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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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イスラエル・ハマス間の戦闘は、”停戦”か と思ったのも束の間、再び交戦という事態になっています。
この戦闘で、パレスチナ社会だけではなく、イスラム世界全体にイスラエルに対する深い憎しみが広がってしまいました。
「和平への道」は相当な打撃を受け、両者の抗争は一朝一夕には解決しないという印象を深くしました。現状を立て直すだけでも、まさしく「至難の業」ともいわれています。今後の経過などはまた折を見て整理することにします。
ついでに触れますと、例の欧州諸国を巻き込んだロシア・ウクライナの天然ガス問題も、ロシアの強引なやり口が各国の非難を浴びています。この推移もいずれ取り上げる機会があると思います。

さて、オバマ新政権が国民に受け入れられるか否かは、就任後100日が勝負と米国内では言われているとか。  次々と政策を打ち出しています。
その政策の一つに「中東和平問題」があります。
報道によりますと米の中東和平担当特使(ミッチェル氏)が1月28日イスラエルを訪問ガザ地区の停戦維持や中東和平交渉の進展に向けた仲介に乗り出したとのことです。
(パレスチナ自治政府のアッバス議長とも会談する予定になっていますが、ハマスとは接触しないようです。)
注) いつも「中東」というと言葉をさらり使いすが、改めて「中東」とは? と考えて見ますと地図上では”だいたいこの辺り”・・・と指し示すことができても、正確な説明はと言われると答えに窮してしまいます。

そこで、定義は・・・と調べてみましたが、結論としてはこんな具合でした。
「「中東」とは、ヨーロッパからみて、「極東」と「近東」の間の地域をさしていう呼称。通例、アフガニスタン、イランおよびアラビア半島諸国をさすが、中近東と同義語に用いられることも多い。」ということで、中東・中近東の指し示す範囲はかなり曖昧のようです。大まかには下の地図を頭に描いておく程度の認識でいいのかなぁと思いますがいかかでしょうか。
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「ご参考」外務省の分類では次の通りです。
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オバマ大統領は、イラクから駐留軍を撤退させ、アフガニスタンに最大で3万人を増派する方針を打ち出しました。倍増です。
しかし、そのアフガニスタンでは、
外国の大使館を標的にした自爆テロが起きたり
国際部隊の死者の数が過去最悪となるなど治安は悪化の一途をたどり、
平安への道程は険しいものがあります。
さらにテロとの戦いのカギを握るといわれるのが隣国「パキスタン」ですが、この国も国内情勢が悪化し、不安定な状態で、アフガニスタンでの戦略を一層困難なものにしているといわれています。
アフガニスタンのことは今後米国の動向などを注視していく必要がありますので、今回は中東和平のカギを握るといわれる「パキスタン」に注目し、テロ組織の動向の一旦をのぞいてみます。
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by m-morio | 2009-01-31 11:56 | 市民カレッジ | Comments(0)
今、毎日の新聞紙上を賑わしているのが、イスラエル・ハマス問題 と ウクライナ・ロシア間の天然ガス問題ではないでしょうか。
前回は、イスラエル・パレスチナ問題に触れましたので、今回はウクライナに注目してみます。ウクライナの国内事情などについては「ウクライナとロシア ~宿命の対決~」で触れました。この両国は元同邦といいながら、その関係は上手くいっていません。
いつものように、新聞報道を拾い読みしながら現状を整理してみます。 

◇ウクライナ  
ウクライナは、1991年8月、ソ連から独立。
2005年1月に発足したユーシェンコ政権は、欧州連合(EU)加盟を掲げ、NATOに傾斜し、ロシア離れが進みつつあります。人口約4800万人の約8割をウクライナ人が占めていますが、東部を中心にロシア系も多く居住しています。そして、クリミア半島のセバストポリには、ロシア黒海艦隊基地がある・・・という複雑な現状にあります。
注)黒海艦隊・・・・・ウクライナ南部クリミア半島にある海港都市セバストポリに旧ソ連の黒海艦隊の司令部がある。
ソ連崩壊とともにウクライナは独立。黒海艦隊はロシア軍に帰属したため、ウクライナにロシア軍の基地が存在するようになった。両国の関係が良好だった時代は、何の問題もなかったが、ウクライナが反ロシア色を強めたこともあって、その帰属問題をめぐって両国間の交渉が難航。ロシアがウクライナに基地使用料を支払い、同港を賃借することで合意した。しかし、その期限は2017年。

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by m-morio | 2009-01-18 14:15 | 市民カレッジ | Comments(0)
たっくん は 京都で、築100年超の “町家” に住んでいる・・・ということを 京都散策~町家の巻” でご紹介しました。

2年ほど、ご近所の皆さんとも親しくお付き合いしていくうちに、本腰を入れて京都住まいをする気になったようです。

昨年改築までしてしまいました。 

どうやら彼が成人する頃までを念頭においているらしい!!

