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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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FD

FDf0020352_1215566.jpgの生産・販売中止との報道がありました。
パソコンで作成した文書やデータを保存する記録媒体のFD(フロッピーディスク)。

大手メーカーのソニーが2011年3月をもって販売を終了するのだそうです。
既に、メーカー(大手では日立マクセルや三菱化学)の大半が販売を打ち切っているのだとか。
国内最大手のソニー(シェアー70%)の製品が姿を消すことに・・・。
残る一社も販売終了の時期を検討中らしい。

記事によると、この直径3.5インチ型はソニーが開発し、1981年に世界で始めて米国で発売し、日本では1983年(昭和58年)に発売されたとのこと。
時の流れでしょう。
DVDやUSBメモリーなどの記録媒体に押されて需要が減少しているのは容易に実感できます。
さらに、一部の部品の入手が困難になってきたとのこと。

ワープロ専用機から「パーソナルコンピューター」に切り替わった時期が、丁度私が転職した頃でした。
元来、この種の機器を扱うことが苦手でしたが、必要に迫られ・・・遮二無二独学悪戦苦闘したのを思い出します。

ワープロの時もそうでしたが、とにかく「独学」でした。

そのせいでしょう・・当初は文字入力の方法は「カナ入力」しかないものと思い込んでいました。
「ローマ字入力」があると気が付いたときは既に遅し。 

なので、未だに「カナ入力」です。

このFBには”お世話”になりました。
仕事をすればするほどこのFBが溜まっていく。
とうとうどこに何を保存したか分からなくなって右往左往の態のこともあったなぁ・・と当時を懐かしんでいます。

今でも時々使っています。
PCは二台あります。
デスクトップとノートです。
デスクトップを主に使いますが、机上が狭く、「現代史」の記録を整理するときなどは、資料を広げなければなりませんので、場所を移してノートを使ってFDにデーターを保管し、室内を移動します。
容量が少ないとはいえ、私が書く程度の文章を保管するのには十分でかつ使い勝手がいいですね。

このFDが将来無くなる。
予測されていたことです。
今のデスクトップを購入したとき(6年ほど前)ですら、FDを使うためのFDDユニットは別売りでした。
標準装備として付いて無かったです。

FDは、削除すれは何回でも使用可能ですから手元にある10枚程度のものが劣化するまではOKかな・・と思います。

これでまた一つの歴史が消えていくのですね。
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by m-morio | 2010-04-24 12:06 | 日々雑感 | Comments(0)
世界情勢を知る頼りとして受講している「現代史」も間もなく5年目に入ろうとしています。
思いのほか長続きしています。
受講を通して多くのことを学びました。 新聞等の報道を理解する糧となっています。

前回に触れましたように、日本の歴史をも振り返ってみようかという気持ちになっています。 
その時代も、「江戸末期から明治維新を経て高度成長期の頃ぐらいまで」・・・です。

勿論、「(世界の)現代史」のほうも講座が続く限り参加していくつもりです。

改めて「日本の現代史」と大上段に構えるのも仰々しい。
「・・・学」といった「学問」を勉強しようというのではありません。
さらっと、その大筋を振り返ることができれば良いと思っています。

その取っ掛かりになる書物を探していました。
新聞の広告で目に留まったのが「日本の近現代史をどう見るか」(岩波新書)でした。
これによると、このシリーズは今回で完結だという。のべ10巻にもなっています。
しかも執筆者が大学の先生達です。

パラパラと中身を眺めてみまして、こんな難しい本は・・・と一歩引いてしまいました。
「日本の近現代史」というテーマで参考になる書物・・・ということになると、どうしても“固い”本になるようです。
実は、その他にも目に止まったものがあります。
やはり標題は「日本近現代史」ですが、こちらは、放送大学のテキストです。
テキストだけでは片手落ちなので、放送を聴けないものかと調べてみましたが、残念ながら、ラジオの聴取がわが家では難しいようです。
(テレビのほうもその設備の対応ができていません。インターネットでその道が開けるようですが・・・・授業料とか諸々面倒です。)

・・・ということで試行錯誤していましたら
前掲の新書のそれぞれの章に、参考書が載っていました。
その中に「小説」が何冊かあります。
難しい表現のものよりこちらのほうがとっつき易いので、まずその中の一冊を手にしています。

