ブログトップ

はじめのいっぽ

hiro1029.exblog.jp

日々雑感を記録します

<   2008年 03月 ( 10 )   > この月の画像一覧

我が愛車を手放すのは間もなくである。
12年もの間お世話になったので愛着がある。事故にも遭わずに無事付き合ってくれた。

さて、下取りにだすにしてもその査定額が気になる。
くるま屋さんは、現物を見ないで年式と走行距離から推定して“ほぼゼロ査定”と言ったと・・娘はいう。   なんともさびしい限りである。
念のため、車買取り専門のGバ―に査定してもらったら、こちらははっきりと “残念ですが廃車ですね” ときた。 言うことに事欠いて、「廃車」とは・・・言葉遣いを知らない・・・接客業失格ダー 。

くるま屋さんに現物を見てもらう。

冬タイヤはこの冬に交換したばかりだの

CDオートチェンジャーをつけてあるだの
 
代車として十分役立つよ

とか

最後の足掻きを試み 何とか5万円を手にすることになった。

購入当時は、国産車で助手席にエアバックを標準装備したものが少なかった時期で、助手席に乗る家内が「なんで助手席についてないのか」と拘るのでVWにした経緯がある。

今となってみるとこの種の車は年金生活者向きではない。
最近の車は分からないが、
燃費がよろしくない、
諸々の部品が高い、
(ディーラーは)ガソリンはハイオクを勧める(数年前からレギュラーにしているが)
などなどで少々もてあましていたことは事実である。

二台を一台にして娘と共用すると、多少の不便さはあるだろう。
一方、小さい車にしたので税金、燃費などが相当節約できる。
この効果はジワジワと我が家の家計に良い結果を呼び込んでくれるだろう。
f0020352_15293423.jpg
[PR]
by m-morio | 2008-03-29 15:34 | 日々雑感 | Comments(0)
血液型にはA、B、AB、O型がある。
当たり前じぁないか・・・その通り。
親の血液型によって、子のそれが当然のごとく限定的に決まってしまう。
それはそれでいい。
これまで長いこと生きてきたが、自分の血液型について深く考えたことは全くといっていいほど無い。聞かれれば答はする。。。

よく耳にすること・・・・・

〇型の人は 「性格が温厚で、誰とも気さくに付き合う」
とか、
◇型の人は 「自己中心的で、人付き合いが悪い」 
とか
おしゃべりも この辺で終わっていれば 罪も無い話ではあるのだが、
困ったことに
「あの××さんは◇型」なんだよねぇ・・・なんていう言葉が続くとゲンナリである。
なんだ、結局それを言いたかったのか・・・と思ってしまう。

この種の会話を度々耳にしてきた。

私の血液型である「B型」は総じて “あまり評判が良くない” んだな・・・と思ってはいた。
でも、前述のようにあまり血液型に興味や関心がないので聞き流してきた。

先日、知人のblogで「B型 自分説明書」という本が紹介されていた。
その中で、B型の特徴的な事柄が羅列されていたので興味をもって拝見した。
中にはB型の人に限らないんじゃないかと思う項目もあったが、ふむふむ 案外当たっているじゃないか・・と感じ入ったものを二つ挙げてみる。

「あまり人になつかないでもなつくと、とことん」
あまり人付き合いは上手ではない。だから友人と呼べる人は比較的少ないかもしれない。一方、気が合うと長い付き合いとなる。

「周りがやる気満々だとやる気しない 周りがやる気無いとがぜんやる気」

へそ曲がりなのだろうか、最近ではマンションの役員はなかなかやり手が少なくなっている。“私がやりましょうか”・・なんて損な役回りを引き受けてしまう。
理事長は12年前の初代の時に二年間務めた、今は大規模修繕に首を突っ込み、管理規約の手直しにまでしゃしゃり出てしまった。勿論、無報酬で。。。

やはり“変な奴”なのかも知れない。
f0020352_1850191.jpg
[PR]
by m-morio | 2008-03-26 18:53 | 日々雑感 | Comments(0)
晴れて暖かい日が続きました。札幌の積雪は10センチまで減ったとか・・・
例年ならこの時期はまだ30センチを超えているのだそうです。

12度の気温に背を押されて近くの公園の雪解けの様子を見に行ってきました。
とはいえ公園は・・・こんな様子でまだまだ雪はたっぷりと残っていました。f0020352_17443091.jpg

