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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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をテーマ?に たっくん が札幌に遊びに来ています。 25日から・・・。
来年から学校なので、この時期に涼しい北海道を体験できるのは今年だけかも・・・との思いがあったのと、たまたまお母さんが時間的に余裕ができたのを機会にタイトルのような意図をもってやってきました。

事前に知らせてきてはいたものの、さて”自然”に親しむとなるとなかなか大変です。じいじの体力の問題もありますので。。。

体験 1 くわがた
”くわがた”を採りに出かけました。 昼間、のこのこと出かけていって探すのではなくかなり本格的にです。
たっくんのオジさんがセミプロなので連れて行ってもらいました。午後に出発して、現地(秘密の場所です)に着き、仕掛けをセッティングして日没を待ったそうです。(じいじは留守番です)翌朝1時半に帰ってきました。収穫は40匹程度だったとか。。。そのうち5匹をもらって嬉々として帰ってきました。
今、プラスチックの容器に入れて大事に育てています。京都に持ち帰るのですがその世話がなかなか大変なようで(キンギョ、メダカ、ザリガニ、そのほかにキャンプに行ったときに獲ってきた名前が分からない魚などがいますので)たっくんだけでは手が回らずおとうさんとおかあさんの助けを借りているようです。

体験 2 さくらんぼ
”さくらんぼ狩り”に行きました。
いちごやぶどうは関西近郊でも体験できるのですが、”さくらんぼ”となると場所がかなり限定されます。勿論、初体験です。時期としては少し早いので7月に入ってから・・とも考えましたが、予定がいろいろあるので曇天のもと車で1時間余の余市まで行ってきました。
この果樹園は今なら”いちご”と”さくらんぼ”を同時にたのしむことができるので、たつくんは目をランランと輝かして脚立に登ってむしゃむしゃやっていました。
”さくらんぼ”は少し早め、”いちご”はそろそろ終わりの時期・・といったタイミングでしたが楽しい1日でした。

さて、この後は 海、山、川の予定があります。 
たっくんの思い出作りのために、老骨に鞭打って 頑張ります。
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by m-morio | 2007-06-29 21:23 | たっくん | Comments(0)
f0020352_12521419.gif◆07年1月9日付け道新に次のような記事が載りました。(抜粋)
中国新疆ウイグル自治区において、自治区公安庁が「東トルキスタン解放組織」(中国がテロ組織として指定しているウイグル独立派組織)を攻撃し、「テロリスト」18人を殺害、17人を拘束したと発表した。中国政府は、「東トルキスタン解放組織」を最大のテロ脅威として位置付け2001年の9.11以降取締りを強化しているが、一度にこれだけの人数を殺害したのは異例。同地区にはイスラム教徒のウイグル族が多数居住、根強い独立運動が続いている。中国政府は、テロによる被害が大きいと強調しているが、米国の人権団体などでは「テロ撲滅に名を借りた当局の人権侵害」と指摘する声も多い。

◆ウイグル自治区は、56の民族が共生する多民族国家・中国にあって、民族・宗教問題がくすぶることを象徴する地域といえます。
中国北西部に位置し面積は166万平方キロ余りで中国最大の自治区(5地区あります)です。

モンゴル、ロシア、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、アフガニスタン、パキスタン、インドと隣接していて、中国で、最も暑く、最も寒く、最も乾燥し、最も風の強い地域です。
冬は-15度前後、夏は40度前後と年間の気温差が大きく、1日の気温差も大体15~16度前後あって気候的にも厳しい環境にあります。
ウイグル、カザフ、回、キルギス、蒙古、などの少数民族が住んでいます。勿論、漢族も・・・。
しかし、2000年時点で、ウイグル族45%、漢族40%でしたが、恐らく現状は、逆転して「漢族が過半数」を占めているのではないでしょうか。
なぜならば、チベット同様政府が意図的に漢族を送り込んでいるからです。経済発展の力になる・・との口実で。。。