最初は「くろふね」(2003年9月刊)で、f0020352_16235294.jpg
著者は佐々木譲です。今となっては直木賞作家になってしまいましたね。

あの開国を迫って来航した“黒船”ですが、浦賀奉行所与力 中島三郎助 という人物を主人公にして、幕府・奉行と諸外国とのやりとり、幕府としての「国防」のあり方、幕府や奉行所役人の右往左往するありさま などが、
嘉永6年(1853年)のペリー来航から、榎本武揚の配下にあって、三郎助が(二人の息子とともに)箱館・千代ケ岱陣屋にて壮絶な討ち死にを果たすまでの16年間(箱館戦争が榎本軍の降伏をもって終わる二日前)
までが詳細に読みやすく書かれています。

まず、この辺りから入ってみて、興味が深まっていくのか・・自分の胸に聞いてみようと考えています。

その過程で、興味を覚えたこと、感じたことをこのブログに書き残したいと思います。

この標題を「井蛙のつぶやき」としました。

今はやりの「ツィッター」が頭に浮かびました。

所詮、知識・見聞の狭い・浅い人間です。 
年寄りの戯言を思いつくままに書き残す一隅にしたらどうかと考えています。

「日本近現代史」への “はじめのいっぽ” です。

「井蛙」  “せいあ” と読んでください。

意味は、申し上げるまでもありせんね。

文字面からご判断ください。
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by m-morio | 2010-04-22 16:35 | 井蛙のつぶやき | Comments(0)
◇「時代小説」を好んで読んでいることを過去のブログでご披露しました。
どちらかというと江戸・下町の人情話が好きです。
そのお陰で何となく(?)江戸時代の庶民の日常生活を通して当時の世の移り変わりを漠然と理解している
・・・というとんでもない錯覚に陥り、妄想を抱いています。

小説というものは「作り話」です。
どこまでが事実なのかわからなくなることもしばしばです。

ノンフィクションの時代小説というものはあるのでしょうか。
吉村昭著「大黒屋光太夫」などはこの部類にはいるのかも!?

最近の心境・・・
いつまで“外国”の歴史にばかり執着しているんだ・・・
と自問しています。
そろそろ「日本の現代史」に取り組んでみようかなという気持ちが日々強くなっています。

そんな意識で書店をぐるぐる回っていて、立派な教材(参考書)が見つかりました。
エラ~い大学の先生達が執筆されていますので少々とっつきづらさがあります。

「シリーズ日本近現代史」(岩波新書)です。
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2006年に第1巻が発行され、先般、シリーズ10巻目「日本の近現代史をどう見るか」が出版されました。これが最終です。

このシリーズは、
幕末・維新、憲法、日清・日露戦争、大正デモクラシー、満州事変・日中戦争、太平洋戦争、占領、高度成長、ポスト戦後
と時の流れに沿って書かれているようです。

取りあえず、第10巻を手に入れました。

「はしがき」に
「近代の幕開けを告げた開国から150年余、
日本は何を求め、どのような歩みをすすめてきたのでしょうか。
21世紀の日本は、いかなる歴史的な文脈を抱え、これからどこへ行こうとしているのでしょうか。
そして私たちの一人一人は、日本社会の歴史にどう関わっていけばよいのでしょうか。
こうした問題を考えるためにスタートした「シリーズ日本近現代史」は・・・・」
とあります。

世界情勢の動きに注目しながらも、そろそろ日本の近現代の歴史にその意識を向ける時期がきたような気がしております。

10冊の新書を読むだけでも大変な時間と根気が必要なのでしょう。

取り組みますと、何らかの区切りをつけられるまでに1年では無理なような気がします。

いつから取り掛かるか・・は未だ決めていません。

只今70歳、物忘れも日々進行しているような気がしています。
残された時間は多くはありません。
呆けが進むのを少しでも遅らせるためにも早いほうが良いのかも知れません。