そんな彼ら一家が 某月刊誌の “町家住まい” の紹介記事に登場しました。

写真入りで・・・

下の写真は、その中の一枚を無断借用しました ↓ 

2年前に行ったときとは様子ガラリと変わってしまったようです。
2階は天井を取り払い、ロフトを作ったり、ブランコも・・・・

友達が沢山遊びに来ますが、ある女の子は、この家を「木の家」と呼ぶらしい。。。

マンション住まいの子達がこんな家でひと時を過ごしたら “泊まっていくぅ~” と言うのも無理からぬことでしょう。

今年は、是非その住み心地をもう一度体感してこよう・・・・と思っています。

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by m-morio | 2009-01-17 13:04 | たっくん | Comments(0)
2 和平への道程
イスラエルとパレスチナとの和平に進展があるのだろうか。
◇もう一度、目をガザに向けてみます。
パレスチナ自治政府は、穏健派の「ファタハ」が主導権を握っていましたが、これに反発するイスラエル原理主義組織「ハマス」がガザ地区で勢力を伸ばし、2007年6月に、ファタハと銃撃戦を繰り広げ、ガザ地区を武力で制圧しました。ハマスはイスラエルとの和平には消極的で、ガザ地区からイスラエル側に向かって、しばしばロケット弾を発射するため、これがイスラエルの住宅街に落ちて死傷者が出ました。

◇これに怒ったイスラエルは、ハマスがガザを制圧して以来、ガザ封じ込め作戦に出ました。ガザとの検問所を封鎖し、人の移動や物資の輸送も制限してきました。このためガザ地区では物資が不足し、停電も発生。病院では医療器具や薬品も不足し、住民の生活は困窮してしまいました。
そこで、(2008年1月)隣国エジプトとの国境の「壁を爆破」(全長約12キロにわたる金属製の壁のうち、3分の2が破壊。爆発の後、ブルドーザーが壁をなぎ倒した)し、数万人の人々がエジプトに買い物に出かけました。
  
◇これによってイスラエルのガザ封鎖は失敗しました。  
イスラエルは妥協策に転じ、ハマスと交渉。
2008年6月停戦が実現しました。ハマスはイスラエルへのロケット弾攻撃を中止。イスラエルはガザの封鎖を解除しました。当時は、これでイスラエルとパレスチナとの共存につながるのか注目されました。
6ヵ月間、互いに攻撃を停止し、経済封鎖を段階的に解除するという内容でした。

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by m-morio | 2009-01-10 11:19 | 市民カレッジ | Comments(0)
f0020352_1829465.gifイスラエル軍とパレスチナのイスラム原理主義組織「ハマス」との戦闘の様子が毎日報道されています。

イスラエル軍は、「ハマス」が支配するパレスチナのガザ地区に対し、空爆を続ける一方、地上部隊を侵攻させ、戦闘が拡大しています。
これに対して、ガザを実効支配する「ハマス」は、ロケット弾による報復攻撃を本格化させていまる。
先月27日にイスラエル軍による大規模な空爆作戦が始まって以降、パレスチナ側の死者は既に700人を超えました。

「イスラエル」は、ハマスのロケット弾攻撃が止まるまで軍事作戦を続けると宣言し、
「ハマス」は、イスラエルによるガザ地区の封鎖措置が解除されるまで、攻撃はやめないとしています。 

事態が悪化していく中で、やっとエジプトが仲介に乗り出しました。その成果は未知数ですが今後も目を話せないのが中東における両者の対立です。

パレスチナの現状、イスラエルとハマスとの争いの背景、そして中東の和平への展望などについて新聞報道を紐解きながら整理してみます。
  
なお、この争いは、「国と国との戦争」ではありません。「国と武装組織」の「戦闘」だと受け止めていますのでこの文言を使います。ただし、「・・・の空爆」とか「・・・の侵攻」とも書きますが。

