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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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エジプトは、いまムスリム同胞団出身のモルシ大統領が、その政治体制の確立に難渋している。
▼経過をまとめると・・・
2011.01.25 各地でムバラク大統領の退陣を求めるデモ
2011.02.11 ムバラク大統領辞任。軍政暫定統治開始
2012.01.21 人民議会(国会)選挙。イスラム勢力が議席の7割を獲得
2012.06.02 ムバラク前大統領に一審で終身刑の判決
2012.06.17 軍政が人民議会を解散、自らに立法権を与える改正憲法令
2012.06.30 モルシ大統領が就任
2012.08.12 大統領が軍政トップの国防相を兼任。軍政から立法権奪還
2012.12.05 新憲法案の賛否両派が衝突。7人死亡。
2012.12.25 新憲法が成立
2013.01.13 ムバラク前大統領の裁判やり直し決定
2013.01.26 ポートサイド暴動の判決(サッカー場で71人が死亡した事件の被告21人に死刑判決。
2013.01.27 反政府デモ多発を受け、スエズ、イスマイリア、ポートサイドの3都市に非常事態宣言
2013.03.07 選挙管理委員会は、4月22日から予定されていた人民議会(国会)選の実施を取りやめることを決めた。議会選は昨年12月に制定された新憲法に基づいて実施されることになったが、政府が成立を目指した選挙法について最高憲法裁は今年2月、一部を違憲と判断。政権側が選挙法を部分的に修正していた。
2013.04.09 首都カイロなどで5~7日、イスラム教徒とキリスト教徒が衝突し、8人が死亡した。

▼政変後2年・・・何を求めるのか
 約30年続いた軍事独裁のムバラク大統領を18日間で退陣に追い込んだのが2011年2月11日。
同年11月の人民会議選でのイスラム政党の躍進を受け、12年6月には「ムスリム同胞団」出身のモルシ大統領が誕生した。彼らの目標は、イスラムの教えに基づくり国づくりである。
「民主革命」と言われた政変から2年。
エジプト社会は分裂し、大きな溝ができ混乱の最中にある。
すなわち、「新しい国づくりの主導権を握ったイスラム勢力」と「ムバラク政権を倒す原動力となった都会の世俗的な若者たちや野党勢力」などとの間の深刻な対立である。
若者たちは「こんなはずではなかった」との思いが強い。

理由のひとつは、
モルシ政権のもと、政治のイスラム化が進んでいることやモルシ大統領の政治手法に対する反発である。
国づくりの設計図ともいえる新憲法がイスラム勢力主導で作られ、反対派の言い分に耳を貸さずに、強引に制定しまったこと。
また、デモが拡大した3都市に、非常事態宣言を出し、治安部隊がデモを鎮圧したこと。
こうしたやり方は、ムバラク時代とまるで変わらないという批判が出ている。
野党勢力は、
・イスラム色の強い新憲法を修正すること
・「挙国一致内閣」をつくること
を要求している。

もうひとつは
政変の原因になった経済や社会の問題が、何も解決されていないこと。
外貨準備高が、危機的な水準に落ち込んでいるため、現地通貨のエジプトポンドが下落し、輸入品を中心に、物価が高騰している。
雇用の場もますます失われ、失業に苦しむ若者たちの不満は限界を超えている。
政治の混乱が、治安の悪化を招き、経済も悪くなるという悪循環になっている。
国際通貨基金(IMF)から48億ドル(約4400億円)の支援を受ける交渉も難航している。
最大の焦点は「財政赤字の改善」で、支出の2割以上を占める補助金改革や増税が必須といわれているが、低所得層の反発を恐れ、政府は改革に及び腰だ。
隣国リビアから大量の武器が流入する中、暴力のエスカレートも懸念される。
国の安定には相当の年月がかかると予想されている。

▼4月に入って、国民の9割を占めるイスラム教徒内で、モルシ大統領らイスラム勢力に対し、政教分離を求める世俗リベラル勢力の反発が強まる中、この度は、異教徒との対立も激化した。
警察に暴動を抑える力はなく、衝突が拡大する恐れもある。
経済危機により庶民の怒りは募っている上に密輸武器が蔓延しており、さまざまな対立軸による衝突が先鋭化する恐れもある。

▼先日の「現代史」講座の懇話会に参加した。
わずか6名の参加だったが、それぞれの参加者の「アラブの春」に係る受け止め方・考え方が披露され、意義ある時間を共有できた。
その中で、講師から「アラブの春」の成功とは?との質問を受けた。
私が、「アラブの春」が成功裏に収束するか否かの結論はまだ先のこと・・・・という趣旨の発言をしたことによる反問だった。
不用意に使った言葉尻をとらえられた格好だ。
確たる定義を持っていたわけでもない。
とっさに浮かんだのが、エジプトの現状。

エジプトは、この危機を乗り越えることができるのだろうか。
チュニジアなどこの地域では、イスラム教徒が、人口の大多数だから、民主化が「政治のイスラム化」に結びつくのは、宿命と言えるのかもしれない。
しかし、イスラム勢力に属さない人々は取り残され、失業、汚職、格差、人権などの問題が放置され、反政府運動の背景になっている。
危機を乗り越えるためには、イスラム勢力に属さない人々の立場に配慮し、できるだけ国づくりに参加させてゆくこと。
そして、国民の多くが「暮らしがいくらかよくなった」と実感できるようにすることが、カギを握っているのだろう。さらに、政権が安定しなければ何も始まらない。
・・・・・との趣旨で語ったのだが、はたして的を得ていたのか?

▼箇条書きに、歴史を遡っておく。
イスラーム原理主義とは、西欧的な近代化をムスリムの堕落とし、ムハンマドの教えに立ち返ってイスラーム世界を再生しようとする考え方。
共産主義や社会主義に失望した貧困層を中心に支持を拡大し、イラン革命(1979)を機に最高潮に達した。
現在、欧米主導の中東和平に反対してテロ活動を展開する勢力もある。
その後の世界の動きに注目すると、
・1979年、ソ連のアフガニスタン侵攻(親ソ連政権を守るため進駐)
・1980年、国境をめぐって、革命後のイランにイラクが侵攻し、イラン・イラク戦争勃発
・1981年、ジハード団によるエジプト・サダト大統領暗殺事件
イスラエルとの和平問題で、1978年、アメリカのジミー・カーター大統領の仲介のもと、キャンプ・デービッド合意にこぎつけ、1979年には両国間に平和条約が結ばれた。
このエジプト=イスラエル単独和平は「パレスチナのアラブ人同胞に対する裏切り」と受け取られ、アラブ諸国とイスラム教徒は第四次中東戦争開戦日を記念しその勝利を祝う戦勝記念日のパレードを観閲中に、イスラム復興主義過激派のジハード団に所属するハリド・イスランブリ中尉によって暗殺された。
・1990年、湾岸戦争(イラクのクェート侵攻)
・1990年、ソ連崩壊
・1998年、インドネシアで、スハルト政権の終焉と前後して、イスラーム主義の諸政党が姿を現した
・2001年、同時多発テロ。イスラム原理主義組織の暴挙。
・2011年、アラブの春・・長期独裁政権への反旗。 民主化運動。
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by m-morio | 2013-04-28 14:00 | 市民カレッジ