサボしてしまいました。
どうやら 外は 雨が上がったようです・・・・・・
f0020352_8471471.jpg

                           ノビネチドリ を 宮丘公園 でも見つけたのですが
                           なかなか色づきません。毎日雨模様で気温も低いですから・・
[PR]
by m-morio | 2006-06-17 08:40 | 日々雑感 | Comments(0)
「・・・・・しかし、太郎が中年になる頃、日本は四人に一人が老人ですってね。都知事は今日の新聞で、福祉は、どんなに金がなくても広げるべきだと言っているけど、今に、そういう民衆へのごきげんとりは続かなくなる日がくるに決まっています。四人に一人の老人を、物心ともに太郎たちの世代がみるなどということは不可能ですからね。今はまだ、長生きしたものは、特権を要求できるけど、そのうちに高齢者は当たり前ということになるのだから。それで、悌四郎さん(㊟太郎の叔父)とお父さんは、危険思想に辿りついていたよ。自分達は親をみるけれど、子どもには、自分達を捨てるように言おう。そうでなければ、次代は老人によってつぶされることは明らかだから、と言うのです。その考えは結構だけど、私は黙っていましたよ。これは、大変な問題だからね。しかし、動物には、(子どもを育てるという習性はあるけど)親をみる習慣はないというのは本当ですね。まだ誰もあまり言っていないけど。太郎も、老いるのは間もなくだから、時間を惜しみなさい。もっとも、どう生きたって、たいした違いはないけどね。」

これは、曽野綾子著「太郎物語-大学編-の一節です。(-高校編-もあります)
大学教授の父と自宅で翻訳の仕事している母の一人息子・山本太郎が大学2年の春に母からもらった手紙の一部です。

何十年ぶりなのでしょうか・・・この本を読み直してみました。
この本が書かれたのは昭和51年(1976年)頃だと思われます。
30年前ですよね。

面白いと思うのは、この時期で既に作者は現在の老人社会を予測していたことです。
今まさに四人に一人は老人という時を迎えているではありませんか。そして、これらの老人の年金問題に対する対策は遅々として進まず曖昧なまま時間がすぎているのです。

子が親の面倒をみるのを放棄するという発想は、言葉としては極端に聞こえるでしょうが医療・年金・税金など広い意味での社会福祉対策がおざなりになっていてかつ少子化が進み人口が減少している現状から考えますと、あながち的外れでないかも知れませんね。

三浦朱門・曽野綾子夫妻には、この小説の主人公と同名の太郎君という息子がいる。
現実の太郎君も名古屋の大学で人類学を学んでいるとか(当時)。
家庭内における親子の生活ぶりや、時にはキザで、時には思いやりのある、そして時には不良ぽっい太郎の言動は親離れしていく太郎の様子を良く表しています。

満足に料理もしない(太郎の言い方)母親を口ではののしりながらも母親の思いをしっかりと受け止めながら合格した東京の大学を蹴飛ばして好きな道を選び、名古屋の私立へと進む太郎に「嫌になったら帰ってきても良いんだよ。やり直しなんかいくらでもできるんだから・・・」と母親は言う。
親元から離れ成長していく子どもを信じる母親の気持ちは強固な意思で裏打ちされているようです。



f0020352_20342284.jpg

                                      エゾハルゼミ 
                                      白川市民の森
[PR]
by m-morio | 2006-06-12 20:45 | | Comments(0)