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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

<   2011年 04月 ( 14 )   > この月の画像一覧

▼コートジボワールf0020352_10594194.jpg
コートジボワールという国はなじみが薄い。
チョコレート好きには、カカオ豆の生産地として知られているようである。
この国の名前が新聞紙上に頻繁に登場したのはここ半年であろう。
嬉しい話題のためではない。民族・宗教・経済的な利権などが絡み合った内乱のためである。
一時は、内乱が武力衝突という最悪の事態になったが、なんとか収束に向かいつつある。
しかし、その前途は多難の様相を呈する。

手元のスクラップから知り得た情報を整理してみる。

◇国の概要
 面積・・日本の0.9倍、人口・・2110万人(2009年)、
 首都・・ヤムスクロ、実質的首都はアビジャン、
 民族・・セヌクオ族・バウレ族・グロ族他、
 言語・・フランス語(公用語)、
 宗教・・イスラム教30%・キリスト教10%・伝統宗教60%
 1960年フランスから独立。(以上は、外務省HPによる)

 カカオ豆の世界最大の生産国で、内紛にはその利権も絡んでいるらしい。
(参考)
出所は「日本チョコレート協会」のHP
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◇内乱の発端と経緯
1960年に独立後、一時は高い経済発展を遂げたが、80年代以降は経済が停滞した。
02~03年には南部・政府軍(コートジボワール人)と北部・反政府勢力(カカオ豆農場で働く隣国ブルキナファソからの出稼ぎ移民が中心)の内乱が起き、南北の分裂状態が続いてきた。

2000年の大統領選後、任期が切れる2005年に大統領選が行われる予定であったが、この内乱などを理由に選挙は延期され、バクボ氏が大統領の座に居座り続けた。
2010年10月31日にようやく行われた大統領選挙は、現職のバクボ氏と、元首相で野党連合を率いるワタラ氏の一騎打ちの構図となった。
投票の結果、過半数を得票した候補はなく、11月28日にバクボ氏とワタラ氏の上位の二人による決戦投票が行われたが、投票の直後からバクボ氏側は選挙に不正があったとして選挙の無効を訴え、両陣営の間で緊張が高まった。

選挙管理委員会はワタラ氏の当選を発表したが、その直後、バクボ氏寄りの憲法評議会が不正を理由に一部の票を無効とし、現職だったバクボ氏の当選を認定。
同12月4日、両者が就任を宣誓するという異常事態となった。

国際社会はワタラ氏の当選を承認、外交圧力をかけたが、バクボ氏は退陣に応じなかった。
この間、バクボ氏側部隊とワタラ氏支持者らの衝突が激化し、多数の市民らが死亡し、避難民も急増した。
バクボ氏の排除を目指すワタラ氏の支持隊は3月下旬に、拠点を置く北部から最大都市アビジャンに向け侵攻を開始した。

4月4日、現地に展開している国連平和維持活動(PKO)部隊の国連コートジボワール活動(UNOCI)と駐留フランス軍は、アビジャンで、大統領職に居座るバクボ氏側部隊の基地や大統領府などバクボ氏の拠点に対しヘリコプターからの空爆を行い、軍事介入に踏み切った。
フランス軍などは、バクボ氏側の攻撃から市民を守るため介入したとしている。
このワタラ氏側の総攻撃で、バクボ氏側が窮地に追い込まれ4月11日にバクボ氏は拘束された。コートジボワール情勢は最終局面を迎えつつある。

(続く)
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by m-morio | 2011-04-30 11:09 | 市民カレッジ | Comments(0)
▽リビア
▼国の概要:
 地中海に面する北アフリカに位置し、面積は日本の4.6倍、人口629万人(2008年)、首都トリポリ、アラブ人、イスラム教。
1951年に独立。1969年に、ガダフィ大尉(当時)ら青年将校団が無血クーデターで王制を倒した。
以後41年間、ガダフィ大佐(現在)が最高指導者の座にある。
憲法はなく、大佐の革命理論をまとめた「緑の書」に基づく独自の民主制を採用しているものの、実態は大佐を頂点とする強権支配体制を厳しい情報統制が支えている。
かつてはパレスチナ過激派などを公然と支援、数々の国際テロ事件にも関与した。
国際的に孤立していたが、2003年に大量破壊兵器計画の破棄を宣言し、国際社会に復帰。f0020352_105730.jpg
OPEC(石油輸出国機構)に加盟する有力産油国でもある。
09年は、日量165万バレル(注)の原油を生産し、アフリカ最大の原油埋蔵量を有する。
注) 「165万バレル」という数量を理解するために・・・
  先般(4月18日)、クエートが、東日本大震災に伴う日本の電力不足対策として、「原油500万バレル」か「それに相応する石油関連製品」を日本に無償供与すると発表した。  円に換算すると、約457億円になるという。
日本の1日当たりの原油輸入量は365万バレル(2009年)・・・と報道された。(読売新聞