北部には海抜2-3千メートルのアルタイ山脈、中央には海抜3-5千メートルの天山山脈、南部には海抜5-6千メートルの崑崙(コンロン)山脈(チベットとの境を東西に走る)などがあります。中国最大の砂漠タクラマカン砂漠の面積は約32万平方キロにも及びこの地区のの20%弱を占めています。石油、非鉄金属、玉石などの産地でもあります。

◆古来からシルクロードの要衝として多くの民族や国家が興隆しましたが、10世紀頃からイスラムが勢力を拡大してきました。
1999年2月、自治区の区都ウルムチで、イスラム教徒のウイグル人青年グループが「新彊独立」を叫び、警察隊と衝突。その他にも何度も衝突と騒乱が起き、爆弾テロは、異なる民族の共存の難しさを物語っています。

◆新彊の民族運動の背景には、中央アジア諾国を拠点とする支援組織の存在があります。これが国境を越えた新彊でのウイグル族活動家を物心両面で支えています。

これらの国々は旧ソ連時代、社会主義体制下にありましたが、1980年代に入り、ソ連の締め付けが緩んだことで、中央アジアで活動を続けてきたウイグル族組織が一気に活発化、さらにソ連の崩壊で中央アジアや中東のイスラム教圏の民族主義が高揚、中央アジアで活動を続けてきた少数民族組織が活動を本格化させたといえます。

新彊での運動の活発化は、ソ連の解体という国外情勢の変化と外からの影響の浸透が挙げられ、同じトルコ系のカザフスタンやキルギスタンの民族運動に刺激されています。トルコのイスタンブールでは1998年、「全世界東トルキスタン解放組織連盟」が結成され、新彊ウイグル自治区の運動との連携を目標に掲げています。

◆中国の現行憲法は「信教の白由」を保障していますが、世界的な動きであるイスラム勢力の拡大が自国にも及んでいることを警戒。さらに宗教の無秩序な容認が国家分裂にもつながるとの懸念もあり、イスラム教を厳しい監督下に置いています。このことがイスラム教徒の反発を招き、摩擦要因になっている側面も見逃せません。

◆新彊では1949年の新中国成立前の一時期、「東トルキスタン共和国」を名乗る「国家」が存在した経緯があります。同共和国は1946年、ソ連の圧力の下、当時の中国国民党政府と和平を結んで解散しました。
この独自国家の再興こそが、新彊の分離独立運動の根源です。

◆中国当局は民族・宗教問題という火種を抱える新彊ウイグル自治区へのテコ入れ策として、地域格差解消を図るためインフラ整備を進めながら、分離独立など不穏な動きを徹底的に封じ込めるという作戦に出ています。
国内外の少数民族対策の意味合いも込められ、周辺諸国との関係強化を今後、さらに進める考えです。
中央政府が“アメとムチ"を使い分け続ける方針は今後も続きそうですが、人権問題としてアメリカなど西側諸国も動向に注目しています。
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by m-morio | 2007-06-23 12:36 | 中国のこと | Comments(0)
f0020352_10281780.jpg月曜日から毎日何らかの用事があった。予定がゼロの今日、溜まっていることを整理しようか・・と思っているのですが、どうも気持ちが落ち着きません。
こんなことは、あまりblogネタにしたくないのですが身近に起こったことなので。。。

あの食肉加工製造卸会社が豚肉の混ざったひき肉を「牛ミンチ」として出荷していた問題ですよ。
なんという良い加減さだろう。
この種の事件や不正の際、必ずといっていいほどその犯意を「まず、否定」して、後から小出しに「実は・・ごめんなさい」ということになる。殆どがこのパターンだ。

会見での言動には呆れてしまう。「・・と思う」「・・と言われても仕方が無い」と曖昧かつ責任逃れの発言にイライラが高じて・・“ばっかじゃないのぉ~”とつぶやくのは私だけだろうか。
挙句の果てに、会見の場で息子にたしなめられてその事実を認めるという体たらくだ。
「食の安全」を何と心得ているのだろうか。豚肉を混ぜても「(消費者には)分からないだろうという気持ちがあった」とも述べた。

