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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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京都滞在中は、孫のたっくん と いろいろお話をしました。
でも、彼はなかなか忙しいのです。
学校からの帰宅は3時半前後。何も予定がなければ 友達と遊ぶため ダッーと飛び出して行きます。

週1回の水泳のほか、ミニバスケットチームの練習があります。
土日も、半日・1日練習があったり、練習試合もたびたびあります。
お父さんやお母さんたちと一緒に外出するという機会がめっきりと少なくなったようです。
親離れの始まりなのでしょうか。
どんどん成長している様子を感じました。

そんな状況なので、滞在中に彼の写真は一枚も撮るチャンスがありませんでした。
10歳の記念に作ったような「アルバム」の第2弾は前途多難です。

彼との会話は
学校のこと、友達のこと、水泳のこと、もちろんミニバスケのことなどなどです。
滞在中、一度だけ試合を観る機会がありました。
5分ハーフを何回か戦うのですが、この間走りっぱなしです。
彼がこれほどの体力を身につけていたのには驚きでした。
以前の彼はちょっと頼りない男の子の印象でしたが、太もももの肉付きもよくなりパンと張っています。
背丈も少しずつ伸びてきているようで、測ってみたら前に聞いたよりも4センチ以上も伸びていましたよ。
時々膝などが痛くなるのだとか。子どもの成長期に見られる○○痛というのでしょうか。

二条城マラソンという行事が毎年行なわれます。
昨年までは1周だったのですが、4年生は2周になりました。
およそ3.2キロくらいだそうで、この距離を20分ほどで走るようです。
元気です。

いろいろお話した中で、ちょっと驚きの事実を知りました。
話題がクリスマスになったとき
「じいじ も サンタさんになって プレゼントしようかなっ」
と言ったところ
「じいじ サンタさんって 一人しかいないんでしょ」
と・・・・・・・・・・
はっとしました。
彼は、サンタクロースの存在を信じているのです。

彼の夢を壊すわけにはいかない。。。。。

「ああ そうだったね たっくん も プレゼント お願いしているのかなっ」

と聞くと

目を輝かせて
「あるよ・・・」
早速PCを開いてその品を画面に出してくれました。

でもなんとなく 浮かない顔をしています。
お母さんによると、その品は既に売り切れとなっているのだとか。
でも、お母さんは既に予約を入れて確保しているとのことなのですが、彼にはそのことを伝えていない。
だから 彼は気が気でないんです。

でも、お母さんの表情を読み取ってか、心配なんだけれども 大丈夫だろう・・・
との気持ちでいるようです。

いつまでサンタの存在を信じて過ごすのでしょうか。
よって じいじ・ばあばからのプレゼントの扱いは微妙です(#^.^#)

ばあばの陶芸教室のおかあさんの話では、6年生の娘さんもまだ存在を信じていて、イブには、サンタさんがお腹を空かしていると可愛そうだからと、枕元にクッキーを置いて寝るのが慣わしとなっていて、寝静まったら親がそのクッキーを食べるのだそうです。

彼も小学校に在学中は続くのでしょうか。

事実を知った時の彼の反応はどんな様子なのだろうか。

いずれにしても 夢があって 良いですね。

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by m-morio | 2011-12-21 13:23 | Comments(0)
▼ハンガリーにおけるソ連共産党の独裁体制f0020352_13502720.gif
 ハンガリーの戦後史は、スターリン体制に飲み込まれていく過程とそれに抵抗を続けた人々の歴史であった。
ハンガリーで共産党が独裁体制を確立していく過程は4つのステージに分けられる。

第1ステージ:
 1944年ハンガリーの東半分をソ連が占領してから1945年11月第一回国民議会の選挙が実施されるまで。

共産党は、選挙で第1党になるべく土地の改革や大企業の国有化などの政策面で国民の支持を得ようとする。
しかし、国民は、ナチスの支配から解放してくれたソ連とそれに裏打ちされた共産党の力を認めながらも、国の政権を担う党として共産党に投票した人は少なかった。