▼動乱
 1ヶ月前(3月20日)、多国籍軍によるカダフィ政権に向け軍事作戦が始まった。事態は依然こう着状態で、内戦が長期化する可能性が高まっている。

 リビアで、反政府デモが起きたのは、2月15日だった。それは小規模なデモから始まった。
国境を接するチュニジアとエジプトの政変に触発される形で、リビアの北東部からデモが広がった。
40年以上にわたるガダフィ大佐の独裁支配を倒そうというのが反政府勢力の目的だった。
これに対して、ガダフィ政権は、軍や外国人の傭兵を動員し、戦闘機まで使って、徹底的に攻撃し、多数の死傷者を出した。

国連安保理は、3月17日、「飛行禁止空域」の設定を含め、リビアの市民をガダフィ政権の攻撃から守るために、国連加盟国による軍事作戦を認める決議を採択した。
この決定を受けて、同19日、フランス、イギリス、アメリカなど、多国籍軍による軍事作戦が始まり、戦闘機や巡航ミサイルでガダフィ政権の軍事拠点を攻撃した。
反政府勢力は、勢いを得て、一時は、首都トリポリまで迫ったものの、多国籍軍は、地上部隊の派遣は行わず、空からの攻撃も、市民を守るという目的に絞った限定的なものだったこともあって、ガダフィ政権側は体制を建て直し、再び攻撃に転じた。
戦況は、一進一退でこう着状態になった。

▼カダフィ独裁政権
 1969年、27歳だったカダフィ大尉(当時)ら青年将校団が、無血クーデターで王制を打破し共和制を敷いた。
77年、政党や議会制を否定し、「ジャマヒリア」と呼ばれる直接民主制国家への移行を宣言した。
憲法はなく、カダフィ氏の革命理論「緑の書」が国家指針。
18歳以上の全国民の声を、全国各地で開催される基礎人民会議で吸収する建前になっているが、実際はカダフィ氏の独裁が41年も続いている。

70年代にはパレスチナ過激派を公然と支援し、88年の米パンナム機爆破事件にも関与した。しかし、2003年に核兵器開発計画を放棄してからは、欧米との関係は改善に向かった。

国民に対しては、「アメとムチ」で、約630万人の国民の不満を抑え込んで来た。
豊富な石油収入を使い、国民の生活水準は比較的高かった。
しかし、カダフィ一族の腐敗、反体制活動家やメディアに対する人権・言論弾圧に、国民の怒りは募っていた。

▼解決を模索
 4月に入って、リビアの外務次官が、ギリシャやトルコを訪問し、トルコは停戦に向けた提案をしたと伝えられている。
また、アフリカ連合も仲介に乗り出したが、反政府勢力側は、ガダフィ大佐がリビアに残る形での決着は、“絶対にNO”と拒否する姿勢である。
一方、政府側も、ガダフィ大佐をリビアから退去させるという解決案を拒否している。
交渉による解決の見通しは立っていない。

▼事態の収拾は?
 「早期には難しいだろう」というのが一般的な見方。
先週、国連、NATO、アラブ連盟などが事態打開のための会議を開き
・反政府勢力を代表する「国民評議会」をリビアの正当な代表と認め、その資金調達のための枠組を作る
・国連の特使をリビアに派遣して、ガダフィ政権側との交渉にあたらせる
ことを申し合わせした
しかし、いずれも、事態打開の決め手にはなっていない。
軍事作戦強化を求める欧米側と慎重な姿勢を見せるアラブ連盟の間で意見の違いがある。

3月19日に、フランス、英国、米国などは「有志連合」の形で軍事介入した。
その後、軍事介入の指揮権は、3月末にNATOが受け継いだ。
NATOは、カダフィ政権側の軍がすべての拠点から撤退し、市民を攻撃する懸念が消えるまで集中的な軍事作戦を続ける姿勢を打ち出している。
だが、NATO加盟国の多くは戦闘機の投入には消極的だ。
仏は、カダフィ政権打倒を目指し、米は、政権転覆を空爆の目的としていない。
ドイツは、軍事作戦に参加しない方針だし、トルコは、もともと空爆に反対で政権側と反政権側の調停に乗り出している。
その目指すところを異にしたまま反政権側に肩入れする形で軍事介入を進めることに疑問を呈する意見も多い。