北海道の業者で、販売が生協となると私たちが最も身近に接している。コロッケだけではないらしい。となると我が家の食卓にも上った・・ということがあるのかもしれない。
背筋が寒くなる。

同業者は
「加工の過程で偽装する機会はいくらでもある」という。

保健所は
「年1回程度の立入り検査するが、チェック内容は、施設の衛生管理面が中心」で原材料は膨大な数で、とてもすべてを調査できない」という。
農水省は
「立入り検査で食品表示内容を確認するが、目視で確認する程度でDNA検査までやるのは米だけだ」「産地偽装の警戒をしてきたが、牛の替りに豚が使われるという発想はなかった」という。「想定外」といいたいのだろう。
大手食品メーカー幹部は
「末端で何が行われているのか把握が難しい」と言っているとか。

しかし、そうだろうか? 
物事に”シバリ”を設けると、そこに必ずと言っていいほど”規制をかいくぐって美味い汁を吸おうとする輩”が出ることは、洋の東西を問わず起き得ることではないのだろうか。

では、流通過程で誰が、どのようにして「食の安全」をチェックしてくれているのだろう。
生協は、率先して「食のトレサビリティ」に取り組んでいると聞いていた。
原料提供会社が信用できないことを前提に考えたならば、我々消費者の手に渡るまでにどこかの段階で「原料・商品の抽出検査」を出来ないものなのだろうか。
幸い?というか、今回のケースは身体に害となる成分が混入した・・といものではないのがせめてもの慰めか!?

妙な言い方だが、宗教によっては「牛は食べるが、豚はダメ」 逆に 「豚は食べてもいいが、牛はダメ」ということがある。知らずに提供された食品を食べているとしたら。。。

業界の信用挽回、北海道のイメージダウンを取り戻すためにも。。。

互いに責任の擦り合いをしていても始まらない。

介護事業で、○ム○ンとかいう会社が不正なことをやって話題になっている。これも制度をつくる側に言わせるとそこまでは考えていなかった・・と「想定外」と強調する。お役所は。。。
”グリップが甘い” ということだろう。
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by m-morio | 2007-06-22 10:50 | ひとりごと | Comments(0)
今日は、読書会の日でした。
先月は京都へ遊びに出かけていましたので欠席しましたので久々の会でした。
1回休むと数十ページ先に進んでいますが、教科書代わりの本がありますから左程慌てることもありません。メンバーは20余名で少し女性が多いようです。来月は会の後、昼食会が予定されています。

今、テーマとなっているのは「ユダヤ人とローマ帝国のかかわり」ですが、聞いた話や読んだ内容は直ぐ忘れてしまいます。
特に、人名などはギリシャ語によるものが多くでてきて、しかも聞き覚えのある名は少ないのです。たまに知る名が出ても歴史との係りがピンとこず、頭の中は迷走するばかりです。
参加者の中に、大層史実に詳しい人や宗教に強い人がおられます。知識の量もさることながらその記憶力には脱帽してしまいます。
ただ参加しているという状態ですが、これからもできる限り末席を暖めていきます。
好奇心もありますが、その雰囲気が捨てがたいからなのかもしれません。
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by m-morio | 2007-06-20 13:47 | 市民カレッジ | Comments(0)
現れました。
我が家の庭(と称しています)公園に”熊”が・・・
昨日の朝、散歩中の人が見たとのことで直ぐに入園禁止となってしまいました。
体長1m程度らしいのでまだ小熊なのかもしれませんが、今回の場所は私がいつも散歩するところですから驚きです。
また暫く閉鎖ということでしょう。

