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はじめのいっぽ

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日々雑感を記録します

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宇江佐 真理さんが亡くなった。
函館に居を構え、時代小説を書かれていた。
大好きな作家だった。
江戸の下町人情話を得意とし数多くのシリーズ物も手掛けておられた。
過去には6回も直木賞候補に挙がったほどの実力派だった。
毎年、今年こそは・・・との期待をしていたのだがそれも叶わなかった。

▼2年ほど前に乳がんが見つかり闘病生活を送りながら執筆活動を続けられた。
癌に冒されたことを知ったのは、2014年1月発刊の「心に吹く風」(髪結い伊三次捕り物余話)の 文庫のためのあとがき でご本人が初めて病気のことに触れられたときである。

2011年、少し体調がよろしくないと自覚しながらも病院へ行くことを躊躇っていた。
だが、尋常でないものを感じ検査へ。
結果は、癌らしいとの診断。

「癌と言われただけでもショックなのに、転移しているなんて。(中略)抗がん剤の治療などしない。髪の毛が抜けて、よろよろと生きるなんて、やなこったと思った。」

その後、いろいろな検査を受けて、最後のマンモグラフィで乳がんらしいと分かった。
全身に癌細胞が広がっていたので手術はできなかったという。

「私はうそが下手な女なので、自分の病気を隠すことができない。
(中略)仕事をセーブする。この先、どうなるのかは私もわからないが、たとい、余命5年と言われても、三か月と言われても、たぶん、私は動揺しないと思う。その日まで、いつも通り、食事を作り、洗濯、掃除をして、そして作品を書いていればいいのだから。」

さらに
2015年1月発刊の 「明日のことは知らず」(髪結い伊三次捕り物余話)の 文庫のためのあとがき で
「・・・・・私の病状が悪化して、よれよれのぼろぼろになっても、どうぞ同情はご無用に。私は小説家として生きてきたことを心底誇りに思っているのであるから。」
最後に
デビュー20周年の宇江佐より

とある。

まさかこんなに早く訃報を聞くことになるとは・・・。

 「見上げた空の色」 のタイトルで北海道新聞に数多くの随筆を載せされた。
手元にそのスクラップがある。2008、9年頃の作品が多い。
改めて繰り広げてみて目を引いたのが
2011年11月1日付夕刊に載った「水晶体再建術」。
私が今受けたばかりの「白内障の手術」の体験談を書いたもの。


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台所の食卓テーブルで執筆するという庶民派でした。
作品の大半を読ませていただいたと思います。
髪結い伊三次と深川芸者お文(ぶん)を主人公にしたシリーズには本当に楽しませてもらいました。

もうその続きはないのは誠に残念。

いや、まだ手にしていない単行本があります。
10月に売り出されたばかりの「竃河岸」(へっつい かし)です。
近所の書店に取り寄せてもらっています。

最後の楽しみです。

ただ ただ ご冥福をお祈りします。
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by m-morio | 2015-11-21 14:26 | 日々雑感 | Comments(0)
両目の手術が無事終了した。
左目の術後、ほぼ1週間が経過。
具合は悪くない。
ただ、これまでは、裸眼でも新聞は読めた。
しかし、術後は一変した。
遠方は比較的よく見えるが、手元はダメだ。
即ち、従来とは真逆になったのだ。
これは些か困った。
(これまで使っていた)手元用の眼鏡を掛けて何とか新聞等は読める。
当然だか未だ眼鏡の調整はしていないのだから遠方用などはむしろ掛けないほうがよく見える。
眼鏡の調整は1か月程度の経過観察後との指示。

▼医院内に置かれているパンフにはどちらにするか(遠方重視か近方重視か)選択できると明記されている。
だが、事前に何の説明も問いかけもないままどんどん準備が進められていった。
完全な患者無視だ。
看護師が適当に選択結果を記入したのか?・・・と勘ぐりたくもなる。

宣伝文句は 「懇切丁寧な説明」・・・と謳っているのだが看板倒れ。

このクリニック(開院から3年ほど)は、看護師が行った検査結果を基に医師が最終診察をする。
検査に時間がかかるが、医師の診察は1分程度。
印象としては、流れ作業で、いかにスムーズに患者を捌くかに気を使っているように伺われる。

私のように病院慣れ(病院ズレ)している患者にとっては、とてもじゃないが“良いクリニック”とは言えない。

白内障の手術実績は年間300件を超すことが自慢のようだが、「医師と患者の対話」が殆どなく、患者の事情や希望を聞く姿勢がないクリニックはやはり及第点は与えられない。