▼今後を予想するのが難しい
 少なくとも、「リビアが、反政府デモが起きる前の状態に戻る」ことは、もうないだろうという意見が多い。
シナリオとして
・ガダフィ政権が次第に追い詰められて、やがては政権崩壊の時を迎えるのか
・内戦が長期化し、かつ泥沼化して、国が分裂するのか
結末は、今後の多国籍軍の軍事作戦の進め方によっても大きく変わる可能性がある。
国連は、地上部隊の投入には慎重で、現状の空爆作戦は決め手を欠き、政府軍と反体制派の攻防は手詰まり状態になっている。
軍事介入を批判している中国やロシアなどを含めて、退陣を迫る国際的な政治圧力をさらに高める必要があると論評されているのだが。。。。。。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「シリア」の情勢も混沌としている。
アフリカ大陸の南部でも紛争が続く国がある。コートジボワールである。
できれば、この国の現状も調べてみたい。
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by m-morio | 2011-04-27 10:08 | 市民カレッジ | Comments(0)
「シリア」と「リビア」の動静を伝える記事が毎日紙上を飾る。

シリアにおけるアサド政権が窮地に陥っているとの報道があるが、中東におけるシリアの位置づけは軽くない。
万一、政権が倒れた場合の影響を危惧する周辺国もある。
アサド政権と反政権との対立もさることながら、周辺諸国との関係も無視できない。

そこで、「リビア」に移る前にもう一度シリアの周辺について触れておくことにする。

 シリアは、中東情勢に大きな影響力を持つアラブの大国である。
中東の和平問題というと、「イスラエルとパレスチナの問題」と思われがちだが、シリアが絡む諸問題も見逃せない。
例えば、
・イスラエルとの和平交渉の再開
・レバノン問題の平和的解決
・(イスラエルの友好国)アメリカとの関係正常化
などが挙げられる。
                          中東紛争の構図
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▼シリアは、イスラエルと敵対する「イラン」、レバノンのイスラム教シーア派組織「ヒズボラ」、パレスチナのイスラム組織「ハマス」と、それぞれ、強い結びつきがある。
イランとシリアは、ともにヒズボラやハマスを支援してきた。

イスラエルは、1967年の第3次中東戦争で、シリアと戦い、ゴラン高原を占領し、その後、一方的に併合した。
90年代以降、アメリカの仲介により、両国の間で和平交渉が行われるも、シリアは、一貫して、「第3次中東戦争が起きる直前の国境線まで、イスラエルは撤退せよ」と要求している。
ゴラン高原返還問題では、1メートルたりとも妥協しない姿勢である。

イスラエルとの和平交渉は、アメリカやトルコの仲介で、断続的に行われてきた「間接交渉」も、2年前、イスラエル軍がガザ地区を大規模攻撃し、大勢の死傷者が出て以来完全に中断している。
つまり、イスラエルがパレスチナ人の土地を占領し、ユダヤ人入植地の建設・拡大を続け、パレスチナ人を殺害している間は、和平交渉を再開するつもりはない。
イスラエルが根本的に態度を改め、占領地から撤退をうたった国連安保理の決議を受け入れない限り、交渉には復帰できないという立場をとる。

▼レバノンでは、6年前、親米派のラフィク・ハリリ元首相が大規模な爆弾テロで暗殺された。
この事件をきっかけに、長年、レバノンに駐留し、実質的に支配していたシリアの軍と情報機関がレバノンから撤退した。
総選挙を経て、一昨年、次男のサハド・ハリリ首相により連立政権が発足した。

国連の特別法廷は、今年1月、元首相暗殺事件の訴追手続きを開始した。
特別法廷は、まだ、被告の氏名や所属を公表していないが、イスラム教シーア派組織ヒズボラのメンバーが訴追されるのではないかと見られている。
ヒズボラは、(シリアとイランの支援を受けていることから)特別法廷の判断を認めないよう、レバノン政府に要求したが、ハリリ首相は、これを拒否。
ヒズボラに所属する閣僚など11人が、1月12日、一斉に辞表を提出し、連立政権が崩壊した。

シリアは、ヒズボラの事件への関与を強く否定している。
シリア自身が関与したのではないかとする報道もあり、こうした疑いをかけられていることに強く反発している。
今後、レバノンで、欧米に近い勢力とシリアやイランに近い勢力との間で、対立が深まり内戦が起こるのではないかとの恐れも指摘されている。