                   1日公園で・・”クルマバソウ”
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by m-morio | 2007-06-18 21:17 | 日々雑感 | Comments(0)
Ⅶ 2 旧ユーゴ諸国 ~緊張の構図はおさまったのか?~
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この地図の肌色の部分は「ボスニア・ヘルツェゴビナ」です。既に、ユーゴスラビアという国家は崩壊していますので、適当な地図が見つかりません。崩壊時の共和国名が辛うじて載っているという意味からもこの地図を掲載します。「マケドニア」が見えませんが、セルビアの南側になります。例によって、外務省のHPから借用しました。

なお、国名については、その表記がいろいろです。例えばセルビアを「セルヴィア」、ボスニア・ヘルツェゴビナを「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ」と書いてある書物もありますが、本稿では外務省の表記に沿って「セルビア」「ボスニア・ヘルツェゴビナ」と表記します。

◆第二次世界大戦直後に成立したユーゴスラビア社会主義連邦共和国は、1991年からバラバラになりました。
翌年には、セルビアとモンテネグロの二つの共和国だけで、新たに「ユーゴスラビア連邦」を形成しました。このため、バラバラになる前のユーゴスラビアのことを一般的には「旧ユーゴ」と表現しています。

◆ユーゴスラビアは、東ヨーロッパに一時的に存在した国です。正式な国名は何度か変更しています。首都はベオグラード(現在の セルビアの首都です)にありました。
1918年にセルビア王国を主体としたセルビア・クロアチア・スロベニア王国として成立。
1929年ユーゴスラビア王国に改名。
1991年からのユーゴスラビア紛争により解体。
解体直前は6つの共和国と2つの自治州(セルビア内の)でした。
1991年、スロベニアとクロアチアおよびマケドニアが独立
1992年3月には、ボスニア・ヘルツェゴビナが独立を宣言
その後も残留した地域において国家そのものは継続されていましたが、2003年に国名をセルビア・モンテネグロに改称しました。
さらに、2006年にはモンテネグロが独立し、完全に崩壊しました。

余談ですが、先日サッカーのオシムジャパンの試合の相手国がモンテネグロでした。あれっ、「セルビア・モンテネグロ」じゃ?と思いながら観ていますとアナウンサーが、独立後の最初の試合です・・と伝えていたので始めて独立したことを知りました。
そして、監督のオシムの出身地がボスニア・ヘルツェゴビナの首都サラエボとのことです。試合後、モンテネグロの監督らと親しげに話をしていましたね。

三つの宗教、多くの民族、6つの共和国、7つの国境を持つ国は複雑な紛争の連続で、それぞれの紛争を紐解いて見ますと数々のドラマが浮き出てきます。
短期間で得た浅い知識では、ここに詳しく書き連ねることも出来ませんが、ただ一つ未だ紛争が解決していないところがあります。

今月11日の朝日新聞の記事です。
ブッシュ米大統領は10日、現職の米大統領としては初めて、アルバニアを訪問した。首都ティラナでのベリシャ首相との会談では、アルバニア系住民が多数を占め、現在は国連の管理下にあるセルビア・コソボ自治州の早期独立を求める立場で一致。ブッシュ氏は、アルバニアの将来的な北大西洋条約機構(NATO)加盟を支持する考えも示した
記者会見したブッシュ氏は、コソボの地位について、事実上の独立容認を柱とするアハティサーリ国連事務総長特使の調停案を「強く支持する」と表明した。
 「事態は前に進めなければならず、行き着く形は何らかの独立でなければならない。遅かれ早かれ、『もう十分だ、コソボは独立した』ということになる」と、国連安保理で拒否権を持つロシアがあくまでも反対した場合、コソボが一方的な独立宣言に踏み切り、欧米が承認する道もありうると示唆した。
 アルバニアは親米色が強く、ブッシュ氏を歓迎するため、この日首都は星条旗とアルバニア国旗、歓迎の横断幕や看板で埋め尽くされた。議事堂の前の道路は「ジョージ・ブッシュ通り」に名前が変更、記念切手が発行された。