第2ステージ:
 1945年の総選挙で共産党が小農業者党に大敗してから1947年8月の第二回総選挙まで。
共産党が、第1党の小農業者党をつぶして権力を奪う課程。

1945年4月、ソ連軍はハンガリーからナチス勢力を追放した。ハンガリーの人々は、ソ連軍の侵攻はナチスからの解放と受け止めていた。
政府が真っ先に手をつけたのが、大地主の土地を貧農や農業労働者に分け与えるという「土地改革」だった。ただ、一部の人々が不安に思ったのは、この施策は共産党が推し進めたことであった。
ソ連軍に対する恐怖心は常に人々の心に留まっていた。なにしろハンガリーはそれまで枢軸国側に属していたのであり、ソ連と戦って数多くのハンガリー人が死んでいた。
ナチス・ドイツからの解放とはいえ、ハンガリー人にとってソ連軍は占領軍であった。

1945年11月、ハンガリーではじめての自由投票による総選挙が実施された。
共産党は、これまでの農地改革や労働者の地位向上といった成果によって、民衆の支持を得られるだろうと考えていた。共産党の最大のライバルは小農業者党だった。国民の大半を占める農民に支持された小農業者党は一大勢力であった。選挙の結果は小農業者党の大勝利だった。小農業者党は単独で内閣を組織できる議席を獲得した。
しかし、小農業者党は単独で内閣をつくれなかった。共産党が連立政権にすることを強く要求したのである。
小農業者党と共産党との間で激しい対立と政治駆け引きが繰り広げられた。
敗戦国であったハンガリーには、ソ連軍が占領軍として駐留し睨みをきかしていた。
共産党は、ソ連駐留軍の支持と掌握した警察権力を使ったありとあらゆる謀略によって、小農業者党を壊滅状態にした。

第3ステージ:
 1947年8月から1949年の第三回総選挙まで。

この選挙はもう自由選挙とはいえなかった。ライバル小農業者党を追い落とし、第1党の座を確保した共産党は、残りの政党を廃止し、弱体化させていく。これまで共同歩調をとってきた社会民主党を吸収し、共産党独裁体制が完成する。
その後、ハンガリーでは自由な投票による選挙は行われなかった。1949年の選挙は、候補者の統一名簿を共産党がつくり、国民はそれを追認するだけのものになってしまった。

第4ステージ:
 その後スターリンが死ぬまで(1953年)。

共産党の内部でさらに独裁が進み、異分子を粛清して、個人独裁が完成する過程。

まさにソ連でスターリンが敷いた恐怖体制がハンガリーでも完成する。
自由選挙が行われたのは、1990年、43年ぶりであった。この選挙で、共産党そのものが解体した。その後継者たちは党の名前をかえて社会党をつくったが、それも5番目の勢力に転落し、野党に下った。

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by m-morio | 2011-12-13 13:53 | 市民カレッジ | Comments(0)
東ヨーロッパの旅は、どんどん進んで、先月最終回を終えました。
ポーランド⇒チェコ・スロバキア⇒ハンガリー⇒オーストリア
そして、これらの国々を取り囲む国ロシアとドイツの旅でした。

 1989年の冷戦終結に伴って、ソ連の衛星国であった東ヨーロッパ諸国で、共産党国家が連続して倒されるという、いわゆる東欧革命が始まり、ワルシャワ条約機構(1955年、ワルシャワ条約に基づきソ連を盟主として東ヨーロッパ諸国が結成した軍事同盟)は1991年3月に軍事機構を廃止、7月1日に正式解散、12月末にはソ連が崩壊するという過程を辿ることになりました。

 今回巡った国々はそれぞれに西からはドイツに、東からはソ連に侵略されその国境線はしばしば変更されました。
ただ、オーストリアだけは、米英仏ソによって分割占領され、首都ウイーンも四カ国の管理下におかれながらも、領土を確保し、「中立国」への道を辿ることになります。

最終回は、例によって映画(DVD)で「第三の男」をちょとだけ見ながら、映画の舞台になったウイーンの歴史的背景などを勉強しました。
この映画は、昨年、午前10時の映画祭で観ましたが、この日の講義で知った歴史的背景を承知していたならば、また別の楽しみ方があったかなぁと感じた次第です。
それはともかくとしまして、ドイツとソ連に翻弄された国の代表として、ハンガリーに注目してみました。
ハンガリーといえば、やはり「ハンガリー動乱」。
長い歴史の中のほんの一瞬の出来事かも知れませんが、ソ連共産党の過酷な粛清の一端を覗いてみることにします。