▼米国は、シリアがヒズボラやパレスチナ過激派を支援したことを理由に、シリアをテロ支援国家と位置づけた。
特に、2003年3月に、米がイラクに武力行使したことにシリアが一貫して反対したことで、米国との関係は悪化した。

2004年5月以降、米国製品禁輸、シリア政府所有航空機の米国内離発着の禁止などの制裁措置をとっている。

オバマ米新政権は、発足以来、米国はシリアとの対話を模索する動きを見せている。

レバノンにおけるハリリ首相の暗殺事件の直後に、シリアに駐在する大使を本国に召還しそのままになっていた。これは、シリアの関与を疑ったブッシュ前大統領の政策だったが、オバマ大統領は、新しい大使を6年ぶりにシリアに派遣した。
オバマ大統領になってから、シリアを「ならず者国家」と呼ばなくなったが、依然、米国政府は、シリアを「テロ支援国家」のリストに載せており、経済制裁も続けている。
このような敵対的な措置が解除されなければ、米国・シリアの本格的な関係改善はないだろう。

一方、イランにとって、民族は違っても(イランは、ペルシャ人)シリアの動向は無視できない。
同じように強権的な体制を敷くイランへのデモの波及を占う意味もあるからだ。
米国が、シリアとの関係改善を模索するのは、米国の覇権に異を唱えるイランの孤立を図る狙いがある。
最近、シリアの反体制グループに活動資金約600万ドル(約4億9千万円)を提供していたことが暴露されてもいる。

シリアは、反米を掲げるイランなどと緊密な関係を保ってきて、中東の不安定要因と見られてきたが、実際にはシリア自身が中東の微妙なパワーバランスに寄与している側面もあると言われている。

「シリアの政権が崩壊するかどうかは国内問題に留まらず、地域全体にとっても意味を持つ。イランはあらゆる手段でアサド政権を守ろうとするだろう」

と指摘する声もある。

中東は極めて流動的な情勢にある。
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by m-morio | 2011-04-25 14:51 | 市民カレッジ | Comments(0)
昨日
シリアで、
「アサド大統領が21日、市民の自由を制限してきた非常事態令を撤廃するという大統領令を発令した」
と書いた。
ただし、一方で、政権側は「今後のデモは許可制とし、無許可デモを取り締まる」との姿勢を示していた。

22日、
首都ダマスカス近郊や南部ダルアなど複数の都市でそれぞれ数千人規模のデモがあり、治安機関が実弾を発砲するなどした。
少なくとも全土で30人超(報道に若干の差がある)が死亡したと伝えられている。

民主化勢力は「バース党を支配政党とする憲法の規定の撤廃などを求める」共同声明を出している。

この日のデモで多数の死者を出したことによって、市民の反発が増幅し、アサド政権がさらなる改革を打ち出さない限り、事態の沈静化は難しい状況になった。

                   11.04.23 北海道新聞
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by m-morio | 2011-04-23 13:01 | 市民カレッジ | Comments(0)
この一月余り、東日本大震災の陰に隠れてしまっているが、アラブ世界で、今、起こっている政治の動きは、3.11大震災とともに、21世紀の世界史の記録に残る出来事である。
関心を切らせることなくその動向を見つめていくことも大切なことだと考えている。

市民カレッジでは、来月臨時講座が開かれる。
講師と主催者側が日程をやりくりして実現することになった。
題材は、世界が注目している中東・アフリカにおける内戦等の諸問題である。
手嶋先生は、今、シリア方面を旅しているはずである。10日に日本を離れたのでそろそろ帰国の時期なのかも?
次回の講座では、現地で見た、聞いた、感じた生の声を聞くことができそうで楽しみである。
                      (11.03.27日経より)
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 今年1月に、チュニジアのベンアリ政権が民衆の抗議デモで倒されたのを契機に、2月には、エジプトのムバラク前大統領が、民衆の大規模なデモで退陣に追い込まれた。
その後、反政府デモのうねりは、中東・北アフリカのアラブ諸国に広がった。
そして、ついには強固な独裁体制を維持してきた「シリア」にも飛び火した。
一方、「リビア」では、カダフィ政権と反政府勢力の攻防が、2ヶ月以上続いている。