アルバニアは、旧ユーゴには属していませんがモンテネグロやセルビアのコソボ自治州とは隣接しています。
セルビアは、全体としてはセルビア系住民が多数派なのですが、このコソボの人口のほぼ9割がアルバニア系の住民です。その意味では独立を望むのも理解できるような気もしますが・・・ことは簡単ではないようです。でも、流れは”独立”にむかっているようです。新聞などの報道を注意していたいと思っていますが、独立後は、アルバニアと合併・・ということまで発展するのでしょうか!?
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by m-morio | 2007-06-14 16:36 | 市民カレッジ | Comments(0)
おことわり: 昨晩このサイトが不調でドタバタしました。今朝、開いてみましたら中途半端な日記がupしていて・・・少し手直ししました。

日曜日の夜、NHKのテレビで中国を取り上げた番組が2本ありました。

一つは、中国の「水危機」が深刻だというもの。もう一つは「環境汚染との戦い」を現地ルポしたものでした。
水泥棒を取り締まる様子や降雨ロケットを打ち上げて雨を降らす映像、雨不足・水不足による農家の嘆き、経済発展を優先するがために後回しにされている公害問題・環境問題はかなり深刻でした。

北京では来年のオリンピック開催に向けて急ピッチでその準備が進められています。
しかし、このためにとんでもない犠牲を払っている農民がいました。北京の水不足を補うために遠く離れた村のダムから北京に水を引いているのですが、そのために地元であるその村の農民がダムの水を一切使えないと言う信じられない施策がまかり通っているとのこと。
農民が村長に直談判するも中央政府の言うことだから我慢せよと言うばかりでラチがあかない。挙句の果てにはスイカを作るのに水が必要と嘆く農民に「スイカを作るを止めれば・・」と・・。
まさに、経済成長は「農村を犠牲にした都市の繁栄」と言われる見本のようでした。

北京では、水不足のみならずその質にも問題があるようです。
ある日本人の家庭を訪問した映像では、浄水器を通さない水はとても飲めないと・・・。臭いもきついらしい。台所は勿論、洗面所、風呂までも浄水器をつけなければ使えないのが現状だと言います。
水不足を補う対策の一つとして遠く「長江」から水を引こうとしているらしい・・。
この「長江」の水が危ない(汚染されていて・・という意味で)といわれているのにです。

現地「長江」の市場には天然の魚は皆無だという。全てが養殖によっているのだそうだ。汚染が酷くて(原則として)漁業禁止になっているとのこと。
不思議なことに「養殖」に使う水は大丈夫なのだろうか。水道の水すらそのまま飲めない状態だというのに。。。
それでも北京に長江から引っ張ってこようと言うのだろうか。
双方の番組は、事実を伝えているのでしょうが。。。

この二つの内容がかみ合わないのは何だろう!? 

 ◆「長江」の写真を貼り付けようとしましたが、未だ「表示不具合」が続いているようです
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by m-morio | 2007-06-12 18:35 | 中国のこと | Comments(0)
よさこいソーラン祭りが終わりました。
毎年この時期になりますとこの祭りに対するいろいろな意見が飛び交います。

今年で16回目だとか。
当初は我が娘も参加したことがあるほどこじんまりとした催しでしたが、最近はその規模も熱気も年々高まるばかりのようです。私は、それはそれで結構・・と受けとめているのですが、やれ商業化してきたとか何で順位をつけるのかとか難癖をつけたがるご仁もおります。

北海道で牧場を経営するあるタレントがつい最近まで新聞のコラムを担当していました。どうやら”よそこい”は嫌いらしくプロ化してきているだの、踊り子の笑顔は作られたものだとか、北海道の人はそんなに踊りが好きだったのだろうか・・などと散々こき下ろしていました。どうやら物事を裏側や斜めに見る性格らしい。「今年も”涙と感動”のオンパレードが始まる」・・と皮肉たっぷりに締めくくって、このコラムもこれでお終いです。。。だって。 お終いならお終いらしい終わり方があるんじぁな~い と感じたのは私だけだろうか。。。「物事 終わり が 肝心」 と思う一人として。