なお、「パレスチナ問題」については2006年8月にこのブログに連載しました。
詳細については当時の書き込みを参考にしてください。様子は少し変わっていますが。

1 分裂のパレスチナ
 イスラエル建国の源流は19世紀末に遡ります。欧州で迫害を受けたユダヤ人の間で、パレスチナの地に故郷を再建し帰還を目指すシオニズム運動が芽生え、入植地が拡大していきます。          注) イスラエルの人口の約76%がユダヤ人
第二次世界大戦下のユダヤ人大量虐殺の悲劇を乗り越え、1948年5月14日イスラエルは独立を宣言(従って、昨年5月に建国60周年を迎えました)しますが、直後にアラブ諸国との間で第1次中東戦争が発生し、以来争いは四度にわたることになりました。西欧から押し付けられたパレスチナでの住み分けに納得しなかったことが発端でした。戦争では負け知らずで、勝者のイスラエルは多くの占領地を得、「和平と土地の交換」の戦略を進めます。

1978年にエジプトとの和平条約に合意
1990年代からパレスチナとの二国家共存を目指す和平交渉が本格化し
1993年、パレスチナ暫定自治宣言(オスロ合意)までこきつけました。
二国家共存に向けて歩みだしたのです。
ガザはヨルダン川西岸とともにパレスチナ自治区となったのです。

しかし、2000年に交渉は決裂。アラファト議長の死後、パレスチナでは、イスラエル壊滅を掲げるイスラム原理主義組織ハマスが台頭し、2006年のパレスチナ評議会選挙でアッバス自治政府議長率いる穏健派ファタハを破り単独政権を樹立しました。
ただハマスの強硬姿勢は各国の非難を浴び、資金の援助は中断、穏健派ファタハとの内紛も発生しています。ハマスは2007年6月には、ファタハと銃撃戦を繰り広げ、ガザ地区を武力制圧し、パレスチナ自治区はファタハが支配するヨルダン川西岸と分裂した状態にあります。

ガザは、イスラエルの経済封鎖によって孤立しています。      
約150万人の住民の多くはハマスを支持しているようですが、その武力行為を支持しているのではなく、暫定自治政府に汚職が蔓延していることや住民の暮らしを守れないことに対する批判の表れであるとも言われます。

一方のイスラエルのオルメルト首相も和平反対派の影響で政権の基盤は固くありません。
イスラエルがバレスチナとの共生を実現するには最大の後ろ盾である米国の後押しが必要です。しかし、ブッシュ政権が貫いてきた「イスラエル寄り」の姿勢はアラブ側の反発を呼び、和平実現の足かせになっているとさえいわれます。

2月10日は総選挙の投票日です。オルメルト首相やリブニ外相が率いる与党は苦戦を強いられるであろうとの観測もあります。
数度にわたる戦争を経験しているイスラエルでは、常に「国防」が最大の課題でした。敵に対して弱腰であるとみなされた指導者や政党は、選挙では絶対に勝てないのです。
この辺の事情もこの度のイスラエル軍がこの時期に侵攻を執拗に続ける要因の一つでもあるようです。

進展が見られないイスラエルとパレスチナの和平交渉。  
その大きな障害となっているのが、パレスチナの内部分裂です。  
パレスチナの分裂状態は、既におよそ1年半に及びます。
米国のブッシュ大統領は両者を仲介し和平交渉を再開させたのが一昨年の11月です。
しかし、その後大きな進展は見られず、「自分の任期中に和平交渉を決着させる」としていた公約の実現が不可能になったことを認めています。その要因として考えられるのは、イスラエルの内政の混乱もありますが、アッバス議長の力がガザに及ばない状態のままでは和平交渉をいくらやっても決着するはずはありません。
従って、和平支持派が主導権を握る形でパレスチナを再統一させることが不可欠なのです。
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外務省HP 「対立」を越えて~イスラエル・パレスチナの信頼関係を構築する より転載 ↑
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by m-morio | 2009-01-08 18:49 | 市民カレッジ | Comments(0)
何ぞや!? と 問いかけているのか・・・
はたまた、夫婦・親子・竹馬の情を語ろうとしているか・・・
読み手に委ねられているのであろうか。。。