手嶋先生の講義を聴講するに先立って、「シリア」と「リビア」の現状について予習をしておこう。

▼シリア
□国の概要:
面積・・・日本の約半分、人口・・・2109万人(2009年)、首都・・・ダマスカス、90%がアラブ人、また、90%がイスラム教徒、公用語はアラビア語、1946年にフランスから独立。
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 シリアは、イラク、レバノン、ヨルダン、イスラエルなどと国境を接していて「アラフの大国」を自認している。
1963年、バース党がクーデターで政権を握り、事実上の一党支配を続けている。
30年間政権を把握していた(ハーフェズ・)アサド前大統領が、2000年に死去後、息子の(バッシャール・)アサド大統領が政権を引き継いだ。結局、親子で40年あまりの間、権力を独占してきた。

この間、イスラエルとは3回にわたって戦争を繰り返し、対米関係では、シリアによるヒズボラやパレスチナ過激派支援などを理由に、米はシリアをテロ支援国家のリストに載せている。
対レバノンでは、シリアは、歴史的経緯からレバノンを同胞国とみなし、1990年のレバノン内戦終結後も軍部隊を駐留させ、実質的にレバノンを支配してきた。
その後、脱シリア支配の声が高まり、米仏を中心とする国際的な圧力もあって、シリアは2005年4月に軍をレバノンから撤退させた。現在、関係は正常化している。

□反政府運動
 アサド政権は、反政府勢力を徹底的に弾圧してきたため、これまではこの種のデモが起きることは稀であった。
しかし、チュニジアやエジプトに触発された若者たちが、インターネットなどを使って、政権に抗議するデモを呼びかけた。
当初は、
・非常事態令の解除
・民主化の要求
・当局に拘束された市民の解放
・「言論の自由」の保障
などを要求し、「反体制」「政権打倒」などではないことを強調していたが、治安機関による弾圧で死者が増える中で、市民の怒りが増幅していった。

 3月中旬以降、ダマスカスおよび南部の都市ダラアを中心にデモが拡大した。
イスラム教の集団礼拝が行われる毎週金曜日に反政府デモが行われ、治安機関が鎮圧し、犠牲者の葬儀が、新たなデモに発展するというパターンが繰り返されてきた。
デモは、その他の地域でも継続して起きている。

シリア政府は、外国メディアの取材を厳しく規制していて、詳しいことが伝わらない状況にあるが、(4月)17日から18日にかけて治安部隊による発砲で、デモに参加した市民がおよそ20人死亡したと伝えられた。
一連の反政府デモで、これまでに200人以上が死亡し、多数のけが人と逮捕者が出ているほか、治安当局による拷問も行われていると伝えられている。

□政権側の対応
 アサド大統領は、治安機関を総動員して、デモを徹底的に抑え込む一方で、融和策や懐柔策も打ち出している。
政治改革を実行するとして、新しい内閣を発足させ、「非常事態令」(注)を解除することを表明していたところ、(4月)21日、非常事態令を撤廃する大統領令を出した。  48年ぶりの撤廃である。
注)バース党が政権を握った1963年に発令され、治安や秩序の維持を理由に、治安機関に強い権限を与え、集会や政治活動の自由を厳しく制限する法令。
例えば、許可無く5人以上が集まることは許されず、逮捕状なしでも身柄を拘束される。今回、デモの参加者は、48年間出されたままの非常事態令の解除を求めていた。
エジプトの前ムバラク大統領も、就任以来、非常事態令を出し続けていた。
独裁政権を維持するための道具とされている。


□デモは収まるのか
 非常事態令を解除すればデモは収まるのか。
そう簡単には収まりそうもない。
大統領は非常事態令の撤廃と同時に、許可のないデモを禁止するという大統領令も発布した。
非常事態令の撤廃で実際に情勢が沈静化するかどうかについては疑問の声が出ている。

デモの参加者たちは、表面的な解除にすぎず、実質的には何も変わらないだろうとみており、デモを継続する見通しである。

今後も目を離せない。
(続く)
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by m-morio | 2011-04-22 11:35 | 市民カレッジ | Comments(0)
9 ヒスパニックの広がり
 ヒスパニックとは、英語でスペイン系ラテンアメリカ人。
専門家は
「自分か祖先がスペイン語圏のラテンアメリカ出身で、そのことにアイデンテイティをもち、アメリカに居住する人々のこと。」という。
その多くがメキシコ系。
 2006年のアメリカ合衆国の人口構成を見てみると、ヨーロッパ系66%、ヒスパニック系14.8%、アフリカ系4.4%となっている。
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アフリカ系よりもヒスパニック系が多いのである。ヒスパニックの実数4400万人は、メキシコの人口の4割に当たり、スペインの総人口とほぼ同じである。

アメリカ合衆国においては、増え続けるヒスパニックに対応して、大都市でさまざまな変化が見られるようになっているという。
スペイン語のコンピューターソフトを販売したり、スペイン語を話す店員を雇ったりと、企業はヒスパニックの消費者への働きかけに力を入れている。