まあ、それはそれとしまして2年ぶりに足を運んでみました。市内に数箇所の会場が設けられていて我が家から徒歩15分ほどの場所にもステージがあります。
でも、わざわざ大通までのこのこと出かけました。ステージではない「パレード」を見たくて・・・。「ステージ」はテレビが何台ものカメラを駆使して詳細にわたって放映していますから全体の様子から踊り子の表情まで良く分かります。でも会場では舞台と客席の距離もありますから表情まではなかなか。。。

ところがこの「パレード」は手の届く位置で観れます。有料の観覧席というものもあってそれなりにいいのですが、道路の縁石に腰を下ろして観るのが一番です。なにせ、踊り子達が数十センチの目の前まで接近してくることもしばしばなんですから。。。汗も飛んできますし、匂い(汗臭い・・・・)もします。若者の荒い息遣いを直に感じることが出来ます。
西11丁目に場所を確保しますと、この場所は踊り子達の最終演技の場所となります。彼らはもうヘトヘトです。西5丁目からスタートしているのですからここまで来るのに恐らく5回は踊りを披露してきているはずなのです。(正確には分かりませんが、推測するところ1丁で1回、1度の踊りで80メートルほど進んでいるようでした)だから、ヘトヘトに疲れています。でも、最後の踊りだという意識が強いのでしょう全力を振り絞った演技を披露してくれる場所でもあります。ましてや昨日は最終日でしたから・・・。

突然、縁石に座る私の横に青年が倒れこんできました。肩で大きく呼吸をし汗みづくです。気分が悪くなったのでしょう。水をもらって少し落ち着くと肩を震わせて泣いています。皆と一緒に最後まで踊り通せなかったことが口惜しいのでしょう。
・・踊り終わった仲間が物凄い勢いで彼を迎えに突進してきました。沿道からは大きな拍手が沸きあがりました。

途中から雲行きが怪しくなりとうとう雨になりました。多少の濡れなど大したことではないのですが、路面に水溜りが出来始めると心配なのは”カメラ”です。水にはあまり強くありませんから。。。ということでほどほどにして退散してきました。

家内が、今年のポスターのドアップの顔は○○の県の人らしいよ・・・と言っていたので”アップ”に挑戦してみました。ところがこれが”極めつき”に難しいです。
300mm.のレンズをデジカメのボディに付けると実質450ミリの超望遠になります。これを一脚に乗せて踊り子のアップを狙うのですが・・・たいへん! 被写体ぶれは当然で、手ぶれもします・・・感度を上げシャッタースピードを上げてはいるのですが、踊り子達は前後左右は勿論、上下も、回転もします。しかも動きが早いです。ご承知のようにこれだけのレンズになりますと画角が非常に狭いですからファインダーの枠内にキチンと”可愛いお嬢さんの顔”をとらえるというのは至難の技でした。
何の予備知識も無くポッと現地に行って撮るのですから踊り子の動きなど予想もつきません。結局、 片目をツブッタリ、両目を開けたり・・の悪戦苦闘の2時間でした。収穫は押して知るべし・・といったところです。
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by m-morio | 2007-06-11 10:11 | 日々雑感 | Comments(0)
いま、地球上で紛争といわれる事態に直面している国(地域)はどのくらいあるのでしょうか。
「世界の紛争地図」などという本が出版されているくらいですからその数は相当数になることでしょう。(ただし、何を持って「紛争」というか・・・・武器を手にして争うことだけが紛争とはいえないでしょう)
これまで、市民カレッジで、この「紛争」に悩み、苦悩する幾つかの国や地域について学んできました。
パレスチナ、チェチェン、チベット、スリランカ、東ティモールなどです。その争点は、領土であり、宗教であり、民族問題と多様です。
門外漢の私の目を通してみても、決着が着く見通しの無い悲惨な闘争が多いように思われます。
身近な問題では、竹島問題、尖閣諸島問題、そして北方領土問題においては、それぞれの相手国との間で「了解しました」、「譲りましょう」などと簡単に解決が着くことなど考えられないというのが現状ではないでしょうか。
(ただ、これらのことは上記の「世界の紛争地図」の中で「紛争」として扱われているか否かは確認していませんが。。。多分、入っていないと思われます。)