 ハンガリーは2004年にEUの加盟した。EUへの加盟は、当時のハンガリー経済にとって追い風になった。
しかしその後、インフレと失業率が増加して貧富の差が広がり、社会問題として常態化した。
また巨額の財政赤字も重要な課題。

最近の様子は・・と言えば

ユーロ圏の南欧諸国を襲う債務危機の影響が、欧州で比較的成長率の高かった中・東欧の国々に広がっている。
通貨安に悩むハンガリーは国際通貨基金(IMF)に新たな協調策の協議を申し入れた。 
自己資本比率の引き上げに苦しむ西欧系銀行による貸し渋りが広がることも懸念されている。  
ハンガリー国家経済省は11月18日、IMFや欧州連合(EU)との協議開始を表明する声明を出した。
オルバン首相は地元ラジオで「経済の自立を損ねない新たな保険のようなもの」と説明したが、IMFなどの態度はまだ不明だ。 ハンガリーは2008年の中・東欧危機でIMFの融資を受けた。10年に支援は終了したものの、最近は南欧危機の広がりで混乱が再燃。  
通貨フォリントは6月末に比べて対ドルで一時、4分の1以上も下落した。
同国国債の格付けは「投資不適格」とされる水準まであと1段階。米格付け会社が格下げ方向での見直しを表明すると、フォリントは(11月)14日に対ユーロで最安値を更新した。IMFとの協議には格下げ阻止の狙いも指摘されるが、無条件での支援の実現には懐疑的な見方が多い。
・・・・11月20日付 日経

といった状況で、欧州危機はEU圏内でも小国のハンガリーを直撃している。

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by m-morio | 2011-12-12 13:08 | 市民カレッジ | Comments(0)
▽写真撮影
 観光客はほぼ全員が何らかのカメラ(携帯など)を持参して撮影しています。
同行者の記念撮影やら紅葉を撮る人・人・人。
まさに1億総カメラマンの様相です。    勿論、私もその中の一人ですが。。。

こんな体験をしたのですが、皆さんどのようにお感じになるでしょうか。

某有名なお寺。
“床もみじ”(床みどり)で有名なところ。
寺院も、それを“売り”にしている(・・と思われるのだが)。

拝観料を払って中に入る。
さほど大きなお寺でないので、そのお目当ての“床もみじ”(未だ緑が主体でしたが)は入り口の直ぐそばに観る事ができます。

ところが、なにやら騒々しくマイクから音が流れてきます。
初めはよく聞き取れなかったのですが、どうやら 「・・・しないでください」 といっている。
決して静かな物言いではない。
年配の女性の声は、キンキンと響き、来訪者を叱責している。

「床もみじ」の写真を撮るな! といっているのだ。

「そこの三人ずれのご夫人」などと、個別に指摘しての厳しい注意だ。
そばに寄って見ると、確かに、柵に「撮影禁止」の札がベタベタと張ってある。

 寺院内にいたタクシーの運転手さんに聞いてみたら・・・・・・・
いつもそうなのですよ
かなり厳しく注意されますよ
・・・とのこと。

さて、これはどういうことだろう!

“床もみじ”を売りにしていて、観光客もそれを目当てに訪れるのだろう。
記念に一枚の写真を撮りたいと思うのは人情。

いろいろな観光情報誌やパンフレットの紹介には必ずといっていいほどこの“床もみじ”の写真が掲載されていて、顧客を誘っているのだ。
パンフレットのどこを見ても「撮影禁止」なのでご注意ください・・
などとは記載されてなどいない。(私の見落としならばお詫びするが)

なんかおかしいなぁ。
しっくりこないなぁ。
・・・・・胸の中から離れない違和感があります。
仏像や襖絵などの撮影禁止は何となく理解できるのだが。。。。

当寺のHPを開いてみました。
よく眺めてみますと  「撮影を目的としたお参りはご遠慮下さい」
とある。
さらに別のページには
「「床もみじ」「床みどり」を含む客殿内は撮影していただくことは出来ません」
とある。