▽アメリカとメキシコ
 メキシコ国境からアメリカ合衆国の南部一体にかけて、メキシコからの移民で著しい人口増加を引き起こしている。
アメリカ合衆国とメキシコの国境には、密入国を防ぐため、高さ3m.の鉄の壁が延々と延びている。まるで、イスラエルとパレスチナを思い起こさせる。 貧しさから逃れるための移住である。

背景には、アメリカとメキシコとの大きな経済格差がある。
しかし、移住といっても簡単ではない。豊かになりたいという夢を抱いても、合法的に行くには高い費用がかかる。国境を越えても、その多くはアメリカ側で拘束され、メキシコに送り返される。たとえ入国できたとしても、多くの人々は、労働者となって働く。

例えば、ロスアンゼルスにある衣料品の縫製工場では、ほとんどがヒスパニックの人々。低い賃金・長い労働時間。ヒスパニックの存在が、工場に利益をもたらしている。
さらに今や、アメリカの農業労働者の4割がヒスパニックだという。
不法滞在者も多く、取り締まるべきかどうかが、政治問題にもなっている。
もともとヨーロッパからの移民で形作られてきたアメリカだったが、急速にヒスパニックの流入が増えた。
・ヒスパニックの文化が浸透している・・・スペイン語人口の増加
・英語とスペイン語の両方を日常的に用いるアメリカ人が増えた
・ヒスパニックは労働力だけでなく、文化面でもアメリカを豊にしてきている
・更には、アメリカ国歌のスペイン語版まであるという
アメリカ合衆国のラテンアメリカ色が、だんだん強くなってきたといえるのだろう。

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by m-morio | 2011-04-11 16:24 | 市民カレッジ | Comments(0)
7 独立への戦い
 「独立」とは、少数の ”西洋人” による支配を、大多数の地元の人々が脱することをいうのだろう。
しかし、当時の独立運動の主体となったのは、南アメリカで生まれ育ち、スペインに起源を持つ人すなわち ”クリオーリョ” たちだった。

1810年を境にスペイン領アメリカの各地は騒然としてくる。
各地における自治からさらに踏み込んで完全独立へと進んでいく過程には、クリオーリョたちの独立志向の度合い・軍事能力・本国政府の動向・独立軍へのイギリスの支援などが影響を及ぼした。

1821年、メキシコ、コスタリカなど、1822年にはブラジルが独立し、約300年間続いたアメリカ大陸のスペインによる支配は、わずかにカリブ海のキューバを残してその巨大な姿を消した。
なお、キューバがスペイン領にとどまったのは、クリオーリョたちが、独立によって奴隷の反乱を鎮圧する政府軍がいなくなるのを望まなかったためといわれている。1902年に独立している。
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▽独立後の国家
 独立後、ラテンアメリカの国々は、帝国国家となったブラジルを例外として、すべて共和制国家となった。
各国は、当時のアメリカ合衆国の憲法や、スペインの憲法、フランス革命の人権宣言を参考として憲法を制定した。

これらの憲法は、共和制、国民主権、三権分立を定めていて、外見上はあくまでも近代の欧米の民主主義国家の体裁を整えてはいた。
しかし、その実態は、新しい国家の統治階級となったクリオーリョたち、特に上層クリオーリョや一部の混血たちが国家権力を握る、きわめてエリート支配的な国家であった。
つまるところ、独立後のラテンアメリカの国々では、どこの国でも、社会構造は植民地時代と基本的には変わらなかった。
支配者が本国生まれのスペイン人からクリオーリョへと横滑りしただけで、人口の多くを占めるインディオやメスティーソの立場には変化がなかったのである。

▽アメリカ合衆国の干渉
 このような独立国において混乱がなかなか収まらなかったことから、ヨーロッパ諸国とアメリカ合衆国は、それぞれの思惑をもって干渉してきた。
その背景には、貿易の拡大や銀などの資源開発といった経済的利益への目論見があった。

こうした状況下、アメリカ合衆国は、ヨーロッパ諸国の干渉に反対する立場を明確にする。
それが「モンロー宣言」で、1823年に、アメリカ大統領モンローによって表明された。   
モンローは、ヨーロッパ諸国とアメリカ大陸の、国家間での相互不干渉を提唱した。
アメリカ合衆国としても、1776年に独立宣言をしてから50年も経っておらず軍事力もまだ弱く、相互不干渉という外交政策で、ヨーロッパの強国に対処しようとしたのである。
モンロー宣言には、ラテンアメリカ諸国の独立を後押しするとともに、自らの影響力を確保する狙いもあった。