また1ヶ月の予定で新たな講座が始まりました。(この講座もⅦ回目となりました・・私はⅣ回目から受講・・)
やはり「紛争」に苦しむ国(地域)に注目し、その歴史や背景、見通しなどを勉強していきます。

第1回は「カシミール」です。
カシミールと聞くと何を連想するでしょうか。やはり「カシミア」でしょうね。この地方に棲むカシミアヤギの毛を原料とした良質な毛織物ですが、高地に位置し風光明媚と言われるこの地域がどのような紛争に巻き込まれているのでしょうか。
カシミールの領有権を巡って、インドとパキスタンが争っています、
インドとパキスタンは、元々はイギリス領インドだったのですが独立に際し、宗教上の対立から二つの国に分かれました。
独立した直後から、カシミール地方を巡って、しばしば対立し3回の戦争をしています。また、未だに常時抗争が起こっています。
更には、両国の対立に「核兵器」の存在が表面化し、ある時期には実際に核兵器が使われるのではないかという「一触即発」の事態にもなりましたが、世界各国の働きかけによって何とかおさまったという経験もしています。

まず場所を確認しておきましょう。地図をご覧ください。 ・・・この地図は外務省のHPから借用しています。f0020352_20404527.gif
 バキスタンは、一時(飛び地で)東西に分かれていました。東パキスタンが独立して「バングラデシュ」になりました。
中国、パキスタン、インドに囲まれています。K2言われる8千メートル級の山があるカラコラム山脈の麓です。
日本の地図を見ますとカシミール近辺の国境線は点線で表示されています。(この地図でも同様です)これは国境が明確に定まっていないことを意味します。

この「国境」が今回のカシミールの争点の一つとなっているのです。
では、カシミールに隣接するインドとパキスタンはなぜ仲が悪いのでしょうか。

その辺りのことを書き出しましたらかなりの長文になってしまいましたのでこのblogに載せることは遠慮しようと思います。
今まで、随分と長い文章を載せすぎたと反省!。。。悪しからず。

ガンジーの独立運動への係り、インドと中国が争った「中・印戦争」などはチベットのダライラマの亡命に端を発しているとか・・・
パキスタンと中国の関係は? あるいはアメリカとの接触は?といったことまで視野を広めますとかなり複雑にはなってきますが。。。

これまで断片的に 且つ ぼんやりと認識していた事柄を、改めて整理された講義で聴くことによって、新鮮な興味覚えます。
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by m-morio | 2007-06-09 20:51 | 市民カレッジ | Comments(0)
昨日の出掛けにバタバタしました。
携帯が見当たらないのです。 玄関を出て忘れたのに気づき戻るも・・・・さあ、分からないッ。

まぁ どうせ使うことが稀な携帯ですから持たなくてもいいのですが。。。
約束の時間のこともあるので 取りあえず諦めて家を出ましたが・・
道中、ず~っと思いをめぐらしてみます。
前日、最後に(のはず)手にしたのがどのような場面であったか? ほぼ思い出しましたが、その後はプッツンしています。

目的地についても記憶はよみがえらず。。。
そして リック を開けて・・・
あっ あるじゃん! 
前日、今日のためにここに入れたのに・・・すっかり記憶から欠落していたんですね。

このことに限らず最近、似たようなことが多くて困ったものです。

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           この写真は京都ではありません。 札幌市内の某所。
           公園内の一角ですが一歩道を外れると静かな佇まいで。。。
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by m-morio | 2007-06-03 10:37 | ひとりごと | Comments(0)