理由は良く分からない。
そこまでするのなら、観光案内誌にもしっかりとPRしてもらうべきなのではなかろうかとおもうのだが。

寺院内で、「床もみじ」にカメラを向けたとたんに、キンキン声で叱責されるのはたまったものではない。

拝観を目的にしない、仏心を欠く私には訪れる資格がないようである。   二度と足を運びたくない。

お寺側が「撮影を目的にした客は歓迎しないと言っているのだから」。

その翌日、TVの旅番組で秋の京都が紹介された。
案の定、この寺が写し出された。あの場をどのように写すか、なんと説明するか・・・
注意深く観ていた。正面の柵に何枚も張られた「撮影禁止」の表示は写さず(映したのかも知れないが、乱反射して画面では確認できない)、放送でも「撮影禁止」なのだが特別許可をとって放送しているとの断りもない。
寺院側も、この機会に、声を大にして”撮影禁止”をPRしてもよいのではないか。
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                                     この写真は私が撮ったものではありません
この"床もみじ"は、やはり、客寄せパンダなのだ。
パンタは撮影できるけどね。
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by m-morio | 2011-12-08 15:37 | たっくん | Comments(0)
10日余り札幌を離れ京都へ行ってきました。
目的の一つは、孫のたっくんの成長の様子を肌で感じること。
そしてもう一つは、京都の紅葉を愛でることでした。
今年の紅葉は平年よりも1週間ほど遅いということは事前に承知していながらも、体がむずむずして落ち着かないし、飛行機は、予約なしで空いている便に乗ろうということなので空席状況を毎日チェックしながら、飛行機も少し混んできた様子なので11月下旬に旅立ちました。

▽鞍馬寺
 京都の紅葉は(桜も同じでしょうが)、どうしても神社・仏閣を訪れ、その庭園などとあわせて鑑賞するというのが定番なのでしょう。
この時期の京都は観光客でにぎわっています。
修学旅行生もわんさと来ていました。
有名寺社行きの交通機関は平日でも満員状態です。

市バス・京都バス・地下鉄(東西線・烏丸線)・阪急電鉄・京阪電鉄・叡山電鉄を駆使して、あちこちを散策しました。市内から出ませんでしたのでJRは使わず、タクシーも使わずでした。
ほぼ毎日出歩きましたので、その費用もなかなか馬鹿になりませんでしたね。
交通費もさることながら、ずしりと懐に響くのが拝観料・入山料・施設維持料という名の入場料。
下は100円から、上は1000円でした。(私が支払った限りでは・・・)
鞍馬寺では、維持費に協力頂いたお礼にケーブルカーを片道利用いただきます・・・・という理由付けでの料金もありました。

この鞍馬寺には、街中の紅葉には少し早いので高いところに行ってみようと考え、はじめて足を運びました。牛若丸(源義経)伝承話の地ですから、ひょっとして“天狗さん"に会えるかも(笑)と期待して。。。。

叡山電車で鞍馬まで。駅前には、大きな天狗の面が出迎えてくれました。
さて、どこまで行こうか! 本堂(鞍馬寺金堂)まで行って引き返してこよう・・・・。
その標高は570mですからケーブルをつかい、更に徒歩でも結構な運動になるだろうとの計算でした。
金堂周辺の紅葉は、なかなか結構でした。燃えるような“赤”とはいきませんでしたが。。。

金堂前には狛犬ならぬ“阿吽の虎”が鎮座していた。
参拝を終え、紅葉の写真を撮り、さて戻ろうか・・・と思ったのですが、確か“木の根道”というのがあることを思い出し、せっかくここまで来たのだから(もう二度と来ることはないのかも・・・)との思いから、この機会に観ておこうと思ったのが運のつき。。。。
鞍馬寺から貴船へ抜ける山道を1.5キロ歩くはめになりました。
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その上りがキツイこと。霊気を含む涼しさなどどこへやら、汗だくのアップダウン。
目当ての“木の根道”に到達した喜びも早々に貴船に向かって下山。

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金堂まえから1時間20分。
途中、お母さんに手をひかれた幼児のペースにはついて行けるだろう・・との考えは甘かった。

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もう、汗だく そして ヘトヘトで、いつの間にか親子の姿はみえなくなってしまいました。
72歳の身体にはきつかったです。
こんな体験も一つの思い出になりました。
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by m-morio | 2011-12-06 19:53 | たっくん | Comments(0)