妻しづ、長男嘉一郎、長女みつを郷里に残して 主人公吉村貫一郎は、尊王譲位に邁進すると称して南部藩を脱藩し新撰組隊士となった。
しかし、その内実は生活苦からの脱出であった。二駄二人扶持ではあったが、剣術の腕前は免許持ちの腕前で、上司の子供達を指導する立場にあり、読み書きも達者で助教を勤めていたがこちらの方は無給であった。
妻や子供たちにはひもじい思いをさせたくないとの一心からの脱藩であった。
守銭奴と呼ばれながらも、願いは、少しでも多くのお金を、故郷に残してきた妻と子どもたちのもとへ送り届けることであった。

「壬生浪(みぶろ)」と呼ばれた新撰組にあってただひとり「義」をつらぬいた主人公吉村貫一郎の姿を、明治維新から半世紀を経た時期に、一人の新聞記者が、主人公を知る人たちを訪ね、聞き書きをするという構成で書き表していく。

嘉一郎の無念の死、みつはかつての幼馴染大野次郎右衛門の子息(医師)に妻として迎えられた、そして村を離れるときには未だ産声を上げていなかった貫一郎(しづが父親と同じ名をつけた)東京帝国大学の教授となり、「稲」の研究に没頭し故郷に錦を飾る。

主人公貫一郎を知る人たちの回想の間に、貫一郎の独白が南部方言ではさまれ、愛してやまない故郷盛岡の情景が語られる。方言や町の雰囲気などが生き生きと描かれている。

壬生寺 は 今の京都中京区にある。

年末に読んだ

『壬生義士伝(みぶ ぎしでん)』は、直木賞受賞作家 浅田次郎 の作品。
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by m-morio | 2009-01-04 15:53 | | Comments(0)
明けましておめでとうございます
世の中は何かと騒がしい様相ですが、なんとか穏やかに過ごせる1年であって欲しいと願っております
このブログも4年目に突入です
日ごろのご愛顧を感謝しつつ、引き続きご愛読くださいますようお願いいたします

さて、
年末27日に、孫の“たっくん”一家がやってきまして、昨日帰京しました。
くる時は天候が荒れ模様で心配しましたが、帰りは一転して穏やかな日和で、無事帰宅しましたと・・・・・彼から電話がありました。

彼と一緒にお風呂に入り 背中を流してもらう・・・という大サービスから始まって、毎日が賑やかなお正月気分の1週間でした。

良く食べ、良く遊びました。

彼は、大張きりで近くの公園で そり滑り をしましたが、特に、従兄弟の旭生君と行った滝野すずらん丘陵公園での大滑走と雪だるま作りは事の他楽しかったようです。
気温が高めだったため積雪も湿って、雪だるまを作るには好条件だったとか。
やはり同じ年頃の子供と遊び、食事をしたことが最高に楽しく大満足の様子でした。

おとうさん、おかあさん二人だけの買い物の時は、じいじとばあばとお留守番でした。
普段、なかなか二人だけでショツピングに出かける機会が作れないらしく、しっかりと時間をかけて楽しんできたようです。
イルミネーションも見て、おすし屋さんで合流。たっぷりと北海道の味を楽しみました。

時間が出来たときは皆でトランプ遊びもしました。
七並べ、ばば抜き、ページワンなど。。。久しぶりのことでした。

彼の初体験は、1年生になったので“ お年玉” を貰ったことです。
これは彼の人生における一大イベントなのかも知れない。
じいじ としては、パンドラの箱を開けたようなもので、年中行事のはじまりです。
満面の笑みで受け取る姿は、写真にこそ撮りませんでしたが、私の瞼にしっかりと焼きつきました。

元日の初詣は近くの神社へ。
最近は“おみくじ“を引いていて、ここ2年は毎年「大吉」を引き当てているとのこと。
そんなに続かないよね・・・と周りから言われながら引いたのが、何と今年も「大吉」でした。
私たちは吉、中吉、末吉など。。。

「吉」・・・健康:神と医師を信じろ 

とありました。

医師を信じるのはともかくとして、健康維持も神頼みとは・・・・・

帰り際には、虫おじさん(旭生君のお父さん)が でっかいカブトムシ を お年玉・・といって持ってきてくれました。彼は、狂喜乱舞。。。

札幌 楽しかったなぁ・・・といっていたとか。

今年は、私たちが出向いて彼との共通の時間を過ごせればいいなぁ・・・

私個人としては、腰痛と頚部痛から解放され、撮影を楽しむことができれば嬉しいことです。

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by m-morio | 2009-01-03 16:28 | たっくん | Comments(0)