「(世界の)現代史」と「日本の近現代史」を並行して学ぶのはちょっとしんどいかなぁ。

直ぐにでも始めなければ、時間切れということにもなりかねません。(~o~)
「現代史」のようにブログ上で整理するか(できるか)も全く見当もつきません。

取りあえず、
最終の第10巻を手元に置いています。今のところ「積読」です。

この本は、シリーズの「総まとめ」の位置づけなのでしょうが、「導入書」として活用できそう・・・です。

身体のほうが、思うように動かなくなりました。

書物を手にしたり、PCの前に座る時間が長くなり、視力も落ちてきました。

写真を撮る時間が少なくなりましたので、その余裕を当てましょうか。

いつものように、

ボチボチと、

気の向くままに、

ゆっくり歩んでいくことにします。
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by m-morio | 2010-04-15 13:45 | | Comments(0)
◇いま、「現代史」の講座はお休みの期間です。
前回は「核の諸問題」としてこのブログに整理しました。
その後、「核」に関わるいろいろな動きがあります。

・米国が「核体制の見直し」(NPR)を発表しました。
今後5~10年間の米国の核戦略の包括的指針を示す文書です。

・米ロ間で「新核軍縮条約」が調印されました。
核弾頭の数を減らす具体的な数字目標が掲げられました。
しかし、核兵器の「廃棄」を目指すものではありません。
両国の思惑も絡んで歯切れの悪さを感じます。

・米・ワシントンで「核安全保障サミット」が開催されました。f0020352_16482649.jpg
世界中に存在する高濃縮ウランなどの核物質については、国によって管理体制が異なるため、これらの流出防止に向けて国際的に共通した対策の構築を目指すものです。

鳩山首相も出席し、「あること!!」を提案・約束しました。
日本で実施すると確約しました。それなりの費用も負担すると・・。

しかし、どうなんでしょう・・・
その前に国内で(特に原子力発電絡みで・・)やるべきこと、解決すべきことが滞っているように思うのですが。
今ひとつしっくりしません。
これらのことについては、いずれ考えてみようと思います。

・核不拡散条約(NPT)の見直し会議が5月に予定されています。
5年ごとに開かれているものですが、前回は核保有国と非保有国の利害対立が根強く、会議は事実上決裂した経緯にあります。
今回も、簡単にはいかないのでしょう。国益がからんだ思惑が錯綜します。

これらの締結条約などについても、近いうちに「核の諸問題」の番外編として整理していきたいと考えます。

◇そもそも私がなぜ「現代史」の講座を受講するようになったかの馴れ初めについてはいつかどこかで触れたような気がします。
どうしても「現代史」を勉強したかった・・・ということはありません。
仕事を離れて、有り余る時間をどのように過ごそうか?との自問の中に「写真」があり「歴史」がありました。
「歴史」が念頭に浮かんだときも、その対象はどちらかというと「日本の現代史」あるいは「日本の文化・芸能の歴史」のようなことでした。
特に、後者は私にとって全くの門外漢でしたから、キッカケになる講座がないものかとあちこちのカルチャーセンターなどを調べましたが適当なものが見つからず時間ばかりが経ちますので、取りあえず目に留まった「現代史」を受講しました。

今や、これにどっぷりと浸かって諸外国の出来事からその国の歴史に一寸だけ遡っています。
しかし、これが意外にも日常生活に大いに役立っています。
毎日報道される「世界情勢」を理解するうえで誠に重宝しています。
この講座が何時まで続くのか分かりません。かなり多くの国々を網羅してきました。
先の「核」問題のように、講師が“新聞記事の解説“的な位置づけで続けられるならば当面は続くのかも知れません。
次回は、また、本来のテーマが選択されました。
「アラビア半島」です。
イスラムの発祥の地です。メッカを擁しています。
近年は、テロやオイルマネーの震源地ともいわれます。

予告によりますと、イエメン、サウジアラビア、オマーン、アラブ首長国連邦が取り上げられます。
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by m-morio | 2010-04-14 16:51 | 市民カレッジ | Comments(0)
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モスクワ近辺が騒々しい。チェチェン共和国の文字も新聞紙上に載っている。
ロシアとチェチェンに焦点をあててみる。

ロシア・モスクワで自爆テロが2件続けて起きた。その後も近隣でテロと思われる事件が頻発している。
モスクワでのテロは2004年以降5年余の間途絶えていた。この時期に何故?との疑問が残る。

独立運動と弾圧が互いに過激化し、その結果抜き差しならない状況に陥ってしまったのではなかろうか。
報道によると、犯行は、ロシア・チェチェン共和国から逃れた北カフカスの武力集団ではないかという。