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by m-morio | 2011-04-11 13:32 | 市民カレッジ | Comments(0)
▽新聞は個性を抑え、正確に、迅速に、公平に・・・を旨として読者に知らせるものだと理解しています。

ところが、必ずしもそうとは言い切れない(・・と私は思っているのですが)コラムがあります。

産経の「産経抄」 日経の「春秋」 道新の「卓上四季」 朝日の「天声人語」 読売の「編集手帳」 毎日の「余禄」(順不同)です。
各紙とも一面の下段にそのコラムを配し、その時々の話題を取り上げています。

毎日、字数を制限される中での執筆は苦労も多いことだろうと思いつつ、日ごろはこれらの中から1~2稿に目を通しているのですが、
3.11の大地震以降は毎日これらのコラムを梯子して回っています。
ほぼ1ヶ月です。
その数150稿にも及んだことになります。

時がときだけにその大半が地震の規模、いつまで続くかわからない余震、被災地・被災者の様子、徐々にだが進み始めた復旧・復興、そして原発のこと。

毎日毎日読み続けると、少しだけ筆者の心の内側に触れることになります。
恐らく ”涙しながら” 書いているのだろう・・・・ と想像に難くない文章が多々見られます。
ここに “個性” がでるのです。    書き手の心情が伝わります。



▽1ヶ月の間、大地震に関する記事をその量は膨大になりました。

特に記憶に残ることがあります。

3月16日に天皇陛下が異例ともいえる「ビデオメッセージ」を発せられました。

上記のコラムで陛下のお言葉を取り上げたのは少なかったですが、3月27日の産経の「産経抄」が記憶に残っています。
 
 陛下がビデオでお考えやお気持ちを人びとに述べられるのは初めてだという。                     私はテレビでのメッセージの様子は見逃してしまいましたが、後日報道でその全文を読ませていただきました。  2回、3回と読み返してみました。

失礼を省みずに感想を申し上げるならば、あらゆる方面への気配りと激励にあふれたお言葉ではなかろうかと感じました。

 まず、犠牲者を悼み、多くの人びとの無事を願われ、被災者の状況が少しでも好転し、復興への希望につながっていくことを願われた。 
                   
 「何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています」

 これは、不平不満は山ほどあろうに、試練に立ち向かっている被災者に対する敬意を言葉にされたものでしょう。

 さらに、自衛隊・警察・消防・海上保安庁の救援、そして辛い立場にある原発関係者の修復への努力、諸外国からの救援に来てくれた人々や国内のボランティアが「余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力」に感謝され、労をねぎらっておられる。                                                     
そして、世界各国の元首から相次ぎ見舞いの電報が届いていることに触れられ、各国国民の気持ちが被災者とともにあると添えられていることを被災地の人々に伝えておられます。
 
そして、締めくくりのお言葉として次のように述べられました。

 「被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、さまざまな形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体(からだ)を大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また、国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています」

このメッセージが心を打つのは、少しも飾らないかつ分かりやすい文章で、お気持ちを吐露されていて、陛下の誠実さが感動させるからでしょう。

「天皇陛下のお言葉全文」
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by m-morio | 2011-04-10 14:07 | 日々雑感 | Comments(0)
4 人口構成の違い
 ラテンアメリカは、アステカ・マヤ・インカなどの文明地帯には、安定した農村社会と密集した人口があり、また金銀などの鉱物資源が早くから発見されたため、スペイン人の征服後、彼らの労働力による生産体系が急速に成立した。
この点、自営農民や商人が主体となって白人社会をつくり、先住民の存在を排除したアメリカ合衆国の場合とまったく事情が違っていた。

また、アメリカ合衆国の場合は、ヨーロッパ人、先住民、アフリカ人によって人口構成の基礎が作られたが、合衆国の場合は、各民族集団間の”隔離”が特色であった。

一方のラテンアメリカでは、これら三者間に著しい血の混合が起こり、白人(スペイン人)と先住民の混血(メスティーソ)、白人と黒人の混血(ムラート)、先住民と黒人の混血(サンボ)などの集団が多数発生している点が注目される。
注)社会構造については下図を参照
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5 植民地の形成
 征服の期間が過ぎると、スペイン、ポルトガルによる植民地経営が実施されていく。
まず、スペイン王室は新大陸の植民地社会を、人種別身分社会の枠組みで厳しく管理しようとした。
しかし、その目的は必ずしも達成されなかった。