▼では、なぜこのクリニックを選んだのか。
 要は、メガネ店の担当者の勧めに乗ってみたのだ。
私が抱える持病は市内の総合病院を利用している。 勿論眼科もある。

にもかかわらずこのクリニックにしたのは、近くて、通院に便利、技術は確からしいとの評判・・・による。
総合病院は遠い。車で40分。当然予約制。

今回の2回の手術では、2週間の内7日間の通院を要した。
このうちの何回かは瞳孔を開く目薬を入れられる。
とても車を運転しての通院は叶わない。

まあ、確かに技術的には問題なく終わったようである。
いろいろ文句はあるが今回は “良し” としよう。
ただ、では次に目が不具合になったとき、このクリニックの門をたたくのか。

今のところ何とも言えない。

本音は、“気持ちよく受診したい”のだ。

急を要する状態ならば行くことになるのかも?
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by m-morio | 2015-11-21 13:40 | 日々雑感 | Comments(0)
今回の統一テーマは「地中海を渡る人々の群れ・・・・・ヨーロッパに向かう難民たち」です。

世界の注目を集めている「難民」の問題です。
この「難民」問題は今日突然に発生したものではありません。
歴史を振り返ると、繰り返し起こっていることであり、その延長線上にあるのです。
「難民」というテーマを通して歴史の一端にふれてみようと思います。


▼難民の移動ルート
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この地図は、2015.08.26付北海道新聞に掲載されたもので、ドイツや英国を目指す「難民」・「移民」の移動ルートを示しています。

 報道されているように、欧州への難民・移民は増加の一途。
地中海を渡りギリシャに入った難民らの主な目的地は、景気の良いドイツや英国。
いったんEUの協定加盟国に入れば自由に移動できる「シェンゲン協定」の玄関口としてハンガリーを目指しています。
ただ、経由しなければならない、マケドニアやセルビアは未加盟国。
そのため難民はハンガリーに集中しています。
対応に苦慮したハンガリーは約175㎞の国境に高さ4mのフェンスを設置しました。

 ドイツのメルケル首相は、かつてのナチスの蛮行の反省から少しでも多くの難民を受け入れようとしますが、さしものドイツも、オーストリアとの国境で、パスポートチェックを始めました。
受け入れ態勢が整うまでの一時的な措置といわれていますが、受け入れを決断した首相の判断に、ドイツ国内で反発の声があるのも事実のようです。
過去の反省を現代に生かすことはなかなか難しいですね。

 さてこの地図を眺めていて、
どうもどこかで見た地図に似ているなあ・・・との思いがあって、過去の講座の資料を捲ってみました。
ありました。下の地図です。
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 これは、池上彰著「そうだったのか 現代史」(集英社 2000年)から転載させていただいた「東ドイツ国民の亡命ルート」です。
20世紀後半、東欧でいち早く民主化を進めたハンガリーは、自国民の逃亡を防ぐために国境に鉄条網を張り巡らせていました。しかし、民主化が進むにつれ、この鉄条網を恥と考え、1989年に鉄条網を撤去しました。
 その結果東ドイツ国民は、自由に行き来できたチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離)に入り、さらにハンガリーへ入国。
ハンガリーに入ってしまえばオーストリアとの国境を遮るものはありません。
多くの東ドイツ国民が、ハンガリー経由で西ドイツに逃げ出しました。
これが「ベルリンの壁」の崩壊(1989年11月)へとつながったのです。
すなわち、ハンガリーの国境開放の決断がドイツの歴史を変えたのです。

このような歴史を持つハンガリーが、多くの難民が自国に入ってくるのを阻止しようとセルビアとの国境に鉄条網を設置したのです。
かつて自国民に国境を開放したハンガリーが、今度は難民の受け入れを阻止しているのです。

歴史を勉強していると、このような「歴史の皮肉」に遭遇することがあります。

追記
言葉の定義
・「難民」
紛争や迫害によって、生命の危機に遭遇し、やむなく他国へ逃避する人々のことで、その主要因は政治的理由によります。
「難民条約」というのがありまして、そこにこの言葉の定義が示されていますが、かなり長いので、わかりやすく簡記するとこんな表現になります。
 なお、「亡命」という言葉がありますが、これは「難民」と同義語ですが、一般的には個人または少数者での場合に使われているようです。
・「移民」…よりよい生活や仕事、教育を求めて他国へ移住する人々で、帰国しても迫害の恐れはない。
その他に
・「国内避難民」と呼ばれる人々がいます。国内に留まって避難状態で危機を回避している人々です。この概念は、国連難民高等弁務官を10年間務めた緒方貞子氏が提示したものと言われています。
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by m-morio | 2015-11-14 15:50 | 市民カレッジ | Comments(0)
いよいよ手術当日。
まず右目から。

この日の被手術者は6人らしい。
順番としては私が最後。

気持ちを落ち着けるためという錠剤を1錠服用。
数種類の薬を点眼し待機。

順番が近づくと予備室で、血圧測定、抗生物質の点滴など手術の準備をして再び待機。

そして 手術!