◇では、その狙いは
この武装勢力の犯行だとするならば、その狙いは何だろう。
爆弾テロが起きた地下鉄の駅が連邦保安局本部の建物や大統領府に近いこと、また、この爆弾テロが特定の人物を狙ったものではなく、一般市民を狙った無差別テロであることから推して、「ロシア政府に対する挑戦」と「ロシア社会を恐怖に陥れる」という二つの狙いがあったものと見られている。
更には、モスクワの中心部でテロを実行することによって、「武装勢力の力をロシアに誇示」することが大きな狙いなのかもしれない。

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by m-morio | 2010-04-07 18:41 | 市民カレッジ | Comments(0)
というか “処分” と言い換えるべきかも・・・。

狭いマンションの一室の隅っこに鎮座している本箱が満杯です。
残しておかなければならないという本はありません。
どうでも良い本ばかりなのですが、なんとなく溜めてしまって、溢れんばかりに詰め込んだ結果、本箱は悲鳴を上げています。机の周りにも“積んどく”の残骸です。

なんとかしなければ・・と思いつつもとうとうこの日まで引き伸ばしてきました。
実は、市民カレッジの参考書も溜まってきたことやら、受講の都度1冊のファイルが出来ていきますのでその保管場所にも困っています。

暫く、体調がイマイチだったこともあるのですが、そちらの方はあの“劇薬”で小康を保っていて、多少“ハイ”な気分ですよ。
なんだか、スポーツ選手の薬物使用の気持ちが少し分かるような気がしています。
通院は、2ヵ月毎が、2週間毎に短縮されていまして、頻繁に病院通いをしているため、先々の予定が立てられないというのが現状です。特に、旅行など・・・はです。
一時的に増量した「薬」も減量過程に入りましたが、通院が2ヶ月間隔に戻るには暫く時間がかかりそうです。

脱線しました。

本のことでした。f0020352_14395092.jpg

◇・・・ということで今、少しずつ“処分”を始めました。
そうです、古本屋さんへ持っていくのです。
わが家の近くに3軒の古本屋さんがあったのですが、昨年1軒が閉店しましたので今は2件。
折角、“売る”のですから、少しでも高く!と考えるのが人情。
そこで、まず文庫本60冊を同数に分けて1軒目を訪問しました。
過去の経験からこの程度のものならこれくらいとの胸算用がありました。
係りの若いお嬢さん曰く「410円」ですが、よろしいでしょうか? 心の中では えっ! と驚きもしましたが、いまさらやめたとも言えず うなづく。

次に、もう1軒へ。同じように30冊を預けました。
1860円で、ほぼ妥当な金額ではありました。
この差はなんだろう?
以後、初めの店には出向きません。
経済学的にも「お金や商品は高きに流れるもの」なのです。
まぁ、みみっちい話ではありますが。 塵も積もれば。。。

◇今、あるシリーズで買い揃えたものを読み返しているのですが
整理の作業中に、もう一度読んでみようかという気にさせる本が出てきました。
中をパラパラとめくって見ますと、これが「字が小さい」(文庫本)ため少々躊躇します。色もあせていますので本屋さんが引き取ってくれるかどうかも怪しい代物です。
この年になると、活字の小さい古い文庫本は敬遠します。最近のものは、随分読みやすくなって嬉しい限りですが。

さて、どうしたものか?その一冊で手が止まってしまいました。
「高層の死角」森村誠一著 ・・・第15回江戸川乱歩賞受賞作品(昭和44年)
裏表紙に「空前の二重密室トリック」を使った・・・とあります。
もう、その筋書きも、トリックのことも全く記憶にありません。
新装版を購入しようかなぁ・・とも考えます。ちなみに、手元にある文庫本は定価340円。
新装版は恐らくこの倍はしましょうね。
値段はどうでもいいのですが・・。この一冊の処遇に悩んでいます。

そんな日々を過ごしながら、少し本箱にゆとりが出始めました。
もっともっと処分してスペースを確保しなければ、身辺の整理ができません。

・・・にも拘わらず、
今日も1冊の本をゲットしてきてしまいました。
「マドンナ・ヴェルデ」海堂尊の最新本です。
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by m-morio | 2010-04-01 14:47 | | Comments(0)