確かに人種を差別する階層社会が植民地に形成されたが、一方では非常に早くから混血が進み、多様な組み合わせからなる新しい混血人種が誕生したからである。

しかし、16世紀後半になると、植民地統治体制が出来上がり、スペイン女性の移住者も増加し、スペイン人を頂点とする厳しい人種別身分社会が形成されていったものの、植民地で産まれた混血の数は、時代を経るに従いネズミ算式に増加していった。

白人絶対主義の「血統の純正」の原則も、植民地時代の末期になると実際には限られた支配層にだけ残っていたのである。
なお、この混血に関してはポルトガル領においても全く同様の推移をした。

6 奴隷制度
 ポルトガルは、アフリカの黒人奴隷を、既に新大陸到達以前からヨーロッパに導入していた。
従って、これらの奴隷はスペイン人の新大陸到達の初期から新大陸に連れてこられていた。

スペインはポルトガルが運んでくる黒人奴隷の最大の顧客であった。
そのため新大陸の征服と植民地経営には、初期から黒人奴隷がスペイン人とともに参加していた。

特に、先住民は征服者たちから虐待されその人口を激減させていたこともあって、インディオの労働力に代わるものとして黒人奴隷の導入は植民地開発に必須なものとなっていた。

さらにブラジルやカリブ海域では砂糖プランテーションの発達によって黒人奴隷への需要が増し、植民地時代を通じて膨大な数のアフリカ黒人奴隷が導入された。
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 過酷な労働と奴隷所有者の残忍な扱いなどから逃亡を企てて失敗すると、奴隷は厳しく処罰された。それでも多くの奴隷が逃亡し、追手の及ばない奥地へ逃れた。
一方、奴隷の身分から解放される方法はどの地域にもあった。

人情に厚い主人に出会って解放されたもの
主人の子どもを生んで解放されたもの
結婚して家庭をもったものもいた
 植民地時代末期の1785年にスペインは、陰謀を密告したり、白人の命を助けたり、あるいは長期間忠実に奴隷として働いた場合を条件として、自由を認める勅令を公布している。

植民地時代を通じて多様な地域社会を形成した広大なラテンアメリカでは、奴隷制のあり方も地域によってさまざまであった。
 この奴隷制度は、ラテンアメリカ諸国の多くは独立を機に廃止していくが、最も廃止が遅れたのはブラジルであった。(1888年)

(続く)
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by m-morio | 2011-04-07 20:09 | 市民カレッジ | Comments(2)
人の器量というか度量というのか・・・それを測る尺度はなんだろう。

決して”お金”ではないだろうが。。。

ソフトバンクの社長が、被災者に個人で100億円を寄付するという。
さらに今後、社長に在職中の役員報酬の全額も・・・だ。

金額の多いという点では、ユニクロの社長や楽天の創業者も個人で10億円。
それぞれの社長は、これまでの消費者への恩返しとの意味合いが濃いのだろうし、このことが企業のイメージをあげるのは間違いないだろう。

真に太っ腹である。

あの石川遼も今年の賞金を全額提供すると宣言し、それを励みにマスターズも頑張ると話している。
もちろんスポーツ界、芸能界からも内外を問わずに義捐金が集まり、かつ今後の活動の収益金からの提供を約束している人もいる。

本当にカッコ良い。

“ぽんと”
○億円、○百万円だ。

日本赤十字社などへの義援金はもう1千億円を超えたとみられる。阪神大震災をしのぐ勢い・・・
いや既に超えているのかもしれない。

高額な金額ばかりではない。

街頭の募金には、子どもが、しっかりと握り締めた5円玉を募金箱に入れている。

「おかね」は ちりも積もれば・・・
なんと大きな力を発揮するのだろう。

支援はお金ばかりではない。 “それぞれの支援”があっていい。


一方
避難所は快適な場所ではない。

まだまだ、必要な物資が必要としている人々に届いていないという。

気になるのは、衛生状態も徐々に悪化しているということ。

いろいろな事情があって故郷を離れたくないという気持ちは理解できる。

だが、一度不自由な避難所から退避して、ゆっくりお風呂に入り、下着を取替え、気持ちを落ち着かせることも必要なのかもしれない。

たとえそれが少しだけ遠方であっても。。。。

被災しなかった地域に住む人間の勝手な戯言と言われるかもしれないが。。。。。。。。。


不自由な生活を余儀なくされているお年寄りが、一日も早く通常の生活に戻れることを願うばかりである。
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by m-morio | 2011-04-07 16:19 | 日々雑感 | Comments(0)