冬期間中、犬の散歩や歩くスキーなどで人が通るので、踏み固められた獣道のような道を歩きながらが、ときどきふらついて道を外し、ズブズブと膝下まで埋まります。

セーター姿に、長靴、勿論手袋など要りません。
一時間の散策ですっかり汗ばみ心地よかったです。f0020352_17484587.jpg
木々の梢には春の芽吹きの様子が見られますので “ああ、春も近いなあ” と感じるひと時でした。
[PR]
by m-morio | 2008-03-23 17:52 | 日々雑感 | Comments(0)
北海道のこの時期の車の購入はちょっと気を使うことがある。
その一つが、納車の時期だ。
4月の上旬というのは誠に微妙である。雪解けの様子とにらめっこになる。
市街地を走る分には夏タイヤでほぼ問題がないのだが、少し遠出したり、気象の変化で時期はずれの雪が降ったりということもある。
さあ、どちらのタイヤで納車してもらうか思い悩む。

新品の冬タイヤは、一般的には、雪が降る前にしばらくアスファルト道路を走っておいたほうが雪の上の制動の効きめが良いと聞く。ならば、冬タイヤで納車してもらって1ヶ月程度慣らしてから夏タイヤに交換するという選択もある。
タイヤ交換が手間ではあるが・・・。

・・・と考えていたら
「下回りの塗装」やら「車体の塗装コーティング(かなっ?!)」などに少し時間を欲しいとの申しであり、結局中旬の納車になりそうな気配である。
であるならば、雪解けも早いことだし “夏タイヤ” で納車ということになった。

もう一つ、プレートナンバーだ。(面倒という問題ではないし、北海道特有の問題ではないのだが)
ご承知のように番号を「選択」できる。くるま屋さんは、費用はサービスしますから希望を出してくださいという。
“2525”(ニコニコ)“1717”(イイナイイナ)“2929”(フクフク)“3939”(サンキュウサンキュウ)などとシャレてみたが、私としては なんの拘りも無い・・娘に任せることにした。f0020352_18462398.jpg
[PR]
by m-morio | 2008-03-21 18:47 | 日々雑感 | Comments(0)
いつも触れることだが、中国では経済にからむいろいろなことが資本主義になりつつある。
だからといって政治にかかわることが西欧諸国のようにはならないのである。
もう「社会主義」という枠組みから足をはみ出しつつあるのだが、権力は共産党が握っていて、その権力を維持するために、言論の統制を行っている。

「中国に報道の自由がないということは、もう疑いの無い事実である。しかし、取り締まろうとしても取り締まれない”ネット”という空間が生まれている」
と最近書いたように思う。

この”ネット”も、中国内ではその技術面は西側諸国並みに進歩しているのだが、この「言論統制」のために当局は膨大な作業を強いられている。数万人にもおよぶ「ネット警察官」がいるという。常にネットを検索して、共産党にとって都合の悪いことが記載されているサイトは接続できないようにしている。
用語でも「法輪功」「天安門事件」「ダライ・ラマ」といったものは検索できないとか。
個人のブログも同じで、反政府的な記事を載せるとたちまちそのブログは消滅する。

2年ほど前に、ある週刊誌が停刊に追い込まれた。
「日本の教科書が歴史を歪曲したとして、中国政府は日本に抗議しているが、中国の歴史教科書も、決して歴史を正しく取り上げているとはいえない」
という趣旨のことを書いた大学教授の論文を載せたのが発端であった。
当局は、この事実についての報道も禁じる措置を講じたが、この事実はネットによって一気に知れ渡り諸外国にも流れてしまった。
まあ、こんな例は枚挙に暇が無いほど転がっているらしい。

さて、ギョーザ事件の真相究明が頓挫している最中に中国チベット自治区で大きな騒乱暴動が起きた。
例によって、中国当局は都合のいい情報や映像を流して自らの正当性を世界に示したがっている。当局は「被害者」であることをひたすら強調しているようだ。
(08.03.18道新の記事では「自治区の主席は、「暴徒」による損害を詳細に説明し、警察による発砲を認めずに「被害者」の立場を強調した。」)中国特有の手法だ。

我々の眼に触れる映像は、どの局も民衆が暴徒化して商店や銀行を襲う場面と落ち着いた町並みや学校の様子のみである。
悪いのは「チベットの民衆」である。「暴徒」であると印象付けているのだ。
これだけの規模の騒乱暴動で、しかも多数の死傷者が出ているというからかなりの攻防があったことと推測される。
(新華社通信は、警察官が61人負傷していると報じているが、当局の暴動鎮圧に伴う死傷者については依然として言及していない。)外国の報道陣は勿論観光客も排除されているがためにその“鎮圧“の様子の映像がでてこない。インターネットでの情報の流出もないという。
見方を変えると、見事な”情報統制”といえるのかもしれない。

