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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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ブログの更新が滞ること3カ月、いろいろなことが中途半端な状態で日々過ごしています。

やっと更新しようという気になったのは13日(土)のテレビ「世界ふしぎ発見」を観たのがきっかけです。
番組で取り上げたのが「スリランカ」でした。大変興味深く観ました。

このブログでスリランカを取り上げたのは、2006年10月の「スリランカ
当時は、政府とLTTE(タミル・イーラム解放のトラ)との抗争は終結せず、事態は混とんとしていました。
その後どうなったのでしょうか。
この機会に、その後の様子とテレビを通して初めて知ったことなどに触れておくことにします。

▼スリランカの内戦は複雑な背景をもっています。
独立後、シンハラ人優遇政策が進み、タミル語を母語とする人々の生活が徐々に奪われ始め、さらに多数派であるシンハラ人暴徒によるタミル人への襲撃が日常化するなかで、タミル人政治組織の一部は武装するようになっていきます。
1983年7月、北部の都市ジャフナにおいてシンハラ人兵士13名がタミル人によって殺害されたことが発端となって、やがてタミル人武装勢力の一派であるタミル・イーラム解放のトラ(LTTE)と政府軍との戦闘状態へと拡大していき泥沼の道をたどることになります。
スリランカの歴史を詳細に遡っていくと、内線は単なる政府軍とLTTEとの戦闘のみに終始したわけではないことがあきらかになっていきますが、ここではその詳細は割愛します。
一時はインドが平和維持軍を派遣したものの事態の進展をみることもなく、3年ほどで撤退しています。

その後は政府軍とLTTEとの間の戦闘が激化しますが、その間何度も和平に向けた交渉が行われ、休戦協定の可能性もあったものの、それらは実を結ぶことはありませんでした。
戦闘は北部や東部だけではなく、全土で自爆テロが多発し、多くの人々が犠牲になりました。
北部や東部での絶え間ない戦闘、どこで起きるか分からない自爆テロの恐怖が日常化しているにもかかわらず、非戦闘地帯である中部や南部では外国からの援助を受けた大規模な開発がすすめられ、国内において地域格差は広がっていきました。

内戦の長期化の要因は、タミル人が多く居住する北部と東部に一定の分権や自治権を認めることに対するシンハラ人側の抵抗や嫌悪と、LTTEの分離独立要求とが最終的な解決に至らなかったことにあるようです。
2002年2月にノルウエーが仲介して停戦協定が結ばれ、2003年1月、両者が出席する「スリランカの復興開発に関する東京会議」が日本で開催されたりはしたものの、結局は歩み寄りもなく、政府軍はLTTEに攻勢をかけ、2007年には東部を制圧。

このころからLTTEは内部分裂し、政府軍と手を結ぶ一派もあらわれ、弱体化し、さらに欧米諸国からの非難にもさらされていきます。
2008年1月には、政府軍は停戦協定を破棄して総攻撃を加えていきます。
LTTEは本拠地であるキリノッチを放棄して逃走し、20万人近い市民を「人間の盾」にして東北部のムラティウに立てこもります。
しかし、完全に弱体化したLTTEは政府軍の総攻撃で崩壊し、内戦は2009年5月に「終結」しました。
しかし、この間に何度も試みられた停戦交渉の失敗、国際社会の無関心、多額の政府間援助による一部地域の開発、内戦の長期化に伴う文化・宗教に対する認識の変化など諸々の問題をかかえたまま内戦後の歩みを始めています。
本当の平和はまだまだ先のようです。

▼その内戦が終結した4年後の現状を取材したのが「世界ふしぎ発見」でした。
ご承知のように、この番組は世界中のあらゆる国々を訪れ、その歴史・景観・宗教・民族などを報告してくれるので、ほぼ欠かさず見ている番組です。
この日は75分の拡大版だったので、内容は盛りだくさんでした。
■スリランカの東海岸はスリランカ内戦により立ち入りが制限されていたが、現在は一大リゾートとしようと急ピッチで開発が進められている。またガルオヤ国立公園の湖では40年前に謎の生物が目撃されている。この謎を解明すべくミステリーハンターが動く。
捜索開始から3日目、湖に泳ぐ生物を発見した。なんと湖を泳いで渡る象の姿でした。
また

■スリランカの北部は未知なる場所とされていて、スリランカ内戦が終わって今も検閲所が設置されている。
北部に向かう途中、ヒンズー教の儀式で願いを叶った感謝を込めて苦行を行う教徒がいた。目的地のジャフナにはオランダ統治時代や内戦の名残が残されていて、修復中のジャフナ要塞は空から見ると五稜郭のような形状となっている。またマナー橋はスリランカと日本の建設によるもので、当時は内戦中だった。

■第二次世界大戦後のサンフランシスコ講和会議において、敗戦国となった日本は多くの国から莫大な賠償を求められ、日本列島の分割案が出されていた。
その時、後に大統領となるスリランカ代表ジャヤワルダ氏が、ブッタの教えを引用した演説で「憎しみは憎しみによって止むことはなく、慈愛によって止む」と、日本を擁護し独立を支持する演説を行ったことによって会議は急展開し、列島の分割を免れ日本の戦後復興につながったという逸話が紹介されました。また、当時の吉田茂首相は「我が国日本は、後世までこの大恩を忘れてはならない」と言ったといわれていますが、残念なことに、今、この逸話を知る日本人は皆無に近くなっているようです。
勿論、わたしも初めて耳にしたことでした。

スリランカは、今秋の講座でインドが取り上げられる際にまた登場するはずです。
民族闘争が一応の収束をみた後の今後の展望などを学ぶことができると思います。
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by m-morio | 2013-07-25 14:30 | 市民カレッジ