要は濁った水晶体を取り除き、代わりに人工のレンズに置き換える手術だ。
10分程度で終了。

以後は翌日、翌々日、1週間後、2週間後、1か月後2か月後、3か月後の術後観察が続く。
この間一定期間は抗生剤と3種類の目薬を点眼することになる。

▼短時間で終わる手術なのであまり緊張することもないだろう。
気持ちを落ち着ける薬など要らないと思っていた。
しかし、いざ施術となると少し違った。
部屋には数人の看護師が待ち構えていた。
入室するとさっ・・と周りに集まってきて、それぞれの役割を果たしていく。
椅子に腰かけ仰向けにされ心電図などの機器がつながれ、準備完了。
強烈な光(手術用顕微鏡の照明)が右目に飛び込んでくる。
⇒この眩しさが問題!
眼に加える切り口は2~3㎜と小さく、出血は少量。

とにかく真っ直ぐ正面を見たまま目を動かすなという。
何故かしら首が少し横を向くらしい。
何度か注意を受けるが本人にその意識がないのでいかんともし難い。
・・医師の物言いがきつい!(―_―)!!
そんな注意を受けているうちに施術は終わった。
後は、入れたレンズがきちんとおさまるまで経過観察だ。

▼術後
 眼帯を付けて帰宅。
痛み止をもらうが使う必要なし。
当日・翌日は、入浴・洗顔・洗髪禁止。
また、当日と翌日は車の運転はできない。
瞳孔が開いているからだ。
翌日には眼帯は外され、飲み薬(抗生剤)と感染予防と術後の炎症を抑えるための目薬が3種類渡される。
1日4回の点眼だ。
翌日の視力検査では0.9まで上がっていた。
良く術後は眩しいぐらい明るく見えるといわれるが、確かに明るいが “眩しい” というほどではない。

▼人間の体は誠に精巧にできている。
この水晶体はカメラのレンズに相当するものだが、所謂 オートフォーカス機能の付いたズームレンズだ。  遠くを見れば遠方にピントが合うし、近くを見れば即時に焦点が合う。
ところが今回この水晶体のレンズ部分を取出し人工のレンズと交換するのだ。
それは「単焦点レンズ」に置き換えると考えれば良い。
いかに技術が進歩していても、オートフォーカスの人工レンズは開発されていないだろう。

物の本には、手術に先立って「遠方重視」もしくは「近方重視」のどちらにするかを選択できる、とあるが当院からは全く説明がないまま手術が行われた。
想像するところ「中間のレンズ」を入れたのだろう。

さあ、来週は左目だ。
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by m-morio | 2015-11-14 14:14 | 日々雑感 | Comments(0)
読書週間は終わったのだろうか)^o^(
  ここ数年体調が芳しからずの状態が続いた所為もあって暇に任せて本をよく読んでいる。
新刊、古本、図書館からの借用とさまざまだが少しずつ図書館通いが多くなっている。
便利になって、ネットで市内の図書館の在庫状況を照会できる仕組みが充実しているので居ながらにして希望を伝え、準備ができるとメールで知らせてくれる。

読む本は
時代小説、警察小説、推理小説、随筆、現代史の参考書と雑多だ。
検索対象の図書館の数は38か所ほどある。このほかに注文した書籍を受取、返却するだけの場所もあるのでその窓口がいくつかは確認していない。

私が日ごろ窓口として利用させてもらっているのは地区センターの一室・図書室である。
蔵書は少ないが、静かに読書し新聞を閲覧する場所としては誠に好都合な施設である。
なんといっても、散歩の途中で立ち寄ることができるのがいい。

先日、嬉しい驚きに遭遇した。
いつものようにネットで注文した本が届いたとの連絡をもらったので出かけた。
貸出券を名刺入れから出すのに手間取っていると、すっと対象の本がカウンターに出された。
何と、係の女性が名前を覚えてくれていたのである。
感激でした。 "いつもご利用頂いておりますので"・・・との言葉を添えて。

接客業とは言えない司書さんだが、
人に接する仕事の提要は、まず顔と名前を憶え、できることならその人の趣味嗜好まで承知することだ・・・と、大昔に教わったことを思い出した。

その日一日気持ちよく過ごすことができたことは言うまでもない。
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by m-morio | 2015-11-07 18:18 | 日々雑感 | Comments(0)