中国当局は、今回の騒乱暴動は「ダライ・ラマ集団の扇動」によると喧伝している。
チベット民族の中にダライ・ラマの対話による解決が遅々として進まないことに嫌気する過激な若手グループがいるらしい。当局側は強固に対話を拒むから進まないのである。
当局はこれらを一くくりにして全てをダライ・ラマにその責任をかぶせようとしている。

全人代(国会に相当)が終了した。
胡錦濤政権が最優先しているのは「社会の安定」であるはずだ。しかし、現実には政府への批判や不満へは“強権的”な手法で対処することが目立つ。
f0020352_9581276.jpgたたでさえ欧米諸国から、中国の人権問題の改善を求める声は強く、今回のチベット騒乱暴動によって、国際社会の注目度は一層増したのであろう。

この事件がどのような収まり方をするのか注目される。
北京五輪はあと4ヶ月後に迫った。既に、参加を拒否した選手もいる。式典への協力を辞退した人もいる。理由はさまざまである。EUの中では開会式をボイコットしては・・・との意見が出始めたという。
五輪を開催するに相応しい「開かれた国」であるのか正に今その真価を問われようとしている。

注)当初、「騒乱」と表現したが、振り返ってみると少し意味合いが違ったように思うので「暴動」と訂正。
[PR]
by m-morio | 2008-03-20 09:59 | 中国のこと | Comments(0)
[受け売り 現代史] のこと
お断りしておきます。論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。

タイは「立憲君主制」の国です。国王は直接政治に関与することなく、国民から選ばれた国会議員と国会で選ばれた首相によって政治が行われる仕組みです。f0020352_12534031.gif

ところが、この国は政治が混乱すると、選挙での政権交代という手順を踏まずに、軍によるクーデターという手段がとられてきました。クーデターを起こした軍の幹部が軍事政権を樹立し、政権が安定すると民間人出身の首相に交代するということをします。
かといって、クーデターは民主主義の国にふさわしいことではありませんが、伝統的な“タイ式政権交代”でもあるのです。

タイ国の歴史を辿ってみますと、タイ族の国家が形成されたのは13世紀頃のことです。スコータイ王朝、アユタヤ王朝、ドンブリー王朝のあと現在の「チャクリー王朝(orラタナコーシン王朝)」は1782年始祖ラーマ1世が首都をバンコクへ移したときに始まります。以降現在のプミポン国王はラーマ9世です。
1932年、クーデターが起き、これまでの絶対君主制から立憲君主制へと移行しています。現国王は名君の誉れ高いことは世界的にも有名で、在位期間は60年を超えています。
ほとんどのタイ人の家庭には国王や王妃の写真が並んでいて国民の敬愛の様子が伺えるとのことです。国王は国民の「父」、王妃は「母」であるとの思いから、タイの父の日は国王誕生日、母の日は王妃の誕生日となっています。

過去15年間にはクーデターは発生しませんでしたが、第二次世界大戦後、1991年までに5回のクーデターが成功(?)しています。そして2006年9月に起きました。
この時、海外にいたタクシン首相は帰国することができず、タクシン政権は崩壊します。
新政権が起草した新憲法は、2007年8月の国民投票で承認されましたが、反対票も多かったので、新政権の先行きに不安を残しています。

このクーデターですが、この成功のカギを握るのが国王の意向なのだそうです。クーデターを起こした軍人は、まず国王に政権の認可を求め、国王が支持を与えて初めてクーデターは成功するという図式になっています。前述のように国王は国民から崇拝されています。国王の支持が無ければすべての物事が動かないのです。

プミポン国王は自ら政治権力を行使することを避け、国の統治の象徴としての地位にとどまるべきとの考えを持っています。
f0020352_12551511.jpgですから国民から選ばれた人たちに政治を任せる姿勢をとってきたのですが、2006年に入ってからの政治の混乱振りにタクシン首相の政治に注文をつけました。これに対して首相は婉曲に国王を批判します。
これが、国王を敬愛する国民の怒りを買い、国民の怒りを代弁する形で、軍部のクーデターになったのです。
クーデターは民主的でないことは明らかです。当時の国連のアナン事務総長も「ほめられた政権交代でない」とコメントしています。
ただ、国民の圧倒的な支持を得ているという意味合いでは、民主主義に代わる手段とも言えるのかもしれません。
[PR]
by m-morio | 2008-03-18 12:58 | 市民カレッジ | Comments(0)
「中断証明」という書類があるらしい・・
実は、我が家に二台の車がある。私のと 娘のと。
私のは、もう12年も経っているし走行距離も11万キロを超えている。
車が壊れるのが先か 運転免許返上が先か・・・との思いを抱きながら日々過ごしていた。

ところがある日突然、娘が車を入れ替えようかなぁ・・と言い出した。
現状、休日しか乗っていないし、駐車場料金などなどの費用負担を考えたら二人で一台を共用するのも一つの案だなあとの思いがあったところにこの話が出てきた。
あれよ あれよ という間に話が進んでしまった。

新しい車は娘の名義にすることにした。もう年寄りが出る幕ではない・・・
くるま屋さんとの折衝の過程で、自動車保険の「割引率」や「後始末」のことになった。
保険など単に解約すればいいじゃないか・・と考えていた。
勿論、それはそれでもいいのだが、万一将来私の名義の車を手に入れた際、新たに加入する自動車保険の割引率(等級)は今の最高限度の20等級(60%の割引)は適用されないということらしい。
そこで「中断証明」という仕組みがあると聞いた。概略はくるま屋さんから聞いたのだが、更に保険会社に問い合わせてみると・・
解約しても{等級}を維持したい場合:
車を手放したり、海外赴任で長期間車に乗らない等の理由により、解約した場合や契約更新を見合せた場合のための「中断」という手続がある。
これは、一定の条件を満たす契約に対して、次回自動車保険に加入するまで「等級を維持」しておくことが出来る制度。中断した日から最長10年維持することができる。

ということだった。

まあ、今回の私たちのようなケースは少ないのかも知れないが、知っておいて損はないだろう。f0020352_12483253.jpg
[PR]
by m-morio | 2008-03-16 12:52 | 日々雑感 | Comments(0)
[受け売り 現代史] のこと
お断りしておきます。論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。

今回の「現代史」の講座は昨日の「タイ」で終わりました。 もうず~と前のことのように記憶も薄くなった「カンボジア」をやっつけてしまいます。

インドシナ半島の中央に位置するカンボジアは、タイ、ベトナム、ラオスと隣接しています。アンコール・ワットを始めとした、アンコール王朝の栄華をしのばせる数々の貴重な遺跡群は世界遺産としても知られています。
f0020352_19491787.jpgメコン川と東南アジア最大の湖であるトンレサップ湖の自然の恵みに支えられていますので、近年ではカンボジアへ訪れる観光客の増加に伴い、遺跡の街シェムリアップにはホテルが建ち並び、高級志向のリゾートタイプのホテルも充実しているようです。
このように今のカンボジアは比較的落ち着いてきていますが、歴史的には苦難の道を辿っています。
 1953年、カンボジアはフランス統治の時代を経て独立したものの、隣国のベトナム戦争やクーデターなどに見舞われ、なかなか国内の情勢は落ち着きませんでした。さらに、1975年にはポル・ポト政権が成立し、内戦が激化。
その後、国連が紛争の解決に乗り出し、1993年に新生カンボジア王国が誕生して現在に至っています。
箇条書きにしてみますと
・カンボジアの独立「カンボジア王国」時代・・・・・・・・・・・・1953~70年・・・・シアヌーク
・「クメール共和国」(米国の傀儡政権)時代・・・・・・・・・・・1970~75年・・・・ロン・ノル
・「民主カンプチア」(クメール・ルージュの恐怖)時代・・・・1975~79年・・・ポル・ポト
・「カンプチア人民共和国」(ベトナム型社会主義)時代・・・1979~90年・・・ヘン・サムリン
・「新生カンボジア王国」(1991年パリ和平協定後の)時代・・・1993~・・・・フン・セン
(この辺の経過は後述します)

今回のカンボジアの整理にあたって、何をメイン(の話題)にしようか アンコール・ワットの遺跡か、ポル・ポト政権か・・・と考えながら地図を眺めていて、そのほぼ真ん中に位置する大きな湖が気になりました。それが「トンレサップ湖」でしたので、どんな湖なのか少しだけ調べてみました。
f0020352_1927164.jpgインドシナ半島の地図を開き、カンボジアの国を眺めますと目を引くのはカンボジアの中央に広がる東南アジア最大の湖で、「トンレサップ湖」といいます。なかなか興味深い湖です。・・・写真は「カンボジア政府観光局」のHPから借用しました。
5 月から10 月の雨季には面積16千k㎡と東京湾(1.3千k㎡)の12 倍の規模となるのですが、11 月から4月の乾季には2千k㎡~3千k㎡にまで縮小してしまいます。
この湖には、400種を超える魚類の他、数多くの哺乳類や爬虫類が生息していて、特に、魚貝類はカンボジア人にとって、貴重なタンパク源となっています。
更に、特記すべきことは、地図でも分かるように湖から流れる河はプノンペンでメコン川と合流します。雨季にはこのメコン川の水流が逆流しトンレサップ湖に押し寄せてきますが、この広大な湖が洪水の調整機能を果たしているのだそうです。乾季には一気に水量が減って、後には滋養に富んだ泥土を置いていくということになります。
従って、トンレサップ湖は、カンボジアの人々の食生活を支えている重要な湖といえます。
水上生活を営んでいる人々が住む水路を通 ってミニクルーズを楽しむこともできるようです。まるで海ではないかと思ってしまうような広大さです。f0020352_19291051.jpg
例えば、チョンクニアス(地図には記載されていませんがシアムリアップの直ぐ下の黒い点で表されているのがそれです)、トンレサップ湖の北端の集落で、シアムリアップ(アンコール・ワット遺跡に隣接する観光拠点都市)とトンレサップ湖とを結ぶ船舶接岸地で、漁業者、貨物、燃料、旅客、旅行者が利用します。
ほとんどの住民は、ハウスボートか、木造の簡易な家に住み、水位変化に応じて移動しています。
チョンクニアスでは、貧困の減少などを目指して、年間を通じて利用できる水路、港湾を整備し、その土砂を利用して洪水に強い土地を造成し水上生活者用の移住地として整備する計画が進められています。

殺伐とした内戦等の経過を書き並べておきますが、いつものように「私のメモ」としてです。

More
[PR]
by m-morio | 2008-03-14 19:40 | 市民カレッジ | Comments(0)
前回の最後にベトナムの経済成長に触れましたが、書き残したことがありましたので・・・

国際経済では、先進諸国に追いつく勢いで急成長を遂げている国々があります。
これらの国名の頭文字をとって、いろいろな呼び名が登場してきています。
まず有名なのが 「BRICs(ブリクス)」で、ブラジル、ロシア、インド、中国のことです。
次に、「VISTA(ビスタ)」で、ベトナム、インドネシア、南アフリカ、トルコ、アルゼンチンです。
ベトナムは勤勉な国民性が好感を持たれ、加えて人件費が低いこともあって海外からの投資も増えています。
人件費が低いといわれ続けてきた中国も、ここにきて徐々に上昇していて、ベトナムに移転してくる企業も出ているのだそうです。

こんな話もあります。
中国に進出している韓国企業の経営環境が人件費急騰などで急速に悪化している。韓国商工会議所が会員企業350社を対象に行った調査によると、約3割が中国からの撤退を検討あるいは準備と回答した。韓国企業が多い山東省では正式な清算手続きを踏まずに「夜逃げ」するケースも増えている。
 2月に行われた同調査によれば、進出企業の約86%が「今後中国の企業環境は悪化する」と回答した。昨年3月の調査で「悪化する」としたのは約33%。過去1年間で悲観的な見方が急速に広がった。
 この背景には中国の労働契約法施行などによる人件費上昇のほか、税制などで外国企業への優遇措置がなくなったことなどが指摘されている。特に対応策が遅れている中小企業の経営悪化が顕著だという。(時事)

こうした状況からも「ベトナム」は目が離せない国といえるかも知れません。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、今日の本題です。
手元に3冊の本があります。古い本です。背表紙などは色あせています。古本屋に引き取ってもらおうとも考えた時期もありましたが、恐らく引き取りは断られるだろうと思い手元に残しておいたものです。f0020352_98826.jpg
「サイゴンから来た妻と娘」「バンコクの妻と娘」「パリへ行った妻と娘」です。記憶では4冊のシリーズものだったような気がしています。その1冊が欠けていることが ず~っと気にはなっていました。今回、改めて本をめくってみて これなのかなっ といのが載っていました。
「サイゴンのいちばん長い日」 いま手に入るのだろうか・・・。
「サイゴンから来た妻と娘」は、1978年3月に書かれていますので丁度30年前です。
今は文庫本になっているらしい。

戦火のサイゴンで、日本人記者と子連れでしっかり者のベトナム女性が結婚した。アジア人同士の文化のギャツプが惹き起こす夫婦親子の種々な問題をユーモラスに描いています。
著者は、当時サンケイ新聞社記者で、71~75年サイゴン特派員を勤めた 近藤紘一氏です。

パラパラとめくってみますと、あのサイゴン陥落の様子がかなり生々しく描写されていました。
少しピックアップしてみますので、興味がありましたらご覧ください。

More
[PR]
by m-morio | 2008-03-08 09:26 | 市民カレッジ | Comments(0)
[受け売り 現代史] のこと
お断りしておきます。論文を書こうとしている訳ではありません。また、このblogを読んでいただいている方々に何かをご教示しようなどという思い上がった考えもありません。
私がたまたま市民カレッジを受講し、それを機会に知ったことや調べたことを切り貼りして、後日振り返る時の参考にしようというメモ程度のものです。勝手な思い込み・・という部分があるかも知れません。事実と異なる部分がありましたら、どうぞご指摘ください。

カレッジでの講座でカンボジア、ベトナムの順で聴講しました。
カンボジアについてはもう1週間以上経過しています。この二カ国について整理しようとするとき、まず頭に浮かぶのは争いです。
片や「ポル・ポト」であり、一方はあのアメリカが撤退を余儀なくされた「ベトナム戦争」です。
この観点からしますと、扱う順序は私の感覚ではベトナムが先のような気がしますのでここまで引き伸ばしてきました。

カンボジアはインド文化の影響を大きく受け、アンコール・ワットやアンコール・トムに代表される世界遺産が遺されていますし、ベトナムも中国の文化を受け継いでいる側面もあります。
スペースの都合もありますので今回は、殺伐とした“争い”について整理しておきます。

世界中では未だに民族間、あるいは国家との間に摩擦が生じています。ある国ではそれが民族同士の対立であったり、またある国では宗教を巡る対立であったりします。
この両国の場合は、現在も何がしかの問題を抱えてはいますが取り敢えず過去の歴史(戦争が中心になりますが)を整理してみます。
前回は、孫の“たっくん”にお手伝いしてもらいましたが、話題が殺伐としていますので“たっくん”には改めて登場してもらうことにします。
では、「ベトナム」から・・・・・。
f0020352_9454998.gif
かって日本軍が支配したこともあったベトナムは、今や観光スポットになっています。講義の帰途通った旅行会社の店頭に「ベトナム」の大きな文字も見受けました。

広く険しい山岳地帯を抱え、狭く細長い海岸沿いの平野持ち、メコン川の河口付近には肥沃な土地(メコンデルタ)が広がり、写真で見る限り一面の緑に覆われ米作の国を彷彿させます。
人口8400万人、その8割が仏教徒です。

戦争のことは後で触れますが、確かに戦いでは勝利したベトナムですが、南北ベトナムが統一され「ベトナム社会主義共和国」は、その後急速な社会主義化政策を推し進めます。
その結果、「ボートピープル」と呼ばれる大量の難民を出し、数万人にも及ぶベトナム人が、小さな舟で自分たちの国から脱出しました。
武力で推し進めた統一の結果がこれだったということです。

急速な社会主義経済化を進めたベトナムは、長く混乱が続き、経済は停滞しました。
これを打開するため、「ドイ・モイ」(刷新)と呼ばれる経済の自由化を進めています。経済の一部を資本主義化しているということでしょうか。最近の中国に似ているような感じもします。
争いではアメリカに勝ったベトナムですが、経済では、アメリカを見習いながら豊さを追い求めています。

経済面を数字で追って見ますと、
1989年頃よりドイ・モイの成果が上がり始め、1995~1996年には9%台の高い経済成長を続けました。
しかし、1997年に入り、成長率の鈍化、外国直接投資が急減し、また、輸出面でも周辺諸国との競争激化に晒され、1999年の成長率は4.8%に低下しています。
2000年の成長率は6.7%、以後も8%前後の成長率を達成するも、慢性的貿易赤字、未成熟な投資環境等、懸念材料も依然残っているようです。
近年ベトナムは一層の市場経済化と国際経済への統合を押し進め、2007年1月11日、WTO正式加盟を果たしています。(外務省HPを参照)

この後は、ベトナム戦争の経過を年表式に残しておきます。あくまでも、私のメモです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

More
[PR]
by m-morio | 2008-03-07 10:09 | 市民カレッジ | Comments(0)